連鎖 -butterfly effect- 02
目の前にいるのは雪色の少女だった。
彼女は、こちらの顔を覗き込むようにして、しきりに口を動かしていた。
何を言っているのかはうまく読み取ることができない。
だが、何かを伝えたいというのは理解できた。
ーー彼女は誰だっただろうか?
思い出せない。
記憶に残るのは耳にこべりついた悲鳴と、怒号。心を黒く汚す憎悪と憤怒。
「殺す!」
雪色の少女は消え、次に現れたのは、〈パロミデス〉の姿。
否、それは彼自身の姿だった。
ーー獣の如く
ーー狂気に囚われた
ーー自分の姿
縦横無尽に走る双剣は、鋭く研ぎ澄まされた獣の牙であり爪だ。
口から漏れる狂おしい笑いは、殺意という名の狩猟本能。
「死ね」
冷たく告げたのは、死神の宣告。振り下ろす鎌を止めるつもりはなかった。
昏く黒い激情にあえて名を付けるなら、それはやはり狂気だったのだろう。
ーーどうして、僕……いや、俺は……?
少年は分からなくなった。
どうして、狂ったのか。
どうして、殺すのか。
あの時あの場所に、少年は何かを忘れてきたのかもしれない。
おそらくは、人として大事な何かを。
おそらくは、人として不必要な何かを。
ーーでも、これは夢だ。
少年はそれを正しく認識していた。
それは記憶の欠片が生み出した幻想。
目覚めてしまえば、その幻想は砕け散る。
少年は目覚めるのだろう。
何も覚えていないまま。
何も思い出さぬまま。
少年の全てをいつも通りに戻して。
夢は覚める。
記憶の欠片を、記憶の海の底に沈めて。
再び現れた雪色の少女。
彼女は何かを言った。
口がぱくぱく動いていて、酸素を求める金魚のようだとも思えた。
ーー……………………
いや、溺れているのは少年の方だったのかもしれない。
結局、少年の意識は、そのまま光の下に帰っていったーー
「暑い……」
寝起きの不機嫌な声。それが、目を覚ました少年の第一声だった。
赤みがかった黒の髪はボサボサで、真紅の瞳は、いつものようなカミソリめいた鋭さは鳴りを潜め、ただただ不快そうに細められている。
季節は夏。不快な暑さが少年ーージン・ルクスハイトを眠りの淵から呼び起こしていた。
がりがりと髪を掻き毟る姿は今にも舌打ちを漏らさんばかりである。そして、彼は寝ている間に固まった身体を解すために伸びをしようとして、途中で非常に剣呑な表情を見せ、今度こそ舌打ちを漏らした。
「ちっ……」
彼の怒りの原因は、腕を拘束するように抱き付いている少女にあった。
白銀の髪に、西洋人形じみて整った顔立ち。実際の年齢よりも幼く見える少女の寝顔はあどけなく愛らしい。
「ふふっ……うみゅ……」
時折むにゃむにゃと口を動かし、幸せそうに何事か言っている様は、一周回って腹立ちよりも呆れを覚えるほどだ。
ティナ。そう名乗る革命団のメンバーにして、家名は不明だが貴族の中でも名家であろう家のお嬢様である。
とはいえ、今のこのコタツで丸くなる猫のような姿は、革命団のメンバーにしては、あまりに警戒心と危機意識に欠け、貴族のお嬢様にしては、慎ましさとかたおやかさに欠けると言わざるを得ない。
しかし、こうして見ると、本当に残念っぷりが目に付く少女である。
ところで、ジンは人の安眠を妨害し、さらには行動まで阻害しておいて、自分はすやすやと幸せそうに眠っている人間をーーそれがたとえ、可愛らしい少女であってもーー許すような優しい人間性をしていない。
固定された腕を無理やり引き抜くと、ジンはその拳をそのまま、ティナの頭へと振り下ろした。
「ーーっ!? 痛ったぁ……」
頭を押さえてうずくまるティナをその場に放置して、ジンはベッドから立ち上がった。
「ちょっと、ジン! 起こすにしても、もうちょっとやり方あると思うんだけど! 思うんだけど!」
「…………」
ジンは無言だった。
ティナは不満げに頬を膨らませ、振り返ってジンの背中を睨みつけた。珍しく、一本にまとめられた白銀の髪が、勢いよく振り向いた頭の動きに合わせてたなびいた。
