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エゴイスト・ヒーローズ  作者: 神楽 悠人
エゴイスト・ヒーローズ1
9/9

9&エピローグ

  10


――学校に来て。

 それだけ書かれたメールが守、透宛てに一斉送信されていた。

 守はそのメールを見た途端、躊躇いなく学校に向かった。

 しかし、それは恵の生存の可能性に期待したからではない。

 死んだ人間から連絡が来るなど、本来ありえない。

 誰か別の人間がメールをしたはずなのだ。

では誰なのか。

 おそらく、恵を殺した犯人の男だろう。

 守は半ば確信していた。

 送信した主が恵である必要はない。

携帯なのでロックさえ外せれば――そもそもロックをしていればの話だが――誰でもメールくらい送信できるのだから。しかし、死んだ人間の携帯で連絡をするなど普通のことではない。

 そもそも携帯が事件現場に落ちていたのなら警察がとっくに回収しているはずだし、恵が持っていたのなら現実世界に遺品がでてくるはずがない。

 つまり恵を殺した後に犯人が携帯を回収し、守を呼び出すために恵の携帯を使ったと考えるのが普通だ。

 恵を殺した奴が近くにいる。

 そう思うと、いてもたってもいられなかった。

 しかし、いくつか疑問が浮かんだ。

 ――どうして透まで呼び出したのだろうか。

 守に恨みがあるのなら守だけを呼び出せばいい。

にも関わらず透も一緒に呼び出した。

――まあ着けば分かるだろう。

透には学校に向かうと連絡済みで、透と優香は既に学校に待機しているらしい。

守は完全に囮、エサのような役割になってしまうが恵を殺した犯人を捕まえられるなら本望だった。

――いや、この場合は殺す、か……。

守は通いなれた道を早足で通り抜けた。

そして学校に着くや否や、透たちがいる生徒会室に向かった。

学校にはもうほとんど生徒がいない。

それもそのはず。

試験は終わっているのだ。

残っている生徒といえば夏休み明けに行われる文化祭の実行委員と生徒会役員くらいだろう。

駆け足で階段を駆け上がり、生徒会室に向かった。

生徒会室のドアの前で荒れた呼吸を整えるとノックをして扉を開けた。

「試験お疲れ―」

陽気な声が生徒会室に響く。

透の声だ。

しかし守はそれを無視して席に着いた。

透は椅子に座りながらお茶を飲んでいる。

その隣では優香が本を読んでいた。

「……犯人の男は見つかった?」

守は単刀直入に聞いた。

「……軽く周辺を探してみたけどいなかったよ」

透は守の心境を察してか、雰囲気を変えて低いトーンで答えた。

周辺にいないということは、おそらく学校の外にいるのだろう。

つまり突然目の前に怪物が現れることはないということになる。

「まあ、相手が力を使ってくれれば嫌でも会える。さっさと終わらせよう」

透は自分たちが負けることなど全く考えていないようだった。

――それだけ自信が持てるほど戦ってきたということか。

いや、もしかしたら守同様に犯人が憎いのかもしれない。

「それよりも、俺まで呼び出したのかが気になるね」

確かにそうだ。

犯人に透を呼び出すメリットがない。

「優香、何か心当たりとかある?」

優香に話を振ると相変わらず視線は本に向けたまま

「ドМなんでしょ」

と、興味なさそうに答えた。

彼女も本気で言っているわけではないだろう。

 おそらく本当に興味がないだけなのだ。

「まあいい。それも本人に確認すればいいさ」

 透もそれ以上深くは考えようとはせず、そう言って話を切った。

 しかし、守は胸元に違和感を抱いていた。

 何か見落としているような違和感。

 とてつもなく大きな見落としがあるような、不安に似た感情が胸を渦巻いていた。

 けれどもその思考を遮るように

「来たか」

 透のその言葉を最後に現実から隔離された。

 本を読んでいた優香も本を閉じて目つきが変わる。

 守たちは赤い世界に取り込まれた。


 赤い世界に取り込まれてからの行動は早かった。

 優香が槍を携えて先陣を切って進み、囮役の守がその後ろ、そして後方を透という順番で校内の捜索を始めた。

 この広大な校舎、しかも校庭を含んだ半径一キロメートルの空間で人を探すのは困難を極めた。

 バラバラに行動できれば効率は上がるが、守自身はヒーローの適性がなかったために戦えない。そもそも囮なので単独行動は無意味だった。

 二手に分かれる案も出たが、守を守りながら戦うのは面倒という優香の意見で棄却された。そのため、こうして三人で行動している。

「向こうはこっちの位置がわかるのか?」

 質問には透が答えた。

「敵の形態にもよるけど、基本的には把握できないはず。実際、襲撃してきた蜘蛛も蠍も君たちの位置を把握はしていなかっただろ?」

 そう言われてみれば蠍はあんなに近くにいた守に気が付かず、それが逃げる時間になった。

 しかし、そこで新たな疑問が生まれる。

「なあ、もう一つ聞きたいんだけど、相手はどうやって俺をこの世界に取り込んだんだ?俺の位置が分からないってことは、そもそも俺を視認していないってことだろ? どうやって狙ったターゲットが半径一キロ以内にいるって判断しているんだよ?」

「ああ。それはあいつらが能力を使っているからだよ」

 守の疑問にあっさり答える透。

「能力?」

「ああ。あいつらは現実の世界にいるときに一つだけ能力を使えるんだ。蜘蛛と蠍に襲われた時のことを思いだせてもらいたいんだけど、額に水晶みたいなものがなかったか?」

「…………」

 何度も忘れようとして忘れられなかった、あの恐ろしい記憶を再度掘り起こす。

 蜘蛛にあったかどうかは覚えていない。あの時は死を覚悟していたし、優香に遠くに飛ばされてしまったため、額など見る余裕はなかった。しかし蠍は――。

「あ……」

 あったかもしれない。

 いや、確実にあった。

 暗闇の中で光る三つの光を守は見ている。

 二つは蠍の目だった。

 でも残り一つは額のあたりで輝いていただけの――水晶だった。

「心辺りがあるみたいだね。そう、それが能力の源だ。奴らが化け物なるときも索敵のときも水晶が必要になる。それを使って半径一キロにいる人間を把握しているんだ。まあ頭の中にイメージとして流れてくるって感じらしいけど」

