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禁足地

 まだ昼過ぎだと言うのに、街頭と街頭の間を結ぶ提灯には、赤い光が灯っていた。その燈を辿っていくと食べ物の焼けた良い匂いが僕の鼻を擽る。たこ焼きか、焼きそばか、それともイカ焼きか…。おはぎはお腹を満たしていたが、僕もその良い匂いの誘惑に負けそうになってしまう。これが別腹というやつか、と心の中で思う。


「あらあら、悠ちゃん、それに七夏ちゃん」

「ばあちゃん」


 境内の方からやって来た祖母が僕らに声をかける。

 祖母はいつものババファッションではなく、志野邦村の名前が書かれた法被を着ていた。自治会員の制服だろう。そのせいか、なんだか普段の祖母と違って見える。両手に大きな発泡スチロールを持っている、というのもあるかもしれないが。

 僕の隣に並ぶ七夏は、祖母を見上げると礼儀正しくお辞儀をした。


「宵嵜さんだ。どうも、お久しぶりです。末前の孫の七夏です」

「言われなくても分かるわよ〜。随分大きくなったね、七夏ちゃん。悠ちゃんとお昼ご飯を食べに?」

「はい。あとおはぎとても美味しかったです。明日あたり、お皿返しますね」

「ありがとう。喜んでもらえて良かった。…ん?七夏ちゃん、まさか、あれを食べてまだお昼食べるの……?」


 祖母も量の多さは自覚しているようで、七夏の発言に困惑する。まあ、同じく僕もであるが。


「社務所、余裕あるから。座って食べたかったらそっち行きな。まだこの時間なら空いているし」

「夕方になると混んでくるのか?」

「近くの街にもこの祭りがあることを貼りだしてるからね。そこそこ来るよ。去年は村の人口の2倍ぐらいのお客さんが来たね?」

「と、すると…1000人くらいか。結構大きな祭りなんだな。てっきり地元でこじんまりやるのかと」

「意外とそうでも無いのよ」


 祖母は「あら、いけない」と携帯の画面をつけて、慌ただしく屋台が並ぶ方へ向かおうとする。


「呼び出しか?」

「悪いねぇ…。品出しの手伝いの最中だったのよ。じゃあね、楽しんで」


 僕と七夏は肯定する。

 そして祖母はぱたぱたと駆けて行った。


「どうするか?何食べる?」

「チキンステーキ」

「即答か。じゃあ僕もそれにするよ。待ってて」


 チキンステーキの看板が揺れる屋台に行き、2つ注文をする。屋台のおっちゃんは「はいよ」と言うと、既に焼いていたそれを再び鉄板で温め始める。


「こんな時間に子供がやって来るなんて珍しいな。都会からの帰省組か?」

「…あ、はい。母の実家がこっちなので。……やっぱり、ここって子供、住んでないんですか?」

「オレは村の外、まあ、街の方の人間なんだけどね。毎年屋台はやらせてもらってるが、子供は来ても夜に大人と同伴だし、そもそも此処に来るのは大体街の住人だよ。この時期に帰省するのはそこにいる村長の孫ぐらいだね」


