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王宮の暮らし

 玉蓮にある王宮に帰還した灯李たち一行は、旅装を解き、旅の疲れを癒した。


 白壁と朱柱の回廊が幾重にも重なり、その中央には蓮の咲く池が静かに水面を揺らしている。玉蓮の王宮は名の通り静謐そのものだが、その中でただ一人、白雅だけが所在なげに視線をさまよわせていた。


 どこを見ても磨かれた石と金、繊細な香の匂い。そんな環境に白雅の居場所はない。


 まず、湯浴みをさせられ、女性用の衣服を着せられる。梳かれた白髪は丁寧に結われ、簪まで挿された。侍女たちは物珍しげに白雅を眺め、ひそひそと声を交わす。その視線の中で、白雅は小さく肩を強張らせた。


「……なんなんだ、この状況」


 卓子に突っ伏して自分の置かれた状況を訝しんでいると、部屋の扉が外から叩かれた。


「白雅、入るぞ」

「景葵か」


 入室してきた景葵は、綺麗な格好をしている白雅を見て、軽く目を瞠った。


「そうしていると見違えるものだな」

「悪かったな」

「誉めている」


 それから景葵は口調をやや改めた。


「これから陛下がお会いになる。謁見の際に必要な作法を教えるので、今、覚えるように。いいな?」

「うっ……わかったよ」

「その言葉遣いも直せ」


 そして数刻後。白雅は御簾越しに桜花国王・炉橘と、王太子・灯李と対面していた。


「そのほうが流浪の剣士・白雅と申す者か」

「はい、陛下。このたびは拝謁を賜り、恐悦至極に存じます」


 跪き、景葵から教えられた通りの言葉を流れるように口にする。

 こういう言い回しは国によって作法は違えど、中身はたいがい似たり寄ったりだ。白雅はそう思った。

 これまで旅をしてきた中で、貴人に拝謁する機会がなかったわけではない。


「面をあげよ」


 御簾の向こう、わずかに風が揺れた。薄絹の向こうに、人の影がある。若い灯李の声は澄んでいたが、その奥に座す王の声は深く、重い。


 白雅は静かに顔をあげた。白く長い髪と、薄絹越しでも際立つ紅の瞳。御簾の向こうの空気がわずかに揺れた。


「白い髪に真紅の瞳。確かに外国では凶兆とされる『白い子供』のようだな」

「はい。ですが父上、この者の剣の腕前は私付きの近衛隊長・景葵に匹敵するほどです。この目で確かめました」

「そうか」


 灯李の言葉に、炉橘王は鷹揚に頷いた。


「湯治の場で王太子の危機を救ってくれたこと、心から礼を言う」

「畏れ多いことでございます、陛下」


 通常なら、このあとは賞金なりなんなり褒美を取らせて仕舞いのはずだった。しかし──。


「では、流浪の剣士・白雅よ。王太子の命を救った功績をもって、そなたを王太子付きの近衛に任命する」

「……は?」


 礼儀も忘れて白雅は思わず間抜けな声をあげる。返す言葉を失い、唇を半ば開いたまま固まった。


 ざわ、と空気が動いた。周囲がどよめき、景葵だけが静かに天を仰いでいた。



 白雅は苛々しながら一時的に通された部屋で人を待っていた。桜花国の王宮にしては質素な部屋で、壁に掛けられた刺繍だけがこの国特有の雅やかさを主張している。


 ややあって扉が外から叩かれる。返事もせずに白雅は大股で近づき扉を開けた。


「景葵、これはいったいどういうことだ!?」


 開口一番、クワッと食ってかかる白雅に、景葵は身振りで落ち着けと伝えて部屋に入ってきた。そしてなに食わぬ顔をして答えたのだ。


「どうもこうも、聞いた通りだ。陛下と殿下がお決めになられたことだからな。お前に拒否権はない」

「いやいや、あるだろう、それは。そもそも私はこの国の民ではないし」


 黒髪黒眼の桜花国の者に比べれば色の薄い髪は、この土地ではどうしても目立つ。


「ありはするが、まからんぞ」


 白雅の抗議の言葉はスパッと切って捨てられた。


「だいたい、異国の人間で素性もわからんような者を王宮に入れるとはどういう了見だ。何故、誰も反対しなかった」

「反対したさ。陛下以下、国の主だった重臣たちは皆、反対した。だが、殿下が頑としてお譲りにならなかった。どうしてもお前を傍に置きたいとおっしゃってな」

「灯李が?」


 いったい自分のなにがそれほど灯李を執着させたのか。首をかしげる白雅の肩に、景葵はポンと手を置いた。


 景葵は灯李の心の重さを人一倍知っている。そのためか、白雅を見つめる目はどこか期待めいていた。


「殿下が心を許せる相手は少ない。この宮では、血筋の重さが時に孤独を生む。殿下も例外ではない。頼む、白雅」

「うー……」


 本音を言えば、今この場で断ってしまいたい。しかし、脳裏に浮かんだのは、寂しげな灯李の瞳だった。


──あの寂しい顔を、もう二度と見たくない


 その一念が、白雅の反論を飲み込ませた。


「……わかった。ただし、条件がある」


 白雅が言うと、景葵の視線がわずかに細まった。


「なんだ?」

「堅苦しいのは苦手だ。ときどきは息抜きに付き合え」


 そう言えば、いつも無表情の景葵が珍しく口元を緩めた。


「フッ……わかった。なにをすればいい?」

「酒、鍛練、あと灯李。主従関係じゃなくて、ただの友達として灯李に会えるか?」

「三つ目は難しそうだが、なんとかしよう。他はいいのか?」


 他、と言われて白雅は眉根を寄せた。


「あとなにがある?」

「旅とか」

「それか。だが、それでは近衛の意味がない。気ままな流浪の身だったからこその旅だ。しばらくは我慢するさ」