まあ、気持ちよく寝ている時に、目覚まし(物理)で起こされれば、機嫌が悪くなるのも当然と言えば当然だろう。みな、健やかな眠りは邪魔されたくないものだ。
しかしーー
「朝からうるさいよ。もう少し静かにしてくれない?」
ハエでも払うように手をひらひらさせながらティナにそう言ったのは、隣に置かれたベッドで眠っていた少年だった。特徴と言えるものがあまりない凡な顔立ちで、黒い髪は寝起きの割には落ち着いていた。
「ジンが悪いもん!」
少年ーーカエデは、ベッドの上でぺたんと座り、ジンを指差して文句を言う少女に一言、
「自分がどっちのベッドで寝てたかも覚えてない君に、とやかく言われたくはないんだけどね」
「ふぇっ……? ーーっ!?」
ティナの首がこてんと捻られる。そして、寝汚く布団にもぐりこむカエデを見、窓の外を見、ジンが洗面台で水を飲んでいるのを見、そして、最後に自分が座り込んでいるベッドを見て、声にならない悲鳴を上げた。
ティナはなぜジンに叩き起こされたか理解したのである。
沸騰したように頬が赤く染まった。
口から漏れるのは言葉にならない意味不明の言語のみ。
「あっ……えっ……うっ……あう……」
「結論、ティナが悪い」
「うっ……ううっ……」
「暑苦しい」
「ね、寝惚けてただけだもん……」
自分でもこの言い訳は苦しいというか虚しいと思う。
とはいえ、さすがにティナとて予想外だ。寝惚けていたとはいえ、自分からジンの寝ているところに潜り込むなどーー
改めて自分のやってしまったことを思い返したティナはうつむいた。誰に言われるまでもなく分かる。きっと、熟れすぎたトマトみたいに真っ赤になっているに違いない。
「っていうか、カエデこそ、なんでベッドで寝てるわけ? おかしくない?」
「は? 疲れてるんだから、ベッドが空いたらそっちで寝るでしょ?」
「うっ……」
悔しいが正論である。
羞恥を誤魔化そうと、カエデに水を向けたティナは、何を今更、と言わんばかりのカエデの言葉で、そのまま手痛いしっぺ返しを食らうことになった。
というか、つまるところ、ティナの行動のせいである。
やってしまったことへの羞恥と、言い負かされた悔しさで、さらに赤くなったティナは、そっぽを向いた。
ジンはそんなティナの様子など我関せず、カエデに尋ねた。
「ファレルはどうした?」
「さあ? ジン達が寝た後に外に出てったけど」
「……そうか」
「それで、どうするんだい、これから?」
「どういう意味だ?」
「ヴィクトール伯爵サマは生死不明だよ? これじゃ、僕らにできることなくない?」
そう、ジン達がヴィクトール領に着いたのは、夜も更けた頃。そして、彼らは空の上から、焼け落ちるヴィクトール伯爵の屋敷を目撃している。
確実に消すつもりではあったが、正直、先手を打たれるとは予想外だった。
それを確認したジン達は、ヴィクトール伯爵領領都のヘリ発着所に乗ってきたヘリを乗り捨て、屋敷からほど近い宿場町の宿に身を潜めていた。
隣接するマレルシャン子爵領に続く街道であったからか、行商人が多く滞在しており、手持ちの金が少なかったこともあったので、4人で一部屋という条件で無理に止めてもらい、一夜明けた後に、焼失したヴィクトール伯爵の屋敷を調査する予定だった。
ちなみに、男三人と一緒の部屋に泊まれるか、とティナは猛抗議していたが、当然、誰も聞き入れなかった。
結果、今のような状況が生まれたわけである。金の節約ではなく、ティナを追い出すことを考えるべきだったと、ジンは後悔している。なお、全員から女の子扱いされていないことが発覚したティナは直前とは別の意味で憤慨していたが、誰も気にしなかった。
「……あくまでこれは俺の見立てだが、アレは、自分の行いを悔いて腹を切るほど潔くもなければ、進んで自分の死を利用するほどに策謀家でもない」
ジンは、実際に会ったヴィクトール伯爵を思い返しながらそう言った。
「つまり?」
「アレはもっと俗物的だ。そして、貴族的だ。そんな奴が生死不明になったということはーー」
