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地蔵盆


 *


 翌日。

 七夏と待ち合わせ予定の9時まで特にやることはない。仕方なく持参した単語帳を眺めていると、背後から祖母が話かけてきた。


「アタシはこれから出かけるんだけど、悠ちゃんはどうする?」

「僕は七夏に遊びに誘われててさ。遊んだ後に遊びに行くつもり。ばあちゃんはどこに?神社?」

「ええ。今日はお祭りなのよ。その準備。神月さんもいらっしゃるから席は外せないんだよ。ただ、縁日の屋台で車が置けないのよねぇ。悠ちゃんには悪いけど、アタシが自転車使っても良いかしら?」

「え、もしかして僕歩き?」

「悪いわねぇ。お供え物の朝の分は、アタシがやっておくから。許して?」

「……まあ、運動にもなるし。良いよ」

「助かるよ。ありがとう」


 昨日の鬼のように歪ませた殺気は面影すら感じられない。一体あの祖母は何だったのだろう。憑き物が離れたみたいだ。


 祖母が家から出るのを確認すると、僕も支度をはじめる。これから僕が七夏と探ることを知ったら、祖母だけではなく村人からも叩かれそうだ。それぐらいの禁忌であることは、僕にも何となく分かる。


「じゃあこれ、持ってきなさい。末前さんにはいつもお世話になってるから」


 祖母は手にしていた紙袋から何かを取り出す。それを覗くとおはぎだった。皿の上に5個ほど並んでいる。


「これ、ばあちゃんたちが食べるんじゃないのか?」

「どちらにせよ末前さんに渡すんだし。良いわよ、子供たち同士で食べなさい。それに神様は餡子がない方が好きだから、神社のお供えには使えないからさ」

「どういう意味だよ?」

「さっきから質問ばかり。自分で考えなさい。悪いけれど、アタシはもう行くからね?七夏ちゃんに変な気を起こすんじゃないよ?」

「…僕はロリコンじゃないぞ」

「…?何を勘違いしてるか分からないけど」

 祖母は小首を傾げる。


「七夏ちゃんとあんた、同い年よ?」

「マジで……?え?中三?あれで15歳?」


 下手すりゃ145cmもないぐらい小柄だ。小学五年生と言えば納得してしまうぐらいである。


「じゃあ今度こそ行くからね。しっかり戸締りしておくのよ」


 立ち尽くす僕に構わず、祖母はひらひらと手を振って立ち去った。

 あの小さい少女が僕と同い年。信じられないが、彼女の姉と僕の兄が亡くなったことを踏まえると嘘ではないと思う。不思議とそんな風に感じられた。


 ならば合点がつく。彼女がやたらと『コトリ様』に固執する理由もだ。僕の名前を聞いた時に示した彼女の反応。間違いなくして、彼女は昔、僕の兄の存在を聞かされている。コトリ様に連れていかれたと考えられる、兄の存在を。


「大人が教えてくれないのが悪いんだ」


 独りごちりながら、僕のお気に入りである檸檬色のパーカーに着替える。

 地蔵前で鉢合わせになるのを避けるため、祖母が出て行ってから30分程家で過ごして時間を潰した。


 今日も外は暑く、蒸すような熱気が降り注ぐ。思考を掻き乱すのは蝉の鳴き声も同じだ。頭がガンガンと唸るぐらいに喧しい。だが、これでも陸上部だ。走るのは得意である。

 そして僕は駆け足であの場所へと向かう。


 *


 地蔵の前には既に七夏が来ていた。今日も昨日と似たような涼し気な色のワンピースを着ている。

 唾の長い麦わら帽子を押さえながら、彼女はゆっくりとこちらへと振り向く。


「遅い」

「そんなこと言われても…。5分前行動しているはずなんだがな」


 スマホで今の時間を確認するとまだ9時にはなっていない。ただこの少女が早く来すぎただけだ。

 あの地蔵を見ると真新しい団子がお供えされている。


「僕のばあちゃんに会ったか?」

「うん。ちゃんと挨拶したよ。お団子交換して行った」


 と言って七夏はタッパーに入った古い団子を見せる。

 やはり、祖母とは入れ違いだったみたいだ。ここで鉢合わせて七夏と企んでいることが露呈するなんてことは無いようで一安心する。


「しかし、なんで君がそれを持っているんだ。団子をお供えするのを君も引き受けたのか?」

「うん。あと、わたしも来る途中交換してきたから。なんか分からないけど、わたしのところって交換する数が多くて。どうせ1個や2個増えたって変わらないし、処分するのは簡単だし、わたしが預かるよ、って宵嵜さんに言ったら渡してくれた」