 厳つい見た目に対して、随分とフレンドリーに話す人だ。

 遠くで待っていた七夏もこちらに近付き、僕たちの会話に混ざる。


「わたしのこと、知ってるのね。そんなに有名?」

「毎年見る顔だからな。村の女の子って言ったら七夏ちゃんぐらいだよ」

「ふーん…。そう。言われてみれば、毎年おっちゃんの顔見てるし、別に不思議なことじゃないわね」

「本当に覚えているのか?嬢ちゃん?」

「去年食べたチキンステーキ美味しかったし、多分」

「じゃあ、それはオレだな」


 おっちゃんと七夏は2人して笑う。少し話しただけで知り合いになってしまう、不思議な世界だ。

 村と言われて連想するのは、コミュニティが確立していて、隣人全てが家族というイメージだ。おっちゃんは村の人ではないが、あながち、間違いではないだろう。


「ねえねえ、おっちゃんはコトリ様って知ってる?」


 そう七夏が問うと、「そりゃあね」と、こくりと頷いた。


「この神社に祀られている神様だろう。…ま、その名前からして、良い神様じゃないだろうがね」

「ねえ、他に何か知ってることはない?」

「無いなぁ…。すまんね」


「出来たよ」と完成したそれをプラスチックの容器に入れる。


「600円だよな」


 ポケットから小銭入れを取り出し、お代をおっちゃんに手渡しをする。

 買ったチキンステーキを受け取って僕たちは社務所に移動した。


「悠司くん、お代ぐらいわたし払えるわよ?」

「良いんだよ。女は遠慮するな。それぐらい僕に払わせてくれ」

「なんか悪いわね…。ありがとう」

「どういたしまして」


 社務所の中に入ると、手前にいたおばさんに「こっちが空いているわよ」と中に案内される。机の上に買ったものを置き、その場に座る。


「涼しいね。わたしは暑いのは嫌い。こんぐらい冷房が効いていた方が好きよ」

「奇遇だな、僕もだ」


 幸い、案内された部屋には誰もいなかった。

「いただきます」と手を合わせて割り箸を割る。

 七夏は切れ端を口の中に入れると美味しそうに目を細めた。


「そういや、神戸から来てるって言ってたが、七夏って学生だよな?あ、小学生とか言うの無しだぞ?」

「失礼ね…。悠司くんと同じ中三。全寮制の中高一貫校だから高校受験はなーし。バンザイ」

「そっか。逆に僕は受験だよ。今から既に気分が重い。推薦で行けるけど、学校の成績も落としちゃいけないし、形式的に試験もある」

「推薦?何の?」

「スポーツ推薦だ。長距離走のな。推薦先の高校が大学付属でな。もしかしたら箱根駅伝出れるかも、なんて期待しちゃってる」

「へぇ…、凄いわね。わたしとこんなことしてる場合じゃないんじゃない?他にすることあるんじゃないの?」

「自分で言うな」


 そうツッコミを入れて笑う。

 この村に来たのは息抜きみたいなものだ。実際息抜きになってるかと聞かれたら首を傾げてしまうが。


「わたしのお姉ちゃんはね、貴方のお兄さんと同い年だったの。きっと村の中で1番仲良かったのだと思う。今は子供は外に出される風習だけど、昔は皆一家だけじゃなくて、ご近所さんとも家族だったのよ」

「やっぱりか。それなら僕の祖母と顔見知りだったり、僕と歳が近いのも納得するよ。最早、偶然を通り越して運命だな」

「わたしもそう思う。あの時、何らかのことが起こって山に入った。そして彼らはコトリ様に魅入られた。…いや、アガリビトかもしれない。なんで、…なんで山に入るだけで命が奪われなくちゃならないのよ…?」

「呪い、だとしか言い様がない。胡散臭いと馬鹿にしていたがな。村人のあれを避ける態度。ハッキリ言って異様だ。気味が悪い」

「ええ、本当に」


 七夏は静かに顔を縦に振る。


「わたしの名前の『七夏』ね。『七歳の夏になるまで神様には取られませんように』って名付けられたんだって」

「7つまでは神のうち、みたいな感じか?いや、ちょっとニュアンスが違うか」

「でも元の意味は似たようなものよ。お姉ちゃんは七歳まで生きられなかったから、わたしが神様に取られず生きることが出来ますように、って。おかしいよね。お姉ちゃんは村人からは死んでいない認識のはずなのに、わたしの名前じゃ黙殺されているんだもの」


