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終の住処

 あれから6年が経ち――――


 季節は巡り、9月になった。まだ蝉が喧しく鳴く季節である。

 当時15歳の中学生だった僕は大学三年生に進級。大学は高校からのエスカレーターであるため、受験勉強に追われることもなく、部活だけに明け暮れていた。大学生になった今も、中学時代と比較すると似たようなままだが。


「ねえ、本当に行くの?引き返すなら今よ?」

「良いんだよ。母さん。僕自身が考えて決めたことだから」

「お兄ちゃんたちに手合わせたら帰るからね?」

「手合わさせてくれるだけでも幸せだよ。…兄ちゃん達は墓さえ無いんだから」


 9月と言えど、日曜日であるため会社は休みだ。僕が通っている大学も9月いっぱいは夏休み。万が一に備え、敢えて地蔵盆の時期を避けて、僕らは母の実家のある志野邦村へと向かっている。


 6年前、禁忌を犯したことにより、20歳までにコトリ様が迎えに来るという呪いを僕は施された。だが、神月さんや村長の助力があり、僕はこうして命を繋ぐことが出来ている。悪いのは僕たちなのに、最後まで力を尽くそうとしてくれたことは、感謝してもしきれない。


「そうだ。あと、村長さんにも挨拶したい。…神月さんはいるかな?」

「さあね。あの人は昔からよく村に遊びに来るから、祭りの時期じゃない今もいるんじゃない?」

「だと良いな」


 車は、側面を木々に囲まれた道へと入る。道路の両脇にある鈍色のフェンスは、僕が思い出したくないことを呼び覚ましていく。フェンスの向こう側は禁足地。子供と呼ばれる内には、絶対に入ってはいけない場所。入るとコトリ様に連れていかれてしまうから。

 僕の手を見る。右手の小指から手首にかけて、歪んでしまった傷跡。8針も縫い合わせたそれは、あの日の出来事を物語っている。

 片時も忘れもしない。僕と一緒にいた末前七夏という少女のことを。


 僕は車の窓ガラスに映る木々を眺めながら、ぽつりと呟いた。


「母さんはコトリ様のこと、どう思う?」

「だからね、そればあちゃんに言ったらまた怒られるよ?」

「もう注意しないんだな。小さい頃、何回聞いても、絶対に教えてくれなかったじゃないか」

「隠す必要が無いでしょ。…どうって言われてもなぁ。私はただ、悠司が残ってくれただけ、それだけで安堵するしかないよ」


 そして母は一言付け加える。「いつ連れていかれてもおかしく無かったんだから」


「……どうしてばあちゃんたちは街の方に出てこないんだろうな。絶対そっちの方が便利だし、僕たちみたいな、好奇心に負けた被害者を出さないと思う。特に末前家。あれがいる限り、末前家はお供え物をする数が増えるだけだと思う」

(つい)の住処」

「なんだそれ?故事成語か?」

「慣用句。死を迎えるまでそこに住むことが村人の定めなの。だから、子孫が絶えるまで、志野邦の地から決して離れないだろうね」

「難しいな。えーっと、要約すると墓守みたいなもんか?」

「ちょっと違うけど、その解釈は悪くないわね。まず末前家が村から人が離れたら誰も神社を管理する者がいなくなる。地蔵盆だって村人の協力で成り立ってる。子供を村にいれなきゃ良いだけ。志野邦の住人はこの地で生き続ける定めなのよ」


 気味の悪いぐらい赤く錆びた『ようこそ 志野邦村へ』の看板が見える。あと数メートル走ればもう村の中だ。

 僕は拳を握りしめて覚悟を決める。


 10分程走ると、民家がちらほらと見え始め、その中のひとつに車は止まった。祖母の家。懐かしい薫りが鼻を擽る。


「悠ちゃん、瑛子も。来てくれてありがとうね」


 ばあちゃんだった。当たり前だが、あの時よりも白髪と皺が増え、老けていた。僕が「久しぶり」と手を振ると、祖母も「久しぶりだね」と笑顔を返す。


「ごめんなさい、お母さん。なかなか会いに行けなくて。悪いけど、お地蔵さん回ったら直ぐに帰るわ。日が沈むまでいたら悠司のことが心配だし」

「良いんだよ。またアタシが名古屋に遊びに行けば良いんだから。待っててね、今お供え物持ってくるからさ」

「僕も手伝うよ」

「良いの?じゃあ、折角だからお願いしようかしら」


「お邪魔します」と言い、僕は祖母の家に上がる。不思議なことに、玄関には祖母のものとは思えない革靴が2足あった。僕と同じぐらいの足の大きさだ。28センチはある。祖母の足はそこまで大きくないし、祖父の形見だとも思えない。


