死の国村
子供の内には、志野山の奥地に入ってはならない。
それは、あちらの世界、黄泉と繋がっているから。
―――入ってしまったら、コトリ様に連れて行かれちゃうんだって。
*
8月21日。夏休みも刻一刻と終わりに近付いている中、僕はひとり電車に揺られていた。
名古屋から数時間、僕のお尻が痛みを帯びるぐらい乗り継いで、ある駅へと向かう。行先は祖母の家でもあり母の実家がある、人口500人にも満たない小さな村だ。少し遅めの帰省というものである。
中学に上がってから、僕は毎年、母と共に祖母の家に帰省をしている。だが、今回は母親が仕事の都合で行けなくなってしまい、僕ひとりだけで祖母宅へ向かうことになってしまった。生憎、父親がいれば僕ひとりって事は無いのだろうが、残念ながら母親はシングル。仕事に振り回されてしまうのは仕方がないことだと僕は理解している。バイトができる年齢になったら、僕も家計を少しでも支えたい。
そして、今日は21日であるのだが、本来僕たちは、お盆である13日から15日に帰る。しかし、今回は特例。1週間遅くなってしまった。
普段、帰省している日付にはきちんと意味があり、昔、僕たちが住んでいた祖母の実家がある地元で、兄が亡くなったらしい。その兄の命日が8月の14日だと言う。死者が帰ってくるお盆に、命日がたまたま重なり、僕らはその日付を選ぶわけだ。とは言っても、兄が死んだ時、僕はまだ生まれていなかったわけで、詳しいことはよく分からないのだが。
そんなわけで、僕は亡き兄が暮らした、祖母が住まう志野邦村へと進んでいるのだ。
僕と数名しかいない乗客を乗せた電車は駅に止まる。都会では見受けられない、ほぼ無人駅の駅舎。改札を通り、田舎の景色に不釣り合いなシルバーの新車を探す。
「悠ちゃん」
白髪の混ざった女性が僕に手を振る。だが、顔の皺は少なく、まだ若々しさが感じられる。宵嵜郁江。彼女が僕の母方の祖母にあたる女性だ。
ちなみに、僕の苗字は父方のものだ。母親が離婚した際に、「仕事で名前が変わると困るから」という理由で敢えて変更していないらしい。僕としてはどっちでも良いけど。
僕はばあちゃんに手を振り返す。
「久しぶり、ばあちゃん」
「よく来たね。ここまで遠かったでしょ。さあさあ、乗って」
着替えが入った荷物を抱えて助手席に座り、シートベルトを付ける。車内には祖母が好む煙草の匂いが染み付いていた。
「中学はどう?受験生でしょ?こっちに遊びに来て平気なの?」
「平気平気。高校は陸上部の推薦で行くし。じゃなきゃ、こんなとこ来ないよ」
「ひっどいわねぇ、こんなとこって。田舎が好きって前に言ってたじゃない」
「確かに長閑な風景は好きだけどさ。あまりにも娯楽が少なすぎて1週間で飽きちゃいそうだ」
「まあ、若い子からしたらそうかもね。でもね、今年はちょっとだけ面白いことがあるよ」
祖母はふふっ、と可愛らしく笑う。僕はそんな祖母に「面白いこと?」と聞き返す。
「悠ちゃん、いつも来るのお盆でしょ。でも村のお盆はね、22日からなのよ」
「旧暦だっけか?まあ、母さんの休みが取れるのが盆しかないから、村のお盆は知らないな。縁日とかあるのか?」
「もちろん。アタシ達の村にはね、地蔵盆ってのがあるんだよ。ちょうど、悠ちゃんのお兄ちゃんの魂も帰って来る」
「そうか」
僕はそう答えて口を噤む。僕が避けたくなる、この村のおかしな風習のひとつだ。お盆は僕の中では8月の半ばであるが、この地域は違う。母は気にせず、帰省していたが、僕はかえってその母の姿勢や、祖母の態度に強い違和感を抱えている。
僕の兄である、志宮悠太郎は7歳になる前に亡くなった。死亡理由は不明。一切、明かされていない。一応『事故』となっているらしいが、そんなの嘘であることは既に知っている。こんな山に囲まれた村でも、事故が起きて死体が出たのならば、何かしら騒がれるに決まっている。
―――だって、兄は死体どころか、墓さえ存在しないのだから。
こういうものは、典型的なミステリーやサスペンスなら、身内は亡くなったという出来事・存在を隠蔽してしまうが、何故かそのようなことはない。父親は知らないが、母親や祖母、生前の祖父さえも、僕の兄・悠太郎のことを愛おしく話すのだ。別に家族のことを話すのはおかしくない。だけど、彼の話をする時は何処か歪で、異世界から来た何者かが、体を乗っ取ってしまったかのように話すのだ。