 悲しそうな表情をして食べながら話す七夏。悔しいが、僕もその件には同意するしかない。


「僕だって同じだ。2人目なのに、僕は次男なのに、悠司。兄の悠太郎の次なのにな。本当におかしいと思う」

「わたし達って似てるわよね」

「ああ。皮肉なことに、嫌なところばかりだけど」

「良いの。…ごめん、変なこと言って」


「気にするな」と言おうとして、やや躊躇う。また、七夏はあの悲しそうな目をしていた。触れてはいけないような、海の底のように深くて冷たい、そんな瞳である。

 既に食べ終わった彼女はゴミを片付けて畳の上に寝転がる。


「ちょっと寝る。…悪戯しないでよね?」

「しねぇよ」


 そういう僕も名古屋から移動してきた疲れが一気に来たような気がする。食べたら疲れた。まだ時間はあることだし、彼女と同じく仮眠を取ろう。


 *


「おい、起きろ、もう5時だ」


 もしもの為にかけておいたアラームが吉と出た。朝を連想させる耳障りな甲高い音を止めて、七夏の体を揺さぶる。枝のように細い体は、僕が揺さぶると僅かに反応した。


「……触らないで、セクハラで訴えるわ」

「理不尽!?」


 僕が叫ぶと、1人のお婆さんと目が合った。みっともなく寝てしまっていたことが恥ずかしい。


「目は覚めたか?」

「ええ。もうぱっちり。既にそんな時間なのね。……外、行きましょうか」


 畳の痕が付いた頬を触る。

 周囲を見回す。僕らしかいなかった部屋には、家族連れや老夫婦の姿が見られる。人数は少ないが、これからもっと増えてきそうだ。

 外からは祭囃子が聞こえてくる。もう祭りは始まっているのだろう。


「凄い人だな」


 社務所の外へ出ると、祭りに来た人々で賑わっていた。到底、村人だけとは思えない。かなり距離はあるものの、隣町から遊びに来ているというのは事実なのだろう。


「どこから入るんだ?」

「神社の裏が丁度山に繋がっているの。基本的に裏まで人は来ないから、人混みに紛れて進んでいけばすんなり入れてしまうはず」

「上手くいけば良いな」

「…そうね」


 境内の方へ行くと更に人が多かった。屋台とは別の催し事をやっているらしい。恐らく、男の人が多いとからして、山車か神輿だろう。


「こっちよ」


 七夏に手招きされるままについていく。

 彼女の言っていた通り、こっそり本殿の裏側へ回ると、そこはもう誰もいなかった。あんなに賑やかだったのが嘘みたいである。

 ただ、僕たちを嗤うようなひぐらしの声が降り注いでいた。まるで、これから僕たちがすることを、見透かしたように。


「この中も禁足地なんだよな」


 僕が本殿を見上げると、七夏は「ええ」と言う。

 立派な建物だ。だがしかし、そこら辺にある神社とはさほど変わらないようにも窺える。


「ここの宮司さんしか入れないわね。それぐらい入ってしまうことが禁忌なのよ。そして、この先もね」


 鉄製の、二重になっているフェンス。不気味なぐらいに鈍色に光るそれは、僕たち人が入ることを強く拒絶している。


「…七夏、本当に入るんだよな?引き返すなら今だぞ」

「当たり前よ。…行くわ」


 僕は彼女の誘いに頷く。

 フェンスに触れると氷のように冷たかった。迷いなく器用に登る七夏を追うように、僕も続いていく。

 幸い、有刺鉄線も返しもなく、中に侵入することができた。だが―――


「音が…静かになったな」


 僕の声がよく通る。響く。

 さっきまで、喧しいくらい鳴き続けていたひぐらしは、凍ってしまったかのようだった。僕らの耳を擽るのは、時々風が吹いた時に揺れる木々の音ぐらいである。

 社務所の中にいた時に聞こえた賑やかな祭囃子も、人々が祭りを楽しむ歓声も、何もかもが遮断されてしまった空間だ。

 この異常事態に、さすがに七夏も理解をしたらしい。額に冷や汗を浮かばせながら、僕の方へ振り返る。


「……どういうこと?外とここは乖離されてるってこと?これが…、禁足地?」

「分からない。だけど、この異変は僕にだって理解できる。相当ヤバそうだぞ。……なあ、引き返すか?」

「…ここまで来たのだもの。真実を、神様が何者なのかわたしは知りたい」

「マジかよって言いたいところだが、愚問だったな。すまない」

「まあ、元々長居はするつもりはないし。危ないと思ったら直ぐに撤退するわ。それに山って、なんだかワクワクするのよ」

「…あのな、怖いもの知らずと呼ぶのにも、物事には限度と言うものがあってだな…」


 七夏の志野邦村及び志野山に対する固執具合には、呆れるしかない。

 西洋には死海という名前の湖がある。あまりの塩分濃度の濃さに、生き物が全く住み着くことができない、死の海。それがすなわち死海だ。

 まだ奥地ではないと言うのに、志野山のここは、その死海のように、全ての生き物が暮らすことを拒んでいるようだった。


「ここが死の山って呼ばれる意味、何となく分かる気がするな」

「生き物の声が全く聞こえないものね。信じられない。蝉も鳥も、声がしないなんて…。どういうこと?」


 そうは言いつつも、七夏はすたすたと上がっていく。怖いもの知らずにも程度がある。既に僕はこの異様な状況に変な汗を握ってしまっている。

 志野山は裾野が横に広いだけで、大して高さがない。あまり斜面があるのを感じないため、上がっているのか、下がっているのか、分からなくなりそうだ。


「空が気持ち悪いわね。血のように真っ赤」


 木々の葉から時々見える空。この場所が薄暗いこともあり、空の色は目が痛くなるぐらい毒々しく思えた。天災が起こる前の前兆のようだ。

 夕焼けにしては赤く、そして紫がかった雲が、僕たちの心を不安に染めていく。


 それから僕たちはひたすらに登った。下手に横に歩くのは怖いため、直進のみである。

 10分から15分ぐらいすぎたであろうか。無言で進み続けていた七夏の背中が停止した。


「足音、…聞こえない?」


 耳を澄ましてみる。何も聞こえない。


「気の所為じゃないか?僕には何も聞こえないぞ」

「…違うの。遠くからわたしたちのことを見ているような…。段々とね、近付いて来るような足音」

「分からないな。『ひたひた』だとか『ぺたぺた』だとか、何か擬音語で表せるだろう?」

「……いや、そういうのじゃないの。人っぽくない。なんというか…、獣みたいな、そんな感じ」

「君の実家に猟銃があったことだし、猪や鹿でも出るんじゃないか?」

「……猟銃ね。…?あ、そうだ。ねえ、悠司くん」


 七夏が振り返る。


「山に入れないのに、どうしておじいちゃんは猟銃なんて持ってるんでしょうね」


 そうだ。田舎だからという理由で特に気にしていなかった。だが、冷静に考えてみるとおかしい。


 ―――山は禁足地なのに、何故狩りをする為の道具が末前家にはあるのだろうか?