「あ、そうそう。瑛子と悠ちゃんだけに任せるのは不安かと思って、アタシが予め呼んでおいたんだよ」

「……?呼んだと言うと?」


 僕が首を傾げる間もなく、リビングに入ると、老紳士と猫背の爺さんがいた。二人とも服装は袴ではなく、ポロシャツであるが、見間違うことはない。神月さんと村長だ。


「やあ、悠司くん。大学生活は楽しいかい?七夏ちゃん以外にガールフレンドは出来たかな?」

「神月さん…!胡散臭さはそのままだな。それに村長も。ご無沙汰しています」

「すっかり逞しくなりやがって。背が伸びたんちゃうん?オレら、おのれのことを待っとったんや」


 村長は立ち上がる。足腰が悪くなったみたいで杖をついていた。

 台所で団子をタッパーに詰めた祖母が、心配そうに村長の様子を窺う。


「勝さんがこんな感じだし、車でも良いかしら?」

「僕はなんでも構わないよ。どっちにしろ、母さんが車で待ってるから。五人乗りだし、大丈夫だと思う」

「ならそうしましょう」


 玄関に戻った祖母は僕の母に説明すると、母は後部座席を開け、そこに神月さんと村長、祖母に乗るよう促す。

 全員が乗り込むと車は静かに走り出した。


「あれから山に入った人はいないのか?」

「いないよ。悠司くんが思っているような悲劇はないから安心しなさい」

「そうか。なら良かった」


 地蔵は家のすぐ近くにあるため、数分でも目的の場所に着く。

 車を降りるように促され、地蔵の元へ向かう。

 真新しい石で作られた、灰色の像。間違いない。七夏が消えてから直ぐに建てられたものだろう。


 僕は駅前の売店で買った仏花と、祖母が作った白玉団子をタッパーから取り出して、それぞれ供える。


 両手を合わせて祈る。どうか、彼女が苦しんでいませんように。

 神月さんも僕の隣にしゃがみこんで手を合わせる。


「…神月さん」

「なんだい?また質問かな?」

「まあ、そんなところだ。……知ることってこんなにも罪になると思うか?」


 神月さんは悲しそうな表情を浮かべ、


「君はどう思うかい?」

「質問に質問を返すのか…。僕はここまで隠蔽して繕うことは無いと思った」

「そうだね。私はね、知ることにより興味が湧くことを避けるために、きっと村人たちは隠したのだと思うよ」

「でも隠されても興味は湧く。…カリギュラ効果だ。極論だが、これって僕たちに、山に入ってくださいって言っているもんだろ?」


 背後を振り返る。祖母と母、村長は既に手を合わせ終わって、車の中で待機しているようだった。

 僕以外に聞こえないことを確認したのか。神月さんは再び話し始める。


「そう捉えてもおかしくないね。私は村の外の人間だから余計に分かるよ。いつかまたこの村に子供が来た時、悲劇が起こる可能性はゼロじゃない」

「……良かった。同意してくれて。母も僕の意見に同意してくれるけど。僕から見たら村人は狂って見える…」

「ははは。面白いこと言うね。正直な男は嫌いじゃない」


 空を見上げる。青く透き通った九月の空だ。まだ夏が佇んでいることを感じさせられる。


「君自身が、コトリ様やアガリビトのことを知って後悔してないのなら、それは罪じゃないと思うよ。どうだい?」

「僕は悔いたりなんかしてないさ」

「なら、それが答えだ」


 神月さんは笑った。

 ずっと心の中にあった蟠り。それはあの日に犯した懺悔を、また誰かに聞いて欲しかったからかもしれない。

 それは決して忘れてはならないことだから。


「行こう。今度は悠太郎くんと沙雪ちゃん達が待ってる。それに宵嵜さんのところもね」


 僕はそれに頷いて車に戻ろうと歩く。

 その途中、一度だけ地蔵の方に振り返った。


「…七夏。救えなくてごめん」


 返事はない。そんなことは当たり前だ。彼女はもう、僕が住むこちら側にはいないのだから。

 僕は、胸を抉るような感情を飲み込み、次の地蔵がある目的地へと向かう。



[完]




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