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朝。
守は朝早くから学校に来ていた。
日直だからではない。
今日の日直は恵だ。
では何故早くきたのか。
それは恵のヒーロー適正を確認するためだ。
守は椅子に座りながら肩肘をつき、空を眺めていた。
その後ろでは優香が相変わらず無愛想に本を読んでいて、教卓では透が逆立ちをして遊んでいた。
守はそれらの光景を横目に昨晩の出来事を思い出していた。
結論から述べると、守にヒーローの適正はなかった。
透に渡されたビー玉を握り、適性診断を行ったところ、ビー玉は変化しなかった。
本来、適性があればビー玉は赤く染まるらしい。
つもり、これはヒーローの力を貰えないことを意味し、同時に自力で身を守ることができないことを意味していた。
しかし、守は適性がなくて安堵していた。
優香が戦っている姿を見て、かっこいいと思った。
自分もヒーローみたいになりたいと今でも思っている。
けれど、優香が金髪の男を殺したシーンを思い出して思ったのだ。
ヒーローだからと言って、人を殺していいのだろうか、と。
今まで考えたこともなかった。
ヒーローが悪を倒すのは当然で、悪いことをしたのだから殺されても自業自得で。けれど、実際にヒーローが悪を裁く場面に遭遇して、当たり前に思っていたことに疑問を持つようになっていたのだ。
もし守がヒーローになれば優香や透が戦っていた化け物と戦うことになる。なんの罪もない人を守るために。しかし、いざ戦ったときに敵を殺すことができるかと問いかけたら、おそらく答えはノーだ。
どんなに追い詰められても、他人のために人を殺すことなんてできないと、守はそう思った。
だから守は安心したのだ。
透は少し残念そうだったが、適性がないのだから仕方がない。
守はもう一度教室に視線を向ける。
まだ恵の姿はない。
日直であることを忘れているということはないはずなので、何かトラブルでもない限り遅くても5分以内には来るはずだ。
「山下さんにも適性がないことを祈っているのかい?」
守の表情から考えていたことを読み取ったのか、透が尋ねてきた。
当然、恵にもヒーロー適正がないに越したことはない。まだ付き合いは短いが人を殺せるような人ではないことは明らかだ。
「……友人に人を殺してほしい人はいないだろ?」
そう答えると透は
「そりゃそうだ」
と言って笑った。
しかし、その笑顔が本心からの物なのか、作ったものなのか、分からなかった。
「まあ、山下さんに適正があってもヒーローには向いてないと思うけどね」
「……適性があった場合、拒否権はないのか?」
その質問に答えたのは意外にも優香だった。
「ない。ただでさえ人手不足なのに適性がある人間が少なすぎるのよ? 拒否権なんてあったらヒーローになる人なんていないわよ」
たしかに好き好んで命を賭けて人を殺したい人はいないだろう。
「だよな……。あ、じゃあ二人とも好きでヒーローになったわけじゃないんだな」
その質問には答えてくれなかった。代わりに鋭い視線が守を貫いた。
思わず怯む守をみて
「そんな怖い顔するなよ、優香」
透が笑いながら優香をたしなめる。
優香は視線を再び本に戻すとそれ以降喋らなかった。
それからは誰もしゃべらず、ただただ時間が過ぎていった。
時間が経つにつれて、少しずつ生徒が増えてきた。しかし
恵は姿を現さなかった。
翌日。
学校内は慌ただしかった。
ほとんどの先生が鳴りやまない電話対応に追われ、手の空いている先生も訪れた警察の対応に追われている。
警察が来ている時点でただ事ではないことが分かった。
守は慌ただしい廊下を抜けて、階段で教室に向かった。
教室には既に何人かの生徒が来ていたが、誰一人席に着かず、下で起こっていることについて噂をしていた。
誰かが自殺したらしい。
誰かが罪を犯したらしい。
そんな根も葉もないうわさで持ちきりだった。
守は自分の席に荷物を置いて腰かける。
今日も相変わらずいい天気だった。
しかし、何とも言えない不快感が胸の中に渦巻いていた。
何か嫌な予感がする。
守は直感的にそう感じた。
時間が過ぎ、ホームルームの時間が来た。
