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エゴイスト・ヒーローズ  作者: 神楽 悠人
エゴイスト・ヒーローズ1
7/9

  8


 翌日。

 カーテンの隙間から差し込む光で守は目を覚ました。

 ベッドから上半身だけ起こし、壁に掛けてある時計で時間を確認する。

 午前七時十分前。

 何時に寝付いたかは分からない。

 けれど最後に時計を見たときは五時を回っていたのを覚えている。

 二時間ほど睡眠時間。

 あんなことがあったにも関わらず、いつもと同じ時間に起きてしまった自分をしかりつけたい。

 しかし、不思議と気分は悪くなかった。

 同時に、そのことに違和感を覚えた。

 本当はもう一時間ほど寝て、八時から放送する特撮ヒーローを見る予定だったのだが、起きてしまったものは仕方がない。

 守はベッドから降りるとカーテンを開けた。

 空には雲一つない。

 絶好の散歩日和だ。

しかし、出かける気分にならない。

「昨日のことがなければな……」

 守はため息をついた。

生まれて初めて殺されそうになった。

相手は魔物の姿をした人間だった。

魔物に襲われたとき死さえ覚悟した。

いや、覚悟なんて格好のいいものではない。

正確には諦めだ。

自ら死を悟り、抵抗をしなかっただけ。

しかし、その死は訪れなかった。

突然現れたクラスメートの山城優香。

彼女は身の丈を超える槍を振り回し、漫画のような、圧倒的な戦闘力を見せつけて魔物を返り討ちにしてみせたのだ。

その姿は自分の理想のヒーローそのもので、格好いいとすら思った。

魔物の中から現れた人間を殺すまでは……。

どんな理由があろうと、無抵抗な人を殺すのはヒーローの、いや、人のすることではない、と思っている。けれど今改めて考えれば優香の意見も分からなくはない。あのとき、命を賭けて戦ったのは優香。そしてその原因を作ったのは守自身なのだ。

彼女の行動を否定できる立場ではなかった。

「……そういえばお礼言ってなかったな」

机の上に置いてある携帯を手にとり、しかしすぐに戻した。

優香に連絡を取ろうと思ったのだが、アドレスや番号を交換していないことを思い出したのだ。

――いや、それ以前に話すことすらままならないんだった……。

小さなため息。

 守は右手で頭をかきながら窓を開けた。

 吹き込んでくる風が気持ちいい。

「……明日、学校でお礼するか」

 そうひとりごちる。

 とりあえず、今日は家を出たい気分ではない。

加えて、今は試験勉強週間だ。

 来週から試験が始まる。

 守は机の前に座ると鞄から日本史の参考書を広げた。

 日曜日の朝から教科書を広げたのはいつ以来だろうか。

 そんなことを考えながらノートの上でペンを走らせた。

 見逃すといけないので特撮は常に録画予約してある。

いうもの様な外に行きたいという誘惑もない。

 魔法でもかかったかのように、教科書の文字が自然と頭の中に入ってくる。

 他の物が全く気にならない。

いつになく集中できていた。

 そのためか、次に時計を見たときには昼前になっていた。

 時間にして約五時間。

「俺って極端だな……」

 自分のことにも関わらず苦笑する。

 いつもなら二時間もしないうちに集中力が切れる。

 それだけ、昨日のことから意識を逸らしたいのだ。

「……休憩するか」

 区切りもよかったので、休憩でもしようと席を立とうとした。

 それとほぼ同時に、

 コンコン。

 ドアをノックする音が響く。

守はドアへ視線を移す。

 ガチャリという金属音とともにドアが開き、長い茶髪の女性が顔をのぞかした。何を隠そう、守の母親だ。

「守、あんたいつまで……って何してんの?」

母親は得体の知れないものを見るような顏でこちらを見つめている。

「……勉強だけど?」

 守が少し不服そうにそう言うと

「……風邪でもひいた?」

 額に手を当てられた。

 酷い言われようだ。

 朝から自主的に勉強したことなどないが、親としてその反応はどうだろうか。

「ないから。試験前だから勉強してるんだよ」

「そう? ならいいんだけど」

 勉強しなければ色々と言われ、勉強したらしたで色々言われるのが学生の定めなのだろうか……。

「あ、そうだ、守」

「うん?」

「ご飯できたから着替えて下に降りてきてちょうだい」

 ――昼ご飯か……。

 言われて気づく。

そういえば朝起きてから何も食べていない。

 朝から慣れない勉強をしたせいで、お腹が空腹を訴えていた。

「りょーかい」

「じゃあ、下で待っているからね。今日は素敵なお客さんもいるし」

 小説なら語尾に星が付きそうなほど嬉しそうに言うと母親は部屋を出て行った。

 本日も母親は平常運転だ。

 それがなんだか残念で、それでいて少し安心した。

「…………あれ?」

――素敵なお客さん?

