汚秘め様
――――寒い。
外は白銀の世界で包まれていた。
しんしんと降り積もる雪は、世界に色を塗りつぶしていく。
まるですべてを拒むかのように――
ドサッ ドサササッ!
屋根から滑り落ちた雪が世界に音をならす。
――――ぶるりっ。
その音は少女の覚醒を促した。まるで目覚まし時計の役割を果たすように。
「ふわぁああ~~~~~。うみゅ……」
少女はまぶたを擦りながら、身じろぎをする。
――――――――寒い。
少女は寒気を感じ、身体を丸くする。
ふと違和感を感じる。
肌寒さは空気によるものと思ったが、どうやら違うようだ。
掛けていた布団を手に取り、めくりあげる。
そのまま起き上がり、寒さの原因を探る。
そして目に映ったもの――
――――大きく描かれた『地図』――――
それが寒さの原因だった。
少女はそれをみてあることに気付く。
自らの下半身におそるおそる目を向け、そして手を当てる。
――――冷たい。
そこには確かな証拠があった。
――――『地図』を描いた『絵の具』が。
どのくらいその『地図』に魅入られていただろうか。
少女はふと正気に戻る。
いつまでもこうしているわけにはいかない。風邪を引いてしまう。
そう思うと、とことことその場から歩き出す。
部屋の中にあるタンス。そこが少女の目的地。
そこからある物を取りだす。
「きょ~わ、くまさんっ!」
元気よくそれを履き、『絵の具』を投げ捨てる。
その勢いでパジャマも脱ぎ捨てる。
いつも通りのお気に入りの服に着替えようとしていたところで、
肌に伝わる冷気を感じ、それを諦める。
気は進まないけれど、普段は絶対に着ない野暮ったい服を手に取った。
着替え終わると、現状を確かめる。
――『地図』と『絵の具』
そして、そこからほのかに漂う香り……。
そのどれもがこのままにしておくわけにはいかないもの。
それには当然理由がある。
――――『鬼』
そう、この家には『鬼』がいるのだ!
もしこの状況を、その『鬼』に見とがめられてしまったならば、少女は地獄の責め苦を味わうことになるだろう。
その恐怖を想像して、身体をぶるぶる震わせる。
そして冷気を感じていた心身が、よりいっそう冷え込む。
少女はそれを恐れた。
はそれを避けるため、打開策を考える。
「なにか、ないかなぁ」
声に出すことで、状況を把握し、再認識することができる。
だがしかし、少女にそのような考えがあったわけではない。
少女は焦る余り、思わず言葉を紡いでしまっただけに過ぎないかった。
「う~ん。どーしよ~!!」
焦燥が思考を鈍らせる。
もともと少女は機転が利くような、頭の良さを持ち合わせてはいなかった。
結局少女が考えついた方法は、乾かせば誤魔化せるということだけ。
それを実行すべく、少女は動き出した。
『絵の具』を『地図』の上にのせ、そして布団を被せる。
「よぅし。これでひとまずはだいじょーぶだねっ!」
握り拳を手のひらにぽんっとのせ、喜びの表情を浮かべる。
その仕草はとても可愛らしかったが、やっていることは偽装である。
「さて、とぉ。ここからが、じゅーようなにんむだね」
その声音は弾んでおり、どこか楽しげである。
子供特有のものだろうか……。
何にでも楽しみを見出す。
もし少女のいう任務が失敗したときは、どうなるなど――既に考えていないだろう。
――――恐らく悲惨な結果が待っているだろうに……。
そんな心配などをせずに、少女は思うまま行動する。
少女が求めるものは二つ。
その内のひとつ――それは、『地図』と『絵の具』を薄めるための水分。
そのまま乾かしてしまえば、においが酷いことになってしまう。
そのくらいは少女の頭にもあった。
過去の経験で学んでいたのだ。
さて、水分の入手だが、いろいろと手段がある。
バケツで水を汲むというのもあるが――
少女は違う方法を考えついていた。
――――雪だ。
外には、辺り一面に雪が降り積もっている。
これを利用しない手はないと少女は思う。
いや、それは言い訳にすぎない。
――――早く雪で遊びたい。
少女の心の中には、その気持ちでいっぱいだったのだ。
『鬼』に折檻されることを前提で、遊んでしまうのもいいかもしれない。
ふとそんな考えが浮かび上がった。
しかし、これまでの責め苦を思い出し、その考えを振り払うかのように頭を左右に振る。
身体が震え、さらに気温が下がったかのように感じてしまった。
馬鹿な考えと、遊ぶ気持ちを抑え付けた。
でもそれでも雪に触りたい。
そんな妥協案をとって、雪を使う。
だから水を用意する……という考えにはとてもなれなかった。
少女は窓を開けた。
ズサ……ドスン
その衝撃に呼応するかのように、積もっていた雪が崩れ落ちる。
少女の部屋から直接行けるベランダに降り積もった雪は、それ相応な量があるように思えた。
それを少女はかき集める。
「きゃっ!、つめたぁ~い」
セリフとは裏腹に、どこか楽しそうな表情を浮かべている。
雪を固めて何かに投げつけたい気持ちに駆られる。
しかしそうしてしまうと、誤魔化すに必要な量は集められない。
「がまん、がまん~」
再び少女は誘惑を打ち払って、必要な事だけをする。
やがて十分な量の雪を、ベランダの窓の近くへとかき集めた。
そして部屋へと入り、隠された『地図』を暴き出すかのように布団をめくりあげる。
少女の体温が残された布団によって、それは蒸されたのだろうか――
先ほど以上の香りが部屋にあふれ出る。