 らしい、と言うことはおそらく過去に化け物になった人間から聞き出したのだろう。

「なるほどね……」

 そう言って頷く。

 すると今度は

「じゃあ今度は俺が質問いいかな?」

 透が守に訪ねてきた。

「俺に質問?」

「そう。今回のことだけど、どうして囮役なんて引き受けた?」

「……」

 予想通り、と言えば予想通りの質問だった。

 怪物とは無縁の生活を送ってきた高校生が、ヒーローの適性もない高校生が怪物を倒すための囮になった理由。

当然疑問に思うはずだった。

 初めて怪物に襲撃されたとき、死を覚悟するほどの恐怖を感じた人間が自ら望んで同じ状況下に入ろうとしているのだ。

 普通に考えれば不自然だ。

「やっぱり、山下さんが理由?」

「……ああ」

 守は小さな声で答えた。

「友人が殺されたんだ。その敵討ちの協力くらいしたい」

 その言葉にずっと黙っていた優香が口をはさむ。

「初めて襲われたときは殺すなとか言っていたのに身内が死ぬと敵討ちね。短い期間でずいぶんと考え方が変わるのね」

 悪意しか感じない言葉。

けれども、もっともな意見に守は反論できずに顔を歪める。

「……殺すことについては今でも賛成じゃない。ただ俺は他の方法で罪を償ってもらわないと気が済まないっていう――」

「人を殺したら、償う方法は死ぬことだけよ」

 遮るように発せられた優香の言葉に背筋が凍った。

 当然と言わんばかりに言い放った言葉。

 その裏側に、優香の意思――いや、そんな軽いものではない。

 決意にも似た、明確な殺意がにじみ出ていたからだ。

 この感覚は蜘蛛の怪物に襲われたとき以来だ。

 優香は本気でそう思っていて、本気で怪物を殺すつもりなのだ。

 ――もしかしたら山城さんも俺と同じなのか……。

 当然のように蜘蛛の化け物の中から出てきた人を殺す姿を見たときには分からなかったが、今なら少しだけ理解できた。

 高校生が躊躇いもなく人を殺す。

 そんなことが普通の生活を送ってきた人にできはずがないのだ。

 それだけの苦痛をこの二人は味わってきたのだろう。

「楽に死ねるか、苦しんで死ねるかの差はあっても生きて償う方法なんてない。殺した以上は死んで償わせるの。そうじゃないと――」

しかし、最後の方は声が小さくて聞き取ることができなかった。

三人が口を閉じると歩く音だけが廊下に響き渡る。

 誰も口を開かなかった。

 三人は目的地があるわけでもなく、階段を下りては廊下を歩き、また階段を下りては廊下を歩く。ひたすらに同じ動作を繰り返す。

 おそらく虱潰しに学校を練り歩いているのだろう。

 しかし、いくら歩いても、いくら階段を上り下りしても、怪物に会うことなかった。

 あまりに不自然に思ったのか、優香が足を止める。

 そして、その場でしゃがみ込むと左手を廊下につけて目を閉じた。

「……なにしてんの?」

 しかし、予想通り優香は答えない。

その様子を見て透は苦笑いをしながら代わりに答えた。

「敵の足音、というより歩くときに生じる振動を探っているんだよ」

「振動?」

「そう、振動」

 透の話をまとめると、優香は手のひらを床に付けることによって、動いたときに発生する振動を感知して、その位置を特定することができるらしい。

 優香の超人じみた能力は前回の襲撃時に見ている。

 しかし、今回はあれの比ではない。

 凄いというより、もう理屈が分からない。

 たしかに振動は歩いたりすれば必ず発生する。

 他にも音で壁が振動することもある。

 しかし振動が伝わるためには揺れるものが必要になる。

 揺れるものがなければ振動は伝わらない。

宇宙で声が届かないのはこのためだ。

 今回の場合では床、材質は正確には分からないがおそらくコンクリートだろう。

 振動は物体――今回はコンクリート――に働いている力が力の方向を繰り返し変えるときに発生する。逆に言うと、そのような力が働いていないときは振動しないということだ。

 力が働いている時とは、つまり人が地面を蹴って歩いたとき。

 その時間は1秒にも満たないだろう。

さらに人間が発生させる振動などたかが知れている。

 人間が歩いたときに発生した振動が伝わる距離はコンクリートであれば、せいぜい1メートルくらいだ。それ以上は振動が消えてしまい、いくら感度を上げてもその揺れを感知することはできない。

 ――それを感知って、どうやっているんだ……。

 そんなことを考えながら、視線を透に移す。

 振動を感知するということは、あまり動かないほうがいい。

 そのため、守はその場でなるべく小さな声で透に話しかけた。

「こういうことって良くあるのか?」

 こういうこととは、もちろん怪物が見つからないということだ。

 守の問いに透は少し困ったような顔をしながら

「いや、稀だな。基本的に好戦的な奴らだから暴れ出したり、雄叫びを上げたりして位置がすぐに分かるんだ。ここまで見つからないのは珍しい……というより初めてだ」

「……こっちの位置を把握していて、あえて見つからないように逃げている可能性はないか?」

「それはないだろう。逃げるくらいだったら最初から襲ったりしないだろうし」

 たしかにそうだ。

 だとすればいったい何故だろうか。

 透明になるなどの能力があるのだろうか。

 あるいはただの偶然だろうか。

いくら考えても答えはでない。

探知を初めて何分たっただろうか。

 優香が立ち上がった。

 恐らく、探知が終わったのだろう。

 すかさず透が問い詰める。

「優香、どこにいるかわかったか?」

「グラウンド。グラウンドで小さいけど振動があった。呼吸が乱れていたから、たぶんまだ人間の姿なんじゃないかしら」

 位置だけではなく、対象の呼吸まで分かるとは、いよいよ魔法の域だ。

 しかし、そんなことは口に出さない。

 敵の位置が分かった。

 いよいよご対面だ。

 そう思うと足がわずかに震えたが、それ以上に早く犯人を捕まえたいという気持ちが大きかった。

 大きく深呼吸をして呼吸を整える。 

 しかし、透の予想外な提案に整えた呼吸は盛大に乱れた。

「じゃあ、この窓から飛び降りよう。階段で移動すると時間がかかるからな。優香、悪いけど守を抱えてくれ」

 飲み込んだ唾が器官に入ってむせた。

 ――また飛ぶのかよ!

 しかし、せき込んでいたため声にならない。

 透は当然と言わんばかりの顏だったが、優香は反論した。

 目くじらを立てて優香が怒鳴る。

「なんで私がそんなことしなくちゃいけないのよ!」

 珍しく、というより守は初めて見るが、優香が珍しく取り乱している。

「なんでって、落下中に敵の攻撃を受けたら接近戦派の優香は対応できないだろ? 俺はこれがあるから空中でも戦えるし」

 そう言いながら腰に付けている銃を叩く。

 たしかに透が守を抱えているときに襲撃されたら対応できない。

 理屈ではそうだ。

 しかし優香は納得していない様子だった。

 何かを言おうとして口を開いては閉じ、開いては閉じ、を繰り返す。

 その表情は簡潔に述べれば、嫌悪感の塊だった。

 守を男として意識しているとか、そういう雰囲気は全くない。

 その表情は完全に嫌いな人に近付きたくないといった表情だ。

そこまで嫌われるようなことをした記憶はないのだが……。

「……わかったわよ」

少しの間をおいてから、しぶしぶ同意する優香。

大きなため息をついてから近付いてきた。

「よ、よろしく……」

しかし優香の返事はない。

その代りに守のお腹に右肩をあて、そのまま持ちあげられた。

優香の右肩に、まるで布団を干すかのように担がれる守。

そして、優香はそのまま窓を開けて――

「透、カバーよろしく」

飛び降りた。

 

