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痛みはなかった。
苦しいといった感覚もない。
単純に目を閉じている状態に近かった。
死ぬとはこういうことなのだろうか。
想像と大きくかけ離れていたので、拍子抜けだった。
身の毛も弥立つ様な恐怖や耐え難い苦痛などを想像していた。
事実は小説よりも奇なりとはいうが、まさにその通りだ。
死んだあとの世界を描く小説家や映画監督はきっと感覚的に書いているに過ぎない。なんせ、死というものを体験した人間などいないのだから小説の世界と現実は異なるに決まっている。
「――ちょっと」
ふと、聞き覚えのある声が鼓膜を震わした。
しかし、誰か思い出せない。
どこかで聞いたことある声だが頻繁に聞く声ではなかった。
「ちょっと、あんた」
先ほどより大きな声。
――この声、どこかで……。
そこまで考えたところで足に痛みが走った。
痛みで瞼を開く。
そこはグラウンドだった。
しかも校門前。
「え?」
周りの風景は先ほどと何も変わらない。
いや、正確には場所が少しだけ移動しているのと、先ほどまでいなかった女性が目の前にいることを除けばだが。
「はあ……」
目の前の女性が大きなため息をついた。
学園の制服に身を包み、長い金髪を靡かせる。
生徒会副会長、山城優香だ。
「山城さん!?」
「やっと気づいた……」
優香は面倒そうに再びため息をついた。
「そこいると邪魔だから早くどっかに隠れてくれない?」
彼女はそう言って右手に持っていた二メートルほどの真っ赤な槍を構える。
突っ込みたいことは沢山あった。
なんで槍を持っている?
なんでここにいる?
あの化け物はなに?
しかし、そんな疑問も解消する間もなく守は後方に飛んだ。
正確には優香に蹴飛ばされたのだ。
「ちょ!」
体が宙を舞う。
と同時に、先ほどまでいた所が爆散した。
守もその直後に地面にたたきつけられた。
「ええ!?」
体に走る痛みも既に気にならなくなっていた。
超展開に次ぐ超展開。
守の頭は完全にオーバーヒートしていた。
――いや、それよりも……。
「山城さん!」
守は声を張り上げた。
先ほど爆散したところには優香もいたのだ。
つまり、先ほどの爆発に巻き込まれたに違いない。
舞い上がる土煙。
その中を真剣に見つめる。
時間が経つにつれて土煙が薄れていき、中に一つの人影を見つけた。
「人が話している時にちょっかいを出さないでくれないかな?」
優香だ。
しかも見たところ無傷。
それもそのはず。
優香は振り下ろされた蜘蛛の脚を槍で逸らして、直撃を見事に回避していたのだ。
しかし、その光景に守は自分の目を疑った。
優香の行動があまりにも人間離れしていたからだ。
たしかに力の方向に対して垂直な方向に力を加えれば微力でも物の進行方向を変えることができる。
確かに理屈ではそうだ。頭では納得できる。しかし、紙の上で行うのと実際にやるのとでは天と地ほどの差がある。
失敗すれば死ぬ可能性もあるこの状況で、守を助けながら守が全く反応できなかった速度で振り下ろされた脚を回避したのだ。
頭で分かっていても、簡単に出来ることではない。
優香は続けた。
「とりあえず、死のうか?」
そう言い放つと、優香は槍を素早く振るった。
守にはその槍の軌道が全く見えなかった。
しかし、直後に蜘蛛の脚の一つが高々と舞った。
切り落としたのだ。
蜘蛛が形容しがたい奇声を上げる。
切断された箇所から夥しい量の黒い液体があふれ出ている。おそらく血。
「ずいぶん脆いのね」
優香は槍を肩に預け、蜘蛛に話しかける。
「残り七本」
優香は言い終わると同時にまた槍を振るった。
槍の軌道は相変わらず見えない。しかし、今度は蜘蛛の脚が二本宙に舞った。
再び蜘蛛が奇声を上げる。
圧倒的だった。
優香は蜘蛛に反撃を許さず、一本、また一本と脚を切り落としていく。
全部の脚を切り落とすのに五分もかからなかった。
すべての脚を切り落とされた蜘蛛は地面に伏してもがいている。
そこに優香が歩み寄る。
「さあ、顔をみせて」
優香の問いかけに蜘蛛は返事の代わりに糸を吐いた。
もちろん優香はサイドステップでこの攻撃を回避、そして槍を蜘蛛の頭に突き立てた。
あれだけ超人的なことをして見せたのだ。もう優香が何をしても驚かない。
「聞き分けの悪い男は嫌われるわよ?」
呆れ顔でそういうと、優香は槍を振り抜き、頭を半分に切り裂いた。
同時に全身が黒い液体に変化、溶けだしたアイスの様に、黒い液体が地面に広がった。
――倒したのか?