今の祖母もそのような表情をしていた。
「ばあちゃんは兄ちゃんについて、何も知らないのか?死んだ理由だとか、墓がない理由だとかさ。何かしら―――」
「知らない」
「……ああ」
祖母の突き放したような返事に僕は曖昧に返事をする。僕はこの村の人間が苦手だ。とても奇妙で奇怪で気味が悪い。何故隠そうとするのか。何処か矛盾しているようで胸のあたりに突っかかる。
車は30分ほど走り、山を抜けると、『ようこそ 志野邦村へ』と書かれた看板が見えた。立てかけられたそれは錆びていて、まるでドラマTRICKの世界に迷い込んでしまいそうな感じである。
道路は辛うじて舗装されているものの、両脇に聳えたつフェンスは酷く不気味に見えた。フェンスの先は山の奥地に当たるらしく、昔から人は入ってはならない場所とされていると言う。分かりやすくイメージをするのなら、富士の樹海のような感じだ。あそこのように入ってしまうと迷い、二度と外へ出られないらしい。
他にも根も葉もない噂があるが、これらは信用に値しない。
村の中に入ると、木々は開け、民家がちらほらと見えてくる。と、言っても田んぼ9割、民家1割ぐらいの印象だ。
志野邦村の入口から10分ぐらい走ったところで車は止まる。
「着いたわよ。さあ、降りて」
「うん」
痛む体の節々に顔を顰めながら下車をする。思いっきり体を伸ばすと、関節がピキピキと鳴き声を上げる。
辺りは山ばかりで、二階建て以上の家は無く、空を遮るものはない。僕の住む名古屋とは違った平穏な時間が流れているように感じる。久々に嗅ぐ田舎の匂いだ。この点だけは、志野邦村が好きだと言って良い。
荷物を背負って祖母の後ろに付いていく。道端の街灯には祭りの飾りのようなものが吊るされ、風に揺れていた。その赤い提灯は僕を、見たことがない世界へと誘っていくようで、神秘的だ。
「お祭りってこれなんだね。明日だっけ?」
「そうよ。折角来たんだし、遊びに行ってみたら?」
「そうだね。他にやることも無いし。ばあちゃんはお祭りに行かないの?」
「行けたら行きたいけど、アタシは末前さんとこに呼ばれてるから、明日明後日は留守にすることあるかもねぇ。自治会の手伝いがあるから、そっちに行かないと」
「そうなんだ。分かった」
僕は頷く。そして街灯の下に、一定間隔に置かれている地蔵に目をやる。来る時にも思ったことであるが、だいたい100メートルにひとつ、置かれていて、短距離走かと僕はツッコミたくなる。ざっと見た感じ、地蔵の数は100を余裕に超えていそうだ。
「ねえ、お祭りって何のお祭りなんだ?」
「日付はズレていても毎年来てるから知っているでしょ。亡くなった子供を供養する地蔵盆祭りよ」
「…地蔵盆、か」
地蔵盆は志野邦村にある風習だ。他の地域にもあると、聞いたことがあるものの、かなり珍しいようだ。クラスの友人に話したら、この道端の異様な光景に、気持ち悪がられてしまいそうである。
地蔵盆祭り。酷く奇妙な言葉だ。そんなことは兄の『墓参り』の口実に過ぎないし、僕はこの村に祀られるべき神様がいることを何となく知っている。
「…ばあちゃん」
「何?」
そうふりかえった祖母の目は凍ったように冷たい。僕が疑問に思っていることを見透かしているみたいだ。背筋に嫌な汗が滲む。
「なんでもない」
僕は聞きたくても聞けないことを心に封じながら祖母の自宅へと入る。
*
昼ご飯を済ませ、これから何をしようかと考える。
祖母の家は、築40年くらいのごく普通の一軒家だ。ちょっと古めかしい雰囲気が心を踊らせる。
僕は、生前に祖父が使っていた部屋に泊まることになっていた。
祖父の部屋には仏壇がある。この家にあまり帰らなくても仏壇の横に置かれた遺影から、中に誰が眠っているのかが分かる。曾祖父さんと曾祖母さん、そしてじいちゃんだ。
―――そこには、兄の遺影も位牌もないのだ。
何が墓参りだ?意味が分からない。存在を黙殺しない癖に、何故戒名も位牌も与えられないのだろうか?