 あの猟銃はなんの為に持っているのか。分からない。この村の全てが分からない。


「あ、これ。もしかして」


 七夏の声が僅かに上擦る。

 その反応からして僕は何となく察した。僕たちが志野山に忍び込んだ最大の目的。この山の象徴でもあるものだ。


「これが祠…」


 4本の青竹に囲まれた木造の小屋のようなもの。それが山の中にぽつんと佇んでいた。

 祠は僕が思っていたよりも小さかった。村の道端に並ぶ地蔵と同じぐらいの大きさだ。何も知らない小学生を連れてきて、これを百葉箱だと教えたら、きっと信じてしまいそうな、そのような外見である。


「こんな山奥に放置されているのに、あまり汚れていないんだな」

「そうね。木造なのに腐ってる様子は無いみたいだし。…ちょっと怖いけど」

「君にも怖いと感じる心があるんだな」

「あるわよ!失礼しちゃうわね」

「なあ、七夏。これを開けるのか?」


 祠は観音扉で、その戸には金属製の閂が施されている。その部分は赤茶色に錆びていて、無理にでもこじ開けたら壊れてしまいそうに窺える。

 それにこの4本の青竹からして、この中は神域だ。人間が土足で踏み入ってはならないとされる場所である。


「一応、今回の目的だし。開ける。……ねえ、悠司くん」

「なんだ?」

「わたしのお姉ちゃんと悠司くんのお兄さんは、本当にここに来て、消されたのかな?」


 七夏はまたあの悲しそうな顔をした。


「……ああ。僕はきっと、ここに来て、君の姉と僕の兄は消されたのだと思う」

「……わたしが言うべき言葉じゃないと思うけど……、根拠はあるの?」

「悪いけど僕の直感だ。…いいか?七夏にはこれを開ける覚悟はあるのか?コトリ様というのは、僕らが想像する以上にヤバいものかもしれないんだぞ?…僕にはその覚悟は、はっきり言ってない」

「そっか。そうよね」


 七夏は顔を俯かせ、暫し考える。僕は彼女にここで諦めて欲しいと思った。

 根拠なんて無い。無論、霊感も、第六感もないし、冴えてなんかいない。しかし、この場所に来てから、只管に僕の本能が訴えていた。


「忠告してくれたのにごめんね。でもわたし、これを知らなきゃ帰れないみたいなの。嫌だったら悠司くんだけ先に戻ってても良いわよ」


 女の子だけをここに残すわけにはいかない。ならば、僕が選択することはひとつだけだ。


「…クソ。君を置いて帰るなんて、男として失格だろ。……山に入ることに同意したのは僕もだ。最後まで真実を見なければならないと思う」

「……そう言ってくれると思った。ありがとう」


 僕のパーカーの裾がぎゅっと掴まれる。

 ひとつ息を吸って、少女は神域の中に入る。僕もその後に続く。

 そして、錆び付いた閂をゆっくり引いて、その戸に手をかけた。


 蝶番がキィィと、鈍い音を発して、観音扉が開く。

 その音はまるで、何か得体の知れない生き物が産声を上げたみたいだと思った。


「なに、これ…」


 七夏が止まる。

 彼女の後ろで窺っていた僕も、遥か想像以上のものに戦慄した。こんなもの、誰が予想したのであろうか。


 ――――中に入っていたのは、木箱に収まった、赤子のミイラと、髪の毛の束だった。


 これを赤子と呼んでも良いのだろうか。大きさは15センチにも満たない。ミイラになると多少縮むとはいえ、平均的な赤子の身長は50センチ。あまりにも小さすぎる。ここで連想するのは、俗に言う『水子』。言い換えれば『胎児』だ。目の前のモノは、そう呼称しても良い気がする。僕の脳裏に『水子供養』の四文字が浮かぶ。

 加えて、髪の毛の束。長さからして女性のものだ。店で売られている刺繍糸のように、白い紙で丁寧に纏められているが、放つのはもっと恐ろしく禍々しい妖気で―――


「七夏…!?大丈夫か!?」

「…っ、……」


 隣に並ぶ七夏が突如しゃがみこみ、吐き出す。僕は慌てて、開いた扉を閉めて、彼女の腕を自分の肩に回し、青竹の神域から出る。


「気持ちが悪いのか…?おい、おい!?なんか答えてくれよ!?」


 その目は虚ろだった。瞳孔が開き、焦点が合わない。突然の異常事態に、流石の僕も何があったのか把握しきれない。心当たりがあるとすれば、ただひとつ。あの御神体だ。

 七夏の口がぱくぱくと動く。酸素を求める金魚のように、苦しそうに、何度も何度も口を動かす。

 その光景に僕は既視感を覚えた。


 そうだ。七夏の実家に行った時、あの子の祖母、唯子さんに、コトリ様の名前を出した時のことだ。あの時は『コトリ様、コトリ様…』と連呼していたように見えたが違う。あの人が口にしていたのはそれではない。別の単語だ。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」


 両耳を覆い、彼女のものとは思えないぐらいの低い声で叫ぶ。目の前の見えないものに向けて、少女はひたすらに繰り返す。


「おい!どうしたんだよ!?何を見たんだ!?何があったんだよ!?」


 一体彼女は何に謝ってるんだ?

