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転校してから二週間が経過した。
不安に感じていた高校生活だったが、友人にも恵まれてうまくいっている。
最初はすべて恵においしいところを持っていかれたかと思ったが、実際に過ごしてみると心配していたようなことは起こらなかった。
――いや、むしろその逆……。
高校からはいった守に対して、クラスのみんなは優しかった。
自己紹介のときこそ恵に興味津々だったクラスメートだが、そのあとの昼休みは完全にひっぱりダコ状態。守の周りに群がる男子、男子、男子、男、男……。
何かが決定的に違う気がするが、そのおかげでクラスに馴染むのに時間はかからなかった。
今では友人もでき、毎日を楽しく過ごしている。
「それじゃあ、風見君。またあとで」
「おう」
守は昇降口で偶然一緒になった恵に別れを告げる。
恵はこのあと部活があるらしく、教室に荷物を置くと着替えをもって教室を出て行った。
転校初日の事件以来、守は恵と頻繁に話すようになっていた。
深い意味はなく、恵と守の相性がよかったのだ。
クラスの男子が仲良くなろうと必死になっている中、一歩リードしている――というより、話ができる――状況は悪くない。ただ、この関係はあくまで友情止まりだが。
特撮やアニメとは異なり、現実では不良から助けたくらいで惚れてくれる美少女はいないのだ。
「……」
明るい性格の恵が出ていくと教室に静寂が訪れた。
いつもの活気がない。
それもそのはず、生徒は守をいれて五人しかいないのだ。
現在の時刻は七時二十分。
朝のホームルームは八時半からなので約一時間も早く学校に着いたことになる。
これには二つの理由があった。
一つは、日直だったからだ。
日直は朝のホームルームの準備や、帰りのホームルームの手伝いをしなければならない。そのため他の生徒より早く学校に来なければならないのだ。しかし、それを考慮しても早い。ただ日直のために来たのならあと三十分遅くても問題ない。
ではどうして早くきたのか。
それは二つ目の理由のためである。
――日直の相方とコミュニケーションをとるためだ
守はわけあってその子と話をしたことがなかった。
正確には返事をしてもらったことがないのだ。
これは守に限った話ではなく、クラスのほとんどの人が話したことがないらしい。
転校早々にそんな子と一緒に日直をしなければならないのは不幸に思うべきか、はたまた話すきっかけができたと思うべきか。
しかし、なってしまった以上は責務を果たさなければならないので彼女とコミュニケーションをとるために通常よりも早く学校にきたのだ。
彼女の席を見ると彼女の姿があった。
聞いていた通り、彼女はほとんど毎日、通常より早く学校に来ているらしい
守は窓際後方二番目の自分の席に荷物を置いてから腰かけた。
窓が空いているため、気持ちいい風が頬を撫でる。
「おーす、守。宿題やったか?」
席についた途端、斜め後ろから声。
長い茶色の髪。そこから覗かせる女の子のようなクリッした目。
クラスで最初に仲良くなった片山透だ。
守は鞄から教科書やノートを机の中に入れる。
「やったけど……見せないぞ?」
「そんな! 俺たち親友だろ!?」
オーバーなリアクションをする透。
これもいつものこと。
透はクラスでも相当の人気者だ。
些細なことでも楽しそうに笑い、ネタ要素があれば全力で笑いを取りに行く。
もちろん人気の理由はそれだけではない。運動神経がよく、体育の時間はクラスで、いや、あの運動センスなら学年でヒーローだろう。守も運動は得意な方だが、透に勝てるかと問われれば顏を横に振らざるを得ない。それだけ圧倒的なのだ。それに加えて、生徒会書記も引き受けているという。
本人曰く、生徒会のイメージを変えるためらしい。
どこまで本気なのか分からないが少なくとも言動から予想するに本気らしい。
