思うままの世界
俺は世界に飽き飽きしていた。
俺にとって世界はあまりにも容易かった。
やろうと思えばできない事はなかったし、誰かと何かを競っても負ける事なんて一度もなかった。
みんな俺に優しくて、何もかもが思い通りになった。
それは子供の頃から、大人になった今でも同じ事だ。
失敗をする事がないわけではないけれど、それでも最後には何とかなってしまう。
何もかもが成功する。
そんな甘い世界に俺は生きていた。
俺はそれが嫌だった。
俺にとっての人生は、まるで真綿にくるまれているかのようだった。
この世界は、俺にとって厳しさが足りない。
物足りないものだった。
この世界に、俺は飽き飽きしていた。
そんなある日の事だ。
朝起きると、一人の女が俺の部屋の椅子に座っていた。
タキシード姿の変な女だった。
「何だお前は?」
「君が望んだ者だよ」
俺が訊ねると、そいつは答えた。
どこか鼻につく喋り方だった。
「何だと?」
「言葉通りの意味だ。君はこの世界に飽きたんだろう? だから、君の望む世界に案内しようと思って来たんだ」
言ってそいつが指を鳴らす。
すると、俺の部屋の景色が変わった。
いや、俺の見ている物が全部変わってしまった。
視界が緑色だ。
それに、もがこうとしても体が動かない。
そんな中、視界から徐々に緑色が消えていく。
どうやら俺は、液体の中に入れられていたらしい。
液体に満たされた容器の中、裸で寝転がされていたのだ。
緑は、俺の体を浸す液体の色だ。
よく見れば、体中には色々な機械が張り付いている。
その機械が体から離れて行き、容器の蓋が開く。
そうなってやっと、俺の体は動くようになった。
「どうなってやがる」
俺は呟いて、容器から出た。
「説明してあげようじゃないか」
先程まで俺の部屋の椅子に座っていた変な女だった。
女はステッキで床を突きながらこちらへと歩いてくる。
「お前か……ここはどこなんだ?」
「説明してあげるっていったじゃないか。そんな事も聞いていなかったのかい? だから幸せに浸かり切った馬鹿は嫌いなんだ」
「何だと?」
「ホラホラ、フルチンで凄んでないでまずは服着てよ。それとも、見せ付けて楽しんでるのかい?」
どこまでも癇に障る女だ。
しかし、確かに裸というのはまずいだろう。
「着る服が無いじゃないか」
「じゃあ取りに行こう。その途中、歩きながら説明してあげるよ。君にもわかりやすいように、簡単に噛み砕いて教えてあげるよ」
こいつは嫌な女だが、大人しく従う事にした。
服は欲しい。
よく見れば、俺の入れられた容器の他にもその部屋には同じ容器が大量にあった。
部屋は空洞の巨大な球体の中だった。
壁面から床が伸び、円盤状の床が上下何層にもなってあった。
その足場に、何千、下手をすれば何万もの容器が並んでいる。
その足場を歩きながら、俺は女の後ろを歩いている。
「ここは何なんだよ」
「そうだね。まずはそこからだ。少し待ってくれよ。君にも分かる程度に説明の仕方を考えるのは中々に頭を使う作業なんだ」
「いいからさっさと言え」
「わかったよ。そうだな。まずは、幸せについての話をしようか」
「幸せ?」
「一つ一つカテゴリーに分けて説明した方がわかりやすいだろう? 現状を説明する上で、幸せこそが根幹に当たる部分だからね。……で、幸せって人によっては形の違うものだよね?」
「……かもしれないな」
「でも、全体的に共通点があると思うんだよ」
「どんな?」
「望む事がうまくいく事さ。幸せの形は人それぞれだけど、要は全てが望み通りになる事こそ幸せだと思うんだ」
どうだろうな?