 七夏の見つめる先に僕も目をやる。何もいない。

 気味の悪いことに、さっきよりも空は赤く染まって、目が痛みを帯びてくる。

 赤い。現世でここまで赤い空なんて存在するのだろうか?


 呪われた赤い世界に迷い込んだ僕たち。そんな僕の平穏は、祠の扉を開けたことで、崩壊し始めていた。

 予期せぬ出来事は終わらない。


「っ!!!!!」


 七夏の体が勢いよく吹き飛んだ。

 向かい側の木にぶつかり、少女が呻き声を、腹の底から苦しげに上げる。

 慌てて彼女の元へ駆け寄ろうとした時、別の方向に佇む、真っ赤な瞳と目が合った。空の色と同じ赤く鋭い双眸。


 ―――それは、真っ黒い毛むくじゃらの見た目をした、四足歩行の生き物だった。


 狼かと目を疑う。だが、違う。獣などではない。

 5本に別れた指、猿よりもしっかりした骨格、色こそあれだが、その表情をまじまじと見つめて確信した。

 人間だ。人間が異形の形へと成したものだった。

 一言で表すのならば化け物。もしかしたら、七夏が聞いた足音というのはこれなのかもしれない。

 体長は150センチぐらい。一般的な人と比較するのならば小柄だが、大きく裂けた口から垂れる涎は、僕らを喰い殺そうとする強い殺意が垣間見える。


「…アガリ……、ビト?」


 僕が答えを出す間もなく突進。辛うじてそれを回避し、僕は尻もちをついた。あと一瞬遅かったのならば、腹の肉が内蔵ごと抉られていただろう。


 やばい。殺される。


 僕の兄と七夏の姉。ふたりはこれを見たのだろうか。そしてこれに殺されたのか。いや、そうするとコトリ様の呪いと辻褄が合わない。ふたりはコトリ様に連れていかれたはずなのだ。

 分からない、分からない。あと少しで答えが見えそうなのに、パズルのピースが埋まりそうなのに。雲の隙間に埋もれてしまったみたいに見えない。見ることができない。


「な、七夏!」

「……ゆ、悠司くん……。た、たすけ……、て」

「待ってろ。今そっちに向かう!……その木を盾にして伏せるんだ」


 七夏は先程の衝撃で我に返ったようだ。そのことに只管安堵する。


 タイミングを見計らい、あれの様子を観察する。

 どうやらアガリビトは視力が悪いようだった。鳩のように小刻みに頭を動かし、両サイドについた耳を傾けて、僕らの居場所を探索している。あの様子だと、聴覚も冴えていないのかもしれない。人の気配だけを頼りに探っている可能性がある。

 僕は気付かれないようにあれと距離を取り、彼女の元に駆け寄る。涙でぐしゃぐしゃになった顔で、七夏は僕を見上げた。


「……ねえ、どうしよう。抜けないの…!」

「……分かった。悪いが待ってくれ。とりあえずもう少しだけあれと距離をとろう」


 見ると彼女の細い右足脹ら脛に、木の枝が刺さっていた。そこそこ太く、抜いたら間違いなく出血が止まらなくなるだろう。皮膚の下の筋肉がズダズタになっていることも考えられる。慎重に手当はしなければならない。

 あれが襲ってくるのも時間の問題だ。可能な限り、音を立てず、七夏を背負い、近くの低木の影へ移る。そして一旦彼女を下ろした。


「……良いか、それは抜くなよ。失血死するからな。…戻ったらちゃんと医者に行って治療して貰おう」

「うっ…、ごめんなさい、悠司くん……。わたし、…わたし…、どうしよう……」

「なあ、…あれってアガリビトだよな?なんなんだよ…、あんな化け物だって聞いてないぞ…!?」

「…そう。多分あれがアガリビトと呼ばれるものだと思う…。あと、わたし、あれの正体、本当に知っちゃいけないのかもしれない…!」

「どういうことだ?」

「あれは呪い。わたしたちが知っちゃいけないところなの。…あれとも目も合わせちゃいけない。でもそれを犯してしまった。だから、きっと殺される…。コトリ様が迎えに来る……!」

「意味が分からないよ!?呪いってなんだ!?どうしてそこでコトリ様が出てくるんだよ!?」

「…ずっとね、声が聞こえるのよ。初めはカサカサ言っていたから足音だと思った。けどね。違う。あの禁忌の扉を開けてから確信に変わった……。コトリ様は末前の人間に恨みを持ってる…。末前家の者を一人残らず、この世界から消そうとしている……」

