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白き子の祈り

 洞の空気そのものが震えた。まず視界を満たしたのは、白銀の光。鱗ひとつひとつが淡く脈動し、明かりのない洞窟を昼のように照らしている。その正体を認識した瞬間、白雅の呼吸は止まった。


 そこにいたのは、伝承に語られる『竜神』そのものだった。


 それは、本当に巨大な竜だった。美しい白銀色に輝く鱗を連ねて、その長大な身体を優美にくねらせている。


 白雅は思わずその存在の荘厳さに見惚れてしまった。こちらを見つめる眼は金色で、瞳孔は縦に長い。生き物ではなく自然そのものの視線だ。五本爪の前肢には光り輝く白い珠、竜珠を抱えていた。


「竜神……」


 思わず白雅の唇から声がこぼれた。


『数多の困難と、我が眷属、虹、蛟、蜃の試練を潜り抜けて、よくぞ我が前まで辿り着いた』


 白雅は竜神に見入っている。竜神のほうも白雅を見つめているようだった。


「どういうことだ?」


 忉李の疑問には紫闇が答えた。


「霧の中の魔物は虹の仕業。蛟はさっき襲われただろう? 蜃はその名の通り蜃気楼を見せるのさ」

「そうか……」


 竜神を憚って会話は小声だったが、そもそも竜神はあまり頓着していないようだった。


『蜃の幻術が通用しない人間が、いちどきに二人もいるとはな……』


 二人と言われて、白雅は紫闇と景葵を見る。紫闇は当たり前のように、景葵は少し困ったように答えた。


「当たり前でしょう? アタシはこれでも呪術師の端くれでねぇ。呪術師が幻術に溺れてどうすんのさ」

「俺は……何故かわからないが、そもそも蜃気楼そのものが見えていなかった。だから、皆の会話を聞いてもなにが起きているのか、さっぱりで……」

「そうなのか!?」


 景葵の言葉に、忉李が驚く。紫闇が呆れたように景葵を見た。


「世の中には、呪術や幻術の類がまったく効かない人種もいるんだけど……景葵もそうだとは思わなかったわ。なに、アンタたち、アタシに喧嘩でも売ってんの?」

「そんなつもりは……それより、俺も、ということは、もしかして赤鴉も……?」


 景葵の言葉に紫闇が頷く。少しだけ寂しげに笑って、白雅は再び竜神を見上げた。


『そなた、『白い子供』か。久方ぶりに見る』


 竜神の金色の瞳がわずかに和んだような気がした。白雅は気になっていたことを訊いてみようという気になった。


「……会話を許してもらえるか?」

『許す』


 短い返答に、白雅はやや緊張しながら言葉を選んで口を開いた。


「いつのことかわからないが、昔、この山に入った『白い子供』がいるだろう? その人はどうなったんだ?」


 竜神の眼差しが、束の間、昔を懐かしむようなものになった。


『その者のことはよく覚えている。凄腕の呪術師だった。暫しの時をともに過ごし、我が憂いを払ってくれたのでな。礼に白化現象を治して故郷に送り届けてやった』

「なんだ。じゃあ、その人は麓の村に降りて来なかっただけで、無事に故郷で天寿をまっとうしたんだな」


 安心するように笑った白雅に、竜神は不思議そうに尋ねた。


『その昔に存在した『白い子供』のことを、何故、そなたが心配するのだ?』

「だってさ、麓じゃ『怒った竜神に捧げられた子』なんて噂があるんだよ。そりゃ気になるだろ? 本当だったら後味悪すぎるし」


 そう言って、カラリと笑った白雅に、慌てたのは紫闇だ。


「ちょ……ちょっと、白雅……」

『ふむ、そなたはなかなか興味深いことを言う。その者が人身御供であろうがなかろうが、そなたには関係なかろう。何故、そのように思う?』


 竜神は白雅の直接的な表現にも気に留めた様子はなかった。白雅はにこりと笑って答えた。


「そうだな。もし、人身御供なら、そんなの神様だって認められない。貴方がそれを望んだのではなくて、本当に良かった。安心したよ」

「白雅!」