 人間とは慣れる生き物だ。

 前に透が言ったように、人はどんなことにでも対応、適応できる。

 それが人を殺すことでも。

 それが普通に飛んだら死ぬような高さからの落下でも。

 守はそれを、身を以て実感した。

 人生二度目の紐なしバンジージャンプ。

 一度目は透に、そして二回目は優香に連れられて飛んだ。

 どちらも高さは十メートルを超えている。

 初めて飛んだとき、守は心臓が飛び出そうになった。

 着地後も心拍数はなかなか下がらなかった。

 しかし、二度目は一度目ほど恐怖を感じることはなかった。

 落下中も悲鳴を上げることはなく、着地後も心拍数はすぐに平常時に戻った。

 ――人間ってすごいよな……。

 守はグラウンドを歩きながらしみじみと感じた。

 先ほどと同様、先頭を歩く優香の後ろを歩く。

相手のいる場所を正確に把握している優香に迷いはない。

ある一点だけをめざし、ズカズカとグラウンドを横断する。

優香の進行方向から推測するに、おそらく目的地は体育館倉庫の裏側。

学校全体をみたとき、校門から最も遠くにある地点だ。

優香は体育倉庫に着くと足を止めた。

「……誰かいる」

間違いなく犯人だ。

この切り取られた空間には犯人と守たち3人しかいないのだから。

三人は息を整えると、ゆっくりと倉庫裏に回った。

――いた。

ハッキリとはみえないが、倉庫の陰になっている付近に一つの人影が佇んでいた。

守は飛びかかりたい衝動を必死に抑え込んだ。

今、目の前に恵の仇がいる。

そう思うと自分の中で殴りつけたいという感情が芽生えた。

しかし、相手は怪物。

人間ではない。

生身の守が飛びかかったところで一秒と持たずに返り討ちにされるのは火を見るより明らかだった。

 ここで死ねば二度と犯人を捕らえるチャンスはない。

 その事実がぎりぎり守を引き留めていた。

――ここは透たちに任せよう。

そう自分に言い聞かせて一歩さがり、透と優香の後ろに回った。

しかし、透と優香の様子がおかしい。

一向に攻撃をするそぶりを見せない。

いや、それ以前に。

相手も様子がおかしかった。

うずくまっている。

子供が泣くように、地面に座り込んで膝を抱えていたのだ。

膝を縛り付けるように両手で膝を押さえている。

まだこちらに気づいている様子はない。

 透と優香は顔を見合わせて、頷いてからゆっくりと近づいた。

 徐々に距離を詰めていく。

 そして、

「……え」

 守の口から思わず声が漏れた。

 その声に反応して犯人もこちらを見る。

 しかし、透も優香もそのことを咎めなかった。

 二人も守と同じように動揺していたからだ。

 腰のあたりまで伸びた黒髪。

 雪のように白い肌。

 どこか人懐っこい雰囲気のある顔立ち。

「…………山下さん?」

 そこには死んだはずの山下恵がいた。


「な、なんで……」

 死んだはずの恵がそこにいた。

 いるはずのない人がそこにいた。

「なんでここに山下さんが……?」

 その問いに恵は答えない。

 ただ、驚いているような、困惑しているような表情でこちらを見つめている。

 守は一歩、恵に近付いた。

 しかし、それを止めるように割って入る透と優香。

「な、なんで止めるんだよ」

「……不自然だと思わないか?」

 透の声が響く。

「死んだ人間がなんで目の前にいるなんて、おかしいだろ」

そんなこと分かっている。

 死んだ人間が生き返るなんてことが起こるはずがない。

 しかし、事実目の前にいるのだ。

 死んだと思っていた人が目の前に。

「そもそも、あれが山下さんである保証がどこにある。相手が変装している可能性だってある」

 たしかにその可能性はゼロではない。

 だが、それを優香は否定した。

「過去にそんな力を使えた奴なんていないわ」

 過去にそのような力を持った奴がいないからいない。

 それが暴論であることは優香も分かっているはずだ。

 それでも否定した理由は、おそらく直感的に感じているのだろう。

 守と同様、目の前にいる山下恵が本物であるということを。

 守はもう一度視線を恵に戻した。

 距離にして4メートル。

 少し歩み寄れば届く距離に恵はいる。

 しかし、その距離を詰めるのは容易ではない。

 この世界では失敗がそのまま死につながる。

 目の前にいる恵を仮に偽物とするのならば、つまり、この恵が犯人の変装だろするなら、ここはためらわず攻撃をすることが正解だ。

殺せばすべてが終わる。

 しかし、本物である可能性を考慮すると迂闊に攻撃できない。

 また彼女が本物であれば、犯人は他にいるということになる。

 恵を殺しても世界からは出られない。

 だから動けない。

 透と優香は小声で何やら作戦を立てている。

 たいして恵はただただ、こちらを見つめていた。

 ――いや……違う

 よく注意してみると恵は両腕を強く握りしめて、何かに耐えているようだった。

 そして、こちらに向かって何かを伝えようとしているような……。

 ――あれ?

 ここで、守の思考が何かに引っかかった。

 なにか大切なことを見落としているような違和感。

 守はもう一度状況を整理する。

 今、目の前に恵がいる。

 これは事実だ。

 そして彼女はおそらく本物だ。

 ――じゃあ山下さんが行方不明になった日に発生した力はなんだ?

 あの日は、恵が若い男に絡まれていたという事実がある。

 つまり男が怪物の力を使ったからだ。

 ――なんで山下さんが生きている?

 男が恵を殺さなかったから、もしくは何らかの理由で殺せなかったから。

 ――その理由は? 

 分からない。

 ――なんで生きているのに行方不明になった?

 なんらかの理由で家に帰ることができなかったから。

 ――その理由は?

 分からない。

 ――山下さんはどうして学校にいる?

 わからない。

 分からないことが多すぎる。

 これでは何の解決にもならない。

 もっと。

もっと細かく、

もっと慎重に考えるんだ。

自分にそう言い聞かせてもう一度思考する。

――犯人はどうして俺を狙った?

俺に恨みがあるからだろう。

――山下さんは殺さず、俺だけを狙った理由は?

ナンパの邪魔をした人間だから?

――だから俺を呼びだした?

そのはず……いや、正確には透も呼び出した。

理由は不明だが、ヒーローである透も呼び出したのだ。

――あれ?

ここまで思考して再び疑問。

犯人は3人組の一人だ。

これは間違いない。

先に2人が仕掛けてきて守と恵を狙った。

――このとき奴らはヒーローの存在を知っていた?

知らない。

だからこそ透と優香に返り討ちにされたのだ。

――3人目はヒーローの存在を知らない?

知らないはずだ。

先に仕掛けた2人は現実に戻ることはなかった。

――知らないから透を呼び出した?

違う。

そもそも狙えるのは一人。

仮にヒーローの存在を知っていても名前が分からないから呼び出せないはずだ。

 ――いや、まて。

 守は根本的な間違いに気が付いた。

 ――俺はどうして学校にきた?

 犯人にメールで呼び出されたからだ。

 ――どうやって犯人はアドレス帳から俺と透を選び出した?

……名前を知っていたからだ。

奴らは外見しか守のことを知らない。

人の携帯で外見だけしか知らない人を呼び出すのは不可能だ。

守は全身から汗が噴き出てくるのを感じた。

ひんやりとした、嫌な感じの汗。

――犯人はどうやって俺の名前を知った?

……知ったのではなく、初めから知っていた?

 透と優香は言っていた。

 本人の意思とは関係なく暴れていた怪物がいたと。

 透は言っていた。

 怪物の力の源は水晶だと。

 バラバラだったピースが噛みあっていくような感覚。

――なんで山下さんは生きている?

犯人に襲われてもなお、生き残る術があったからだ。

――その術とは?

力だ。

怪物に匹敵するだけの力。

――そんな力を山下さんは持っていた?

持っていないと怪物から身を守れない。

しかし初めて襲撃されたときは力を使わなかった。

いや、使えなかった。

つまり初めて襲われたときにはなく、二回目に襲われたときには持っていた。

――その間に何があった?

……占い師に水晶を貰っていた……。

 ――なんで山下さんが生きている?

 恵を殺せなかったからだ。

 ――その理由は?

 恵も同等の力があったから。

 ――なんで生きているのに行方不明になった?

 なんらかの理由で家に帰ることができなかったから。

 ――その理由は?

 殺してしまったから?

 ――山下さんに人を殺せた?

 どんなことがあっても人を殺せるような人じゃない。

 ――なら何故?

 意思とは関係なく殺した?

 ――犯人はどうして俺を呼びだした?

 殺すためだ。

 ――どうして透も呼び出した?

 助けてほしいからだ。

 ――二人を呼び出した人は?

 ――山下さんはどうして学校にいる?

 ――どうして山下さんはうずくまっている?

 ――山下さんは何に耐えている?

 ――山下さんは何を言おうとしている?