引っ越してきたばかりなのに、昼間から食事に招待するお客さんなどいただろうか

しかし、いくら考えても答えはでない。

――まあ、下に行けばわかるか。

守は部屋着に着替えるとリビングに向かった。


 どうしてこうなったのだろうか。

守はリビングで椅子に腰かけ、テーブルの上に並んでいる多種のおかずを箸で突っ突きながらそんなことを考えていた。

 テーブルをはさんで向かいには、自分の母親が嬉しそうにご飯を食べている。時々、横を向いて話をする。

 そして、母親の隣にはよく知った顏が困惑したようにご飯を食べていた。

「恵ちゃん、おかわりあるわよ?」

 山下恵。

 昨日、共に魔物に襲われたクラスメートだ。

「え、あ、はい。ありがとうございます」

 恵は完全に母親の勢いに負けている状態で、ちらちらと視線を向けて守に助けを求めている。

「…………母さん、山下さんが困ってるから……」

 この助け舟を出すのも三回目。

 一回目は『何言ってるの! 引っ越してきて初めてのお客様よ? もっと御もてなししなくちゃ!』という理由で、二回目は『そんなことないわよねー』と恵に同意を求めて押し切った。

 正直、今の母親を止められる自信はない。

 しかし、その隣で必死に助けを求めるクラスメートを見捨てることができるほど薄情ではない。その原因が自分の母親ならなおのこと。

「え――、困ってるの?」

 恵の方に視線を移しながら言う。

「本人に困ってます、とか言えるはずがないだろ。てか、今更なんだけど、なんで山下さんがいるんだよ……」

 もう食事を始めて二十分になる。

 本当に今更だ。

「え、家の前でキョロキョロしていたからよ?」

「……それだけ?」

「ええ!」

 何故か誇るようにいう母親。

 意味が分からない……。

 しかし、さらに話を聞いてみると、段々と話が見えてきた。

 どうやら、恵は守に用事があって家の近くをうろついていたらしい。そんなところを偶然見かけた母親が話しかけ、せっかくだからと言ってお昼食に招待したとのこと。

そしてこの有様だ。

――こんなところで連絡先を交換していなかったことが災いするとは……。

「なるほど。それで、山下さんの用事って言うのは?」

「えっ? あー……えっと、勉強のことで質問があって」

 少しだけ困ったような表情で恵は答えた。

自分より勉強のできる人が何を言っているのだろうか。

たしかに、恵の鞄にはノートらしき物が入っている。けれど、成績は明らかに恵の方が上なのだ。恵に教わることはあっても恵に教えられることはない。あえて挙げるのであれば理系科目だが、授業の様子から考えても守とはほとんど変わらないだろう。

 しかし、そんなことは全く知らない母親は

「あら、守が人に勉強教えるの? 意外だわ。母さんが見てないうちに成長したのね」

 わざとらしくハンカチで目元を拭っていた。

 普段ならここでチョップの一つでもするのだが、今は恵がいるため自重する。

「母さん、そういうネタはいらないから」

「ぶーぶー、最近の守は冷たいぞー。もっと優しくしろー」

 子供か! というツッコミをぎりぎりで飲み込む。

 そんな二人のやり取りを恵は目を丸くして意外そうに見ていた。

 気持ちは分からなくはない。

 守にとっては普通の会話だが、この話を同級生にするとみんな揃って意外そうな顔をする。

世間では男子高校生がここまで親と仲よくするのは珍しい、らしい。普通はもっとさばさばしていて、親と、特に母親と話したりすることは減るという友人の方が多かった。そのため、中学生の頃には一部で『風見守マザコン説』が浮上。よくからかわれたのを覚えている。