「そういう事か」

「あとね、あなたに見せたいものがあって」


 やや声のトーンが上がる。七夏は好きなことの話題になると興奮して早口になるタイプだ。間違いない。

 そう言った七夏は、タッパーから団子を一つ取り出した。これは恐らく昨日の夕方僕がお供えしたものだ。その団子を真ん中で二つにちぎる。


「本当はね、お守りと一緒で見ちゃいけないんだけどね」

「中を開くとバチが当たるから、とかか?」

「多分その線が正しいかもね。このお地蔵さんが神様に近い存在だったら、特に」

「神に近い存在?」

「まあ、解説と考察は見てから。事実は小説よりも奇なり、よ?」と七夏はそれを開ける。


 ―――その中には黒くくすんだ御札が入っていた。


「これって、御札…だよな?なんでこんなに黒いんだ?」


 御札と呼んで良いのか分からないぐらい黒い。煤が張り付いたように、真っ黒く中心まで侵食している。指で触れてみるとそれは煤ではなく、紙そのものが染まってしまっているようであった。


「これ文字が書いてあるのか?どうしてこんなことを?」

「御札を折りたたんで、白玉団子みたいなもので包む。それを地蔵に供えるらしいわ」

「なんのために?コトリ様とやらが食べるのか?」

「食べるのはコトリ様じゃない。いや、神様は餡子が嫌いらしいから、この白玉は好きだと思うけど。これは食べない」


 少女は言う。そして続ける。


「歩きながら話しましょう。わたしの家、この近くだから。そこで見せるわ」

「勝手にお邪魔しても大丈夫?帰省した時に挨拶すらもしてないぞ?」

「今日はおばあちゃんしかいないし。お母さんもお父さんもおじいちゃんもお祭りのお手伝い。好きにくつろいで良いよ」

「田舎独特のアットホームな雰囲気だな…」


 僕は頷く。女の子の住む家に行くなんて初めてだ。

 その後について行くことにした。


「アガリビトって言葉。悠司くんは聞いたことない?」

「…?アガリビト?なんだそりゃ。初耳だ。残念ながら聞いたことないな」

「そっか。コトリ様と同じく、この村の禁忌なの。口に出すことも許されない」

「現に声にしてるじゃないか。間違いなく祟られるし、大人にも怒られる」

「平気よ。祟りも大人も怖くない。好奇心は恐怖を快感に変えるのよ」

「君、大人から嫌われているだろ…」

「ええ。否定はしないわ」


 上機嫌にステップを踏む七夏。彼女はそのままアガリビトとやらの説明を続ける。


「地蔵盆の存在は、コトリ様とではなく、アガリビトと結びついてるとわたしは思ってる」

「だからいきなり新しいの増やすなって。マジで混乱するから。そのアガリビトと黒くなった御札が関係あるのか?あのさ、そもそもアガリビトって何だよ?人間なの?神様なの?」

「それなのよね…。ひとつだけ書かれた本が見つかったんだけど、それだと『アガリビト』とカタカナ表記。あとは、わたしのおじいちゃんが、神月のおじいちゃんと話してるのを聞いただけだから分からない。だからこそ解き明かしたいんじゃない」

「神月のおじいちゃんって?自治会の関係者か?」

「まあ大体そんなところ。毎年村に来る宮司の人よ。50歳ぐらいのおじ様。呪いとかオカルトとか心霊だとか、そういうのを研究してる人なんだって。因みにアガリビトの存在が書かれた本の著者、神月のおじいちゃん」

「最初からその神月さんに聞いた方が早いんじゃ…。あ、でも大人は教えてくれないのか」

「ええ。それが早いに越したことはないけれど、間違いなく、口を割らないでしょうね。それにあの人、ちょっとだけ苦手」

「堅苦しい人なのか?」

「うーん。そういうのじゃなくて、何考えてるのかよく分からない人なのよ」


 田んぼの畦道を進み、1つ目の民家を通り過ぎると下り坂に入る。午後から祭りがはじまると言うのに、村の中を散策する人は僕と七夏しかいない。大体の村人は神社に招集されているのだろう。