毎年、仏壇を見る度にぶつかる疑問。
荷物を整理しながら思考を巡らせていると、襖が開いた。
「…びっくりした。ばあちゃん、ノックぐらいしてよ」
「襖でどうやってノックをしろって言うのよ?」
今のはジョークだったらしく、ひとりでケラケラ笑っている。何とも分からない人だ。
「ねえ。この後、外に行く予定ある?」
「まあ、暇だし。軽くそこら辺の散歩ぐらいはしてみたいかも」
「ならこれ頼めるかしら?ちょっと自治会の用事が出来て、神社の方に行かなくちゃならなくなっちゃったんだよ」
そう言って祖母が渡してきたものは、タッパーだった。中を開けると白玉団子のようなものが6つほど並んでいる。味付けはなく、美味しくは無さそうだ。
「なんだ、これ?僕のおやつ?」
「何馬鹿なこと言ってるの。お供え物だよ。うちの周囲にあるお地蔵さんに置いてきて貰える?」
「周囲と言っても沢山あるだろ。道端には地蔵しかないし」
「今地図を書いて渡すから待ってなさい」
内心面倒だな、とは思う。余所者の僕がやる必要性は何処にあるのか。だが、郷に入れば郷に従え、だ。やむを得ず、祖母が向かったリビングへと移動する。
祖母は村のパンフレットを出すと赤ペンで丸を付けて僕に手渡す。
「日が暮れるまでにやっといて貰えれば良いから。じゃあ、アタシは行ってくるからね。自転車はガレージにあるの使って良いよ」
ばあちゃんはそのまま早足で出ていった。
玄関の扉が閉まった音がしてから、僕は立ち上がり、ガレージへと向う。
外に出ると喧しいぐらいの蝉時雨が降り注ぐ。辺鄙な場所とはいえ、盆地だ。それなりに暑く、僕のあらゆる場所から汗が吹き出して行くのが分かった。
錆びたシルバーの自転車をこいでいく。ふと、振り返ると、大きな山が構えるように、ずっしりとそびえ立っていた。
志野山。山に纏わる怖い話というとかなりある。先程にも述べた通り、志野山は禁足地だ。鉄製のフェンスで頑丈に囲まれ、僕が幼い頃はこの村に来る度に「絶対に近づいてはいけません」と教育されてきた。その度に「なんで?」と母親や祖母に聞いてきたが、返ってくる答えはひとつ。「危ないから」である。
山が危ないというのは理解できる。小さい子が何の準備もせずに入ったら遭難してしまうだろう。だが、僕はこの地が禁足地として避けられるのはそれだけでは無いと思う。そう心の中で感じていた。
順番にお供え物を置いていき、蝉の声を聴きながら、最後の地蔵に向かう。
すると意外なことに、僕以外の人がそこにはいた。
「…」
それは少女だった。それも子供だ。かなり小さい。
村で子供の姿を見かけることはとても珍しい。志野邦村の奇妙な噂を避けて、子供が産まれたら他地方で過ごし、大人になってから戻ってくる村人が多いからだ。僕のように中学生に上がってから帰省をするのも中にはいるらしいが、『いなくなったら怖い』と畏れてしまう人々が多く、かなりイレギュラーだと言う。僕だって兄が亡くなっていなかったら、『墓参り』をする必要もないし、この村には来ないであろう。
噂がなくても、この村は気味が悪いからだ。
少女の背は僕よりも小さい。恐らく150cmにも満たないであろう。背だけでなく、顔も肩もとても小柄だ。まるで人形のようで華奢で、触れたら壊れてしまいそうであった。
僕の姿を視認すると、桜色の形の良い柔らかい唇を動かす。
「あなた、…ここにお供えしに来たの?」
「お、おう」
僕が頷くと少女は1歩下がり、場所を譲る。