実際は母親が子離れできていないだけなのだが。

「とりあえず、この後は二人で勉強するの?」

 母親がそう切り出す。

 せっかく来てもらったのだ。ついでに勉強も教えて貰いたい。

「あーたぶん。どちらにしても俺は勉強する予定だし」

「そう。ならリビング使っていいわよ。お母さん、この後出かけちゃうから」

 そういうと母親はいそいそと食器を片づけ始めた。

「あ、私も手伝います」

「いいわよ。お客さんはゆっくりしていて? 試験前なんだから、ね?」

 そう言いながら恵にウインクをする母親。

「…………母さん、俺も試験前だからやらなくてもいい?」

「あんたはやりなさい」

――なんでだ……。

 そのやり取りを見て、恵が小さく笑った。

 

  ○


 ――私、なんでここにいるんだろ……。

 恵は教科書を見つめながらそんなことを考えていた。

 今日は一日家にいようと決めていたのに無性に誰かと会いたくなって、出かけて道を歩いていたらいつのまにか守の家の前にいた。

 自分でも何故彼を選んだのか分からない。

 でも、いきなり家に、しかも手ぶらでお邪魔するのは気が引けて。

 家の前をうろちょろとしていたら、守の母親に見つかって。

 可愛いからいらっしゃいという意味の分からない理由で昼食に招待されて。

今、こうして一緒に勉強会をしている。

テーブルをはさんで向かいに座るクラスメートの風見守は、恵が教えた通りに音読しながらノートに単語を書き込んでいる。本人は社会系の勉強ができないと言ってはいるが、実際には勉強の仕方が悪いだけで、コツさえつかめば学校の試験くらいは軽く突破できるだろう。

「…………」

 真剣にノートに単語を書き込む守の顔を見つめる。

 転校初日に不良に絡まれ、そこで自分を守ってくれた男の子。

 あの日以来、守のことが少しだけ気になっている。

 気になっているというより、自然と、無意識に彼のことを見てしまうのだ。

 でも、ただそれだけで。

 それ以上何かあるのかと聞かれると何もないと答えることしかできないわけで。

 頭の中に靄がかかっているようで、それでいて少し息苦しい感覚。

 でもそれが不思議と苦痛じゃなく……。

 ――これは恋?

 かつて彼氏のいたことが一度もない恵にはピンとこなかった。

「…………えっと、どうかした?」

 長い時間見つめていたためか、守が不思議そうに尋ねてきた。

「えっ? あ、いや、なんでもないよ?」

 手を横に振りながら慌てて答える。

 そうか? と言いながらもとりあえず納得してくれたらしい。

 流石に本人に気になっているから見ていたとは言えない。

 ほっと胸をなでおろす。

 しかし、守から更なる追撃が来た。

「ところで、なんでわざわざ家にきたんだ? 俺が頼んだのならまだしも、山下さんは一人でも勉強できるのに」

「え!? あー……えっと……」

正直に言えば、ただ会いたかったからだ。

昨日の件もあり、外を出歩く気にもなれず、けれど家に一人でいるのは怖くて。誰かと一緒にいたかったのだ。

でも冗談のように『会いたくなっちゃって!』と言うのはキャラじゃなく、だからといって真剣にそれを言うのは照れ臭いというか、恥ずかしかった。だから――

「……そ、そうだ! 少し休憩しない?」

 と、話題を強引にそらした。

 実際、勉強を始めてもうすぐ一時間がたつ。

 少し早い様な気がしなくもないが、この際関係ない。

 守も急な恵の提案に目を丸くしていたが、「そうだな。お茶でもいれようか」と言って席を立った。

 

   □

 

 やはり昨日のことで家に来たのだろうか。

 守はティーポッドにお茶を注ぎながら横目で、リビングにいる恵に視線を向ける。

 白の柄物Tシャツにデニムという至ってシンプル、しかし、おしゃれ感が漂う恰好でソファーに腰かけている恵。

 普段制服姿しか見ないせいか、とても新鮮だった。

 することがないのか、あるいは何をしたらいいのか分からないのか、恵はキョロキョロと部屋中に視線を向けていた。

守はお湯を注いだティーポッドを持ってリビングに向かう。

「おまたせ」

そう言って恵の前にお茶を注いだカップを置く。

「ありがとう。…………いい香り」

カップに鼻を近づけて恵が言う。

守も自分のカップを持って、恵の横……ではあるが間に一人分スペースを開けて腰かける。

同じ転校生で、初日にあんなことがあったのもあり、恵とは仲がいい。

しかし、いくら仲がいいと言っても、知り合ってまだ数カ月。

いきなり隣に腰かけるような勇気も度胸も守は持ち合わせていない。

しかも今は母親がおらず、二人きり。二人だからと言って何かをするわけでもないが、恵もそれなりに警戒しているはずだ。

けれども、そんな守の配慮を無にするように恵は

「なんでそんな離れて座るの?」

と首をかしげる。

そう言われると離れて座る理由もないので「失礼します」と言って隣に腰かける。

座ると同時に甘い匂いが漂ってきた。

紅茶ではない。

恵から漂う甘い香り。

「本当にいい匂いだ……」

思わず、感想が口からこぼれた。

――何言っているんだ俺!?