 ついに紫闇は小さく叫んでしまった。だが、次いで聞こえたのは笑声だった。


『くっくっ……そなた、我に説教でもする気か? 小娘』

「小娘じゃない。白雅だ」


 竜神相手でも、白雅は一歩も引かなかった。もし竜神が流血を好むような神だったら、たとえ願いを叶える力を持っていたとしても、そんな神は願いさげだった。


『……面白い。では、白雅よ。そなたは対価と引き換えに、我になにを願う? その願いの強さ、純粋さ、ともに叶えるに値しよう』


 ようやく竜神がその話題を口にした。白雅は喜びに目を輝かせた。


「ここにいる忉李の病を完治させてほしい。ついでに貴方の加護をこの子に与えてもらえれば嬉しいな」


 白雅は真っ直ぐに竜神を見つめた。竜神もまた、白雅を真っ直ぐに見据える。白雅はわずかに肩を震わせた。竜神の視線が、内側まで射抜くようだった。


「ちょっと待て、白雅! なにを言っている。お前の叶えたい願いとはそれか!?」


 忉李の驚いたような声が白雅の耳に届いたが、白雅は竜神の金色の瞳から目を離さなかった。ややあって、竜神は嘆息したようだった。


『……よかろう。確かに、それがそなたの一番強い願いのようだ。だが、願いを叶える前に聞きたいことがある』

「なんでも聞いてくれ」


 白雅の返事にはためらいがない。竜神はひとつひとつ、疑問を確認していった。


『何故、そなた自身のことではなく、他人のことを願う? そなたとて、その白化現象を治せるものならば治したいと思っているはずだ』


 紅の瞳が、かすかに揺れた。静かな洞の空気が硬くなる。


「確かに、いろいろと不都合もあるが、十八年間この身体と付き合ってきたからな。もう慣れた。背負うべき使命もないことだしな。それに比べて、忉李は桜花国の王太子で、たくさんの民の存在を背負っている。それなのに、難病に侵され歩くことさえままならない。子供にとってこれほどつらいことがあるか? 遊びたい盛りの年頃なんだ。それに、王になってからのほうが大変なのに、病気まで抱えていたら、忉李の心が潰れてしまう。私は、この瞳と髪の色を気味悪がらないどころか、褒めてくれる相手に生まれて初めて出会った。忉李が大切なんだ。だから、忉李には幸せに生きてほしい。忉李の病気が完治することは、彼のこれからにとって必要なことだ。それは貴方にしか叶えられない」

「白雅……」


 忉李は呆然と呟いた。予想していた紫闇と景葵はなにも言えなかった。


 竜神はしばし黙した。白雅の言葉を測るように、ゆっくりと瞼を伏せる


『では、次の問いだ。何故、対価のことを我に聞かぬ? その願いと引き換えになにを要求されるのか、そなたは知りたいとは思わぬのか?』

「それは知りたいさ。だが、事前に聞くことはこの場合、意味がない。私は貴方に忉李の病を治してもらいたい。それは動かしようのない事実だ。それと引き換えにするのなら、どんなことでもするさ。それが、たとえ自分の命を差し出すことであったとしてもな」

「駄目だ、白雅! 僕はそんなこと、望まない! 僕が望むのは、これからも白雅や景葵や紫闇たちと一緒にいたい、ただ、それだけなんだ……」


 忉李の泣き声が聞こえる。あぁ、あの子を泣かせるつもりなんて、微塵もないというのに。どうしてか、自分は上手くやれない。


『よかろう。最後の問いだ……我に申した言葉に嘘偽りはないな?』

「ない」


 即答だった。竜神はわずかに瞑目した。


『……そなたの願い、叶えよう』

「感謝する、竜神よ」


 白雅はようやく安堵の表情を見せた。竜神の表情は曖昧で、読み取れない。


「あ……」


 忉李が声をあげた。手足と身体の芯が熱い。まるで燃えるようだ。全身を駆け巡る血潮が脈動となって、忉李の小さな身体を震わせた。


「嫌だ……嫌だ……白雅──!」


 絶叫、そして、静寂。忉李は景葵の背中で気を失っていた。景葵がそっと忉李をおろすと、白雅は忉李の傍に近寄った。手足を触って確かめ、瞳孔を確認する。胸元に耳を当てれば、呼吸も鼓動も乱れがない。