「突っ立ってないで置いたら?」
長い睫毛に縁取られた黒の双眸が僕を見つめる。エクステではなく、地毛でここまで睫毛が長い人を僕は初めて見た。魅入ってしまうぐらい美しい女の子である。
僕は少女に「どうも」と一礼をする。タッパーから団子を取り出してそれを置いた。白玉団子を古いものと取り替えたところで、彼女に話しかける。
「君は地元の子供か?」
「地元?うーん…。地元出身って言った方が正しいかしら?普段は神戸。今は帰省中」
「やっぱり僕と似たようなものか。この村は子供が少ないもんな。僕は母さんの実家がここってだけ。じゃないと、僕は名古屋住みだが、態々そこからこんな所に来ない」
「そうね。わたし達似てるわね」
少女は口元を抑えて、「ふふっ」と上品に笑う。
「ねえ。わたし、末前って苗字なんだけど。聞いたことはない?」
そう言われて考える。そう言えば、祖母がここに来る途中に、口にしていた気がする。
「自治会の人か、その関係者?」
「そう。……でも、その反応、あまり知らないのね。てことはこの村についても知ってそうにないのか…。つまらない」
「…どういうことだ?」
「帰ったらおばあちゃんにでも聞けば?あなた、宵嵜さんの孫でしょ?」
「なんでそんなこと知ってるんだよ…」
「おじいちゃんが朝言ってたから。今日、男の子が1人、村に帰ってくるって。そんなのあなたしか居ないでしょう?」
何処か退屈そうに少女は言う。変な子だ。
そして、今度は僕の背後に聳え立つ山に目を向ける。
「―――コトリ様」
ボソリと少女は透き通った声音で呟く。
「何故、その名前を口にするんだ…?大人に怒られるぞ…?」
「……へぇ。それは知ってるのね。コトリ様。あなたも興味ある?」
「別に詳しくなんてないさ。知っているというか、昔耳にしたことがあるだけだ。地蔵盆と一緒にお祭りされている神様だろ?正体不明で村の大人が、異常なまでに隠したがる、志野山の神様」
「まあまあ正解。50点かな」
「…と、言うと?」
「どうして山が禁足地なのか考えてみなさいよ?コトリ様が志野山に住むから、人間が足を踏み入れては行けないの。穢れを持ち込まないために」
「でも実際は空想にすぎないだろ?そんなフィクションは、僕にはとても信じられない。入ったら遭難するから、村人は山を避ける。これだけで辻褄が合うじゃないか」
「本気で思ってるの?」
「……僕が本気だと思ってるのか?」
「質問に質問で返さないって、学校の先生に教わらなかった?」
「生憎な。だけど、一般的に見れば空想だよ。確かにこの村は気持ちが悪いし、おかしい。でもそれはコトリ様が山にいることとは結びつかない」
僕の意見に少女は呆れる。
「分かってないわね…」
「だったらそこにコトリ様がいるのを証明してみろよ。出来ないだろ?」
「できる」
「できる?」僕は問い返す。
「わたしの姉はコトリ様に連れてかれた。お墓がないのは、きっと存在があの山に眠っているから」
「…え?……墓がない?」
僕の兄と同じだ。生前の存在は黙殺されず、死んだ後は、まるでいないかのように扱う。いや、死者はこの世にはいないのだが、この村で亡くなった場合は、墓もないし、戒名も位牌も与えられない。存在がこの世から切り取られてしまったかのように、この世に死んだ跡を残すことを許されないのだ。