完全に無意識だった。

 慌てて口に手をやるが時すでに遅し。

 間違いなく、隣にいる恵に聞こえただろう。

 自分の愚かさに嫌気がさす。

 隣に座って第一声がいい匂いとか、変態以外の何物でもない。

 恐る恐る、恵に視線を向ける。しかし、

「そうだねー。この匂い、私は好きだなぁ」

 返ってきた言葉は想像していた返答と全く異なるものだった。

「…………?」

守は首をかしげる。

 何か噛み合っていない会話。

 しかし、すぐに理解した。

 どうやら恵は守の『いい匂い』発言を紅茶のことだと思ったのだ。

 たしかに紅茶に対する発言にも取れなくはない。

 守は恵に悟られないように胸をなでおろす。

 自分の不注意から崖っぷちに立たされ、予想外なヒーローの存在とちょっとした勘違いに救われた。

 言葉一つで命を落とす人間もいるのだ。

 ――次からは発言に気を付けよう……。

 守は自分に言い聞かせるように何度も念じた。

「風見君? どうかした?」

「いや、少しだけ自分の行動に反省をね……」

 その言葉の真意を理解できたとは思えないが、恵が一瞬何かを考えるような顔をしてから納得したようにうなずく。

「…………」

「…………」

 そして沈黙。

 こういう時は何を話せばいいのか。

 就学生の時も、中学生の時も、友達は多かったが女の子の友達は多くなかった。しかし、それは女の子が苦手だったからではない。

理由は他にある。

単純に特撮ものが好きな守と話があう友人が女の子の中にいなかったのだ。

趣味が合わなければ話は広がらないし、盛り上がらない。

そうすれば、自然と自分の周りから女の子が減っていく。

今まで、そのことを深く考えたことはなかったが、こういう状況に立たされて初めて女性と喋る能力を磨いておけばよかったと後悔した。

こういう状況の男女はどういうことを話すのだろうか?

 守は必死に思考を巡らせる。

 経験談はない。そのため頭の中にあるドラマ、漫画、アニメ、聞いた話の中から必死に探す。

 しかし、根本的に低スペックの脳みそには、たいした情報はなく……。

「…………紅茶、どう?」

 こんな平凡な事しか出てこなかった。

 守の質問に恵は一瞬きょとんとしていたが、すぐにもとの表情に戻ると、

「うん、おいしいよ」

 と言って笑った。

 恵はさらに続ける。

「風見君って紅茶入れるの、上手なんだね」

 ――これがコミュニケーション能力の差か……。

 言葉に対して答えるだけでなく、そこから広げたり盛り上げたりする能力。

 それがコミュニケーション能力!!!