「治ってる……」


 白雅は呆然と呟くと、泣きながら気を失った忉李の涙の跡を拭い、その小さな身体をギュッと抱き締めた。


「良かった……忉李、本当に良かった……」


 白雅は、しばらくそのままで忉李の温もりを心に刻む。竜神は、白雅が忉李を離して景葵に預けるまで待っていてくれた。


 その静謐な金色の瞳は、ただ白雅だけに向けられていた。


『願いは叶えた。対価をもらおう』


 その瞬間、洞の空気が凍りついた。紫闇と景葵が息を呑む。


「あぁ、どうすればいい?」


 だが、白雅の表情は晴れやかだった。


『対価は──』


 告げられた瞬間、白雅の眉がピクリと動いた。ほんの一瞬、呼吸すら忘れた。だが驚きは一瞬だけ。次には、腹の底からフッと笑みが溢れる。


「……そっか。いいよ。それなら、私にぴったりだ」


 竜神は深い声音で名乗った。


『我が名は──璙王リョウオウ。この世界を統べるものなり』



「忉李。忉李、いい加減に起きろよ」

「う……ん……白雅……?」


 暗がりの中で、白雅の白い髪と紅い瞳はほのかに発光しているかのようだった。忉李は笑みを浮かべた。


「白雅……綺麗だ……」

「はぁ?」

「あらまぁ、やるじゃないの、ボウヤ」


 紫闇の声に、忉李の意識が見る間に覚醒する。


「は……白雅!? 竜神は……」


 白雅は、しぃー、と人差し指を唇に当てた。


「いるよ。さぁ、一緒に帰ろう」

「へ? 帰る?」


 頭が混乱している。白雅は竜神に願いを叶えてもらったはずだ。今まで頼りなかった忉李の手足には、正常な感覚が戻ってきているのだから。何故、白雅は平気な顔をしてここにいるのだ? ふと、忉李はあるものに気がついた。


「なんだ、これ?」


 それは、白雅の左の二の腕に巻きついた蛇の形をした銀色の腕輪だった。白雅が笑った。


「これ? 竜神さ」

「へ……えぇっ!?」


 思わず忉李は叫んだ。腕輪はそれ自体がキラキラと煌めいているようだった。


 白雅はそっと腕輪に触れた。冷たくも温かい、不思議な脈動が指先に伝わった。


「まったく、驚いたよねぇ。まさか、白雅が倒れる前に呟いていた言葉に、こんな意味があったなんて……」


 紫闇が呆れたように呟くと、景葵がまったくだ、と言わんばかりに頷いた。


「な……なにがあったんだ?」


 忉李の不安そうな言葉に、白雅は穏やかな笑みを浮かべた。白雅の胸の奥で、あの瞬間の残響だけが、まだ消えずに震えていた。


『……私と、一緒に行かないか? ……一緒に……いろんな夢を見よう……?』


 自分が口にした独白の意味を噛み締めながら。



 帰りは行きと違い、竜神が地下からの抜け道を教えてくれたお陰で、最短経路で地上に戻ることができた。抜け道は河川に通じていた。


「久しぶりの外の空気だー。美味しー!」

「本当。よく帰って来れたわねぇ」


 彼らの間を清涼な風が吹き抜ける。


「歩けるようになったなんて、今でも信じられないな」

「ようございました、殿下」


 四人がそれぞれ感想を口にしていると、あたりが急に騒がしくなった。


「いたぞ! 河川敷だ!」


 それは、韋煌国の正規の武官たちだった。

2025/12/03

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