守は恐る恐る様子をうかがう。
それに気が付いたのか、優香が守の方を見た。
「あんた、ちょっと来て」
守は、『は、はい!』 と普段よりトーンの高い声で返事をして痛む足を引きずりながら歩み寄った。
「え、えっと……何か用かな?」
「あんたは用もないのに人を呼ぶの?」
「……呼ばないです」
何故か申し訳ない気分になり、頭を下げる守。
「こいつに見覚えはある?」
優香は親指で後ろを指しながら言った。
「こいつ?」
守は少し移動して後ろ、つまり、先ほどまで蜘蛛がいた所に視線を送った。
黒い液体が広がるグラウンド。
ところどころ湯気が上がっている。
しかし、よく見ると一か所だけ不自然に膨らんでいるヵ所があった。目を凝らしてその膨らみを凝視する。
時間が経つにつれて黒い液体が広がっていき、膨らみの中身が見えてきた。
「え……」
守は思わず声を漏らした。
不自然な膨らみの正体。
それは人だった。
あの蜘蛛だった塊の中から人が出てきたのだ。
守を殺そうとした蜘蛛の中から人が出てきたのだ。
しかもこの人は……。
「知っているのね?」
優香が後ろから言った。
「…………」
守は黙ってうなずいた。
目の前で寝そべる金髪の若者。
転校初日に恵に絡んでいた不良の一人だ。
「山城さん、説明してくれ……。なんなんだよこれ……」
しかし、優香は無視して金髪の男に近付いた。
「あんた、誰にその力をもらったの?」
優香は寝そべる男に話しかけた。
しかし、男は身じろぎひとつしない。
「……使えない」
優香は表情に落胆の色を浮かべた。
しかし、すぐにも元の表情に戻り……。
男の頭に槍を突き立てた。
それと同時に赤い液体が四方八方に飛び散った。
「え……」
守は何が起こったのか一瞬分からなかった。
――山城さんが人の頭に槍を……?
現状を把握するのに数分の時間を要した。
「や、山城さん?」
自分でも声が震えているのが分かった。
しかし、当の本人は何事もなかったかの様に平然としている。
「何をそんなに驚いているのよ。あんたを殺そうとしていた人間を殺しただけじゃない」
優香のその言葉に守は衝撃を受けた。
人を殺すことに躊躇いが感じられなかったからだ。
「殺しただけって……何考えてんだよ!」
守は怒鳴った。
人を殺したことも許せなかった。しかしそれ以上に人の命を軽く見ていることが許せなかったのだ。
「殺しただけ? 人の命をなんだと思っているんだ!」
こんなに声を荒げたのはいつ以来だろうか。もしかしたら小学生の時以来かもしれない。守は肩で息をしながら怒鳴った。しかし優香は顔色一つ変えない。
「あんたを殺そうとした人間よ? 死んで嬉しいでしょ?」
「嬉しいわけあるか! どんな理由があっても、人を殺していい理由にはならないだろ!」
そこまで言うと優香が表情を崩した。しかし、その顔は反省の顔ではない。愚かな人を見るような呆れた表情だった。
「あんた、勉強してる時も思ったけど、ほんと馬鹿なのね」
優香はさらに続けた。
「人を殺そうとした人間は殺されても文句言えないの。この男はあんたと私を殺そうとした。だから殺した。これじゃ納得できない?」
「で、できるわけないだろ! だいたい、無抵抗の人間を殺す必要がない!」
「本当に楽天家なのね。あんたの話を聞いていると吐き気がするわ。そもそも、なんで殺しちゃいけないの?」
優香のその発言に思わず言葉が詰まる。
「なんでって……命はそんな軽く扱っていいものじゃないからで……」
「じゃあ、あなたは牛や鳥、豚は殺さないし、食べないの?」
「いや、それとこれとは……」
予想外の質問に戸惑う守。
「同じよ。人も動物も同じ命を持っているわ。あんたは人の命を動物の命より上に見ているからそういう発言ができるの」
「…………」
「あんたは自分の価値観で命の重さを量って都合のいいように解釈しているだけ。聞こえはいいけど、突き詰めれば自分の考えを人に押し付けているエゴイストよ」
「……そ、それをいうなら山城さんも……」
