いつのまにか異世界に来ていた私の話・続
無事にカップヘットへとクラスチェンジした私は今疲れ果てた様子でサウスメンに来ていた。サウスメンとは南方地方にある最南端の街である。南国よろしく熱帯雨林で街中にはバナナが生えているのをよく見かける。このバナナは誰でも取って食べていいそうで、私も一度街に来たばかりのときはもぎ取って食したものである。実に甘く美味だった。この街ではバナナが主食らしく、よく屋台で蒸かしたり焼いたりしたバナナが道端で売られていた。
さて、過去を振り返り思い出す上級職へのクラスチェンジ方法だが、私の種族アクアピープルはご存知の通りリアル一時間ごとに水を補給しなければ体力が減っていくというバッドデバフが常時かかっている。つまりバッドパッシブスキルだろうか。このどうにももどかしい性質を、なんと上級職ではリアル二時間にできるのだ。これはすごいことだ。この全身の渇きがこちらの世界では八時間ごとに飲んでいたのだがそれが十六時間になるのだ。なんともやっほいな話である。それを知ったときの私は思わず小躍りして小さく馬鹿騒ぎを内心したのだった。
クラスアップの場所は職業ごとに異なる神殿ですることになっている。私の職業であるカップ関係のものはサウスホールと呼ばれるサウスメンから少しばかり東へ行った場所にある大穴の中にある神殿である。ここは砂漠とまではいかないが荒野になっており水の補給が難しい。私はその話を前もって聞いていたので何百個と水をドローしていった。空間圧縮袋耳飾バージョンを持っているのでいくつでももっていけるのがとても助かる。
だが、神殿にたどり着いた私は多大な精神的被害を受けた。それは、所持していた水を全て破棄しなければ神殿の中へと入れなかったからだ。立て札に注意書きがされており、最初は無視して中へと入ろうとしたのだが、結界のようなものでバチンと弾かれビタンと地面とご挨拶。数回試しても弾かれるのは同じだったので、私は仕方なく、本当に仕方なく持ってきた水をたらふく飲んだ後全て捨てたのだ。そうして中へと入ろうとするとあら不思議。すんなり神殿の中へと入ることができたのだった。
しかし、水を全て捨ててしまったということは時間との戦いだとうことだ。なんせカップギーメルの時はリアル一時間、こちらの世界では八時間ごとの水の補給なのだ。その間に神殿奥深くにある聖杯の水を飲み干して瞑想しなければいけない。神殿の中は清浄な空気でもって魔物は一切でないのがせめてもの救いだが、我が義父ギルドマスターのカインに聞けばどの神殿も行って帰るだけで八時間かかるというのだ。これはなんの嫌がらせだろうか。悪意に満ちている。つまり瞑想をして帰るまでの間にはどんどん体が乾いて体力が減っていくということだ。運営はアクアピープルになにか恨みでもあったのだろうか。
体の乾きは本当に辛い。まずエラがひどく乾いてピキピキする。そして次にうっすらと皮膚の表面がひび割れる前兆で白く線が入り、そのうち荒野のようにパキパキと音を立てて割れていくのだ。その時はひどい痛みが伴う。血が出ることもあり、しまいには人魚の姿に戻ってしまうのだ。そしてビチビチ動けずにじたばたしながら静かに死んでいくのだ。私は血が出るところまで実際に試したことがある。だから私にとってはたかが水を飲めずに乾いてくるということが、本当に死と隣り合わせの状況になってしまうのだ。
その為、神殿からでたらすぐに水分補給できるように神殿入り口の柱の陰に捨てておく、というか隠しておくことにした。そうでもしておかなければ私はカップヘットへクラスチェンジできたとしても死んでしまう。それでは意味がない。
一つ、延命方法があるがそれは地獄の業火に耐えるような苦行でもある。体力を回復すればいいのだ。そうすれば何度でも荒野のようになっていく肌を味わいながら帰ってくることができるだろう。精神的消耗が激しくなるが。
「さて、じゃあ行くとするか」