「この坂の下がわたしの家」

「そういやさ、ばあちゃんに君のこと聞いたんだ。分家だとか言ってたけど、村長さんとは一緒に住んでるのか?」

「態々同じ村で別々に住むのは変でしょ。父も母も本邸で仲良く暮らしてるわ」


「ここよ」と七夏が立ち止まる。

 僕らの目の前には大きな門があった。ドラマでよく見る極道の家のように立派な門である。

 七夏が「よいしょ」と細い腕に力を込めて閂を開けると、想像通り、立派な日本家屋が建っていた。


「…君の家ってヤがつく家系なのか?」

「は?ただの土地持ちよ。まあ、金があることには変わりないけどね」

「…コメントに困るな」


 完全に余談であるが、地下に拷問部屋でもあるんじゃないか、と不安になった。コトリ様やアガリビトとまた異なった、サイコホラー的なものが潜んでいる気がする。とてつもなく失礼な話だが。


「入って」

「庭がこんなに広い家なんて初めてだ…。やばくね?」

「庭よりも中の方が広いわよ?」

「……まあ、そりゃそうだよな。金持ち怖い…」


 玄関だけでも我が家の10倍ぐらいある。いや、それは盛りすぎたか。中からはひんやりとした空気が流れ込んできて、僕の額から滴る汗を冷す。

 履いてきたスニーカーを脱いで揃えていると、背後から初老の女性が声をかけてきた。


「あら、宵嵜さんとこの?」


 祖母と変わらないぐらいの年の女性だ。白髪は多いものの、丁寧に纏められていて清潔感がある。また、垂れ目なのも印象的だ。


「志宮悠司です。はじめまして」

 慌てて僕は立ち上がり一礼をした。


「はじめまして、じゃないんだけどね…」

「……?あれ?おばあちゃんと悠司くん、会ったことあるの?」


 そう七夏に聞かれて、僕は首を傾げる。残念ながら僕はこの人にあった記憶がない。僕のその反応を見て、慌てて『おばあちゃん』と呼ばれた女性は声をかけた。


「あ、いいの。私の勘違いだったかもしれないから」

「一応紹介しておくね。わたしの母の従姉妹のお母さんにあたる、末前唯子さん。分かりやすく言うなら、村長の末前勝さんの妻ね。でも、おばあちゃんに代わりはないから、おばあちゃん」

「複雑だな…。と、言うと、もしかしたら、村長さんは婿入りなのか」

「うちは代々女家系でね。子供が女児しか産まれないんだよ」

「こんな小さな村だから、近親婚ばかりしてると偏るって説があるわ。そんなわたしも女だし」

「…七夏、また変なこと言うんじゃないよ。君は、宵嵜さんのとこのお孫さんよね?七夏と仲良くしてくれてありがとう。中、案内するね」


 そう言われて僕は改めて一礼をする。年上すぎる人との付き合い方って苦手だ。どのように会話を繋げていいのか分からないからた。


 それに、何だか重要なことを聞き流しているみたいで、胸の奥がモヤモヤする。しかし、細かなことまで追求する訳にもいかず、僕たちは奥へと進んでいく。


「猟銃?」


 廊下には立派な銃がひとつ、掛けられていた。黒と茶色のフォルムが金属のベルトで固定されている。銃を見るのは初めてなため、無意識にまじまじと見つめてしまう。


「ああ、これ?立派でしょう?私の旦那のなんだけどね」

「と、言うと村長さんのですか。初めて見ました。やっぱり山には猪とか出るんですか?」

「そうね。私は入ったことはないけど。出るって聞いたことはある」


 山の話になると七夏の目の色が変わる。

 勢いに任せたのだろうか。あの禁忌の単語をおばあちゃんに振る。


「猪の他にも出るんでしょ。コトリ様とか、化け物とか――」


「―――うるさい」


 まただ。また、ここの村人は頑なに口を割ろうとしない。

 僕らを見るその顔は、氷のように冷たく、心の底まで突き刺さるようであった。その表情は昨日、僕が祖母にコトリ様の名前を出した時と瓜二つに思えた。


「…っ」


 その視線に僕は怯む。

 だが、七夏はノーダメージらしい。ケロッとした表情で彼女のおばあちゃんを睨み返す。


「ふん。そう言われるのなんて知ってたし。てかさ、なんで教えてくれないの?腹立つわね。悠司くん、行くわよ」

「お、おい!?待てよ」


 強引に僕の手を引く。そのまま自分の部屋へと連れていこうとする七夏。僕はおばあちゃんの方へ振り向くと、彼女は立ったままこちら側を見つめていた。よく見ると、口が餌を求める金魚のように動いている。その動きからして6文字、いや5文字か。

