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僕の友達は魚しかいない。  作者: ちわみろく
2/7

美女の逆襲

 ストーカーになりそうな程に焦がれた金髪の美人は、一瞬表情を強張らせた後、その端正な顔を買い物袋に突っ伏して小刻みに震えだした。声を殺して泣いているのか笑っているのか、どちらとも解釈できる様子だが、初対面に近い東洋人の男を目の前にして泣く理由が思いつかないので、恐らくは後者だろう。

 日本語だったら歯が浮いてとても言えないような台詞も英語にしてしまえばさらりと言える。なので、先刻の自分の発言に過剰に反応する彼女が信じられなかった。声にならないくらいに笑えるお世辞とも思えない。日本人娘であれば思わず吹き出すような世辞も、上手にかわすことが出来るのが欧州の女性だと思っていたのだ。

 ようやく上げた彼女の化粧っけのない顔には、まだ涙の痕跡が残っている。それも、どうみても笑い涙だ。

 博雅よりも2,3歳は年上だろうと勝手に考えていたが、案外もっと若いのだろうか。ただこれだけのやり取りでここまで笑うなんて、落ち着いた物静かな第一印象を大きく裏切っている。だが、そのギャップがまたいい。

 彼女は、掠れた声で息を整えながらやっと言葉を発した。

「ありがとう、褒めてくれたんだね、嬉しいよ。」

 どうしてそこまで笑うのか謎だったが、とりあえずは客だ。どれ程恋い焦がれていた相手とは言っても今は客として接しなくてはならない。

 博雅は気を取り直して営業用の顔を作って笑顔になる。

「よかったら一枚どうかな?似顔絵、買っていかない?ほんの少しそこでじっとしていてくれればすぐに仕上げてみせるよ。あんた美人だから安くしておく。」

「へえ?いくら?」

 笑いが中々消えなかった彼女の顔が真顔に変わった。金にはシビアなのだろうか。

 足元に置いた画板に掲示してある金額を指差して、

「半額。ただし条件付き。」

 画家の卵はにやりと笑う。

「モデルになってくれないないかな。一枚はあんたに買ってもらう。もう一枚は俺自身が自分のために描きたいんだ。あんたみたいな美人、描かずにいられないけど、勝手に描いたりしたらまずいだろう?そんなに時間は取らせやしないよ、ほんの三十分、俺にくれないかな。」

「モデル・・・!?」

「そんなの驚くほどの事じゃないだろ。あんた程の美人なら経験あるんじゃないか?」

 素人さんだと言う事の方が信じられないくらいだ。屈んだ姿勢であっても長身なのがわかるし、これだけの美人が美容、もしくは芸能関係の仕事についていない事の方が不思議なくらいだった。ただ、見た目の印象ではそう言った職業には見えなかった。もっともプライベートだからわからないだけかもしれないが。

「あは、あははは・・・!」

 とうとう声を押さえることさえ放棄したのか、美女は声を立てて笑った。

「ここ笑うところじゃないんだが。」

 画家の卵には何故腹を抱えかねないほど大笑いしているのか全くわからない。

「いやあ、ごめんごめん。いいよ、わかった。30分モデルね。いいよ、一つだけ約束を守ってくれるなら。」

「約束?」

「描いた絵を公表しない事。ネットにも、こうやって屋外に広げることもしないでくれる?君が個人的に所持しているだけなら構わない。」

「ああ、勿論だ。不特定多数の眼に触れるような真似は一切しない。」

 美女の言う事はもっともだし、出来ればこの美貌は独り占めしたいくらいだ。どうして他人に見せられようか。

 ゆっくりとその場に腰を下ろした彼女は、片手で買い物袋を抱え反対の手を地面に付いた。長い脚をゆったりとのばし、軽く背中を反る。背後には青々とした芝生が見え、頭上には快晴の空だ。構図、色合い、光の具合といい、理想的と言っていい。博雅はこういった自然の中でするスケッチがとても好きだった。

 普段着で買い物袋を抱えて座った美女の、少しだけ照れたような微笑が美しい。スッピンなのがまたいいのだ。

 すぐにスケッチブックを開いた博雅が鉛筆を走らせる。その軽快な音が聞こえ始めると美女は彼の方を凝視した。

「ねぇ、ちょっと喋ってもいい?」

「どうぞ。」

 短く答えた博雅の手は止まることがない。

「君どこの国から来たの?中国?」

 どういうわけか、必ずそう訊かれる。やはり欧州人にとって東洋人は見分けられないのだろうか。

「日本だよ。」 

「ああ、そう・・・か、失礼。」

「いや、別に失礼じゃないけど。やっぱ東洋人は皆同じに見えるんだろ?」

「ううんそうじゃないんだ。気に障ったら御免。随分英語にも慣れてるし、英国にはもう長いんでしょ。家族は一緒?」

「いや、一人。夢を追いかけて国を出てきたんだ。」

「夢?」

「絵描きになりたくてさ。でも、親に猛反対されて家出してきた。だから金もないし、職も無い。一応専門学校だけは出たけど、それだけじゃ画家にはなれないからな。」

「ふーん・・・。君とっても上手いよ。きっとなれる。」

「ありがとう。俺もそう信じてるよ。」

 会話を続けつつ、作画も続いている。鉛筆の音は少しも途切れず、画家の卵の表情は真剣なまま変わらない。

 美人はそれ以上何も言わず、黙って画家の卵が作品を仕上げるのを待っていた。

 心地良く温かい日差しを浴びてじっとしていると、なんだか居眠りさえ出そうなほど穏やかな陽気の昼時だった。あやうくモデルが舟を漕ぎそうになった瞬間に、

「出来た!」

 鼻息も荒く宣言すると、博雅はがばっと椅子から立ち上がってスケッチを見せる。

 びっくりしたのか、モデルはぎくりと体を揺らし、買い物袋を地面に落としてしまった。

 近寄ってきた画家の卵は、両手を背後について足を投げ出した格好になった美貌のモデルを見て顔色を変えた。

「おや、仕事が早いね。見せてくれる?」

 美女は慌てて買い物袋を持ち上げて胸に抱えるが、もう遅い。

 美女だと言ってずっとその姿を描いていた画家は、その人の方を指差し目を剥きだして言った。

「・・・胸、全然ない・・・。」

 貧乳だとかそういう問題ではない。薄いのではなく女性らしい丸みがないのだ。女性ならば乳房が小さくてもそれなりに丸みを帯びているその場所が、どうみても胸筋の形にしか見えず脂肪のかけらも感じられなかった。伊達に勉強してきたわけではない、男性と女性の身体つきの違いくらいはわかっているのだ。

 視線を上げて顔を見ると、第一印象通りの美貌が苦笑いをしていた。今一度視線を下げて胸を見ると、まったいらだ。

「まさか」

「・・・僕は一言も女だなんて言ってないよ?」

 博雅がもう一度目を大きく見開く。

 東洋人は童顔だと言われる。博雅もその例に洩れず、大概年下だと思われてしまうが、これほど大きく目を見開いていれば、一層若くサバが読めるだろう。

 口を開けて閉じられない顔の画家の卵を見て、美人はまた笑い声を立てた。


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