「あう~、くしゃ~い。はやくなんとかしないと!」
その香りをたどった『鬼』が、攻め込んでくるまでの時間は……少女は余りないように感じた。
しかし、少女が心配するほど匂い――いや臭いは充満しておらず、その心配は杞憂だった。
が、客観的なことはわからないものである。
そのことを知らない少女はせっせと、雪で『地図』を被い被せる。
その間に『絵の具』も挟み込み、最後に布団を被せ証拠の隠滅を図る。
「これでぇ、だいいちだんかいのしゅ~りょ~だね。つぎはどらいやーだね」
少女は第一ミッションをクリアし、第二ミッションへと移す。
ドライヤー、それが二つ目。
乾かすという点において、最も頼りになる電気器具。
これはお風呂場の近くに配備されている。
もう一つあることはあるのだが、それは『鬼』の標準装備として住処にしまわれている。
なるべく『鬼』と接触をしたくはない少女は、それを狙うことなど最初から考えていない。
先ほどの行動とは違い、次の行動は『鬼』や、その輩と遭遇する可能性もある。
それゆえ、隠密行動をとる必要があったのだ。
少女はそのことを勿論承知している。
でなければコソコソと行動したりはしない……。
少女の歩みはゆっくりとしたものだった。
音を立てずにドアを開け、そして閉じる。
スリッパは音を立てるために履いてすらいない。
冬特有の寒さが足の裏から伝わり、思わず声を出しそうになってしまう。
そしてついに――
「ひゃっ」
少女から可愛い声が飛び出した。
しかし少女は口を手で抑えていたため、ちょっとした声なので響く……というほどでもなかった。
子供が考えつく隠密行動など、音を立てない、そして口を手で塞ぐ、その程度だ。
だが、その程度の事が少女の命を救ったこともまた事実である。
やがて、少女が目指すお風呂場の近くまでたどり着く。
中に入るには、扉を開けなければならない。
その時にはどうしても音が生じてしまう。
――――ゴクリ。
少女はとつばを飲み込んだ。
緊張で少し手足が震えているのがわかる。
「すぅ~~、はぁ~~~すぅ~、はぁ~」
深呼吸して、こわばっていた身体の力を抜いていく。
それが終わると周りをキャロキョロと見回しながら、ゆっくりと、ドアノブを回した。
カチャリ
その音は静寂の中に響き渡る。
思わず少女は手を離し、周囲を確認する。
「はぅ~、びびったよぉ」
小声でつぶやく声音の方が、ドアの発した音よりも大きいことに少女は気付いていない。
しかしそれでもなお、少女のいう『鬼』に見つかった様子はなかった。
少女は気を取り直して、ドライヤーという財宝が待つ脱衣所へと入り込んだのだ。
「よかったぁ。だれもいないよぉ」
中には少女が懸念していたことが存在していないかった。
少女の懸念――
それは『鬼』の輩が鏡に向かい、何やら刃物を使っている時がある……ということだ。
少女には分からないが刃物を頬に当てている。
それは余りにも恐ろしいことだ。
狂気の沙汰としか思えない。
『鬼』とは違って、少女に優しいところがあるので、どちらかといえば好きな存在だ。
でもそのことだけはどうしても理解できない。
――それがいなかったことに、ほっと一息をつく。
そして少女のお目当てを見つけ出す。
「これで、あとはもどるだけだねぇ」
少女はドライヤーを上にかかげ、まるで伝説の剣を手に入れたかのようにかざす。
その仕草はとても可愛らしい。そして微笑ましい。
やっていることは隠蔽の作業だが……。
少女は誰にも見つかることなく、自室へと戻ることに成功した。
「ここまでくれば、だいじょーぶだね」
ほっとしたのだろうか、今まで潜めていた声も普段通りの大きさに戻っている。
そして早速乾かす作業を……と電源にプラグを差し込むという準備をする。
ベッドから近くにコンセントがあったのは幸いだったのだろう。
行動を移す前にそれを確かめていなかったのは、部屋のコンセントの位置を把握していたのだろうか……。
それとも考えなしの行動だったのかはわからない。
だが、少女にとって結果がよければ何でもいいのだ。
溶け始めていた雪が、地図だけでなく、掛け布団も浸食していた。
少女はそのことに思わず顔をひそめる。
――作業が増えたからだ。
「あ~う~。あさごはんまでに、まにあうかなぁ」
少女が気にしていたことは食事のことだった。
いや、食事に伴い『鬼』がそのことを告げに来ることを心配したのかもしれない。
ウィーーーン
少女の居る部屋には、ドライヤーから放たれるモーター音が鳴り響く。
それは今まで少女が秘めていた行動を台無しにするくらいの音であった。
――――それに少女は気付かない。
そして、その異変に気が付く者も当然いた。
――――『鬼』だ。
少女が『鬼』と呼ぶ存在が、異変に気が付いてしまったのだ。
『鬼』はその原因を確かめるべく、朝食の支度を途中で止め、音の発生源へと向かう。
音の質からそれがドライヤーだということは分かっている。
この際気にしていることは、『何処』から聞こえてきたかだ。
この時間にそれを使う事など、この家の存在をかえりみても普段ではあり得ないこと。
音の発生している場所から少女の部屋だと簡単に察しがつく。
それならば――少女が悪戯に使っているのではないかと、『鬼』はすぐさま判断した。
そして『鬼』はゆっくりと少女の部屋へと近づく。
まるで死を告げる使者の様に……。
……少女の最期の刻は近い。