「だから意味が分からないって!?」

「ずっと聞こえるのよ…。わたしの声で!『殺す、殺す、殺してやる』って!もうやだ……!頭がおかしくなりそうよ…!」

「どういうことだ?七夏の声だと?コトリ様伝説は末前家絡みなのか?」


 末前家は村の名家だ。過去に恨まれることでもしたのだろうか。


 スマホをつけようとする。ディスプレイは真っ黒だった。

 電源が切れたのだろうか。電源ボタンを長押ししてみても反応はない。少なくとも、夕方にアラームを掛けた時は75%はあったように思える。どうせついていても圏外だろうが、せめて時間ぐらいは知りたかった。


「こんなに夕焼けがキツいと、今が何時か全く分からないな…。ここから、神社の裏までどれぐらいあったか?」

「……た、多分、20分ぐらい…。でも適当に歩いていたから、正面を走ってもきちんと戻れるか分からないわよ…?」

「パンくずでも撒いてくりゃ良かったな、なんて。さぁて、どうするか。すぐそこには化け物がうようよしている。……四面楚歌にならなきゃ良いが」


 小声で囁く。

 僕は木の影からひょっこりと顔を出して様子を見る。

 ようやく、この赤い世界に目が慣れてきたようだ。辺りが見回せるようになってきた。

 アガリビトは1匹ではない。3匹、いや、ここにいるだけで5匹はいる。もっと目立つことをすれば更に人数を増やしてきそうだ。

 まず、あれとは戦っても勝てない。そもそも僕は武器を持ってないし、体術も心得ていない。それは七夏も同じだ。


「帰っておじいちゃんに謝りましょう…。山の奥地がこんな世界だなんて思わなかった…。本当に、わたし、どうしたらいいの……?」

「まずは無事に帰れるか、だよな。でもさ、七夏。謝ってからやることがあるだろう?」

「…やること?」

「答え合わせだよ。何の為にここに来たんだ?やってはいけないこと…、罪を作るだけか?違うだろ?君は真実を知りたくて来たんだろう?」

「そうよね。……そう。やらなきゃ。帰らなきゃ。お姉ちゃんがどうして消されたのか、わたしは知らなきゃいけないんだから……」

「そうだ。それでこそ末前七夏だ…!」


 少し大きな声を出しすぎた。カサカサと足音が近付いてくる。きっとこの位置は敵に把握されただろう。そろそろ動かないと詰みになりそうだ。


「立てるか?…ってその足じゃ無理だよな」

「ご、ごめんね。足だけじゃなくて、右腕も駄目みたい。多分ぶつかった時に打撲しちゃった…」


 真っ赤に腫れた右腕を見る。最悪、骨が折れていることだろう。見るからに痛そうで目を逸らしたくなる。


「乗って。おぶって行くから」

「わ、わたしが??待て待て!この状況でどうやって行くのよ!?見つかったら殺されし、何せ今のわたしはお荷物よ!?食べられるかもしれないのよ!?待つってのも手じゃ…」

「助けは来ないよ。それに僕のスペックを忘れちゃ困るぜ。推薦貰えるぐらいの陸上部のエースだ。正面突破に限るだろう?」

「元の場所に戻れるか分からないのよ!?もう少し休んで、あれが引いてからでも……」

「大丈夫。この山は村の外にも鉄製のフェンスで覆っている。適当に走れば脱出は間違いなく出来る。ただ、相当走ることになるだろうな…」

「……なんであなたはそこまで冷静を保てるのよ……?……信じらんない…」


 七夏を背負う。びっくりするぐらい軽い体。背中ごしに体温が伝わってくる。

 これでも陸上部だ。長距離なら僕の得意分野。あの化け物と持久力勝負ということだろう。幸い、七夏は40キロあるのか不安になってくるぐらいとてつもなく軽いし、僕の手荷物はスマホと財布だけだ。身軽と言っても過言ではない。


「はあ……、アガリビトってあんな声で鳴くのね……」


 ギィィィィィ…


 僕たちを血眼になって探しているのだろう。アガリビトが嫌な声で鳴く。黒板をチョークで引っ掻いたような、反射的に耳を閉ざしたくなってしまう声だ。聞いていると心臓の辺りがざわついてくる。


「行くぞ」

「ええ。ここに居ても仕方ないものね……。…お願い、悠司くん」

「ああ」


 頷いた僕は全速力で駆け出した。

 その様子に反応したアガリビトも追ってくる。真っ黒い巨体が蠢き、足音がガサガサ、ガサガサと幾重にもなって背後から聞こえてくる。見えなくても何となく感じる。直視したら見た目の気持ち悪さに目が眩むやつだ。

 追いつかれたら殺される。それだけを考えて、体のリミッターを解除することをイメージをし、全力で足を動かす。

 呼吸を整えながら今の状況を把握することを試みる。


「…七夏、背後にあれは何匹いるか…?」

「えっとね…。4匹はいるわ…。やっぱりさっきの様子も変だったけど…、音のする方に寄ってくるんじゃないかしら…?でも、突進を繰り返す割には、足はそこまで早くないわね…。所詮ヒトってことなの……?多分、悠司くんが今の速度を保てるなら撒けそう……」