「……そういうこと?」

「守?」

 透が心配そうに顔を覗き込む。

 しかし、守は気にならなかった。

 自分の考えが事実なら……。

 この考えが妄想でないのなら……。

守は透を無視して一歩踏み出すと、恵の口元にゆっくりと視線を移動した。

 やはり何か言おうとしている。

「山下さん、嘘だろ?」

 声が震えているのが自分でもわかった。

「な、なあ、嘘だろ?」

 しかし、恵は答えない。

 その代わりにある言葉を口にした。

 その声はあまりにも小さく、普段なら聞き取れないほど弱弱しいものだった。

「ご……めん、ね?」

 直後、恵の体が黒い塊に取り込まれた。

 

 巨大化したそれを、守は黙って見ていることしかできなかった。

 全身は黒い毛に覆われ、手からは鋭い爪が生え、口には鋭い犬歯が輝いている。

 その姿は犬、いや、狼だ。

 ――ああ、やっぱりそうなのか。

 守は変貌した恵を見て、自分の考えが正しかったことを理解した。

 恵が犯人だったのだ。

 恵は守と別れたあと、茶髪の男と遭遇してこの世界に取り込まれた。

 しかし、幸いと言うべきか、その数分前に占い師に水晶を貰い、その力で男を撃退、いや、おそらく殺したのだろう。

 恵にとっては相当な恐怖だったはずだ。

 透や優香は別として、人を殺すのに躊躇わない人はいない。

 でも恵は助かった後も水晶の力に怯えた。

 おそらく誰かを襲いたいという衝動に駆られたのだ。

 でも人をこれ以上殺したくない恵は姿をくらました。

 家に帰れば家族がいる。

 学校に行けばクラスメートがいる。

 どこに行っても人がいたから、恵は姿をくらましたのだ。

 しかし、それも長くは続かず、限界に達した恵はメールで守を呼び出した。

 そして透も。

 透がいれば守を殺さずに済む。

 透が守を守ってくれると。

そう考えたのだろう。

 友達を巻き込みたくない。

 友達を殺したくない。

 その一心で。

「守、下がれ!」

 透の怒声が響く。

 それと同時に優香が守の襟を掴んで後ろに放り投げた。

 飛ばされた守の体は中を舞った。

最高点に達した瞬間、全身が質量を失ったかのように軽くなり、しかし、すぐに重力に引っ張られて地面に叩きつけられた。

 直後、響く轟音。

 守は咳込みながらも立ち上がり、体育館倉庫裏を見た。

 巻き上がった砂煙で透たちの姿は見えない。

 しかし、砂煙の中では明らかに戦闘が行われていた。

 散る火花。

 響く金属音。

 そして木霊する怒声。

 槍を振り回して襲い掛かる鋭い爪をはじき返す優香。

 その衝撃でのけ反る狼の体に銃弾を撃ち込む透。

 二人のコンビネーションは完璧だった。

 銃弾を1発撃ち込むたびに、狼は顔を歪め、打たれた箇所からは鮮血が飛び散る。

 この調子ならすぐに倒せるだろう。

 しかし、守の気分は晴れなかった。

 ――どうしてこうなった?

守は恵に仇を撃つために来たのに。

 今、透たちはその恵を殺そうとしている。

 たしかに守を狙ったのは恵だ。

 そして自分が死ぬことを前提として透も呼び出した。

 すべては恵が望んだことだ。

 それにケチをつけることは守にはできない。

 でも、それは現状で最適な選択をしているだけだ。

 恵だって死にたいわけがない。

 できるなら生きたいはずだ。

 でも水晶の力にあらがえないから。

 守はもう一度透たちに視線を向ける。

 ちょうど透が狼の脚を1本吹き飛ばしたところだった。

 脚を吹き飛ばされてその場に崩れ落ちる狼。

あの調子だと数分ともたずに死ぬだろう。

 同時に恵も。

 それですべて解決。

 ――それでいいのか?

 自分自身に問いかける。

 恵が死ぬか、守が死ぬか。

 現状、与えられている選択肢はこれだけだ。

守が死んでも恵がまた違う人間を襲う可能性はある。

そうなると恵を殺すことが最善だ。

――だから諦める?

 違う。

 でもどうしたらいいのか分からない。

 あの水晶がある限り恵は人を襲い続ける。

 ――水晶の力がなくなればいい?

 そうだ、あれさえなければいい。

 どくんと心臓が大きく脈打つ。

 ――水晶の力がなくなれば……。

 守の脈がどんどん加速していく。

 力があれば。

 水晶の力を無効にできるだけの力があれば。

 もしかしたら恵を助けられるかもしれない。

 ――俺に力があれば!

 そう強く念じた瞬間。

 ポケットが輝く出した。

 守は驚きつつもポケットからそれを取り出す。

 それは道場で菅生に頂いた白い袋だった。

 袋を開け、中身を取り出す

「これ……」

 中から出てきたのは小さなビー玉。

 いや……。

 水晶だ。

 守は白く輝く水晶を左手で持つ。

 ――これが力だというのなら。

 守はそれを強く握る。

 光はさらに増していく。

 ――ヒーローの適性がない俺にもできることがあるなら。

 なんだってやる。

 友達を助けるために。

 その思いに応えるかのように、水晶がさらに強く輝いた。

 握っていた水晶は形を変え、棒状に肥大する。

 日本刀だ。

 友人を、恵を助けることができる守の力。

 どうして菅生からもらった水晶にこんな力があったのか分からないが、今はどうでもいい。

 守はそれを両手でつかみ、左腰に携えると透たちの所に走り出した。

 いつもより足が軽い。

 守はどんどん加速して狼と透たちの間に割って入った。

「待って‼」

 ちょうど攻撃動作に入っていた優香は目を見開いて寸前で槍を止める。

「なっ……あんた、何して!」

「言いたいことは分かる! でも待ってくれ!」

 今にも槍で襲い掛かってきそうな形相で睨む優香を前に怯みそうになりながらも必死に踏ん張る。

 守はゆっくり後ろを確認して狼を確認する。

 狼はダメージが大きいのか、その場で横たわってこちらを見ていた。

 あの様子ならしばらくは動かないだろう。

 そう判断すると透たちの方に向き直る。

「頼む! 山下さんを殺さないでくれ!」

 守は単刀直入に自分の意見を述べた。

 案の定、優香は突っかかってくる。

「はあ!? 何馬鹿なこと言っているのよ! そいつは人を殺しかねない化け物よ? 放っておけるわけないでしょ!」

「優香の言う通りだ。山下さんを助けたい気持ちは分かるけど、彼女は本人の意思ではないにしろ君を殺そうとした。そんな人を野放しにはできない」

 優香の後ろから透も続く。

 二人の意見はごもっともだ。

 今の状態の恵を放置すれば被害者はもっと増える。

 現状で選べる最善の選択だろう。

 でも――

「分かっている。でも俺は友達を殺したくないんだ。透と山城さんの力ならいつでも楽に倒せるんだろう? なら今は! 今だけは俺に協力してくれないか。山下さんを助けるために」

最善であることがいつも正しいとは限らない。

 少なからず、友達を殺すという選択が正しいとは思えなかった。

「頼む!」

守は透たちに頭を下げる。

 恵を助けるには二人の協力が不可欠だ。

 ここは何が何でも協力してもらえるように説得しないといけない。

 しかし、予想通り優香は守の要求を突っぱねた。

「そこをどきなさい。怪我するわよ?」

「頼む。山下さんを助けたいんだ」

「あんた、本当に馬鹿みたいだから教えてあげる。山下さんを助けることはできないわ。怪物になった人間は永遠に怪物のまま。彼女は本人の意思でなったわけじゃなさそうだけど、襲い掛かってくる以上殺すしかないわ」