「ことりさま」と言っているようにも見えるが、じっと見る間もなく、七夏は進んでいく。


「おいおい、なんか言ってるぞ?あのまま放っておいて良いのかよ…?」

「大丈夫。平気よ。ねえ、この村、変でしょう?」

「変で済ませる君の方が変だと思うよ…?むしろ変と言うか、やばいと言うか…」

「ふふっ…、それは初めて言われたかも。まあ、良い。分かったでしょ?これが呪いなのよ!」

「なんでそこまで楽しそうなんだ!?」


 2階に上がり、1番手前の扉に手をかけ、そこに案内される。10畳の和室だ。家具が無いからか、1人部屋にしては異様に広く感じる。無論、特に散らかっておらず、部屋の中には生活感を感じない。


「女の子の部屋って感じしないな。借りてるのか?」

「違うわ。ここは元からわたしの部屋。家具を置くのが嫌いなだけ。適当に座って」


 座布団や椅子ひとつ無いとさすがに落ち着かない。何も無い畳の上に座り、持ってきたものを思い出す。


「あ、そうだ。おはぎ持ってきたんだよ。僕のばあちゃんが作ったやつ。食べるか?」


 僕は手汗で湿った紙袋からサランラップに包まれたお皿を出す。来る時に走ったからか、やや形が崩れてしまっていた。


「結構あるね。ちょっと待ってて。おばあちゃんのところにお裾分けしてくる。あと、取り替えたお供え物も処分したいし」

「今下に行って大丈夫か?さっきめちゃくちゃ怒っていたぞ?刺されない?」

「平気よ。ああなっても直ぐに戻る。あなたのおばあちゃんもそうだったでしょ?」


 言われてみれば、確かにそうだ。夕食の最中、あれだけ怒ったのにも関わらず、その直後には、まるで無かったかのように振舞ったのを思い出す。


「聞くだけなのにな。あそこまで怒ることはないと僕は思う」

「仕方ないわよ。これが『呪い』だから」

「コトリ様の呪いだっけか?本当に?」

「ここまで来て疑うの?」


 七夏は押し入れを開ける。その中にはスクラップ帳や書籍が詰められていた。どう見ても、学校で用いる教科書やワークではない。


「わたしが戻ってくるまで、好きに見てて良いから。あと、残念ながらえっちな本はありません」

「いや、誰も期待してないからな?」


 女の子の部屋に如何わしい本などある訳がないと言おうとして口篭る。女性向けのR指定本もあるもんな、イケメン同士がキャッキャウフフしているやつ。言っておくが、僕は興味ないぞ?


 七夏は、おはぎの乗った皿と、お供え物を取り替えたタッパーを持って、足音を静かに立てながら下へ降りていった。

 僕は、1番初めに目につく本を、人差し指で背表紙を引っ掛けて取り出す。


「神月慶一郎?」


 七夏と祖母が言っていた人物だ。確か、村に来る外部の宮司さんだったはず。きっと、彼が書いていた本とはこれのことだろう。

 本のタイトルを見る。『奇々怪々!日本の村に蔓延る都市伝説』。よくある安直なタイトルだった。


 ページを開き、志野邦村が書かれている章を探す。

 てっきり巫山戯たタイトルと本のサイズや厚みから、ちゃおホラーのような子供向けのが読みものかと思ったが、意外と本文には読み仮名は少ない。しかし、大人の読み物としては馬鹿馬鹿しいと感じてしまうものも中にはある。


「まだ2ちゃんねるの洒落怖の方が面白い作品があるな…。UMAとかネッシーとか、もはや幽霊じゃないだろ…」


 ペラペラと捲っていく。あった。

 サブタイトルは『黄泉へ続く山、志野邦』。だが、書かれている部分は三ページにも満たない。これは他の章に比べて圧倒的に少ない。もしかして、文字に表すことさえも、この村の禁忌というのであろうか。