「やっぱりか」

「きっと視力が悪いのね。バイオのリッカーみたい…」


 確かに、それは僕も少し思った。四足歩行の化け物で、目が悪く、見つけ次第人を食い殺そうとする。まるでリッカーのようである。リッカーほど耳は良くないみたいだが。


「上手く音を立てて違う方向におびき寄せられないか?」

「無理よ。そんな便利なアイテムここには無いわ。硫酸弾も閃光弾も、そんなものどこにも無い……!」


 突然、何かが横から突っ込んできた。僕はバランスを崩して斜面を転げ落ちていく。アガリビトだ。また別の巨体が現れたのだろう。

 慌てて受け身を取ろうと手を出すと、七夏の体が僕から離れていく。


「な、七夏…!!!!」


 離れそうになる瞬間、慌てて僕は彼女の腕を掴んだ。相当痛かったのだろう。七夏は大きく悲鳴を上げた。それでも歯を食いしばり、彼女なりの意地を見せる。


「……ったい……!!!!う…、やばい、やばいって!2匹増えた…!どうしよう悠司くん…!」

「どうしようも出来ないよ!今迄通り、僕たちは逃げるしか無いんだよ!!!」


 受け身に失敗し体を大きく打った。だが、そんなことは気にしていられない。

 彼女を背負い直し、僕は体勢を立て直す。そしてまた斜面を滑るように下山して行く。靴の中に泥と落ち葉が入ったせいで走りにくい。

 緊張感が肺と心臓を圧迫させる。息が上がる。苦しい。死にたくない。死にたくない。


「腕…。腕がね、凄く、い、痛い………」

「ごめん!我慢してくれ!」

「……もうどうしろっていうのよ……。はあ、…頭も痛い……。声がね…、わたしを呼んでるのよ…?ごめんなさい、ごめんなさい……」

「しっかりしろよ!一緒に生きて帰るんだろう!?真実を知るんだろう!?」


 弱音を吐きはじめる七夏に怒鳴る。きっと、祠の扉を開けた時から、頭の中で永遠と声が鳴り響いているのだろう。彼女も僕が見えない何かと戦っているのだ。今の僕には励ますことしかできない。


 それに、僕の声に反応するようにあれも追いかけてくる。


 どうする?どうすれば良い?


 道が分からない。幾ら進んでも似たような場所。舗装すらされていない山に、道なんてものは存在しない。もしかしたら、ここはさっき通ったところかもしれない。今自分がどの地点にいるのか、どこを走っているのか、それすらも知ることが出来ない。そう思うと不安に押し潰されそうだった。


 それに、僕もさっきの突進で、脇腹と手首を痛めたようだった。鈍い痛みが、音がハウリングするように響いていく。手首を見てみると赤く擦り傷が出来ていた。結構深いようで、血が滲んでいる。それに脇腹。息をする度に痛みが脳を刺激している。足には自信はあるが、僕の体力は痛みには負けそうだ。

 その時だった。


 パンッ!


 重く、乾いた音が、寂れた山に鳴り渡る。

 一瞬何の音か、思考を巡らす。透かさずもう1発、連続して響く。

 僕よりも早く七夏がその答えを導き出した。


「これって、もしかして、銃声……?……悠司くん、もう少しだけ右に走って……!」

「右??おう、了解…!」


 銃声、つまり村長たちと考えて良い。そのことに、期待に胸を膨らませる。一縷の望みに賭けたい。

 七夏が指示した方向は合っているようで、段々と見えてきた。あの鈍色に光る鉄製の頑丈なフェンスだ。その近くには数人の人の姿が見える。


「凄い、ねえ、後ろ……。あれ、銃声を聞いたら散って行った……」


 後ろを見る。七夏の言う通り、僕らを追いかけていたあれは、確かに、霧のようにいなくなっていた。


「どういうことだ?麓に近づくと消えるのか?」

「分からない。…だけど、きっとあの猟銃が関係しているのだと思うわ…」


 考える間もなく、大人組が僕らに声を上げた。聞き覚えのある声に、緊張の糸が解けていく。これほどの安心感はない。


「悠ちゃん…!!!!七夏ちゃん……!!!」


 フェンスに指を絡ませて叫ぶのは祖母だった。それに末前の村長と、七夏がおばあちゃんと呼んだ唯子さん、そして見慣れない夫婦と、袴を着た見知らぬ老紳士が並ぶ。この老人は神月慶一郎で、夫婦は七夏の両親だろう。


 僕はフェンスに攀じ登り、今さっき見てきた悪い夢のような出来事を思い出していく。

 狙撃手は村長、末前勝だ。銃口をフェンスの間に入れて撃ったようでだった。


 七夏を背負ったままフェンスを登るのはなかなか苦戦する。試行錯誤しながら足を引っ掛けて、上まで登りきると、最後の力を振り絞って着地した。体のあちこちが痛すぎてもう何も感じられない。