 冷たくそう言い放つ。

 だが守もここで引き下がるわけにはいかない。

「分かっている。そんな方法があるなら最初から殺したりなんてしないはずだから。でも、それでも助けたいんだ! だから話を聞いてくれ!」

「……どきなさい。さもないとあんたも敵とみなして切るわよ?」

 槍を両手で持ち、切っ先を守に向ける。

 ――本気だ……。

 力ずくでも守をどけて狼を殺そうとする優香。

 しかし、それを透が止める。

「優香、待てって。話くらい聞いてからでもいいだろ。幸い、あれはまで動けそうにない。まあ回復されるのはしゃくだけど」

「あんたまで! 殺す以外に選択肢なんてないでしょ! なんで――」

 しかし優香が最後まで言い終える前に透が口をはさんだ。

「優香、命令だ。待機しろ」

 普段からは想像できないほど低く、そして重たい言葉だった。

「……っ」

 その言葉を受けて優香はしぶしぶ槍を下す。

 もしかして、透は優香の上司なのだろうか。

 そんな疑問が浮かぶ。

 しかし、今はそんなことよりも大切なことがある。

 せっかく透が作ってくれた時間だ。

「ありがとう」

 透にお礼を言うと、一呼吸おいてから続けた。

「俺は、山下さんを助けたいと思っている。そのために提案があるんだ」

 怪物について何も知らない人間が思いつくようなことだ。

 今から提案するものはたぶん、二人も大方予想がついているだろう。

「透、確か言ったよな? 水晶が力の源だって」

 透は静かにうなずく。

「ならあの水晶を破壊すれば山下さんを殺さずに助けられるんじゃないか?」

 予想通り、優香がため息をつく。

「理屈ではそうね。でも不可能よ」

「……どうして?」

 その質問には透が答える。

「破壊できないんだ。強度が尋常じゃなくて今までに何回も撃ったり、刺したり、殴ったりしてみたが傷一つ付なかった」

 透の回答も大方予想通りだった。

 そんな方法があるなら最初からやっているはずだからだ。

 だが、これで一つ確信が持てた。

「……破壊できた試しがないだけで、破壊できないわけじゃないんだね?」

「…………」

 その質問には答えなかった。

 沈黙は肯定だ。

「分かった。なら改めて頼む。山下さんを助けるために水晶を破壊することを手伝ってくれ!」

「なんでそんなことをしないといけないのよ。だいたいあんたは何を……」

 しかし言葉は最後まで続かなかった。

 優香の視線は守の左腰にある刀に注目していた。

「守、その刀は?」

 透もそれに気付いて尋ねる。

「父親からもらった水晶がこれになった」

 左手で持ち上げ、透たちに刀を見せつける。

「父親?」

「ああ」

 透は少し何かを考えてから

「なるほど、そういうことか」

 と意味は分からないが納得してくれた。

「俺もこれで協力する。ヒーローの適性はないし、力不足かもしれないけど。どうしても山下さんを助けたいんだ。頼む、協力してくれ!」

 守はもう一度頭を下げた。

 透は優香の後ろで何かを考えるように黙っている。

 それに対して優香は大きくため息をついて

「悪いけど、その話には乗れないわ。さあ、話は聞いたんだからどきなさい」

 やはり協力はしてくれなかった。

 彼女の行動から推測できることだが、優香は何故か怪物を殺すことに拘っている。

 その理由は分からないが、意地でも狼を、恵を殺そうとしている。

「そっか、なら仕方がないね」

 交渉決裂。

 守は頭をあげると右手を左腰にある刀に添える。

 本当ならこんなことはしたくなかった。

 でも自分の意見を通すにはこれしかない。

 透と優香を強制的に従わせる裏ワザ。

 守はゆっくりと刀を鞘から抜く。

 そして剣先を真っすぐ天に向け、刃を正面に向けて首の横あたりで構える。

 八双の構え。

 この構えが剣道で使用されることはほとんどない。

だが、かつて真剣を振っていた時代に活躍した上段の構えに次ぐ、より攻撃的な構えだ。

 守のそれを見て優香の瞼がピクリと動く。

 そして優香も下していた槍を構えなおす。

「あんた、冗談なら今すぐ下しなさい」

 警告だと言わんばかりに鋭い目つきで威嚇してくる優香。

「冗談じゃない、本気さ。協力してくれないなら俺も二人を敵とみなす」

 自分が馬鹿なことを言っている自覚はある。

でも、ここで引けば山下さん死ぬ。

その事実が、守を突き動かす。

「……死にたいの? ヒーローの適性もないあんたが私たちに勝てるとでも? それとも殺さないだろうと高を括っているの?」

 守の態度が気に食わないのだろう。

 額に青筋が浮かぶ。

「馬鹿にしないで。本当に殺すわよ?」

優香は槍を構えて踏み込もうとした。

「……いいの? 俺を殺したら困るんじゃない?」

しかし守の言葉に反応して止まる。

「……どういう意味よ」

動きを止めた優香をみて、守はこれでもかと勝ち誇ったような顔をして

「ここで俺を殺しちゃったら狼、山下さんがこの世界に居残る理由がなくなっちゃうんじゃないかな?」

その言葉を聞いて優香はもちろん、後ろで傍観していた透までもが目を見開く。

そう、これが守の秘策。

強制的に従わせる裏ワザ。

「俺を殺せば狼はこの世界から離脱する。また能力を使うまで殺せなくなるぞ?」

「……っ!」

 狼は守を狙ってこの世界を生成した。

 この世界から出るには狼が死ぬ、もしくは守が死ぬしかない。

 つまり、狼を殺したい優香と透は守を殺せないのだ。

「あ、あんたね! 悪ふざけもいい加減にしなさいよ!」

「ふざけてない。俺は本気で山下さんを助けたいって思っているんだ。協力してくれないなら俺は山下さんに加勢する」

 はっきりとした口調で言葉を優香に投げつける。

 友達を殺してまで生きたいとは思わない。

「あんた、その怪物に近付いたら一瞬でかみ殺されるわよ? そんなこと山下さんも望まないんじゃない?」

「そうだろうね。でも山下さんが助けられないなら俺は死んでも構わないと思っている。それが山下さんの望んだことじゃなくてもね」

 守は狼に一度視線を向けて

「透と山城さんが選べる選択肢は俺に協力する以外にないと思うけど?」

 合理的に動く二人だ。

 現状で最もいい選択肢を選ぶ二人ならこの交渉を受け入れてくれるはずだ。

 優香は歯を強く噛む。

 イライラしているのが伝わってくる。

「あ、あんた――」

 しかし言い終えるより早く透が優香の肩を叩いて言葉を遮る。

「どうやら俺たちの負けみたいだね」

 その表情は呆れ半分、笑い半分といったものだった。

「なっ! 透、あんた本気?」

「ああ。というより俺たちには選択権ないだろ。従わなかったら怪物を取り逃がすことになるだけじゃなくて被害者を一人追加することになる」

「そ、それは……」

 ヒーローという役職柄、被害者は減らしたいのだろう。

「守、お前、真面目そうな顔して意外に悪だね」

 そう言って笑う透。

「自分でも驚いているよ」

 守も笑う。

「というわけだ。優香も協力してくれ」

 透の言葉に優香は噛みしめた歯の隙間から絞り出すように

「……了解」

 協力することを宣言してくれた。

 優香の怒り具合を見る限り、終わった後が怖い。

しかし、何はともあれ協力してもらえることになった。

これで助ける準備は整った。

「よし、さっさと山下さんを助けるぞ!」

透の号令に優香と守は頷いた。


額の水晶を輝かせながら狼が吠えた。

話を終えた頃には、狼は立ち上がれるほどに回復していた。

 透によれば怪物は、個体差はあるが回復能力が高いらしい。

その証拠に吹き飛ばした足が生え治っていた。

吹き飛ばしたときの傷跡もいくら探しても見あたらない。

 どういう理屈で回復しているのか興味はあるが、今は水晶を破壊することに集中する。

 さきほど3人で打ち合わせを行い、決めたことは以下の通り。

 優香が攻撃を止めながら動きを封じる。

 そして狼が動けなくなったところを3人で水晶を攻撃。

これは身体能力で劣る守を考慮して考案されたものだ。

安全が確認できるまで守は待機することになっている。

本当は最初から協力したが守が死んだらすべてが終わってしまうので、しぶしぶだが了承した。

「じゃあ、始めるぞ」

透の合図で優香が飛び出す。

先ほどまでの不服そうな表情が一変、真剣な表情で狼と対峙する。

狼は鋭い爪を振りまわして優香を襲う。

優香はそれを持ち前の判断力と身体能力で躱す。

隙があれば攻撃もするといった戦い方とは一変して、狼の攻撃を極力いなすように槍を振るう。

透によれば、優香の攻撃力はとてつもなく高いらしい。

その攻撃力は組織の中でも群を抜いていて、表面を切付けるだけでも中身の体にダメージを与えてしまうほどだ。

たしかに蜘蛛の脚を切り飛ばしたところで中の人間に意識はなかった。