先生が教壇に上がると騒いでいた生徒たちが席に着き始める。
その様子を見て、先生は何も言わなかった。
普段ならお小言を貰う場面にも関わらず。
やはり何かあったのだ。それも普段ではありえないほどの、先生たちが動揺するほどの何かが。
守は静かに先生の言葉を待った。
ようやく全員が席につき、教室が静まり返った。
そしてその静寂を破るように、先生がゆっくりと口を開いた。
「え、えー、みなさん、おはようございます。今日は朝から慌ただしくなってしまい、申し訳ないね」
先生は一言ひと言、言葉を選ぶように口にした。
「もうすでに知っている人もいるとは思いますが、このクラスの山下恵さんが昨日から家に戻らず、行方が分かっていません」
顏が冷めていくのが自分でもわかった。
先生は続けた。
「聞き込みを行った警察の話によると、一昨日の夜、コンビニの近くで若い男性と揉めている姿が確認されているらしく……」
そこで一旦言葉をきり、
「誘拐事件として捜査しているそうです……」
守はゆっくりと視線を先生から後ろに座る優香に移した。
優香は先生の話に全く興味がなかったのか、普段と変わらず本を読み続けている。
続いてその隣の透に視線を移す。
透は一瞬、何かを考えたようなそぶりを見せてから、
「生徒会室で」
とだけ言って黙った。
若い男性。
もしかして、あの茶髪の男だったのではないだろうか。
そんな最悪な考えが脳裏に浮かぶ。
もしそうなら、もし茶髪の男が化け物の力を持っていたら……。
「えー、以上で報告は終わりです。改めて保護者の方向けの手紙を配布しますので、それまで教室で待機していてください。先生はやることがあるので職員室にもどります」
そう言って黒板に『自習』と書いて教室を出て行った。
それと同時に透と優香が席を立つ。
しかし、守はしばらく座ったまま動くことができなかった。
そのあとの事はほとんど覚えていない。
先生が何度か戻ってきて何かを言って再び戻って――を何度か繰り返していたことだけは覚えている。
それくらい頭の中は恵のことでいっぱいだった。
放課後になっていたことに気が付いたのは終礼を終えた先生に声を掛けられてからだった。
放課後。
守は透と優香と共に生徒会室に集まっていた。
先に席を立った二人は生徒会室で本部に連絡していたらしい。
守が席に着くと目の前に紅茶が置かれた。
紅茶の甘い香りが鼻をくすぐる。
しかし、くつろげる状況ではない。
早く真相が知りたかった。
恵が生きているのかどうか。
人数分のお茶を用意し終わると、透は椅子に腰かけ口を開いた。
「さて――」
透の目つきと口調が変わる。
土曜日、怪物に襲われたときにも感じたが、透は日常を過ごす時とヒーローとして活動するときで雰囲気や口調が変わる。
今、透には普段のおどけた感じは一切ない。
ぴりっとした空気が生徒会室を包み込む。
「行方不明になった山下恵についてだが――」
守は息を飲んで続きの言葉を待った。
どうか思い過ごしであってほしい。
しかし、そんな思いとは裏腹に透の口から出た言葉は非情な物だった。
「本部に確認を行ったところ、行方不明になった可能性のある時刻――つまり日曜日の夜に山下恵、および風見守の自宅近郊で奴らが力を使った形跡があったことが分かった」
全身から血の気が引いていくのが分かった。
ただの誘拐という、僅かな可能性に賭けていた守はショックを隠せなかった。
透はそんな守を一瞥して、しかしすぐに話を続けた。
「現状証拠より、俺たちは山下恵を殺害したと考えられる茶髪の男の捜索、および討伐を最優先課題とすることになった。また茶髪の男の目撃者である風見守の保護も同時に行うことが決定した。何か質問は?」
そこまで一息で言い終えると、透は守と優香に視線を向けた。
優香は黙って鞄から本を取り出した。
これが彼女なりの返事なのだろう。
彼女らしいと言えば彼女らしい。
元から口数も多くなかった。
でも――
「……なあ」
守は絞り出すように言葉を口にした。
「……なんで二人はそんなにさばさばしているんだ? 友達が死んだのに、なんでそんな普通でいられる?」
友人が死んだというのに悲しむ素振りすら見せない二人が、守には理解ができなかった。