 祖母たちが駆け寄る。僕は七夏を降ろし、右手で彼女を支える。

 暗い。目が痛い。そう感じて空を見上げた。あんなに赤かった空は嘘のように闇の帳に覆われ、美しい天の川が見える。「なんでだ……?」と僕が問う間もなく、


「馬鹿者!」


 頬に痛みを感じる。ビンタだった。

 七夏も同じく村長から叩かれる。その村長は平手で僕と自分の孫を叩いた後、僕ら二人に問う。


「何ぞ言うことがあるんやろ?」

「…ごめんなさい」

「……うう…っ、ごめんなさい、おじいちゃん……」


 僕と七夏は精一杯の力を込めて頭を下げた。

 しかし、七夏は足の怪我のこともあり、真っ直ぐ立てずに、傷をかばいながら体が崩れるようにしゃがみこむ。僕もくたくたで彼女を支えきれなかった。

 血だらけのその姿を見て粗方察したのだろう。村長は「説教はまた後でや」と言葉をきつく放った。

 だが、まだ何かが気になるようで、再度こちらに振り返る。


「もしかして、……おのれたち、『あれ』を見たんか?」


『あれ』と聞いて連想するものは二つ。祠に納められた御神体と山を徘徊するアガリビトだ。七夏も『あれ』がどちらに該当するのか分からないようで、僕と同じように曖昧に頷いた。


「僕らは、その……。祠の中身と……、化け物を見ました」

「…………まさか?……化け物?(あが)り人を見たんか?あの姿を?見たんか?見ることが出来たんか?」

「見たって…。おじいちゃん、今思いっきりそれで撃っていたじゃない……」


 七夏がそう言うと村長は顔色を変える。僕の祖母も、末前家一同も幽霊でも見たように青ざめた。

 その中でただ一人、老紳士だけは僕らの全てを見透かしたように笑う。


「『あれ』は大人には見えないんだ。つまり、子供しか『あれ』の姿を見ることが出来ない。君たちの年齢じゃかなり微妙なところだけど、どうやら気に入られたのかな?見てしまったようだね」


 老紳士が喋る。そしてその解説の後に付け加えて、

「神月慶一郎だ。職業は一応宮司だけど、呪いとか神様とか、そのような研究をしている者だよ。初めまして、悠司くん」


「あなたが、神月さん……。デタラメ書籍の著者……」

「おやおや。私のことを知っているのかい?光栄だね。なあ、勝さん。ここは私の専門分野だ。二人の後処理は任せてくれないか?」

「神月がそういうなら二人をあの部屋に連れて行き。オレは本殿へ行くで」

「そういう訳だから。さあ、私についておいで」


 ニッコリと優しく微笑みかけられた。

 見た目こそ真面だが、話すと胡散臭さが増す。流石、あの本の著者と言ったところか。

 僕らは痛む箇所を庇いながら、本殿隣の部屋に案内された。


「シャワーを浴びたらこれに着替えて。話はそれからだ」

「…話って?」

「知りたくてここまで犯したのだろう?幸い君たちが恐れる村人は向こうへ行った。私は君らの味方だし、外部の人間だ。聞きたいことは何でも答えてあげよう」


 独特の口調で神月さんは話す。


「七夏ちゃんはそれを抜かないとね。シャワーはふたつあるから、悠司くんが社務所側の方を使うと良いよ。これから神様に会うんだから、きちんと清めるんだよ」

「神様……?」

「話すとは言ったが、全てを清めてからだ。さあ、行ってきなさい」


 渡されたのは白装束だった。お坊さんが滝行の時に着るものである。

 廊下に出る。平屋建てと言うのだろうか。本殿のはなれ(・・・)は、幼稚園の園舎のようなつくりだ。廊下のガラス戸を開ければ中庭に出られるようになっている。ただ、コの字型なため、中庭から直ぐに山の方に行けるみたいだ。


 僕はそのまま廊下を突き進み、社務所のすぐ側にあるシャワー室へ向かった。

 服を脱ぐ序にズボンのポケットに入れていたスマホを確認する。あの山の中では電源はつかなかったが、今ここで電源ボタンを長押しすると、見慣れた林檎のマークが浮かんだ。電池の残量は普通にあったみたいだ。

 数分待ち、ディスプレイに表示された時間を見て驚く。


「22時15分…!?」


 山に入ったのは5時半過ぎだ。精々いたのは多く見積って40分。明らかにおかしい。狐につままれた気分になる。


 僕はあの赤い世界に騙されてしまったのだろうか。あの山は時空が歪んでいて、だからこそ奇々怪々な出来事が起こるのであろうか。


 シャワーは井戸水のようでとても冷たかった。滲みるそれに顔を顰めながら僕は、その身を清めていく。


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