それだけ強力な攻撃なのだ。

そのため優香は攻撃を極力行わず、守備に徹底している。

狼の爪攻撃を紙一重で躱し、直撃コースの攻撃は槍で側面を叩いていなす。

それをひたすらに繰り返し、隙を見つけるや否や、狼の軸足を槍の柄の部分で外側から内側に払った。

その結果、バランスを崩した狼が崩れ落ちる。

透はその隙を見逃さず、素早く銃弾を狼の額に輝く水晶をに撃ち込んだ。

銃弾は水晶に当たり、火花を散らしてはじける。

が、水晶には傷一つ付かない。

そこで守も飛び出し、刀を振りかぶる。

「うおおおおおお!!」

両手で持った刀を右上から斜めに振り抜く。

今度も刃が触れた瞬間小さな火花が散る。

切った瞬間、たしかな手ごたえを感じた。

素早く鞘に刀を戻すとバックステップで距離を取って水晶を確認する。

水晶は……無傷だった。

「手ごたえはあったのになあ……」

思わず一人ごちる。

分かってはいたことだ。

透と優香が不可能と言うのだから守が一回切ったところでどうにかなるような代物ではないということくらい。

だが、それでも落胆の色を隠せない。

 守が切り付けたとき、確かに切ったという手ごたえを感じたのだ。

 しかし、実際は割れるどころか、傷一つ見つからない。

 これで無傷だと何をしたら切れるのか、壊せるのか分からない。

「……透、もう一回だ」

 けれど、この程度で諦めるわけにいかない。

 透に伝えると透は頷いて銃に弾を込め直す。

「分かっている。今回は割れるまで付き合う」

 そう言って笑うと、素早く引き金を引いて水晶に銃弾を撃ち込んだ。

 再び銃弾が水晶に命中して火花と金属音を散らせるが、やはり傷はつかない。

「守、いったん下がるぞ!」

 透の指示に従い、守はすり足で狼と距離を取る。

 その直後、狼が立ちあがり、透と守に体を向けた。

 透と守を優先して倒すべきと判断したのだろう。

 後ろ脚に力を溜め、飛びかかろうとする。

 しかし、そうはさせまいと優香は土ぼこりを上げながら素早く体を透たちと狼の間に入れる。

「あんたの相手は私よ」

 優香が挑発する。

槍を片手で器用に回したかと思うと、目にも止まらぬ速さで足に槍を叩きつけて払いのけた。

 狼もこの攻撃には反応できず、たまらずバランスを崩す。

 そして、ずしんという音と共に再び地面に伏した。

 間髪入れずに透が銃弾を撃ち込む。

「どうしたの? もうおしまい?」

 ふふっと笑う優香。

 その言葉に反応したのか、狼は立ち上がると雄叫びを上げて優香に襲い掛かった。


 守は水晶を切り付けてから刀を鞘に戻して距離を取った。

 攻撃を始めて、どのくらい時間が経っただろうか。

 赤い世界では時間は止まっているので正確な時間は分からないが体感で1時間は経過している。

 その間に守が攻撃した回数は二十回。透が五十七発。

 だが、未だ水晶に傷らしい傷はない。

 キンッ、と響く金属音。

 今の音は優香が槍で水晶を切り付けた音だ。

透の銃弾と守の刀では力不足と判断した優香が作戦を変更して、隙を見つけては水晶を攻撃しているのだ。

 しかし、未だに何の成果もない。

それに加えて、守たちは大きな問題に直面していた。

それは体力。

長時間にわたって防御、回避、攻撃を行っている優香の消耗は激しかった。

普段ならこんな長時間戦うことはなのだろう。

額にうっすらと汗をにじませている。

 もちろん、表情には出さないが息が上がっているのもわかる

 守も重たい刀を振ってヒットアンドアウェイを繰り返しているうえ、透たちとは異なり身体能力で劣っているため体力の限界が近い。

 それに対して、狼は限界を知らないのか、攻撃は一向に衰えない。

 水晶に攻撃を集中しているため狼にダメージらしいダメージはない。

 それに加えて回復能力のせいで、ほぼ全回復している状態だった。

それどころか徐々にではあるが攻撃が早くなってきている。

 雄叫びを上げながら爪を振るい、尻尾を叩きつけ、鋭い牙で優香を襲う。

 それを紙一重で回避し続ける。

 その様子を後ろから見ながら守はある疑問を抱いた。

 もしかしたら最初から壊せないのではないだろうか……と。

 すぐさま、そんなはずがないと自分の考えを振り払おうとするが、一度抱いてしまった疑念は心に根をはり、徐々に大きくなっていく。

 疑念が疑問を呼び、次第に不安へと変わる。

 今やっていることは無駄なのではないか。

 最初から壊せないのではないか。

 恵を助ける術はないのではないか。

 守の頭の中を不安と疑念だけが埋め尽くす。

 どんっ。

 不意に、大きな銃声が響いた。

 その音が守を現実に引き戻す。

音の発信源を見ると透の銃から煙が上がっていた。

透がまた水晶を撃ったのだ。

「おい、守。悩んでいる暇があったら切れ。優香だって好き好んでこんなことをしているわけじゃないんだ」

 たしかに、透の言う通りだ。

 守の無茶なお願いで透と優香はこんなに苦戦しているのだ。

 それなのにその立案者がさきに根を上げてどうする。

 守は自分の頬を叩いて気合を入れなおす。

 ここから弱気なことはなしだ。

 そう言い聞かせて再度刀を握る。

 優香が狼の脚を払いのけて、狼が転倒する。

 今は透がリロード中なので先に守が突っ込む。

 刀を抜くと上段に構え、そのまま振り下ろす。

 散る火花。

 だが、割れない。

 傷つかない。

「ちっ……」

 今日、何度目かの舌打ちをして距離を取る。

 またこの繰り返し。

 そう思った。

 しかし、狼はここで予想外な動きを見せる。

 突然尻尾を地面に叩きつけて砂ぼこりを上げたのだ。

 巻き上げた砂の量が尋常ではなく視界が一瞬奪われる。

 この一瞬が命取りになった。

この隙をついて狼が守に襲い掛かってきたのだ。

明らかに計算された動きだった。

守たちが何度も同じパターンで攻撃をしていたために動きが読まれたのだ。

 そしてチャンスが来るのをずっと待っていたのだ。

優香は完全に出遅れた。

 透もまだリロードが終わらない。

 万事休す。

 狼の鋭い爪が猛スピードで迫る。

「あ……」

避けられない。

そう直感した。

――そういえば……。

この全身から力が抜けるような感覚。

流れる時間の速度が遅くなったような感覚。

 前にも似たようなことがあった。

 過去の記憶がフラッシュバックする。

 それは初めて怪物に襲われたときの記憶だ。

 蜘蛛に襲われたとき、守は死を覚悟した。

 抗うこともせず、諦めて死を受け入れようとした。

 あのときとほとんど同じ。

 あの時と違うところは確実に死ぬということ。

 助けてくれる人がいないということ。

 守は目を閉じ、自分を殺す一撃を待った。

その時、誰かの声が聞こえた。

『こんなところで死んじゃっていいの?』

 透の声ではない。

 優香の声でもない。

 聞いたことのない声。

 しかし、その声は不思議と守の中に響いた。

『あなたは何のために戦っているの?』

 また声が響く。

その言葉がきっかけになり、頭の中に一人の人物が浮かんだ。

 山下恵。

 そうだ。

 彼女を助けるためだ。

 恵を助けるために透や優香を巻き込んで戦っているんだ。

 ここで死ぬわけにはいかない。

『なら戦いなよ、最後まで。あなたが望むのなら僕はいくらでも力を貸すからさ』

 その言葉を最後に声は聞こえなくなった。

直後、頭の中で何かが弾けた。

 守は目を見開き、右手で刀を掴んで腰を落とした。

 ここで死ぬわけにはいかない。

 迫りくる爪を凝視する。

 恵を助けるために透と優香に協力してもらったのだ。

 自分のわがままに突き合わせておいて先に勝手に死ぬなど許されるはずがない。

 守は上体を大きく倒して爪をぎりぎりのところで躱すと水晶を見た。

「うおおおおおおお‼」

 大声を出しながら刀を振り抜く。

 何百、何千と繰り返し練習した抜刀術。

 刃が淡く光る。

 何度やっても傷一つ付かなかった水晶。

 ――でも割る! 割って見せる‼

 強く念じながら放った一撃。

 抜いた刀が突っ込んできた狼の水晶をとらえ、水晶にゆっくりと食い込み――

 ぴしっ

 一筋の亀裂を入れた。

 

「嘘……」

 優香が声を漏らす。

 その声には驚きの色しかなかった。

 当然だ。

 いくらやっても傷一つ付かなかった水晶に亀裂を入れたのだから。

 それは透も同じだったらしく、目を見張ったままリロードの手が止まっていた。

狼が悲鳴を上げながら地面をのた打ち回る。

亀裂の入った水晶からは赤い液体が溢れ、グラウンドに広がっていく。

 守は肩で息をしながら守は抜き放った刀に視線を向けた。

 淡く輝いた光はすでに消えている。

 ――今のはなんだったんだ?