「そうね。私もエゴイスト。自分の意見を通そうとしているだけ。でもね、あんたと違って自分だけ綺麗でいようとは思ってないわ」
「……っ」
「自分からは行動を起こさず、結果だけを見て喚くあんたとは違う。命を賭けて戦っているのは私。なんのリスクも犯さずに結果だけみて物を語らないでくれる?」
「…………」
返す言葉がなかった。
優香の言葉に変に納得している自分がいる。
それが悲しかった。
それが悔しかった。
「お取込み中かな?」
守が言葉を探していると、静まり返ったグランドに透の陽気な声が響いた。
透と恵と合流した守たちは生徒会室に集まっていた。
もちろん、優香もいる。
静まり返った生徒会室の椅子に腰かける四人。
守も恵も口を開かない。
この中で現状を正確に把握しているのであろう二人の言葉を待っているのだ。
しかし、透は意味深な笑みを浮かべるだけで何も言わず、優香は先ほど透が出してくれた紅茶を啜るだけ。
守はふと外に目を向けた。
空は相変わらず赤いままだ。
「そういえば今って何時なんだろうね?」
口を開いたのは恵だった。
確かに恵の言うとおり、この状態になってだいぶ時間がたつ。
守は時間を確認するために携帯を開いた。
「え……」
しかし、予想外の出来事に携帯を開いた守は思わず声を漏らした。
「どうかしたの?」
その声を聞いて、隣に腰かけていた恵がこちらを見る。
「あ、いや、時間がさ……止まってるんだよ」
「え?」
恵も守の言葉を聞いて慌てて携帯を開く。
携帯を開いた恵の眼が見開く。
どうやら守と同じく携帯の時計が止まっているらしい。
守は慌てて生徒会室の時計を見る。
しかし、携帯の時計同様に止まっていた。
しかも全く同じ時刻で。
「……こんなことってあるのか?」
困惑しながら透、優香に視線を向ける。
その質問に、ずっと黙っていた透が答えた。
「ありえるよ。この世界なら」
「この世界?」
「そう、この赤く染まった世界ならありえるよ」
透にいつものふざけた様子はない。
真剣に守たちの質問に答えているようだった。
透は続けた。
「突然の出来事に困惑しているだろうけど、順番に説明するから。質問があったら話の途中でも質問してくれ」
そういうと透は話し始めた。
「まず、この世界について説明しようか。この世界は僕たちが暮らしている世界によく似ているが、全くの別物だ。簡単に説明すると、現実の世界から切り取られた一瞬の世界というべきかな」
「一瞬の……世界?」
恵が首をひねる。
「物理の授業で時刻tとか表現するだろ? それと同じ。現実の時間の流れからある時刻を切り取り、作られた世界。それがこの赤い世界さ」
理系科目に強い守にも透の言っている意味が分からなかった。
そんな守の思考を表情から読み取ったのか、透が笑いながら言った。
「パラパラ漫画ってあるだろ? あれを想像してもらえると分かりやすいと思う。僕たちの暮らす世界をパラパラ漫画だとするんだ。その中から一コマだけを選びとる。その選び取られた世界がこの赤い世界だ」
その説明で何となくだが言いたいことが分かってきた。
「だからこの世界の時計は動いてないのか?」
「そういうこと。理解が早くて助かるよ」
透が微笑む。
しかし、透には悪いが理解はしていない。
透の説明なら話の筋が通るというだけだ。
実際に起こっているからすんなり話を信じられるだけ。他にもっともらしい理論が思いつかないから信じているだけにすぎない。
「透、世界の成りたちは分かった。でも何で俺たちだけがこの世界にいるんだ? こっちの世界に来たことと、さっきの怪物と何か関係があるのか?」
「関係ある。むしろ、原因というべきだね。君たちをこっちの世界に連れてきたのは、さっきの蜘蛛と蠍だ」
「蜘蛛?」
不思議そうな顔でそう問いかけたのは恵だ。
「山下さんは蠍しか見ていないんだったね。守は両方見たんだっけ?」
守は黙って頷く。