「ーー誰かに殺されたってこと?」
ジンの言葉を継いだのは、ようやく落ち着いたティナだった。
ジンは、結論を先取りしたティナにちらりと視線をやる。目が合ったティナは、たちまち赤くなると、うつむいてジンから目を逸らした。
そんなティナに、ジンは呆れたようにため息を吐き、
「おそらくな」
「なるほどね。ヴィクトールがオルレアンを狙い、そのヴィクトールを誰かが潰した、って構図になるのかな?」
「奴の叛逆を察した誰かによる粛清だろう」
「でも、それにしては早すぎない?」
ティナが、ジンと目を合わせないようにしながら尋ねる。対するジンは、逆に口角を歪めた。
「いるだろう。それができる奴らが」
ティナがこてんと首を傾げた。
ジンはいつも通りの冷たい声音の裏に、昏い何かを潜ませたまま、言った。
「アマリリス、エスメラルド、そしてーー」
ティナは、その真紅の瞳を見て震えた。憎悪と憤怒。昏い激情と狂気を秘めた眼。
「ーーセレーネ」
「三公が動いてるって? うわあ……厄介な。速やかにしなやかに逃げ出したくなるね」
「……で、でも確証なんてーー」
「必要ない。奴らのどれかが動いたという推測だけで充分だ」
ティナの言葉を遮り、ジンは獰猛な笑みを浮かべた。
「奴らがヴィクトールを消したくらいで満足すると思うか?」
ティナとカエデは咄嗟に答えられない。
だが、ジンの言いたいことは理解できる。
「奴らは動く。確実に。狩るには好都合だ」
「……ジン。たった四人で貴族の頂点、三公に挑もうっていうのかな? それは無謀も蛮勇も通り越して狂気だよ」
「わたしも反対。ジンも見たでしょ? 一晩で一つの家を消せるんだよ、三公は。それにたった四人で、なんてーー」
「五人だ。まあ、一人戦力外だろうけどな」
その時、部屋のドアが開き、入ってきた何者かがそう言う。
「あれ? どこ行ってたのかな?」
「こいつを拾いに行ってたんだよ」
入ってきた男ーーファレルはそう言って、背負っていた何かを床に降ろした。
真っ黒な髪に同じ色をした瞳の少女ーーセレナである。
「あっ……」
ティナの口から、そういえば忘れてた、と言わんばかりの腑抜けた声が漏れる。どうやら、完全に忘れていたらしい。
「……心外」
「ごめん……」
「いたのか?」
「……おひさー」
ジンに至っては、セレナがいたことすら知らなかった。もっとも、迎えは三人だと思っていたのだから、当然と言えば当然である。
そんなセレナに様子を見守っていたファレルは、不意にジンの方を見ると、先程のジンと似たような笑みを浮かべた。
「で、やるんだろ?」
「ああ」
「って、本気なの!?」
「当然だ」
「まっ、ヴィクトールの様子を調べてからだがな」
「それ、動くって言ってるようなものだよね?」
「そりゃそうだろ。せっかく釣れたんだ。つっても、もう逃げられてるかもしれないがな」
ファレルの言う通りだ。目的を達成した三公が、未だに残っていて、内政干渉を疑われるような愚を犯すはずがない。
しかし、そう言う割にはファレルは乗り気なように見える。
「それなら動く意味がないような……」
「せっかく少人数で動けるんだ。動いた連中の尻尾を掴むくらいはしとかないとな」
「はぁ……僕はどうせ何もできないけどさ。尻尾を踏み抜かないように祈ってるよ」
カエデが呆れを隠さずに言う。しかし、口調の割には、その表情は楽しそうに見える。
まったくもって、オトコノコという奴は救いようがない。なにも生命をチップにして火遊びしなくてもいいだろうに。
「……任務了解」
「おまえは寝てろ」
床に座ったまま、おー、と言って手を突き出したセレナは、ファレルが振り下ろした拳で床に沈む。
「……ぼーりょくはんたい」
「腹蹴らなかっただけ優しいだろうが」
「……性悪」
「…………」
ファレルは無言のままアイアンクローで、セレナの頭を掴み上げた。その表情は恐ろしいくらいに無表情だが、その目だけは、怒気を宿している。