 今の攻撃。

 明らかに今までとは違った。

 自分の中から力が溢れてくるような、いや、どちらかと言うと自分の中にある力が一瞬で爆発したかのような感覚があった。

 守は刀を鞘に戻してから透たちのもとに向う。

 合流するなり、透は驚いたような表情で

「……守、今の攻撃のとき、一瞬だけ刀が光らなかったか?」

「……光った。一瞬だけど淡く光った。でもそれが何かあるのか?」

 透は一瞬溜めてから、ゆっくりと吐き出すように言った。

「……その光は技の発動光だ」

「発動光?」

 聞きなれない言葉に守は首をかしげる。

「そう。俺たちが使う武器にはそれぞれ特別な力があるんだ。ゲームで言うと必殺技みたいなもので、その力を使うときに出るのが発動光。武器によって色は違うけど、だいたいは明るく光るんだ。その力を使うと威力はもちろん、攻撃範囲もが大幅に上がる。その代償に体力を大幅に持っていくんだけどな」

 道理で。

 今の一撃を与えてから体の重みが増したような気がしていた。

 透の言葉を補足するように優香も口を開く。

「本来ならヒーロー適正もない人が武器を持つこともあり得ないし、ましてや力を使うなんてできるはずがないんだけどね」

 怪しむように見つめてくる優香に守は苦笑いしか出なかった。

「でも事実、力を使えていたし、武器も使えている。そしてあの頑丈な水晶に亀裂をいれた」

 透が守の両肩に手を置く。

「もし、その刀の力が水晶を破壊できるものなら山下さんを助けられる」

もちろん亀裂が入ったのが偶然という可能性もあるけど、と最後に付け加えて。

「守、これで準備は整った。守は水晶を破壊する術を手に入れた。破壊するまでの過程も既にある」

透の言わんとしていることは分かっている。

守は大きな深呼吸をして呼吸を落ち着かせる。

全身の疲労から、おそらくあと一回くらいは耐えられるだろう。

守は透たちを見て

「透、山城さん、狼の動きを止めてくれ。俺があの水晶を叩き割る」

ハッキリとした口調で言った。

二人とも長時間の戦いで疲労は大きい。

攻撃できるチャンスはそう多くないだろう。

でも恵を助けるためには、ここは踏ん張ってもらわないといけない。

「疲れているとは思うけど頼む」

「了解だ。優香、作戦を変更するぞ。俺と優香で奴の自由を奪う。その隙に守が水晶を叩き割る」

透の言葉をうけ、黙って頷く優香。

「よし、いくぞ」

「おう!」

 自分たちに活を入れるように声を上げてから、狼の転がるグランドに視線を向ける。

 狼は全身を額から溢れる赤い液体で汚し、苦しそうに唸っていた。

 しかし、まだ体力に余裕はあるらしく、なんとか立ち上がり守たちを睨むと雄叫びを上げえる。

 そのタフさに驚きを覚えつつも、守たちはそれぞれ武器を構える。

 お互いににらみ合い、動こうとはしない。

 きっと一度動き出したら終わるまで戦闘になるだろう。

 守は深呼吸を繰り返して少しでも回復をしようと試みる。

「…………」

 静寂。

 グラウンドには風が吹く音だけが響く。

 守の額から汗が垂れる。

 それを拭いながら右手で刀を掴む。

 優香が膝を曲げ、後ろ脚に力を溜める。

 透がゆっくりと銃を構える。

 狼が姿勢を低くして突進の準備をする。

 そして――。

「ゴー!」

 透の合図で一斉に飛び出した。

 最後の戦いが始まった。


 優香の振るう槍が爪を弾くたびに激しい火花を散らす。

 その度に優香は苦痛の表情を浮かべた。

 作戦を変更してから数分。

 まだ一撃も与えられていない。

 優香と透がなかなかチャンスを作ることができていないのだ。

 しかし、それは二人のせいではない。

 狼に問題があるのだ。

 亀裂を入れてから、狼の動きは激変した。

 動きは明らかに速くなり、攻撃回数も目に見えて増加している。これが水晶に傷をつけたからなのか、あるいは死んでたまるかと言う足掻きなのか、守には判断できないが、事実として戦闘力が上がっているため苦戦を強いられた。

 優香は槍で狼の攻撃を弾くが、すべてを捌ききることはできず、取りこぼした攻撃を透が正確な射撃で防いでいた。

 ――劣勢だ……。

 戦闘経験のない守にもわかるほど、透たちは追い込まれていた。

 隙を作ることができれば優香が狼の脚を払って転倒させることができる。しかし今の狼にその隙はない。

 その隙を作るべく透が足元を撃ったり、水晶を撃ったりと工夫はしているのだが、バランスを崩しそうになったりすると距離をとって仕切りなおされてしまっている。

 敵ながら、その冷静さに驚嘆する。

「透、一発足元にぶち込んで。その隙に足を払う!」

 優香の怒声が響く。

 その言葉に返事もせず、しかし正確な射撃で要求通りの攻撃をする透。

 流石のコンビネーションだ。

 しかし、その攻撃も虚しく、あっさりと回避され再び距離を取られた。

「なんなのよあいつ!」

 徐々にではあるが余裕がなくなりつつある。

 優香と透の後方でその様子を見ていることしかできない守は思わず舌打ちをする。

 ヒーローの適性がないのだから仕方がないが、仲間が戦っているのに見ているだけしかできないのは精神的に辛いものがある。

 ――俺にもできることはないのか?

 必死に思考を巡らせる。

 どうやったら狼を傷付けずに転倒させて隙を作ることができるだろうか。

 今の狼を見る限り、並大抵の攻撃では回避されるだろう。

 仮にあったとしても守の身体能力的に不可能なことはできない。

 守に可能な範囲で、なおかつ狼の虚を突き、隙を作ることができる方法。

 いくら考えても答えはでない。

 こうしている間にも透たちは戦い、そして疲労していっている。

 残り時間もそう長くはない。

 ――考えろ考えろ!

 自分に言い聞かせるように狼を観察する。

 動きは明らかに速くなっている。

 攻撃に隙はなく、透の攻撃では隙と言えるほどのものはできない。

 ――考えろ考えろ考えろ!