そんな前向きさと自然と周りを明るくする性格が人気の理由なのだろう。
少なからず、俺はそう認識している。
「宿題見せてくれないと悪戯するぞー」
ハロウィンか! という言葉とツッコミをぎりぎりのところで押しとどめる。
本日も変わらず絶好調のようだった。
「冗談だよ、ほら」
お面白い反応を見ることができたのでノートを透に渡す。
「最初から見せてくれよー」
「ただ働きは嫌いなんだ」
守がそう言うと一瞬、目を細めて守を探るような目をした。が、すぐに元の表情にもどり、サンキュー、とお礼を言って大喜びで教室を出て行った。
なんで教室出て行ったんだ? と一瞬考えたが、すぐにコピーしに行ったんだなという結論に行きつく。宿題のノートをコピーする人はなかなかいないが、透ならあり得る。
――本当に不思議なやつ。
守は再び椅子に腰かけた。
時計を確認すると時刻は七時半を少し過ぎたところだった。
時間的にはまだまだ余裕がある。
そして来ている生徒も少ない。
「……」
守は一度深呼吸をしてから後ろを向いた。
座席の真後ろ。
つまり、窓際の一番後ろの席。
そこには例の少女がいた。
肩まで伸ばした金髪。
大きな青い瞳に艶と張りのある肌。
そして適度に膨らんだ胸元。
一瞬見惚れてしまうほどの女生徒が片肘をつきながら本を読んでいた。
「おはよう、山城さん」
守は軽く声をかけた。
しかし、反応はない。
聞こえていないわけではない。無視されているのだ。
山城優香。
それが彼女の名前だ。
そして、日直の相方である。
転校初日から優香の対応はこんな感じだった。
透の話によれば、この態度は中学のときから変わらないらしい。
男子だけではなく、女子に対しても冷たい対応をしているため、友達が少ない。しかし、成績はよく、容姿もいいので嫌われているわけではないらしい。むしろ好かれているといっていい。事実、クラスの男子の中にはひそかに狙っている人も少なくない。
曰く、デレたときの破壊力はやばい、とのこと。
まあ、実際にデレたことはかつて一度もないらしいが。
つまり、クラスの人は仲よくしたいのだが優香が近付き難い雰囲気を出しているので上手くいかない、というのが現状だ。
だから守は毎日挨拶をするなどの行動を起こしている。仲よくなるきっかけを探すために。特に、今日に限ってはコミュニケーションが取れないと困るので。しかし、2週間がたった今でも挨拶一つない。
だが、今回ばかりはそう言ってはいられない。
「今日は一緒に日直だからよろしく」
守はもう一度話しかけた。
しかし、返答はない。
「…………」
守が黙ると、教室を静寂が支配した。
偶然か、はたまた、この悪い流れが引き込む必然か、クラスにいた生徒が同時に黙ったのだ。
居心地の悪い空気が漂う。
にもかかわらず、優香は気にも留めず本を黙々と読み続けている。
取りつく島もないとはまさにこのことだ。
「えっと……俺って日直初めてでさ――」
この状況を打開すべく話題を振る。が、優香の反応は変わらない。
――そもそも話題を変えても、返事がないからコミュニケーションの取りようがないじゃないか。
しかし、ここで意外な助け舟が出た。
「おーい、優香。せっかく守が話しかけてくれているんだから挨拶くらいしたらどうだ?」
声の主は透だった。
右手には俺のノート、左手にはコピー用紙が握られている。どうやら本当にコピーしに行ってたらしい。
先に述べたように、優香は友達が少ない。つまり、全くいないわけではない。
その一人が透だ。
山城は透と同じく生徒会に属している。しかも生徒会副会長。
そのため、透とは唯一、話をするのだ。
「はあ……」
優香は小さなため息をついた。
本から視線をはずし、守を見つめる――いや、睨む。
「……よろしく」
無愛想。
嫌々。
そんな言葉が連想されるような声だった。
表情も面倒とういう感情をそのまま表したようなものだった。