例えば僕の名前、『悠司』だ。兄が悠太郎なのに関わらず、悠司の司は次郎の次ではない。小学生の時、名前の由来を調べる授業で、僕の名前のことを母に聞いたことがある。次男なのに、どうして悠二でも悠次でもないのか。そう聞いたら母は答えた。「お兄ちゃんはこちら側にいちゃいけないのよ」。未だに僕はこの言葉の真理が分からずにいる。
「誰も教えてくれないから、ここから先はわたしの推測だけど良い?」
僕が頷くとそのまま少女は続ける。
「多分ね、7歳になる前。わたしの姉は山に入った。理由は知らないけどきっと興味本意でね。それで『何か知ってはならないこと』を知り、呪いに触れた」
「待てよ。訳わかんねぇよ。知っただけで殺されるってどういうことだ?」
「殺されるんじゃない。これは呪いだから。あれは子供を連れて行ってしまうのよ。『子取り』、だからコトリ様。コトリ様に取られた子供は地蔵盆として迎え入れられる。ねえ、何のための地蔵盆なのか考えたことない?」
「水子供養だろう?……でも、享年が6歳になる手前なら、君のお姉さんは生まれてから時間が経ちすぎている。水子じゃない」
「そうね。その通り。水子なんて、そんなの建前よ。山で死んだ子供の墓が地蔵盆だとわたしは思っている。だったら話の筋が通るでしょ?」
水子供養ではなくても、祖母の言っていたことはあながち間違いではない。お盆だから魂があちら側から帰ってきて、僕らはそれらを迎え入れる。
だが、何かが引っかかる。他の地方では地蔵盆は水子供養の象徴だ。何故、墓を作らず、地蔵という偶像に頼るのだろうか。
疑問を飲み込み、僕はあのことを少女に打ち明ける。
「……僕の兄も、この土地で亡くなった」
「え?」
彼女の言う姉の存在と、僕の兄。どこか重なり合うような気がする。もしかしたら―――
僕は心のどこかで彼女の言う空想を受け入れ始めていた。
「あなた、名前は?」
「志野山の志に竜宮城の宮と、悠久の悠に司。志宮悠司だ。君は?」
「末永くの末に、前後左右の前で末前、七つの夏で七夏。末前七夏よ。ところで、あなたの苗字って宵嵜じゃないのね。……待って、志宮?志宮って志宮悠太郎の志宮?」
「え?僕の兄の名前を知ってるのか?」
「知ってる。知ってるも何も…、宵嵜さんのところだったなんて…」
少女、七夏は黙る。そして決心したように僕に告げる。
「わたし、真実が知りたいの。どうして村の人は祭りの本当の内容や、村で起こった事件を隠したがるのか。わたしはそれを知りたい!…あなただってお兄さんのこと、何も知らないんでしょ!?」
「…墓がないことしかな。何があったのか、どうして死んだのか、誰も教えてくれねぇよ。ましては『コトリ様』なんて口にしたら、な?」
本当に何処までも気味の悪い村だ。フェンスで頑丈に囲まれた広大な山、一定間隔に並ぶ大量の地蔵、水子の供養という建前の謎のお祭り。
大人は僕達に嘘しか教えない。教えてくれるのはたったひとつ、『山には入ってはいけない』ということだけだ。
七夏は、空の色を切り取ったような淡い青のワンピースを翻して、再び僕を見つめた。
「わたしと一緒に山に入らない?謎を解きたいんでしょう?」
絶対にするな、と言われるとしたくなってしまう。カリギュラ効果だとか言われるが、そんなの子供の性だ。
僕は彼女の誘いに応答する。
「…どちらかと言うと、知りたい。いや、僕は兄に何が起こったのか、知るべきなんだと思う」
「ふふっ。じゃあ決定ね。明日の9時、ここに集合で良い?」
「もう山に入るつもりなのか?」