「じゃあ、そこから説明しよう。まず、この世界を作ることができるのは、二人が見た様な怪物、僕たちは魔物って呼んでいる者だけだ。現実の世界で行方不明者が増えているって話があったよね? その原因はこの魔物たちなんだ」
透は続ける。
「魔物は世界を作り、一人だけこの世界に閉じ込めることができる。範囲は半径一キロ程度かな」
「……一人だけ?」
「そう一人だけ。今回は魔物が二体いたから山下さんと守の二人が閉じ込められたんだ。まぁ、同じ世界に二体の魔物がいるケースなんか稀で、それ故に助けるのが遅れちゃったんだけどね。その件については謝罪する」
申し訳なさそうな表情で頭を下げる透。
しかし、守はそれ以上に気になることがあった。
「すまん、透の言っている意味が分からないんだが」
「私もよく分からないです。なんで片山くんが謝るの?」
恵も守と同じところが気になっていたようだ。
透の話には矛盾点がある。
魔物一匹が連れ込めるのは一人ならここに四人いることがおかしい。そもそも、魔物によって連れ込まれたのなら透や優香も守たち同様に被害者のはずだ。
「ごめん、ごめん。その説明をしていなかったね」
透が頭をかきながら言った。
「僕と優香はね、この魔物を殺すのが仕事なんだ」
「「仕事?」」
守と恵の声が重なる。
「そう、仕事。今回、この世界には蜘蛛と蠍の魔物が現れた。そして今回のターゲットに守と山下さんが選ばれた。ここまではいいかな?」
守と恵が頷く。
「でも、さっきも説明した通り、魔物がこの世界に連れ込める人間は一人だけだ。今回は二匹いたから二人。でも実際はここに四人の人間がいるだろ? これは僕と優香がイレギュラーな存在だからなんだ。僕たちは国に頼まれ、特別な力を用いて、さっきみたいな魔物を殺すのを仕事にしているんだ。守も優香が振り回す槍と超人じみた運動神経を見ただろ?」
たしかにグラウンドで戦っていた優香の動きは常人のそれをはるかに上回るものだった。透の言う通り、なにか特別な力を用いているなら納得もいく。
「僕たちは特別な力を使って魔物を殺す、分かりやすく言うと日曜日の朝にやっているヒーローみたいなものさ。もちろん、国から給料はもらっているけどね」
説明を終えると透は紅茶に口をつけた。
「とりあえず、大雑把に説明したけど他に質問はある?」
正直、疑問は尽きない。
なんで守たちが狙われたのか、魔物たちの目的はなんなのか。
しかし、その質問をすると取り返しのつかない事態になるような気がした。
好奇心猫をも殺す。
これ以上首を突っ込まない方がいいように感じたのだ。
深入りしないで、何事もなかったように日常に戻りたかった。
しかし、そんな守の気持ちとは裏腹に恵が口を開いた。
「なんで私たちが狙われたの?」
「魔物の中にいた人たちに見覚えはある?」
「あります……」
「魔物はね、元は普通の、僕たちと同じ人間なんだ。普通の人間が魔物になる力を得て、好き勝手に使っているに過ぎない。だから個人的に恨みを買っている、もしくは通り魔的犯行かのどっちかだ。まあ、例外として魔物の力に操られて、本人の意思とは関係なく襲っていたケースもあるけど。でも今回は守も中にいた人間に心当たりがあるんだろ?」
透がこちらを向く。
守は黙って頷いた。
「そうなると偶然とは考え辛いね。明らかに二人を狙った犯行だ」
それは聞きたくない話だった。
自分が命を狙われている。
またいつか命を狙われる可能性があると思うと足がすくんだ。
しかし、透がすぐに付け加えた。
「でも安心していいよ。今回は二人とも殺したから二度と二人の前に現れることはないから」
その言葉に一瞬、守は安心を覚えた。けれども、その考えを否定するように首を振った。
――人が死んで安心なんて……。
いくら相手が人殺しでも、知らない人でも、人が死んで喜ぶような人にはなりたくなかった。しかし、事実安心している自分がいた。
「二人が気にすることじゃない。殺しているのはあくまで僕と優香だ」
表情から読み取ったのか、はたまた口から出ていたのか、透はそう言った。