 僕は指で本文を追っていく。


『志野邦村には奇妙な都市伝説が二つある。一つはコトリ様、もう一つはアガリビトだ。コトリ様という名前に至っては、有名な怖い話である『コトリバコ』を連想する人が多いかもしれない。皆の想像通り、コトリ様を漢字に変換すると『子取様』。子供を取ってしまう神様だ。もう1つのアガリビト。これはコトリ様に取られた子供、つまりコトリ様の手下という説がある。コトリ様の存在が黄泉の伊邪那美なら、アガリビトは醜女であろう。ただ、どちらもその正体は不明である。そもそもコトリ様とアガリビトが住まう死の山(=志野山)は禁足地だ。それも聖域として避けられているのか、呪いの土地として避けられているのか。また、大量に並ぶ地蔵たちもこの奇妙な村の有様を物語っている。現地の人々に話を聞こうとしても、口を固く閉ざしてしまっている。そして、このコトリ様とアガリビト。これらの存在は村人から畏れられているのだ。村に潜む真実は不明。オカルトマニアの想像を掻き立てることしかない』


「つまり、なんにも分かんないじゃないか……」


 僕は呟く。分かったことはコトリ様とアガリビトが畏れられているということ。だが、こんなの村人の反応から既知である。当たり前で常識だ。

 書かれたページはそこで終わっており、後は志野山神社や地蔵、そして地蔵盆祭りの写真で特集で閉めれられている。

 僕が神月さんの本を閉じると、丁度タイミングよく七夏が襖を開けて戻ってきた。


「冷たいお茶持ってきたよ。一緒に食べましょう。これだけおはぎあればお昼ご飯いらないかもね」

「七夏のおばあちゃん、大丈夫だったか?」

「心配ご無用。駄目だったら、わたしは此処に戻ってこないわよ。あ、あとお皿は洗って返すね。後でで良い?」

「そんな。良いのに。ありがとな」


「はい、どうぞ」とお盆から麦茶の入ったグラスを僕の目の前に置く。

 グラスの外側には水滴が浮かんでいる。パキッと麦茶の中の氷が割れる音がした。僕は「お構いなく」と言ってそれに口をつける。


「それ、読んだ?」

「正直に感想を言わせてもらうよ。…これで金を取るのは詐欺だと思う」

「内容の薄さには同意するけれど、結構な辛口ね。理由は?」

「考えてみろよ。内容も勿論だが、オチも何も無い。こんなの山に入って実物を確かめろって言ってるもんじゃないか。七夏はどう思うんだよ?」

「その通り、わたしは山に入って謎を解き明かすつもりだけど?」

「ぐうの音も出ないな……」


 一口麦茶を啜る。とても冷えていて、汗でくたばった体を癒していくようだった。冷たい麦茶が喉の底まで伝ってゆく。

 僕は閉じた本を再び開いた。


「疑問点は二つだ」

 例のページを広げ、該当の箇所に指をさす。


「まずさ、七夏は初めに僕と出会った時、志野山のことを『聖域』だから禁足地だと言ったよな?それは何故だ?何故、聖域だと言いきれる?」

「ああ、あれね。確かにそう言ったわね。でも特に意味はないわよ?あそこに祠があるって聞いたことがあるから、アガリビトやコトリ様の有無に関わらず、現世の人が入っちゃ駄目だって思っただけ」

「祠?」

「ええ。聞いただけの話だから真意は不明だけど。志野山神社のお社とは別にあるって噂。あと、志野山神社の本宮の中って、神主以外入っちゃ駄目なの。あそこも禁足地。で、その祠が本体で御神体が祀られてるって言うのよ」

「新しい情報がいっぱいあるな…。本殿とは何が違うんだ?祀られているものは同じになるのか?」

「おそらく。コトリ様を神様とするのは変わらないわ。山は人が入っちゃいけないから、仮初の祠が身近な場所に作られた、それが志野山神社らしいわ。いわば、本体は祠ってことになるわね」

「それで七夏は志野山が聖域だと思ったと?」

「聖域とまでは行かなくても、神がいる場所だから人が入っちゃ駄目だと思っただけよ。よくあるでしょ。都会でも初詣とかになると、境内の1部とか、入っちゃいけないところが出来るし」