 そんなくだらない考えが頭の中を埋め尽くす。

 けれども、恵が自分のことを褒めてくれていることを思い出し、すぐに切り替える。

「別にそんなことはないぞ? この紅茶だって母さんに昔習ったことをやったていれただけだし。あんまり飲まないから分からないけど、紅茶自体がいいんじゃないか?」

 思ったことをそのままに口にした。

 しかし、恵は首を横に振る。

「ううん、いいものを使っても下手に扱えば味も香りも落ちると思うから。やっぱり風見君が上手なんだと思うよ」

 ――特別意識したことはない。

 母親に習ったものをそのまま模倣しただけ。

 特別極めたものでもない。

けれど、自分の技術が褒められるのはやはりうれしいものだ。

 守は自分の頬が緩むのを感じた。

 守もカップを口元に運ぶ。

 紅茶の甘い香りが口の中に広がる。

「……紅茶って飲むと落ち着くよな」

「そうだね。紅茶ってリラックスさせる効果があるから仕事とか勉強の休憩にいいらしいよ」

 少しだけ得意げに説明する恵。

「そうなのか。だからか、なんか紅茶飲むと眠くなるのは」

 しかし、守のその発言には少し苦笑して、

「それは温かいものを飲んだからだと思うよ? 紅茶はコーヒーよりカフェイン入っていし」

 恵は続ける。

「でも、実際日本人はカフェインに耐性あるみたいだし、一概に間違いではないと思うけどね」

目をしきりにパチパチしながら言う。

「もしかして、眠い?」

よく見ると目の下にうっすらと隈ができている。

守の言葉に、恵は少しだけ間をおいてから

「……すこしだけね。あんまり眠れなかったから……」

と気まずそうに答えた。

「…………」

空気が淀んだ。

「で、でも大丈夫! 今日は少し早めに寝るから、今日の足りない分補うから!」

空気が変わったのを理解したのか、すぐに明るく振舞う恵。

満面の笑顔で。

いや、満面の作り笑顔で。

心配かけないように無理しているのは明白だった。

無理もない。

命を狙われているかも知れないという感覚。

怖いなんてものじゃない。

守には恵の心境がよくわかる。

実際、守は死を覚悟するまで追い込まれている。

 守ほどではないにしろ、恵も命を狙われた。

本来なら怖くて、人に気を使って笑っている余裕などないはずなのだ。

「……無理すんなよ。俺も同じ立場なんだから。俺に気を遣う必要はないって」

守は諭すように言う。

しかし、恵は笑顔をくずさない。

「無理なんてしてないよ?」

その笑顔が逆に辛かった。

「……私は大丈夫だから。それより、風見君はどうだったの? あんまり寝られなかったじゃない?」

「……俺は寝られたから。思ったより図太い神経しているみたいだな、俺」

ハハッと笑って答えた。

守は恵に心配をかけないために嘘をついた。

あんなことがあった後に熟睡できたなんて言ったら神経を疑われるだろうが、この際関係ない。

「嘘、だね」

しかし、嘘はすぐに見抜かれた。

「風見君、なんで私に気を遣うの?」

「別に気を使っているつもりじゃ……」

咄嗟に否定しようとしたが、言葉が続かない。

「……前から知っていたけど風見君って優しいね」

そう言ってほほ笑む。

その笑顔は先ほどまでの作り笑顔とは違った。

ほのかに頬が赤く染め、ウルッとした瞳で。

「……ありがとうね」

その言葉に、そのしぐさに、守の心臓が激しく脈打った。

自分の顔が熱くなっていくのを感じる

 今更ながら、家に女の子と二人きりであることを思い出し、呼吸も苦しくなる。

「風見君……」

 恵は守の顔を見つめながらつぶやく。

 それに対して守は何も言えない。

 言えなかった。

 守は恵の言葉を待つ。

 しかし、恵が次に口にした言葉は意外、というより予想外なものだった。

「……ごめんね」

「……え?」

何の話だろうか。

守が考えるより先に恵が続ける。

「だってあの時、私を助けたから風見君も巻き込まれちゃったんだよ……。だからごめんね」

守は目を見張った。

恵は気を遣っていたわけではなかったのだ。

「……ううん、本当は謝ったくらいで許されるようなことじゃないけど……」

あのとき、恵を助けたのは守の意思だ。

恵に助けを求められたわけではない。

守が勝手に行っただけだ。

だから、恵が罪悪感をもつ必要はない。

しかし、恵は罪の意識を感じていたのだ。

そして、そのことについて恵が謝罪している。

「…………」