「…………」
守は何も言えなかった。
恵も同じことを考えているのか、何も言わない。
「他になにか質問はある?」
「……この世界で死んだ人は現実ではどうなるの?」
「もちろん死ぬよ。ただ、遺体は残らないから現実の世界では行方不明ってことになるけどね」
「そ、そっか……」
それ以降、恵も口を開かなかった。
「質問がないならこの世界から出るけどいいかな? 出ると入った瞬間にいた場所に戻るからね」
そういうと透はポケットからビー玉サイズの水晶のようなものを取り出した。
「それは?」
「この世界から出るために必要なアイテムみたいなものさ。すぐに終わるから」
そういうと、透は水晶を手の平に乗せ、強く握った。すると指の隙間から青白い光が漏れ始める。
光は段々と強くなっていく。
「じゃあ、戻るよ?」
そういうと水晶を握った拳を掲げて叫んだ。
「解!」
透の掛け声と共に水晶が眩い光を放った。
現実の世界に戻るなり、優香と透は本部に報告に行くと言って守たちと別れた。
そのため、恵と二人で通学路を歩いている。
通いなれた通学路。
しかし、その道はいつもより暗く、そして不気味に見えた。
「…………」
「…………」
二人の間に会話はない。
何を話したらいいのか分からなかったのだ。
いきなり魔物に命を狙われ、目の前でクラスメートがに助けられ、そしてクラスメートが人を殺した。
あの光景が瞼に焼き付いて、元の世界に戻ってきても目を閉じれば鮮明に思い出せる。
魔物から感じた明確な殺意。
魔物を圧倒する優香。
人の頭になんの躊躇いもなく槍を突き立て、飛び散る真紅の血。
守は顔を歪めた。
隣を歩く恵も似たような表情をしていた。
恵も同じなのだろう。
透の話によれば、恵も蠍の魔物と遭遇したらしい。
そして、透は優香と同様に魔物を一方的に倒し、中の人間を殺した。
蠍の中にいた男は銀髪。
つまり、転校初日に絡んできた三人組の一人だ。
――あと一人、俺たちを殺そうとする奴いるのか……。
透は『もし三人組だとしたら、今回も三人で来てたと思うけど?』と言っていたが、可能性としてはゼロじゃない。
そう思うと足が震えた。
――そういえば……
守はふと、自分の脚に視線を落とす。
向こうの世界で骨折しているのではないかというほど腫れあがっていた足首は何事もなかったかの様に元の状態に戻っていた。痛みも元の世界に戻った瞬間は感じたが、すぐになくなり、今では全く感じない。
「もしかして、痛む?」
ずっと黙っていた恵が口を開いた。
守は恵の方を振り返る。
どうやら足を見ていたのが気になったらしい。
「いや、そんなことないよ。ただ、あんなに腫れてたのに戻ってきたら治ってたから違和感があって」
「そ、そっか……」
「うん……」
軽く頷く。
そしてまた沈黙。
二人の地面を蹴る音だけが通学路に響いていた。
無言のまま歩き続けること数分。
前方に分かれ道が見えてきた。
守の家は左の道を進んですぐのところにある。それに対して恵は右の道を進んで行ったところにあるらしい。
つまりここからは別々になる。
守は分かれ道の前で一旦立ち止まった。
「……じゃあ、俺はこっちだから」
守は今できる最大限の笑顔でそう言った。
「う、うん」
それに恵も笑顔で答える。
しかし、いつものそれではない。
どこか無理をしているような、そんな笑顔だった。
「じゃあ、また月曜日な」
「うん、またね?」
「おう」
守は軽く手を振り、振り返って歩き出した。
しかし、左手に抵抗を感じてすぐに立ち止まる。
守は後ろを振り返り左手を確認すると恵の左手が守の袖を掴んでいた。
「山下さん?」
予想外の出来事に戸惑う守。
しかし、すぐに理解した。
恵の手は震えていたのだ。
「あ……」
恵も咄嗟に掴んでしまったのか、自分の行動を理解したらしく顔を蛸のように赤らめて、慌てて手をひっこめた。
「ご、ごめんなさい! 今のは、その……えっと……無意識で!」
心配を掛けたくないからか、必死に言い訳をする恵。