「でも、逆にそこに神様じゃなくてアガリビトだったら聖域とは呼ばないだろ。不浄の地だ。それで禁足地として畏れられていると思っても良い。…僕はそう思う」

「……そうね。そもそもどちらも本当に存在するかが分からないけどね…。まず、アガリビトが何かが分からないと、正確に決めつけられないわよ」


 そのまま七夏は続ける。


「それで、もうひとつは?」

「地蔵盆だ。前にも言ったやつだけど、本来水子の供養のはずだぞ、あれ。どう考えても変だろ…」


 僕はおはぎを摘んで一口食べる。モチモチとした甘い米と餡子がとても美味しい。なかなか大きくて食べ応えがある。歯応えが凄い。

 七夏も素手でそれを掴み、「すっごい、もちもち」と美味しそうに声を上げる。


「仮説を立てよう。七夏はどう思う?」

「そう振られても…。居なくなった子供のお墓の代わりしか考えられないわ。志野邦村に堕胎専門の医者がいるなんて聞いた事ないし…。水子の線は無いと思うの」

「もし。もし、だ。本にあった通り、アガリビトが居なくなった子供の呼称だとする。そうだったら、あの地蔵はアガリビトのものになるだろう?アガリビトが穢らわしいものだったら、御札が黒くなるのと結び付く。な?」

「まあ、確かに。わたしも考えた。それが一番有り得るかもね」


 七夏はこくんと、ひとつ頷いた。


「アガリビトってどういう字を書くのでしょうね。悠司くんは予想出来る?」

「漢字か?少なくともこの村って江戸時代からはあったよな?」

「あったはず。そこからあるのにカタカナ表記はおかしいって言いたいんでしょ?……わたしもそう思う」

「仮に鎖国後に村が出来たとしても、どう見ても外来語じゃない。意図的にカタカナにしてるとしか思えないもんな」

「『上がり人』とか、どうかってわたしは思ったのだけれど?」

「山の上にいるからって安直すぎるだろ。そもそも人なのかも分からないぞ…。『アガリビト』か」


 名前だけが実在するだけで、実際にいるか定かではない、謎の生き物だ。いや、概念なのかもしれない。

 だが、ここまで話を持っていくと、遭遇したらどうしようかと不安になる。人の力で対処しきれるものなのか、全く予想出来ない。


「あのね、山に入るのは5時半頃にしようと思うの」

「5時半?割と早めだな」

「お祭りが丁度賑わう頃だから。人通りも神社に集中して少なくなると思うし。侵入するにはベストな時間だと」

「しかし、志野山と言ってもかなり広いぞ。何処から侵入するつもりなんだよ」

「祠があるのが丁度神社の裏側らしいの。そこから入るつもり。まあ、悠司くんはわたしについてくれば良いわ」

「七夏は目当ての見たら帰るつもりなんだよな?」

「まあ。わたしが満足したら。そんな長居はするつもりは無いし」


 七夏は悲しそうな声音で付け加える。「…どうせ、コトリ様やアガリビトなんていないでしょうけれど」


「君は嘲笑うのか、それとも信じているのか。どっちなんだ?」

「別に良いじゃない。…信じられないけど、信じることしか出来ないのだから」


 七夏はこうやって時々悲しそうな顔をする。姉への思いなのか、この村のおかしな風習への軽蔑なのか、僕には分からない。いや、もしかしたら、どちらとも当てはまるのかもしれない。


「さてと。行くわよ」

「おいおい、行くって何処にだよ?」

「決まってるでしょ。神社に行くの」

「まだ昼過ぎだぞ?」


 スマホをつけるとまだ12時半だ。結構長い時間話してしまったとはいえ、山に入るには早すぎる。


「とりあえず、この村の大人達に、顔を出さないと心配されるでしょ。お祭り行きましょう。わたしのおじいちゃんだったら、祭りに来なかったら村中探されそう…」

「確かに、僕のばあちゃんもその説は有り得るな…。もう出店はやってるのか?」

「ええ。一部は夕方からなのだけど、お昼に来るのも見越して、やってるところもあるはず。何食べようかな、お腹がすいたわ」

「七夏さん…、まだ食うのか…」


 ビックサイズのおはぎは僕のを除いて既に無くなっていた。

 改めて七夏を見る。この小柄な体型の、どこにそれが入ると言うのだろうか。胃袋ブラックホールめ。


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