その言葉に透は少し考えるような表情をしてから
「誤解しているようだから言うけど、俺も優香も悲しいさ。そんな風には見えないと思うけど」
「…………」
「悲しいさ。でもな――」
そこで一旦言葉をきり、
「――俺たちは人が死ぬことに慣れ過ぎた」
「……っ!」
予想外な言葉に再び息を飲む守。
「職業柄っていうのかな。ヒーローって職は人の死を見過ぎる。幼馴染が死んだやつもいる。家族を失ったやつもいる。逆に知り合いが化け物に成り果てて殺した奴もいる。殺されて、殺して、また殺されて、また殺す。現実のヒーローっていうのはこんなものだよ。いちいち泣いたりしていたら体がもたない」
守は何も言えなかった。
クラスメートが死んで悲しくない人はいない。
交流がほとんどなくても、一瞬でも時間を共にした人が死ねば悲しいに決まっている。
――そんなことも分からないのかよ……。
自分の愚かさに守は下唇をかんだ。
これまで、人の死と向き合ったことは一度もなかった。
両親は健在だし、祖父祖母もまだまだ元気だ。
そのためか恵の死が未だに信じられなかった。
実は全部勘違いで、明日になったら元気に登校する彼女に会えるのではないかと考えてしまう自分がいた。
しかし現実は残酷で、何日が経っても恵が姿を現すことはなかった。
警察も必死に捜索しているらしいが、未だ何の手がかりもつかめていないらしい。
透たちが所属している組織も犯人の行方を追っているが今のところ手がかりはみつかっていない。
守はそんな現実から目をそむけるように、一心不乱に解答用紙の上で鉛筆を走らせた。
今日は試験最終日。
あの報告を受けてから一週間以上が経過していた。
今は苦手だった文系科目の試験の真っ最中。
けれども手が止まることはない。
問題を見た途端に答えが頭に浮かぶのだ。
思い浮かんだ答えを素早く答案用紙に書き写していく。
答案をすべて埋め終えると時計で時間を確認した。
試験が終わるまであと五分。
守は小さく舌打ちをすると答案用紙をひっくり返して机に突っ伏した。
この一週間、守は勉強しかしなかった。
起きて直ぐに勉強。
ご飯を食べて直ぐに勉強。
お風呂に入ってすぐに勉強。
その様子を見た母親が何度も病院に連れて行こうとしたが、守は軽くあしらって部屋に籠って勉強を続けていた。
決して勉強が好きになったわけではない。
特別やる気になったわけでもない。
ただ、勉強中は嫌なことを忘れることができたからだ。
勉強をしていれば余計なことを考えずに済んだ。
恵の死も、自分を狙っているかも知れない怪物の事も。
しかし、何かをしていないとすぐに思い出してしまう。
恵の死が悲しくて。
何もできなかった自分が情けなくて。
恵を殺した犯人が憎くて。
「……っ!」
手に力が入りすぎて、持っていた鉛筆が真ん中あたりで折れた。
顏を上げると机の上に折れた鉛筆の破片が散っていた。
その様子を見ていたであろう試験監督の先生が不審そうにこちらを見ていたので軽く頭を下げてから散らばった破片を集める。
片づけ終わると同時に試験の終わりを告げるチャイムが鳴り、静かだった教室が賑わった。
守は後ろから回ってきた回答用紙を前に送ると筆記用具を鞄に詰める。
教壇で担当の先生が集めた答案用紙の枚数を確認している。
枚数確認が終われば、はれて夏休みになる。
待ち望んでいたはずの夏休み。
だがもう素直には楽しめないだろう。
確認が終わったらしく、先生が答案を袋に詰めながら口を開いた。
「これで試験は終わりだ。これから採点して結果が悪い者は呼び出すからな。その時に大量の課題もプレゼントだ。まあ、それまではゆっくりと夏休みを満喫しろ。では解散」
その言葉と同時に守は教室を出た。
後ろから透に呼ばれたような気がしたが、返事もせずに駆け足で学校を後にした。
「守、もっと集中しろ」
菅生の低い声が道場に響く。
守は大きな声で返事をしてから鞘に刀を戻し、もう一度藁包みの前に立った。
稽古を始めて一時間弱。
しかし、今日は一度として綺麗に藁包みを切ることができていない。
大きく深呼吸をしてから刀を握り直して腰を落とす。
目の前にある藁包みに全神経を集中させ、余計な雑音や思考を頭から取り除く。
そして一息に左腰に構えた刀を抜刀。