気の利いた言葉は頭に浮かばなかった。

その代わりに、頭に浮かんだ言葉を口にした。

「……あほ」

「え?」

守の言葉を受け、恵はハトが豆鉄砲を食らったかのような顔をした。

「私のせいで巻き込まれた? 何言ってんだよ。あのとき俺は山下を助けたくて助けたんだ。あの行動に山下の意思はない。俺はそんな風に思ってほしくて助けたんじゃないよ」

恵は一瞬、驚きからか、固まっていたが、すぐに反論した。

「な、なんで? 私を助けたから巻き込まれて死にかけてるんだよ?」

「だから?」

「だからって……。普通は怒ったりするでしょ……」

「しないね。怒るとしたら三人の不良に対してで、山下にじゃない。むしろ知り合えるきっかけになったから助けて良かったと思っている」

「……っ!」

その言葉に恵はひるむ。

 守は恵の両肩に手を置いて続けた。

「だから、ごめんなんて言うなよ。山下が罪の意識を感じる必要はないって」

 それが守の本音だった。

 正直、その可能性は昨晩考えていた。

 あの時、三人の不良に絡まれなければ自分は、こんな目に合わなかったのではないかと。しかし、それは結果論であって。

仮に、あの時に戻ることができて助けないという選択ができたとしても、今度は助けなかったことを直ぐに後悔していただろう。

それなら、あの時の選択は間違っていなかったと胸を張れる。

この状況は決して良いものではない。他人から言わせれば最悪の分類だと思う。

けれど、選択肢の中から最良のものを選択できたと、守は思っている。

「…………」

「最悪な話だけどさ、これが最良だと俺は思う。俺は殺されかけた。けど生きてる。山下も襲われそうになった。でも未然に防げた。ならいいじゃんか」

 恵は俯いてしまっているので表情を分からない。しかし、震えているのが、手から伝わってくる。

「……風見君、変わってるね……」

 恵がそう言葉をもらした。

「失礼だな。透の方が変わっているだろ?」

「……風見君も変わってるよ」

 恵は涙目で今にも泣きそうな顔でそう言った。

 しかし、その顔を今日一番の笑顔だった。

 

「別に一人で大丈夫なのに……」

 恵の声が夜の住宅街に響く。

 時刻は既に二十一時を回っている。

 そのためか、辺りに人影はほとんどない。

「こんな遅くに女の子を一人で帰らせるわけにはいかないだろ……」

 守は頭をかきながら答えた。

 現在、恵を自宅まで送っている最中。

守は恵と肩を並べて歩いていた。

特別遅い時間という訳ではない。

しかし、この辺りは人通りが少なく、帰り途中に転校初日のように不良に絡まれる可能性がある。

怪物に襲われた今となっては不良なんてことないとは思うが、十五の女の子を一人で帰らせるのは忍びなかった。

「女の子扱いしてくれるんだ?」

横目でこちらを見ながら恵が言う。

何を言っているのだろうか。

守は恵と会ってから今に至るまで、ずっと女の子扱いしてきたつもりだ。いや、そもそも女の子扱いしない女友達などいない。

「あたりまえだろ?」

 守は当然と言わんばかりに答えた。

 それに対して

「そ、そっか」

 恵は少しだけ笑った。

「なんか笑うところあったか?」

 守はその笑みの意味が分からず、首をかしげる。

「さぁ?」

 恵はスキップをしながら楽しそうに先を歩く。

 ときどき片足を軸に回ってみせる。

 ご機嫌だ。

 守には理由が分からなかったが、恵は嬉しそうなのでそっとしておくことにした。

 二人は歩みを進める。

 そして学校からの帰り道で通る別れ道に着いた。

 あとはこの坂を上れば恵の家はすぐそこだ。

二人は最後の坂を登ろうとした。

しかし、それを遮るように後ろから声。

「そこのお二人さん」

聞いたことのない声だった。

ゆっくりと振り返る。

そこには人がいた。

頭から全身をすっぽりと覆うように黒の布をかぶった人。

かろうじて、口元だけひと肌が確認できる。

声の質からして女性だと推測できた。

守は口を開いた。

「俺たちのことですか?」

その問いに女性は答える。

「ええ、そこのお二人さんのことだよ」

何者だろうか。

声に聞き覚えはない。

「えっと、何かようですか?」

守は恵を庇うように、前に移動して尋ねた。

あの出来事があったせいか、守は知らない人に対して異常なまでに警戒するようになっていた。それは恵も同じだったらしく、守の後ろで警戒するように怪しげな女性を見つめていた。