――そうだよな……。
命を狙われているかもしれないと思ったら誰だって怖い。少しでも誰かと一緒にいたいと思うのが普通だ。実際、守もそう感じているのだ。恵が怖がるのも仕方がない。
「べ、べつに何でもないから! なんか、ごめんね?」
――こういう時ぐらいヒーローにならないとな……
「山下さん」
「え? あ、はい!」
「……家まで送るよ、もう暗いし」
「……え?」
守の言葉が理解できなかったらしく、一瞬目を丸くしてきょとんとする恵。しかし、すぐに言葉の意味を理解したのか、慌てて首を横に振りながら早口で言った。
「大丈夫だよ! 一人で帰れるから! 別に怖くないし!」
「いいから。どうせ俺は家近いし。ほら、行こう」
しばらく、無言で守の顔を眺めていた恵だが、すぐに眼を逸らした。そして小さな声で『ありがとう』と言って歩き出した。
相変わらず会話はない。
でも一緒にいるだけで不安な気持ちが少しでも和らぐなら……。
そんなことを考えながら、恵の家を目指して歩みを進めた。
○
「ふう……」
お風呂から上がった恵は自室に戻るとベッドの上に仰向けに寝そべった。
顏だけを横に曲げ、窓の外を覗く。
日は完全に沈み、夜空にはちらほらと星が輝いていた。
今日は色々なことがあった。
同じ時期に転校してきた風見守とクラスメートの片山透、そして成り行きで参加した山城優香の四人で行った勉強会。
透のささいな一言で決まったこの勉強会は思いの他楽しかった。
勉強会で楽しいと思うのもいかがなものかと思うが、恵にとっては転校して初めてできた友達とするイベント。楽しくないはずがない。たしかに勉強会としてはお世辞にもはかどったのとは言えないが。
そして、勉強会の後に起こった謎の怪奇現象。
これが恵にとって最も衝撃的な出来事だった。
目を閉じればあのシーンがよみがえってくる。
グラウンドで守の姿を見つけたとき、透の顔が一気に青ざめた。その時は全く意味が分からなかったが、今になってあの時の透の心境がわかる。
透は守の姿を確認すると生徒会室を飛び出して優香を呼び戻した。
渋々戻ってきた恵はしばらく額に皺を寄せていたが、透の『グラウンドにいる守の所にいけ』という言葉を聞いて、一瞬驚いた顔をして、すぐさま窓からグラウンドに飛び降りって姿を消した。
恵も窓から飛び降りた優香に驚いた。
なんの準備もなく学校の最上階から飛び降りて無事のはずがない。
しかし、窓に駆け寄ろうとした直後に激しい破裂音が廊下から響いてきて恵の意識は廊下に引っ張られる。
生徒会室からゆっくりと顔だけを出して様子を確認すると、廊下の奥にある教室の扉が一つ粉々になって飛び散っていた。
そしてその教室から現れた黒い影。
長い尻尾を振り回し、壁を破壊しながら辺りを見渡す蠍によく似た怪物。
恵はその怪物から目が離せなくなっていた。
好奇心と恐怖心が入り混じった複雑な心境。
怪物のことで頭がいっぱいになり、体が動かない。
「山下さん、危ないよ?」
しかし、透に肩を叩かれて硬直が解けた。
「え、あ、片山君?」
「少し中で待っていてもらえるかな? すぐに戻るから」
透はそういうと廊下に出て、荒ぶる蠍の怪物に近付いていく。
「ちょ……片山君!? 何をする気? 近づいたら危ないよ!」
恵は腕を掴んで必死に透を引き留めるが、当の本人は全く気にしているように見えない。
「大丈夫、すぐ終わるから」
そう言って恵の手をほどくと、一人蠍に近付いて行った。
近づいてくる透に気が付いたのか、蠍は尻尾を振り回すのをやめ、透を凝視する。
普通ならこの時点で逃げ出すのが普通の人間だ。しかし、透は歩みを止めない。どんどん近づき、蠍の目の前でようやく歩みを止めた。
「やあ、僕の友達に何か用かな?」
蠍に問いかける透。
もちろん蠍は答えない。
「答えないかぁ……」
肩をがっくりと落とす。
「じゃあ、力ずくでも答えてもらうよ?」
そういうと、透は右腰辺りに付けたケースからあるものを取り出した。
――銃!?