「ううん。まだ。あなたに見せたいものがあるの。良い?ブッチしたら怒るからね?」
「僕はそんなヘタレじゃないよ。やるって決めたらやるんだ」
「その言葉、信じるわよ?」
ポケットに入れたスマートフォンをつけると、時刻は4時すぎを指していた。
「今何時?」
「4時10分。ばあちゃん待たせると悪いし、僕はそろそろ帰るよ。その…、七夏も帰った方が良いんじゃないか?」
「うん。そうする。もう自治会の会議も終わるだろうし」
手を振ると慌ただしく駆けていった。僕はその姿が米粒ぐらいの大きさになるまで見送る。
「……コトリ様、か」
得体の知れない『神様』の名前を声にする。可愛らしい名前だ。その正体が呪いだなんて信じられないぐらいに。
だが、そんな僕の声は、鳴き始めたひぐらしに掻き消されていった。
*
「ばあちゃん、末前七夏って女の子知ってる?小学生ぐらいのちっちゃい子なんだけど」
夕方、祖母と二人で食卓を囲みながら、今日出会った不思議な少女のことを尋ねる。
僕が「これくらい」と手で身長を表す間でもなく、祖母は、味噌汁を啜りながら頷いた。
「ああ、もちろん。知ってるよ。末前さんとこのお孫さんよね?」
「お昼も車の中で言ってたけどさ…、その末前さんって誰?」
「村長だよ。村に興味が無くてもそれぐらい知っときなさい」
「つまり、村長の孫?」
「孫と言っても、分家の娘さんだから血は遠いんじゃないかい?あの子も、こっちに帰ってきてるのねぇ。でもどうして悠ちゃんが七夏ちゃんのことを?」
「今日、お団子をお供えをする時に会ったんだ。それでちょっとね。変な子だった」
「そうかい、そうかい。昔はあの子もこの村に住んでいたんだよ」
昔は住んでいたか。姉の事件と重なり、彼女もやむを得ず村の外へ出ることになったのだろう。…と、すると、あの子って何歳だ?
「…彼女、お姉ちゃんがいたんだって」
「沙雪ちゃんね。あの子も賑やかな子でね。よく家に遊びに来てくれたんだよ」
「へぇ、ばあちゃんとも関わりあったんだね。……七夏と話して思ったんだけどさ。僕と彼女、似てるなって思って」
「悠ちゃんは、七夏ちゃんとどういうところが似ていると思ったの?」
「僕も兄ちゃん、いないからさ。あいつの姉ちゃんも昔亡くなったらしい。らしい、って言っても僕よりばあちゃんの方がきっと詳しいか。兄ちゃんと一緒でお墓、無いんだって。隠し事はしないで僕に話してくれたよ」
そう言うと祖母は黙る。僕はそのまま続ける。
「ねえ、ばあちゃん。コトリ様って、……何者なの?」
「その名前を口するな!!!!」
祖母は大声を上げる。そして大袈裟に箸をテーブルに叩きつけた。
滅多に見かけない祖母が怒鳴った光景に、僕は怖気付く。部屋には肌を痺れさせるような、ビリビリと、緊迫した空気が包みこんだ。
我に返った祖母が慌てる。こぼれた味噌汁を台布巾で拭くものの、祖母が取り乱した現実は、確かにそこに存在していた。
「……ご、ごめんね。大きな声出しちゃったね」
「………いや、こちらこそ、ごめん。怒らせるつもりはなかった」
何を謝ってるのか自分でも分からない。だけど―――
村の神様なのに村人に忌み嫌われる。まるで、禍津神だ。いや、もしかしたら本当に禍津神なのかもしれない。
村の子供を取ってしまう。そのことを七夏は呪いだと言っていた。呪い?そのようなものが果たして存在するのだろうか?
コトリ様の存在。例えそれが偶像でも調べてみる必要がありそうである。