すると、そんな守たちの行動が可笑しかったのか、怪しげな女性は笑って答えた。

「そんなに警戒しないでおくれよ。私はただの占い師だよ?」

「占い師?」

よく見ると、占い師を名乗る女性のわきには『よく当たる占い』と書かれた立札がある。

「そう、占い師。お二人から嫌なオーラを感じたから声をかけたんだよ」

そう答える占い師。

さらに続ける。

「お二人さん、最近困っていることないですか? 環境の変化だったり、友人関係だったり」

「……ありませんけど」

話しても到底理解されない悩みならあるが、それ以外ではたいした悩みはない。強いて言うのなら優香との人間関係の進展だが、これも相談するようなことではない。

しかし、守の後ろから意外な言葉飛んできた。

「……一つだけ、あります」

 守はゆっくりと振り返る。

 まさか相談するとは思ってもみなかった。

 しかし、恵の眼は真剣そのもので……。

ここでようやく守は理解した。

恵が限界に近い状態であることに。

こんなことを相談できる場所はどこを探しても存在しない。あるとすれば当事者くらいだ。しかし、相談したところで解決するような話でもない。

いくら強がっていても、高校生。命を狙われるという状況に耐えられるはずがなかったのだ。

淡々と話を続ける恵と、その話をしっかりと聞き続ける占い師。

その傍らで守はただただ二人を見ているだけだった。

――藁にもすがるとはこういうことなのだろうか。

「なるほど。それは確かに怖いですね……」

話を聞き終わった占い師がそう言葉を漏らした。

顔が見えないので正確には分からないが、その声はとても真剣な物のように感じた。

「信じてくれるんですか?」

恵は少しだけ驚いたように言う。

「もちろんですよ。こんな相談をされたのは初めてですが、少しでもお力になれたらと思います」

そういうと占い師は懐から二つの物を取り出した。

一つは瓶に入った赤い液体。

そしてもう一つはルビーのような赤々とした水晶だった。

「これは?」

「これはリラックス効果のあるアロマと運気を上げる水晶です」

占い師は続ける。

「これをお渡ししておきますね。私には直接解決することはできませんが、解決するまでのお助けならできますから」

そう言ってアロマと水晶を恵に握らせた。

「あ、ありがとうございます。えっと、お代は?」

そう尋ねる恵に占い師は

「いえ、この占いは値段を設定していません、こちらの箱にお気持ちを入れていただくようにしております」

そう言いながら貯金箱のような小箱を指さした。

 口元は小さく、小銭を入れるのがやっとの貯金箱だ。

「えっ、でもアロマと水晶をいただいたのに」

「ええ。ですがそれもお気持ちで結構ですよ」

 はっきりという占い師に恵は戸惑いながらも財布から貨幣を取り出し中に入れた。

五百円だった。

「えっと、話を聞いてくださってありがとうございました」

 恵が頭を下げた。それを見て占い師も手を振りながら

「いえいえ。一日でも早く解決することを祈っております。またご利用ください」

「はい、ありがとうございます」

 恵はもう一度頭をさげると守のもとに戻ってきた。

「おまたせ。待たせちゃってごめんね?」

「大丈夫だよ。じゃあいこうか」

 守も一度頭を下げると二人で坂道を登り始めた。

 