恵は思わず目を見張った。
銀色に光るそれは警察が持っているようなものではなく、西洋の映画で見るような、海賊が持っているような銃だった。
透は銃を蠍に向けて構える。
そしてなんの躊躇いもなく引き金を引いた。
銃声が校内に響き渡る。
そして撃たれたであろう蠍の尻尾は根本付近から吹き飛ばされ、蠍の足元に落ちた。
奇声をあげて悶える蠍の怪物。しかし、透は何処から取り出したのか、新しい弾を銃に込め直し、再び構えた。
「さあ、答えてもらおうか。僕の友達になんのようかな?」
しかし、答えない。代わりに鋭い鋏が透を襲った。
再び銃声。
今度は蠍の怪物が振りかぶった鋏が粉々になって飛び散った。
再び悲鳴に似た悲鳴を上げる。
そんな蠍を横目に、透は再び銃に弾を込め直して構える。
「答えろ、目的はなんだ?」
再び引き金を引く。
問いかける。
また引き金を引く。
この繰り返しだった。
それは異様な光景だった。
自分の体の何倍もある化け物に銃を向けて問いかける透。
それに対して何の抵抗もできない蠍の化け物。
圧倒的。
そんな言葉が相応しいと思えるほど、透は一方的に蠍の体に弾丸を撃ち込んでいった。
そして、何回目かの銃声が響き渡り、透は銃を下した。
今の射撃で蠍の手、脚、尻尾はすべて砕け散り、残っているのは胴体だけになっていた。
透は蠍にさらに近付いて、頭付近で膝をつく。そして銃を頭に向けて構え、静かに言った。
「最後だ、目的は?」
ここで変化が起こった。
蠍の体が溶け始め、中から銀髪の男性が現れたのだ。
「ま、待ってくれ! 言うから! 言うから撃たないでくれ!!」
恵は中から現れた男に見覚えがあった。
それは転校初日に絡んできた不良の一人。
透は銃を構えたまま問う。
「今から嘘一つでもついたら撃つ。目的はなんだ?」
「も、目的は……仕返しだよ」
男はゆっくりと言った。
「仕返し?」
「そ、そうだ……、一か月くらい前にナンパしたことがあって、その時にある男に邪魔されたんだ」
――風見君のことだ……。
男は続ける。
「だから仕返ししようと思って……」
「そうか。理由は分かった。次の質問だ。誰に力をもらった?」
その質問に男は一瞬だけ表情を曇らせた。
「……う、生まれつき持っていた力だ……」
直後、透が男の脚を銃で撃ち抜いた。
「あああああああ!!」
撃たれた脚は砕け散り、そこから赤い血がドクドクと流れ出る。
「片山君!?」
恵は思わず透のもとに駆け寄った。
「何やってるの!? 人を銃で撃つなんて!」
しかし、透は銃を構えたまま男から視線を外さない。
「言ったはずだよ? 嘘を付いたら撃つって」
「そうだけど……、嘘じゃないかもしれないじゃない! それ以前に人を銃で撃つなんて!」
「こいつの発言が明らかに嘘だ。生まれつきこの能力があったなら一か月前のナンパが失敗した時に仕返しができたはずだよ。それをしなかったということは、その時にこの力がなかったから、そう考えるのが普通だ」
たしかにそうかもしれない。しかし、
「でも! 無抵抗なのに撃つなんて――」
恵が言い終わる前に透が口をはさんだ。
「それは僕が蠍を撃っているときに言ってほしかったね。蠍の形をしているときは止めず、人間と分かったから止めるなんて勝手だとは思わない?」
「そ、それは……」
恵は言葉に詰まった。
適当な返答が思いつかない。
「さあ、質問の続きだ。誰にこの力をもらった?」
透は足を押さえて悶える男に問いかける。
「た、頼む、殺さないで……」
「いいから質問に――」
「頼むよ! まだ死にたくないんだ!! お願いだ!」
男は完全にパニックに陥っていた。銃で撃たれ、片足が引きとんだことで完全に冷静さを失っている。
「……関係のないことを言ったらその頭を撃ち抜く。誰にもらった?」
透は最後の警告をした。しかし、
「頼むよ! 俺はまだ死にたくない!」
透はため息をついた。
「山下さん、先に生徒会室に戻ってくれる?」
この段階で透の言わんとすることが理解できた。
この人を殺すのだ。
クラスメートが人を殺そうとしている。
止めるべきだ。
頭では分かっていた。しかし、
「……うん」
恵はそう答えていた。
歩いて生徒会室に戻り、ゆっくりとドアを閉める。
そして――
直後に銃声が響き渡った。
思い出すだけで手が震えた。
震える手を胸の前で組み、必死に抑える。
しかし、震えはなかなか収まらない。
「……風見君」
恵はそう呟くと、掛布団を頭までかぶり瞼を閉じた。
――明日になればきっと大丈夫。
何度も、自分に言い聞せるように。
何度も何度も頭の中で唱え続けた。