表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/22

地底湖の呼び声

その出会いは偶然か──それとも運命か。

 彼女はかつて、たった一人の存在を、世界そのものだと思っていた。


 その人を失った日から、世界は色を失い、音を失った。


 それでも──彼女は、もう一度誰かを大切にしてしまった。


 だから少女は、いつか聞いた『神』の眠る場所へ向かった。


 陽の差さない地底湖は、それ自体が光を放っているかのように静かな青をたたえている。


 聞こえてくるのはかすかに水滴が岩肌を叩く音。地底なのにふわりと頬を撫でる風は驚くほど冷たくて、澄んでいるのにどこか埃っぽい水の匂いがした。


 朦朧とする意識の中、少女は独り言のように呟く。


「ふふ……神、か」


 少女は笑った。


「どんな気持ちなんだろうな。こんなところで、たった一人で過ごすなんて……寂しい、だろうな……」


 滴り落ちる水音だけが響き、その小さな音がかえって少女の胸を締めつけた。


「私にも、覚えがある。あの感情だ。心に穴が空いているんだろ? ……埋めようとしても、風穴のように空白だけが残る」


 少女は、胸の奥に広がる古い傷の疼きを押さえるように手を当てた。


「つらいよな。寂しいよな。だけど、いつまでも閉じ籠っていては駄目なんだ。ずっと独りだなんて、頭がおかしくなる。そうなる前に……私と、一緒に行かないか?」


 問いかけに対する答えはない。だが、竜神は少女の言葉を聞いているだろう。


 口元が自然と綻ぶ。少女の意識は、そこで途絶えた。



 竜──その名は古来より、雲海の裂け目に光る鱗とともに、人々の記憶に刻まれてきた。


 長い体と鱗、雲を呼び雨を降らす力を持ち、喉元には『逆鱗』を宿す。


 竜が抱える宝珠は『竜珠』と呼ばれ、望みを叶える力を秘めているという。


***


 そして、語り継がれる伝承がひとつある。


──かつて、我は祈りに応える者であった


 人の声は温かく、幼子の願いは澄んでいた。彼らは涙ながらに名を呼び、我を『神』と讃えた。


 その祈りに宿る想いが、なによりも美しかった。


 竜は、天と海のあわいに生まれたもの。雲をまとい、風と眠り、水の夢を見る。


 世界がまだ若かった頃、願いは純粋だった。誰かのためを想う心が、まっすぐ天へと昇ってきた。


 あの日、我はひとつの声を聞いた。


『どうか、この国の人々を助けてください』


 焔の赤に染まった空の下、痩せた少年は瓦礫を掻き分け、人々を救い出していた。腕は震え、息は乱れていたが、瞳だけは不思議なほど澄んでいた。その身はすでに限界を迎えつつあり、幼い命の火が今にも消えようとしていた。


 哀れに思った我は少年に命と力を与えた。もう一度、この世界の光を見せてやりたかった。その清らかさを信じて。


 命を与え、力を与え、そして同じように苦しむ民とともに、ある島へと導いた。そこは我が祝福を与えし島であった。


 少年は与えられた力を正しく使い、やがて成長して島の王となった。


 王になっても彼は変わらず、弱き者を助け、望む者には祝福を与え、王国はよく治められた。


 しかし、人の命は永遠ではなく、またその心も不変ではない。


 時代が変われば人もまた変わる。ありとあらゆる人々がさまざまな願いを口にした。人の欲望には際限がない。


 ある日、我は耳を澄ました。かつて少年が願ったような声を期待して。


 しかし、我が耳に届いたのは──血の匂いをまとった、冷たい願いだった。


 我は嘆いた。そして、一部の残りたる善良な人々だけに、島で一番高い山に登るようにと啓示を与えたのだ。


 空は黒く裂け、怒涛の雨が大地を叩きつけた。我が落とした涙は海へと流れ込み、やがて街ひとつを沈めた。


 そして、嵐のあとの静けさの中で、ようやく気づいた。かつてあれほど愛した声を、己の手で消したのだ、と。


 そののち、我は祈りに応えることをやめた。願いを叶える代わりに、代価を求めた。命を望むなら命を、愛を望むなら愛を。均衡を保つために。そう言い訳をした。


 だが本当は、怖かったのだ。信じたものに裏切られる痛みを、再び味わうのが。


 取引であれば、情は介在しない。代価の重さが、心の距離を守ってくれる。そうして、我は孤独を選んだ。


 それでも、風の音は忘れなかった。春がめぐり、白い花が地底湖に散る夜。久方ぶりに祈りの気配を感じた。


『どうか、友の病を治してほしい』


 その声は、どこまでもまっすぐに、我が耳へ届いた。


 そして、ついに目にしたのだ。地底湖のほとりに立つ、白い髪の娘を。その髪は地底湖の蒼に揺れ、紅い瞳だけが、暗闇の中でひと粒の灯火のように輝いていた。

 その瞳の奥に、かつて救えなかった光を見た。


──それが、『彼女』との出会いである



 この島には、今二つの国がある。ひとつは剣を掲げる国。ひとつは花と神を戴く国。過去に争い、今はかろうじて和平の糸で結ばれている。


 だが誰も知らない。この地のどこか、地底の湖で竜神がいまだ眠り続けていることを。


 彼の者が再び『祈り』に応えるそのときを、ただ静かに待ちながら。

2025/11/24

大幅に加筆・修正しました。

2025/12/18

加筆・修正しました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