少なくとも俺はそう思えない。
俺は今まで何もかもが望み通りの人生を送ってきた。
それが幸せだとは思えなかった。
「俺はそうは思えない」
「知ってる。だから、ここにいるんだよ」
「また意味不明な事を言いやがって」
「そうでもないさ。きっと私の話を聞き終わった頃、君はちゃんと意味を理解していると思うよ」
「黙って聞けと言いたいのか?」
「あらびっくり。言外の意味を理解できる程度には知能があったんだね」
女は、大げさに驚いた仕草を見せる。
腹立たしい。
「いいから続きを話せ」
「それはもちろん。
君以外の大多数の人間はそうなんだよ。
君みたいな例外を除いて。
幸せには色んな形があって、それはただ平凡な日常を過ごせればいいなんて物から、人を殺して食べてしまいたい、なんてサイコな物まである。
権力者になりたい。
法律に抵触するような幼年幼女と愛し合いたい。
大金持ちになりたい。
美しい女王様に一生虐げられながら生きていきたい。
とか幸せの形はいろいろだ。
でも、そのどれもが当人の望みから成り立っているものだ」
「そんなものかもしれねぇな。俺は違うが」
「はいはい。君は特別だねぇ。でさぁ、人類全体を幸せにするにはどうすればいいと思う?」
「……お前の言う事を基準にするなら、全員の望みを叶えてやればいいんじゃないのか?」
「あはっ」
女は笑い、手を叩いた。
「いいね! 素晴しい。まったくもって君の言う通りだ。いやぁ、流石君だよ。よくできました」
わざとらしい口調で言う。
あまりにもわざとらし過ぎて、馬鹿にしているようにしか聞こえない。
まるで、幼児に対するような態度だ。
その態度に、なんとも腹が立つ。
「でもさぁ。全員の望みを叶えてしまう事ってできないよねぇ?
現実的に。
さっきも言ったように、人を殺す事に幸せを見出すサイコな人っているじゃない?
その人の幸せを満たすと、絶対に人が死んでしまうわけだ。
死にたくない人間を殺すって事は、殺された人間は不幸になるって事だよね。
でも、中には死ぬ事に幸せを見出す人間だっているかもしれないね。
やったね、サイコくん。
そんな人がいれば、みんな不幸せにならなくて済むね。
……でもさ、死ぬ事に幸せを見出す人間って稀だよねぇ?
きっと、サイコな人間の全体数より少ないと思うんだ。
というより、そんなサイコな人が一人二人で満足するわけないよね?
きっと、何人も殺したいはずだ。
そして、死ぬ事に幸せを見出す人間だけが消費されていく。
全員の願いを叶えていけば、ほどなくして死ぬ事に幸せを見出す人間は全滅してしまうよ。
でも、サイコな人は残る。
すると、人類全体の幸せという物は達成できなくなるわけだ。
サイコな人は望みを叶えられなくなるから。
だから残念だけれど、君が一生懸命捻り出した名案は不正解だというわけだよ。残念だね」
本当にいちいち不愉快な奴だ。
「どうでもいい。それで、お前は結局何が言いたいんだ?」
「世界一つに内包された幸せっていうのはさぁ、絶対量が決まってるんだよ。人類全体が幸せになる事はできない。もしそんな矛盾を叶えるとするならば、個人一人一人に対して望み通りになる世界を作ってやるしかないという事になったのさ」
「望み通りになる世界?」
「そう。自然由来じゃない幸せを作ってやろうって事になったんだよ。幸せの蜜の味を人工的に作ってやろうって事になったんだ。ほら、合成甘味料みたいにさ。具体的に説明すれば……仮想現実ってやつだね」
「仮想現実……。じゃあ、この装置は……」
俺は、通路に並ぶ機械を覗き込んだ。
そこには、先ほどまでの俺と同じように緑色の液体の中で眠る男の姿があった。
「こいつらは、仮想現実の中で生きているって事か。じゃあ、俺も?」
「そうだよ。
本当の所、この世界は君が体感していた世界よりもずっと未来に位置しているんだ。
本当の現実は、人間の感覚を騙せるくらいの仮想現実を作り出せるくらいにSFな世界だよ」
「そんな馬鹿な」
「でも、みんな気付かないよ。君だってそうだっただろう?」
確かに、今までの人生を疑った事はなかった。
けれど、今俺がいる場所を見ると納得せざるを得ない。
「ここにいる人間……。
いや、ここ以外にいくつもある施設の中では世界中の人間が自分だけの幸せの中に浸っている。
この中にはいろんな世界があるんだ。
ありふれた家庭を築いたり、大富豪になったり、異世界に召喚されてハーレムを作ったり、なんて非現実的な物まであるんだよ。
そんな人間は、一生を仮想現実だと知らずに過ごして寿命まで生きて、死んでいくんだ。
君のような例外を除いて、ね」
「何故俺を目覚めさせた? それに、お前は? お前だって、ここで目覚めた人間なんじゃないのか?」
「君が目覚めたのは、この幸せを君が望んでいなかったからだよ。だから、僕は君の望んだ世界を提供するために君を目覚めさせたんだ。人類の幸せをコーディネートするのが僕の役目だからね」
「そういえば、お前は何者なんだ? お前だって人間だろう」
「違うよ。僕はここを管理しているAIだ。この姿は、君の網膜に照射された立体映像でしかない。僕は、お客様に幸せを提供するためだけに存在を許された哀れな下僕なのさ」
そう言って、恭しく礼をした。
「その割に、なんでお前はそんなに嫌な奴なんだ」
「そりゃあ、君が望んだからさ」
「はぁ?」
「ここにいる人間達の趣味思考はリサーチ済みだ。その上で、その人間が好む人格でお相手するようにプログラムされているんだよ。君の好みなんだろ? こんな思い通りにならない、いけ好かない女が」
女は皮肉っぽく笑う。
俺の好みが、こんないけ好かない女だと?