   ○


「じゃあここで。また明日ね」

 そう言って自宅の前で守と別れた。

 守の姿が見えなくなるまで手を振り、それからドアノブを回して帰宅した。

「ただいま」

 しかし、返答はない。

 当然だ。

 父は仕事でほとんど帰ってくることはなく、母は久々に友人と会ってくると言って出かけているのだ。

 恵は真っすぐ自室に向かった。

 荷物を机の上に置くと、鞄からさきほど貰ったアロマと水晶を取り出した。

 水晶を手に取り、改めて観察する。

 ゴルフボールくらいの、水晶にしては小さいそれを手のひらで転がすとスタンドライトの光が水晶にあたり、反射、回折して光る。

 力強く、けれど、どこか優しい。

そんな赤い光。

しばらくその光を見つめていた。

 見ているだけで心が休まるような、不思議な感覚。

 恵は一度、水晶を机の上に置いてアロマに手を伸ばした。

 アロマの瓶のキャップを開けて手で仰ぐ。

 何の香りだろうか。

 普段からアロマは使わないが、人並みには色々な香りを知っているつもりだった。しかし、この香りは初めてだった。

 瓶のラベルには何も書かれていない。

 市販のアロマではないのだろうか。

 いくら考えても答えはでない。

 ただ、この香りは好きだった。

 あの占い師が言っていた通り、少しだけリラックスができた気がした。

 昨日は眠ることができないくらい怯えていたのに。

 このくらいのことでリラックスできるとはなんとも現金なやつなんだ、自分に苦笑する。

 また機会があったら占い師にお礼をしようと決めて、部屋着に着替えるべく押入れを開けた。しかし、そこであることを思い出した。

 明日の朝食の用意を何もしていなかった。

 普段は母が作ってくれるから気にしていなかったが、明日の朝はまだいないのだ。

 料理ができないわけではない。むしろ得意な分類だ。

 けれども、食材がなければ作ることもできない。

 恵は時間を確認する。

 9時半。

時間的にスーパーは開いていないだろう。

 そうなると少し高いがコンビニで買うしかない。

 本当に今日はらしくない。

 そう思いながら、再び鞄を持り、水晶をポケットに入れてから家を出た。

 小走りでコンビニに向かう。

「なあ」

 しかし、家を出たところですぐに呼び止められた。

 聞き覚えのある声だった。

 けれど、その声を聞くのは久々で、もう二度と聞きたくないと思っていた声。

 恵は背筋に冷たいものが流れるのを感じた。

 自分の勘違いであることを祈りながらゆっくりと振り返る。

 そして自分の考えが間違っていなかったことを理解した。

「よお」

 転校初日に絡んできた男の3人目。

 茶髪の男がそこにいた。

 恵は頭の中が真っ白になった。


   □


 恵を送った後の帰り道。

 守は全力で走っていた。

 こんな予定ではなかった。

 本来であれば恵と別れたら真っすぐ家につもりだった。

 しかし、隣の男に全てをぶち壊された。

 守は走りながらゆっくりと視線を隣でニコニコ走る男に移す。

 そこには透がいた。

しかし、その恰好は奇妙、というより奇怪なものだった。

ピエロ。

白と赤のチェック柄の服で身を包み、鼻には毛糸を丸めて作った綿のようなものをつけている。

透がニコニコしながら口を開いた。

「いやーなんでこんなことになっているんだろうね?」

 その能天気な発言に軽く殺意を覚えながらも、今は走ることに集中する。

 何故なら今はまさに逃走中なのだ。なにから逃げているかと言うと――。

「こらー待ちなさい!!」

 警官だ。

 正義の味方である警官に追いかけられているのだ。

 話せば単純明快な話だ。

 帰りの途中に突然ピエロの恰好をした透が現れ、守のもとにきたのだ。それを偶然通りがかった警官に見つかり、透がこれまた突然に守の手を引いて走り出したのだ。

 そして今にいたる。

「僕は道を歩いていただけなのに何故追われなくちゃいけないんだ……」

 ――夜中にピエロの恰好でいたらそりゃ追いかけられるよ!

 と口内で絶叫する。

 しかし、本人は理解していないらしく走りながら首をかしげていた。

「あ、そうだ」

 透が何かを思い出したかのようにポケットに手を入れて何かを取り出したかと思うと、それを守に差し出した。

 それは青いビー玉のようなものだった。

「……これは?」

 訝しげな表情でそれを受け取る。

「簡単に言えば変身グッズかな」

 ふざけているのならすぐさま叩き割っているところだった。

しかし、その表情は真剣だった。

「これがあれば守も俺や優香のように戦えるようになる。命を狙われている以上、必要になることが必ず来るからね」

淡々とそう語る。

「命に関わることだから強制はしない。そもそも適性があるかどうかも分からないしね。でもヒーローになれるよ?」

 意味深な笑みを浮かべる透。

「あのなぁ……」

 ヒーローに憧れはある。

 でもそんな飴みたいに力を貰ったって嬉しくない。

 それに……。

「この状況でそういう話、するか!? 普通落ち着いた場所でするだろ!」

 我慢していたが、ついにツッコミを入れてしまった。

 それを受けて、透も納得したらしく、

「では先に警官をまきますか」

 そう言って守の腕を掴んで走る速度を上げた。

 そして目の前に迫るガードレールを飛び越え……え?

「はああああああああ!?」

 守は人生初の紐なしバンジーを体験することになった。


「さて、ここまでくれば大丈夫かな」

 しれっと、そう言う透を殴ってやりたい気持ちでいっぱいだったが、自分の息を整えるのに精一杯だった。

 守は飛び降りた崖に目を向ける。

 正確な高さは分からないが、10メートルは確実にあるだろう。

 無傷で着地できたのはもちろん透のおかげだが、運動神経がいいからとか、丈夫だからとか、そういう次元ではないことは言うまでもない。

 前に優香を見たときにも思ったが、透も優香も完全に逸脱した力を持っている。

「そ、その力もヒーローの力なのか?」

 なんとか息を整えて尋ねる。

 「そうだね。運動神経は最初からよかったけど、この逸脱した力はヒーローになってから手に入れたよ」

 透は伸びをしながら答える。

「…………」

「…………」

 守が口を閉じると静寂が訪れた。

 公園を吹き抜ける風の音だけが街中に響き渡る。

 透は守をじっと見つめて、

「さて、早速適正検査を始めようか」

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