 絶対に納得していないような顔で、白雅はそんなことを言う。


「そのやせ我慢がいつまで続くか見物だな」

「うるさい」


 こうして白雅は唯一の女武人として、王太子である灯李の近衛に迎え入れられたのだが、召し抱えられて早々に問題が発覚した。


「女物の戦装束はないし、武官服は大きいしで散々だ。この国では女が武官に就くこと自体が珍しいらしい」

「なるほどな。それで結局、大きさが合ったのは武官見習いの子供服だったというわけか。なんだか可哀想になってきたな。景葵、なんとかならないのか?」


 尋ねる灯李に景葵は淡々と返答した。


「武官服は新しく仕立てさせるしかないかと。戦装束は追々揃えていくということで」

「だそうだ。頑張れ、白雅」

「……御意」


 ブカブカの武官服を腕捲りと裾上げして着込んだ白雅はため息をついた。任官初日にして借金王決定だ。


「あと外套が欲しいんだが」

「揃いの布で作ってもらえ」

「……わかった」


 景葵の物言いにはすでに遠慮がない。とりあえずは、今まで使っていたボロボロの外套を頭からすっぽりと被って、白雅はようやく安心する。塗り薬だけで日差しを乗り切ろうなんて、土台無理な話だ。


「それで、私はなにをすればいい?」

「当面は俺の雑用をしてもらう。付いて回って仕事を覚えろ。それからときどきは練武場に顔を出せ。朝な夕なに剣戟の音が響く、王宮で最も風の通りのいい場所だ。後進を鍛えるのも仕事のうちだからな。遠慮は要らん。だが、殺すなよ」

「わかった」


 しかし、景葵はその日のうちに己の言葉を後悔する羽目になるのだった。



「隊長! 急いで練武場に来てください!」


 近衛の一人が慌てて景葵を呼びに来たのは、その日の午後のこと。


 午前中の仕事が一段落したので、白雅を気晴らしに練武場へと送り出したあとのことだった。


 陽光が差し込み、常に砂埃が舞う桜花国の練武場は、昼時になると剣戟の音が絶えない。


「なにがあった?」

「いいから来てください。我々では手に負えません!」


 泣きつかんばかりの武官から道々話を聞くと、どうやら白雅は喧嘩を売ったも同然に練武場に乱入したらしい。


「誰だ、貴様は!」


 怒号が飛び交う中、武官たちの紺色の戦衣が揺れ、木剣と鉄剣が入り混じってぶつかる音が響く。突如として乱入した不審人物はよく通る声で名乗った。


「今日から王太子の近衛として任官した白雅だ。双剣の者と覚えておけ。相手をしてやるから腕に覚えのあるヤツはかかってこい!」

「俺たち相手にいい度胸だ。喧嘩を売ったこと、後悔するなよ!」


 売り言葉に買い言葉で始まった乱闘劇はあっさりと決着がついた。結果はもちろん白雅の一人勝ちである。累々と転がる敗者たちを隅に寄せて、白雅は鼻で笑った。


「まったく、てんで手応えがないな。腕に覚えのあるヤツは他にいないのか?」


 その挑発に、今まで様子を窺っていた隊長格たちがついに動き出した。斬りかかってきた相手の剣を自らの双剣で受け流すと、白雅はニヤリと笑みを浮かべた。


「おっ、ようやく少しは骨のあるヤツが出てきたかな。せいぜい楽しませてくれよ?」


 炯々と光る紅い瞳を間近で見た者たちはギョッとしたが、それで手を緩めるような白雅ではなかった。練武場を縦横無尽に駆け回り、次々と攻撃を繰り出しては隊長格たちを翻弄する。


 白雅が駆けるたび、武官たちの視線が追いきれず遅れ、剣筋を捉えきれない。双剣が交差するたび、金属音が乾いた火花のように散った。白雅の踏み込みは、砂を抉るほど鋭い。


「白雅、なにをしている」


 景葵が練武場に到着したときには、すべてが終わっていた。普段は厳粛な練武場が、このときばかりは戦場の残骸のようだった。倒れて気を失っている者、地に膝をつく者──その中で、一人だけのんびりとした声で答えたのはもちろん白雅である。


「おー、景葵。お前も相手していくか?」

「誰が武官たちを一人残らず使い物にならんようにしろと言った。俺は後進を鍛えるのも仕事のうちだと言ったはずだが?」


 呆れた声音に、白雅は困ったように頬を掻いた。


「いや、思ったより強くてさ。手加減するのが難しかったんだ」

「当たり前だ。隊長格の武官たちだぞ」

「なんだ、そうだったのか。道理で他のヤツらよりも相手しているの楽しかったもんな。で、なにしに来たんだ? 景葵」


 まったく悪びれずあっけらかんとしている白雅に、景葵はこめかみをゆっくりと揉み解した。


「お前が練武場で暴れていると報告があったのでな。一応止めに来た。手遅れだったが」

「言っておくが、一人も殺していない」

「当然だ。一日で近衛軍が壊滅してたまるか。戻るぞ、白雅。午後には午後の仕事がある」

「ほーい」


 踵を返した景葵に続こうとして、白雅はふと足を止めると練武場を振り返った。


「また明日な!」


 白雅が手を振って立ち去ると、練武場には呻き声と沈黙だけが残った。その背中に巻き起こる異国の風を、誰も止められなかった。


 完全にしてやられた武官たちは互いに目を合わせ、同じ思いを共有していた。


──もう来なくていい


 だが、この日を境に、白雅の名は王宮中に響き渡ることになる。

2025/11/24

大幅に加筆・修正しました。

2025/12/08

加筆・修正しました。

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