そんな馬鹿な。
「仮想現実内で出会った人間も、だいたいはAIだ。というより、僕だ。いろいろな見た目と性格のコピペされた僕が皆様方のお相手をさせていただいています、と。君の身近にいる人間はみんな、君の人生を幸せで彩るためにとても都合の良い行動をとってくれたろ?」
「じゃあ、ここの人間は一生他人と出会う事なく死んでいくのか?」
「いや。
実は全員がAIってわけでもないんだ。
当社の製品は、ネットワーク機能にも対応しておりますってね。
幸せを共有できそうな相手はマッチングされるようになっているよ。
その相手同士で友達になる事も、結婚する事も可能だ。
ただ、長く付き合っていれば仲違いするような事もある。
そうなった場合、互いに相手がAIに代替される仕組みだ。
喧嘩しても、AIに代わった相手が間違いを認めて謝ってくれたり、離婚にも素直に応じてくれたりする。
円満だろ?」
そう言って、女はにんまりと笑った。
俺は更衣室のような所で、服を渡された。
「はい。それも装備してくれる?」
そう言って女が指したのは、荷物の入ったリュックサックや登山などで使うような装備だ。
「何で?」
「君は僕の話を聞いていなかったのかい? その頭の中にはおがくずでも詰まっているんじゃないだろうね?」
「うるさい!」
「言ったじゃないか。僕は、君に幸せになってもらうために、望み通りにならない世界を提供するつもりなんだよ」
「望み通りにならない世界?」
女は微笑むと、歩き出す。
俺はそれについていった。
案内されたのは、大きな門の前だ。
密閉性の高い機械的な門である。
けたたましいサイレンが鳴り、門がギギギと大きな音を立てて開いていく。
門が開ききり……。
その先には、荒野が広がっていた。
入り込んできた空気は誇りっぽく、喉に違和感が生じる。
荒野の遠く先には山が見え、その上には曇った空があった。
暗く厚い雲は、もう何年も日差しを通していないかのようだ。
現実離れした光景だった。
いや、これこそが現実なのか。
「さぁ、これが君の望んだ望み通りにならない世界だ。この先には、今まで君が味わった事のない厳しく、挫折に満ちた体験が待っている事だろう。さぁ、楽しんでくれ。……それとも、怖気づいたかな?」
「まさか」
俺は笑った。
「これこそ、俺の望んだ世界だ」
「そ。ならよかった。
君のように、今までの世界を望まなかった人間も先に行っている。
どこかで、町や村を作っているなんて話も聞く。
そういう場所を巡ってみたらどうかな。
ああ、もちろん、他にも見るべき所はあるはずだよ。
登山に挑戦してもいいし、深海へ行くのもいい。
まぁ兎に角、飽きるまで余す所なく楽しんでくればいいよ」
それは楽しそうだ。
この先には、そんな容易くない冒険の日々が待っている。
そう思うと興奮する。
これが俺の望んだ世界だ。
しかし、ふと思った。
「なぁ、これもまた俺の望んだ思うままの世界なんじゃないのか?」
「ん? どういう事?」
「現に俺は楽しい。あまりにも、俺の望む事ばかりが起こる。これもまた仮想現実で、俺はまだあの機械の中でここを現実だと思い込まされているだけなんじゃないのか?」
「さぁねぇ? 確かめてみればわかるよ。この世界を堪能して、やりたい事をやりつくしてみればいい。それでまた世界に飽きたなら、もしかしたらまたどこからともなく僕が現れるかもしれないよ。君を別の「思うままの世界」へ連れて行くために」
そう言って、女は楽しげに笑った。