このメンバーの中で一番怒らせてはいけないのがまさにファレルなのだが、セレナの行動は、まさに地雷原で走り回るようなものである。
「……うぇいとうぇいと」
「ふざけてる余裕があるなら大丈夫だよな?」
「……寝る」
「えっと、話が掴めないんだけど?」
ティナが戸惑いと共に尋ねると、ファレルは一言、
「怪我人」
「だ、大丈夫なの?」
「……現金」
「うっ……そ、それはその……知らなかったからであって……」
「……生きてる」
「そ、それなら、大丈夫……なのかな?」
「騙されているように見えるが」
首をひねるティナの後ろで、ジンがぼそりとそう言ったが、ティナは気付かなかったらしく、ちゃんと休むこと、などとお姉さん面してセレナを撫でている。
残念ながら、と言うべきか、端から見る限りは、ティナの方がむしろ背伸びする妹のようにしか見えないが。
もっとも、本人にはそんな自覚は全くないようだが。
「さて、話もまとまったし、行くか」
「いってらっしゃい」
ファレルが言うと、カエデはにこりと笑み、ひらひらと手を振った。
「おい」
「だって、僕、別に役に立たないよね?」
「なんだその割り切り方は……」
「それに、偵察なんだから全員で行かなくてもいいんじゃない?」
「そうだな」
ジンがカエデの言に同意すると、カエデ、ファレル、ティナ、ベッドに横になっているセレナを順に見ると、
「ファレルと俺で行く。ティナ、ライフルを貸せ」
「これ私物なんだけど……」
ティナが狙撃に使っているライフルは私物である。ロングバレルやスコープといった一部の物は、任務に応じて革命団の武器庫から持ち出しているが、基本的には、ティナが昔から使っている個人所有のものである。
まあ、慣れているものの方が狙いやすい、手に馴染むというだけで、他の銃を使えないわけではないのだが。こればっかりは好みの問題である。
「壊すわけじゃない」
「むぅ……いいけど、残弾そんなにないよ? 結構使ったから、弾倉一個分もないし」
「積極的に撃つ気もない。俺はおまえほど上手くないからな」
「ん、じゃ、組み立てるからちょっと待って」
ティナはそう言うと、壁に立てかけてあったケースを手に取り、分解してあった、ライフルを手際よく組み立てていく。
そんな様子を見ていたカエデが、ふと疑問を口にした。
「っていうか、僕とセレナはいいとして、なんでティナは置いてくのかな?」
「こっちの戦力をゼロにするわけにはいかない。それに、怪我人の世話ができるのはファレルとティナくらいだ」
「なるほどねぇ」
カエデは得心したという風にうなずいた後、全員を見回して、思ったままのことを言った。
「しっかし、絶望的な戦力だよね」
「うるせーな。むしろ今まで絶望的な戦力差じゃなかったことがねーよ」
「……うわっ、否定できないのが悲しすぎる」
「つーか、むしろ、おれ達はなんでここまで生き残れてるんだろうな?」
「…………」
「…………」
「……運」
布団の中から帰ってきた言葉に対して、誰も返す言葉を思いつかなかったのは言うまでもない。
そんな中、一人、カチャカチャとライフルを弄っていたティナは、何度かトリガーを引き、何かしら確認を終えると、マガジンをセットし、セーフティーをかける。
「よし! ジン、できたよ」
「ファレル」
「オーケー、行こうぜ」
ティナからライフルを受け取ったジンがファレルの名を呼ぶと、待ってました、とファレルが阿吽の呼吸で答え、通信機をジンに投げながら、立ち上がる。
「んじゃ、任務開始だ。こっちは任せたぞ」
「うん」
「りょーかい」
ティナとカエデが答えると、ジンとファレルは部屋を出て行った。
しかし、その直後にティナはあることに気付いた。
「あっ……」
「ティナ、どうかした?」
「いや、その……銃って見られたらまずい、よね?」
「あっ……」
「……どうしよ?」
「祈るしかないね……」
「だよねー」
「……不安」
布団の中から聞こえた声に、ティナとカエデは苦笑を浮かべるしかできなかった。