刀を真横に振り抜いた。
刃先が綺麗な放物円を描きながら藁包みに迫り、そして捉える。
何千回と繰り返してきた動作だ。
普段ならこれで藁包みに綺麗な切断面ができているはずだ。
しかし、踏み込みが甘かったのか、それとも力の加減が悪いのか、またしても藁包みは中途半端に切断され、微妙につながったまま垂れるようにして揺れていた。
これで何度目の失敗だろうか。
この結果を見て菅生はため息をつく。
「……少し休憩をしよう」
そう言って壁際に移動して腰を下ろした。
守は刀を鞘に戻してから、菅生の近くで同様に腰を下ろす。
黙って水筒に入った水を飲んでいると菅生が口を開いた。
「……守、刀に迷いを感じるぞ」
「…………」
原因は恵の件だ。
無心になろうとしていても、頭の中に例の事件のことが過ってしまうのだ。
菅生は続ける。
「これは抜刀術に限った話ではないが、刀というものには使用者の魂が宿る。だから使用者が望めば刀は鉄でさえも切り裂くことができる。しかし、逆に心が乱れ、揺らいだ心で刀を振れば、刀も揺らぎ藁でさえ切ることはできなくなる」
「…………」
「今のままでは成功することは決してない」
「……はい。すみません……」
小さく答えると菅生は大きく息を吐いた。
「……何かあったのか」
「…………」
その質問には答えない。
正確には答えられない。
世間では誘拐事件になっているが、真実は得体の知れない化け物に殺されているなど誰が想像するだろうか。
透たちは守たちに口止めをするようなことはしなかった。
普通なら箝口令を敷くことがあっても不思議ではない。
と守も思っていたが、よくよく考えれば必要がないことに気が付いた。
誰が信じるだろうか。
実は僕は異世界から来た魔法使いなんでよ! と人前で公言することと同じくらい愚かだ。きっと誰も信じないし、逆に頭の中を心配されるだろう。
「……何もないよ。少し体調が悪いだけ」
だから嘘をついた。
菅生は何かを考えるようなそぶりを見せたが
「……そうか、なら今日はここまでにしよう。もう上がりなさい」
特に追及はしてこなかった。
菅生の言葉を受け、守は立ち上がると一礼してから歩き出した。
刀を倉庫に戻し、備え付けのシャワー室に向かおうとして
「守」
菅生に呼び止められた。
振り向くと、菅生は何かをこちらに投げた。
放物円を描いて飛んでくるそれを守は両手でつかんだ。
それは紐のついた白い小袋だった。
「お父さん、これは?」
「お守りみたいなものだ。今の守は何か呆けているというか、心ここに非ず、と言った感じだからな。四六時中それをもっていなさい」
父にしては珍しい、と守は思った。
が、それは表情に出さず
「ありがとう」
ともう一度頭を下げて再びシャワー室に向かった。
三つある個室の真ん中の扉を軽く押して入る。
「なんなんだよ……」
そして、ためらいなく頭から冷水をかぶった。
全身の体温が下がっていき、頭の中まで冷めていくような感覚が訪れる。
試験が終わってからというものの、頭の中には恵の事件の事でいっぱいだった。
試験期間中は勉強に集中すれば恵のことを考えないで済んだ。
しかし、これから夏休み。
勉強をずっとしているという手もあるが、家にいる時間が増えれば家族と過ごす時間も増える。
そうなると四六時中勉強をするわけにもいかない。
ましてや守の母親のことだ。
試験が終わったのに勉強ばかりしている息子を見たら本気で病院に連れて行くだろう。
そうなると他に集中できて、余計なことを考えないで済むことが必要だった。
だから道場にきたのだが、結果はこの有様。
恵のことが頭にちらついて全く集中できなかった。
「なんでだよ……」
右拳を壁に叩きつける。
「なんで……なんで……」
何度も、何度も壁に拳を叩きつける。
その度に、ごん、ごん、という音が室内に響き渡る。
「……なんで、何だよ……恵……」
膝が折れ、その場にしゃがみ込んで
「う、うわああああああああああああ!!」
大声で泣き叫んだ。
子供のように。
何度も、何度も壁を叩きながら。
そのころ、守の携帯に一通のメールが届いた。
メールの主は死んだはずの恵だった。
そのことに守が、気が付いたのはシャワーから出た後のことだった。