――そんなに嫌か……。
必要最低限話しかけるなと言わんばかりの態度に守も思わず顔をしかめる。
「悪いな、こいつツンデレだから」
この状況に見かねた透が空かさずフォローを入れえる。
透と同じ生徒会メンバーなのに……と思いつつも、会って2週間の人にケチをつけることができるほど、守のメンタルは丈夫ではない。
守は、気にしてないから大丈夫だよ、と言って前を向くと優香にばれないようにため息をついた。
結局、今日の日直は一人で行うことになった。
しかし、日直をやったのは守ではなく、優香だ。
二人で仕事を分担した方が早いと考えていた守だが、ほとんどの仕事を優香が一人でやってしまったのだ。
一年で生徒会副会長を務めているだけはある。
仕事を片付ける早さもそうだが、それ以上に効率の良さに驚かされた。
無駄がない。
仕事を終わらせるために必要な行動の最短ルートを辿ったかのような。おそらく、これ以上早く行うのは不可能だろうと思えるほど、効率的な立ち回りだった。
そのおかげで、守は予定よりも早く放課後を迎えることができた。
――あとは愛想があれば完璧なのに……。
と、守は失礼なことを考えながら教科書を鞄に入れる。
「守、終わったなら帰ろうぜ」
荷を作り終わると、透が声をかけてきた。
どうやら、ずっと待っていてくれたらしい。
とくに断る理由がなかったので二つ返事で了承する。が、そこで一つの疑問が浮かぶ。
「あれ、生徒会はいいのか?」
日直の相方、つまり、優香は放課後に生徒会の仕事があると――先生から――聞いていた。副会長が仕事なら書記の透も仕事があるはずだ。
しかし、透は何食わぬ顔で
「ないけど?」
「ないのか? ならいいんだけど」
生徒会に所属したことがない守は、生徒会の活動について詳しくない。生徒会にあるイメージは休み時間や放課後にみんなで集まり、会議をして資料をつくる。その程度の認識だ。
――もしかしたら学校によって生徒会も違うのかもな。
そんなことを考えながら、守は鞄を右肩にかけると、透と一緒に教室を出た。
教室を出て階段を下り、職員室に日誌を返却すると、昇降口で靴を履きかえて学校を出る。その間に他の生徒とは合わなかった。
「なあ、今日生徒少なくないか?」
守は疑問を口にした。
普段であれば部活で残っている生徒の一人や二人、すれ違ってもおかしくない時間帯だ。今日に限って誰にも会わないのは明らかに不自然だった。
しかし、その質問の解答はあっさり返ってきた。
「放課後点検とかいう日で部活動も早めに切り上げるからな」
「初耳なんだが」
「生徒手帳に書いてあるぞ?」
透の言葉を聞いて、守はすかさず生徒手帳を開く。端から端まで目を通すとその一文が視界に入った。
――放課後点検日。月に一度、設備の点検のために、特別な事情を除く全生徒は十 六時までに下校しなければならない。
たしかにあった。
時計を確認すると現在の時刻は十六時を回っている。
「って、俺はいいのか?」
「日直や生徒会の仕事がある場合は、この例外にあたるから大丈夫」
「じゃあ、透はいいのか?」
「…………」
突然黙り込む透。
――おいおい、生徒会書記……。
透は生徒会メンバーでありながらも、こういうところは抜けているようだった。
「その話は置いておいて、このあと暇か? もし暇ならどっか寄ろうぜ」
誤魔化すように透が言った。
放課後に友達と出かけるのは大賛成だ。
まだ、転校してきて日が浅い守は誰とも遊びに行ったことない。本来なら二つ返事で了承するところだ。しかし、
「ごめん、今日は予定があるんだ」
守は断った。
今日はどうしてもやらなければならないことがあるのだ。
「そか、じゃあまた今度遊ぼうぜ」
透は少し残念そうな顔をしたがすぐにいつもの調子に戻った。
放課後、守は道場にきていた。
道着に着替え、日本刀を左腰に携えて巻き藁の前に立つ。