 しかし、やはり妙案を浮かばない。

 そして、いよいよタイムリミットがきた。

 狼の攻撃が遂に優香をとらえたのだ。

 優香は後方に吹き飛ばされ、校舎に激突。

 大きな爆発音と共に激しい噴煙を巻き上げた。

「山城さん!」

 守の悲鳴が響き渡る。

 直後、中で再び爆発が起こり、優香が咳をしながら槍を杖にして出てきた。

全身ボロボロになり、直撃を喰らった腹あたりからは血が流れていた。

 ――駄目だ、このままじゃ……。

 もう時間はない。

 すぐに狼の隙を作れる作戦が見つからなければ優香も透も、そして守も死ぬ。

「くっそ!」

 右拳を握り、何かを殴りつけたい衝動に駆られる。

 しかし殴るものなどなく、行き場を失った右拳はゆっくりと開かれて右腿を叩いた。

 そして訪れる苦痛。

 しかし、それは叩いた腿にではなく、叩いた右手にだった。

 ポケットに何かが入っていたのだ。

 守は痛む右手を摩ってから右ポケットに入っている物取り出した。

 ――これは……。

 取り出したものを手のひらに乗せる。

 そして閃いた。

 狼の隙を作る妙案。

 成功するかどうかも分からないが、成功すれば間違いなく隙を作れる。

 守は大声で怒鳴った。

「城山さん、透! 俺が今から狼に隙を作る! だからその隙に足を払って動きを止めてくれ!」

 その言葉を聞いて優香は珍しく素直にうなずき、透も親指を立てて了承してくれた。

 守は大きく息を吸ってから駆け出した。

 狼との距離を大幅に詰める。

 その動作に反応するように狼も迎撃態勢に入る。

 ――あの動き……。

 狼は明らかに守を警戒していた。

 当然だ。

一撃で水晶に傷を入れられたのだから。

実際、守一人で水晶を傷付けることはできない。

優香と透が隙を作ってくれて初めてできるのだ。

しかし、最初のカウンターが頭にチラつき、守の一撃を恐れるあまりに攻めではなく受けに回った。

黙って攻撃すれば守は死んでいたのに。

「うおおおおおおおお!」

狼との距離5メートルのあたりで守は急停止して右手に持ったものを投げつけた。

それは守が転校してから毎日持ち歩いている物。

そして恵と守を守ってくれた物。

――大音量の防犯ブザー、騒音君。

投げつけたそれは狼の顏付近で爆弾の如く弾けた。

百二十デジベルに到達する爆音が狼と守たちを襲う。

透と優香はすぐに耳を塞ぐ。

しかし、狼にはその手がなかった。

一般的に知られていないが狼も犬同様に聴覚が大変優れた動物だ。

その聴力は十六キロメートル離れた所の音ですら近くできるという。

そんな耳を持った動物が耳元で爆音を聞いたらどうなるだろうか。

答えは言わなくても明らかだ。

「ぐおおおおおおおおおおおおおお!」

雄叫びを上げながら後ろ脚二本で立ち上がってのけ反る狼。

そして騒音君が地面に落ちるとその衝撃で音が止まった。

――使用回数の上限は二回だからな。

もちろんこれも計算通り。

「山城さん!」

振り返って叫ぶ。

と同時にもうスピードで横を優香が通過した。

「分かっているわよ!」

優香は音が止まった瞬間に走り出していたのだ。

守も優香の後ろを追走する。

優香が大きく槍を振りかぶって後ろ脚目がけて振るう。

完全に直撃コース。

だが、怯んでいた狼は片方の前足だけで優香に反撃してみせた。

これもまた直撃コース。

「……悪いわね、あいにく私には仲間がいてね」

優香はニヤっと微笑んだ。

直後、大きな炸裂音。

そして振り下ろされた狼の爪が弾かれた。

透の銃弾だ。

何度となく爪を弾いてきた正確な射撃が炸裂。

狼の攻撃は届かず、優香の槍が狼の脚をとらえた。

狼の体が宙に浮いて回転する。

そして、そのまま重力に引っ張られて地面に落ちた。

大量の砂ぼこりが吹き上がる。

「守、やれ!」

透の声だ。

おう、と心の中で返事をして、水晶の前に立つ。

素早く腰を落として右手を刀に添える。

菅生は言っていた、

刀には使用者の魂が宿ると。

だから望めば鉄すらも切ることができると。

なら、望めばこの水晶だって砕くことができる。

一撃目は亀裂だけだった。

でも今回は砕く。

この一撃ですべてを終わらせる。

恵を助けるために。

そして協力してくれた透と優香のためにも。

――頼む、俺に力を貸してくれ!

そう念じながら抜刀を開始した。

基本に忠実な抜刀。

その刃が再び光る。

しかし、その光は先ほどのものより強く、そして明るかった。

「うおおおおおおおおおお!」

守は雄叫びを上げながら、苦しそうに悶える狼の額目がけて刀を振り抜いた。

解き放たれた剣先は綺麗な円軌道を描き、水晶に迫る。

そして――。

刃先が水晶をとらえた瞬間、水晶は強烈な光を放ちながら砕け散った。


 エピローグ


 守は学校の屋上で青い空を眺めながら大きな深呼吸をした。

 本日は快晴。

 そして適度な気温。

 年中通して最も過ごしやすい夏だろう。

 守は校舎を見渡す。

 優香が突っ込んだ跡も、狼が暴れた跡も、どこにも見当たらない。

 当然だ。

 ここは、あの赤い世界ではないのだから。

 今日で、あの事件が起こってから1週間になる。

水晶を破壊したあと、狼の体は液体状になり、中から恵が姿を現した。

透は無事を確認するとすぐさま赤い世界から離脱。

現実に戻るなり体育倉庫裏に直行し、そこに座り込む山下恵の姿を確認した。

そのあとは透と優香によって本部に護送され、様々な取り調べを受けたらしい。

その取り調べで、守の予想通り、恵の意思とは関係なく人を殺したいという衝動に駆られていたことが分かった。

これを受けて、本部は恵に水晶を渡した占い師についても調査することが決まり、恵が殺したとされる茶髪の男については正当防衛が適用され罪に問われないことが決まった。

しかし、守を襲った件については本人に殺す意思がなかったにしろ、透、優香、守に危害を加えたということで保護観察処分が言い渡された。

この判決に守は納得がいかなかったが、透曰く『建前上の処分で基本的に何もない』らしいので渋々納得した。

そして、昨日。

すべてのごたごたが片付き、恵は解放された。

だが恵はまだ自由にはなれない。

なぜなら、恵には休んでいる間に受けられなかった試験があるからだ。

今日はその試験日。

守たちが4日間かけて受けた試験を一日でやるという鬼畜っぷりだが再試験がるだけマシというものだ。

この試験が終わったら透たち4人で出かける予定になっている。

そのため、試験が終わるまでここで待機しているのだ。

――時間的にもうすぐ連絡が来てもいい頃なのだけど……。

そんなことを考えていた不意に後ろから声を掛けられた。

「守」

透の声だ。

振り返ると、そこには大の字になって転がった透と行儀よく座って本を読んでいる優香の姿があった。

「あんまりそっちに近付くと職員室から見えるぞー」

「まじか……」

この学校は屋上を解放していない。

だから先生に見つかるわけにはいかないのだが……。

職員室の方に視線を向けると中でこちらを指さす先生が見えた。

――終わった……。

向こうから誰だか判断はできないだろうが、見つかった以上誰か来るだろう。

「透、もう見つかったわ……」

 その言葉に透は笑い、優香は頭を抱えた。

「試験終わるまで時間つぶしたいって言うから屋上来たのに……」

 優香が不満をだらだらとこぼす。

 そう言いなら予め注意してくれよ……。

 と内心で愚痴る。

「……なに?」

「いえ、何も」

 ジト目で睨む優香から視線を逸らす守。

 優香はそれを見て溜め息をついた。

 そこに割り込むように透。

「とりあえず、見つかったなら逃げよう」

 確かに。

 黙って透の提案に頷く守と優香。

 優香は立ち上がり、本を閉じる。

 そして二人は扉、ではなく職員室とは反対にある校門側の手すりに歩みを進めた。

「……待って。なんでそっち?」

 二人の不可解な行動に嫌な予感しかしなかった。

「何でって……降りるからでしょ?」

 当然と言わんばかりに優香。

「逃げる時は最短経路を選択するもんだ」

 同じく透。

 さらにスマホの画面を守に見せながら

「ほら、山下さんからメール来て、試験終わって校門のところにいるってさ」

その言葉を受け、屋上から校門を見下ろすと恵の姿があった。

恵もこちらに気付いて手を振ってくる。

「女の子を待たせるのはよくないから急ごう」

 なんか色々と言いくるめられている感じがする……。

が、この二人は決めたら梃子でも動かないのはもう分かっている。

 何度目かのため息をついて透に近付く。

「…………ひと思いにやってくれ」

「おう!」

 その言葉と同時に人生三回目の紐なしバンジーを体験することになった。

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