四十畳ほどの道場には守以外の姿はない。
そのため、道場内は異様な静けさが漂っていた。
守は右手で日本刀を握る。
久々に握る刀の感触を確かめるように握っては離し、また握っては離しを繰り返す。
刀を再度握ると目を閉じた。
頭の中にある雑念を取り払う。
頭の中には右手に感じる刀の感触と、目の前にあるはずの巻き藁のイメージ姿だけを残す。
そして――
「はっ!」
目を開くと同時に右手を鋭く振り抜いた。
守の声が道場内に響き渡る。そして、それに続くように巻き藁が地面に落ちて、ドサッという音を響かせた。
それを確認すると、刀を鞘に戻す。
「……ふう」
そこでようやく大きく息を吐いた。
パチパチパチ。
突然、背後から拍手をする音が聞こえてきた。
振り返ると、いつの間にか一人に男性が立っていた。
守の父にして、ここ風見道場の主、風見菅生だ。
菅生は拍手をやめると口を開いた。
「しばらくやっていなかった割には悪くないな」
どうやら、先ほどの一太刀をみていたらしい。
「イメージトレーニングはやっていたからね」
守は視線を腰にある刀に落とす。
菅生の言うとおり、刀を握るのは一月ぶりだ。
転校する前はここではない道場で刀を振っていたが、転校してから今日まで守は日課だった稽古を休んでいたのだ。
転校の手続きや、引っ越しの荷造りがあったためだ。
それまで、守は一日たりとも抜刀術の鍛練を欠かしたことはなかった。剣道をやめた後も、抜刀術だけはひたすら続けていた。
――抜刀術。
居合、居合術とも呼ばれる武術で日本刀を鞘に収めた状態で帯刀し、鞘から抜き放つ動作で一撃を加える、もしくは相手の攻撃を受け流し、二の太刀で相手にとどめを刺す形、技術を中心に構成された武術だ。主に護身用、危機回避の技術であり、「刀を抜かずに勝つ」という考えが基盤にある。そのため、対人には向いていない。
これに対して、対人をメインとした武術が剣術だ。
日本の武道と呼ばれる剣道の母体になった武術である。
流派は数多く存在するが、基本的に平時の服装での切りあいを想定した型が多い。
しかし、守はそれが日本において全く役に立たないことを、身をもって知った。
だから守は剣術を学ばず、抜刀術だけを学んだ。
誰も傷つけない力。
それでいて、誰かを守れる力。
守はそこに魅力を感じていたのだ。
「この抜刀術の練習だけはやめないよ」
その言葉をきいて菅生の表情が一瞬緩んだ、気がした。がすぐに申し訳なさそうな表情に変わる。
「……すまないな、私の仕事の都合で転校までさせて」
「それはいいって。仕事なら仕方がないし。転校先でも上手くやれているからさ」
そう言っても菅生の表情は晴れない。
守が高校に入学するまで、菅生は家にほとんど帰ってこなかった。この道場の仕事を行うためだ。前に住んでいた家からこの道場はあまりに遠いため、菅生は家に帰らずここで寝泊まりをしていたのだ。しかし、俺が高校に入学すると守の母が「そろそろ一緒に暮らさない?」と提案をして今に至る。
守も菅生と暮らすのは嫌じゃない。むしろ、転校という点を除けば大歓迎だった。
「いや、息子のために最大限の努力をするのが親の役目だ。しかし、私は仕事の都合で息子を振り回すなどあってはならないことだ。すまない」
菅生は頭を下げた。
――相変わらず、人にも自分にも厳しい人だな……。
「父親が息子に頭なんて下げるなよ。それより、せっかくだから稽古つけてくれよ」
守は話を切るように話を変えた。
菅生もそれを理解したらしく、咳払いしてから背筋をただし、
「いいだろう。剣術を教えればいいのか?」
「いや、剣術はいいや……覚えても使えないし」
「……」
守の言葉を聞いて、菅生は一瞬、何かを言おうとしたように見えた。しかし、その口かすぐに堅く閉ざされ――
「分かった。じゃあ、抜刀術の基礎をやるか」
このとき、菅生の声は明るかったが、顔はとても悲しそうな表情をしていた。