軽く準備運動をしてから私は柱の陰に隠した水を物欲しそうにじっとりと長めてからダッシュで神殿の中へと進んで行く。それはもう猛ダッシュだ。もう時間との戦いは始まっているのだから。帰りは必ず渇きとの戦いも持っていることもすでにわかっているが、それでもその時間は少なければ少ないほうがいい。あの痛みは耐えようと思って耐えることもしたくないほどのものだのだ。この神殿を駆けて往復八時間よりも少なくできるのか、それとも駆けてその時間なのかはわからないが、やらないよりはやったほうがいい。私はとにかく息切れとも戦いながら走れるところまでダッシュしまくったのだった。
結局、三〇分ごとに小休止を挟みつつ、三時間半かけて神殿の最奥へとやってきた私。たったの三〇分の短縮だったが少しでも減ってよかったと思おう。最奥もじめじめした空間でここまで来る途中もそうだったが、なんとなく居心地がいい。私がアクアピープルだからだろうな。この湿った空気を少しでも吸い込もうと私は深く深く深呼吸をした。うん、体が少しだけ楽になった気がする。
さて、これから私は聖杯の水を飲んで瞑想しなければいけないのだが、その聖杯は一体どこにあるのだろうか。広い空間をぐるりと見渡すと、ぽっかりと穴が空いた箇所がある。なんで穴が、と私は疑問に思いつつそこへ近づいてみると、その穴の底に台座がぽつんとあって聖杯が一つ置かれていたのだ。これがクラスチェンジする為に必要な聖杯かと私は眺める。
その聖杯は銀の聖杯で縁取りと両の持ち手に装飾が施されている。蔦の装飾だ。そしてその聖杯の中には水が一口だけ入っていた。注意深く見ていると、その水はこの空間の天井から一滴一滴ぽたりぽたりと聖杯の中に落ちてできた水溜りのようだ。だが確かに神聖な雰囲気のある神殿ではあるが、たかが天井から落ちた水に何の力があるというのだろうか。私はうーんと頭を捻ったが何にも思い浮かばなかった。
とりあえずこの水を飲んでしまおうと私は穴の中へと飛び降りる。深さは三メートルほどだろうか。このくらいならばよじ登れる。さっそく聖杯を持ちぐいっと一気飲みすると……。
なんと、足元から水が溢れてきたではないか。これではそのうち水が溜まって私は人魚の姿に戻ってしまう。そう思った時しまった、と私は焦った。今日は私パンツを履いてきたのだ。まさか人魚になる機会がくると思わずしっかりと履いていたのだった。急いで脱いだパンツは空間圧縮袋耳飾バージョンへと入れておく。これでいつ人魚になっても平気だ、さあこい。
水かさはどんどん上がっていきついに腰の高さまでになった。この辺りまでくるとそろそろだろう。私の下半身は青白い光に包まれて人魚へと姿を変えていた。うん、いつ見ても綺麗な鱗だ。祭壇は水に埋もれていなかったので私は祭壇へと上がるとびちびちびたんと尾で床を叩いた。ここで瞑想をすればいいのだろうか。聖杯の水を飲んだだけじゃ何も変わっていない。
私は目を瞑り自身に変化があるまでひたすら心を無にして瞑想を始めたのだった。
そうしてこちらの世界で一時間経ったころだろうか、私の体に異変が生じ始めた。初めは目を瞑っていてわからなかったのだが、次第に瞼の裏からでもわかるくらいの光が私を覆っていたようで、それに気づいて目を開けると、カップギーメルの証だった腕輪の形状が変わっていくのが見えたのだ。腕輪は一輪だったのが二輪に変わっていた。金の細い腕輪は二輪になったことで少し腕を動かすとシャランシャランと音を立てる。そして、ブルーの宝石が一粒アクセントとして付いていた。とてもおしゃれで綺麗な腕輪に変わったのを見て私は顔が綻んだ。
そして、その後気づいたのだが、私の尾びれが一回り大きくなっていた。水につけるとひらひらと動く尾びれは極小の光の粒子が鱗粉のように煌いていてとても美しい。私は私の尾びれが更に美しく変わったことに驚いてしばらく見とれていた。
「……はっ、見とれてる場合じゃなかったんだ。早く神殿を出ないと」
だけど見とれている場合ではなくて。私は急いで三メートルほどの高さを這い上がり下半身が人の姿に戻るのを見ると、急いでパンツを出して履いてまた来た道をダッシュで戻ることにした。ステータスの時間を見るともうこちらの世界の時間で残り二時間半。来た時に三時間半だったことを考えると一時間の余裕があったためにギリギリ体力が減り始める時間に神殿の出口へとつけることになる。
そうして私は来たときと同じよう息切れしつつも小休止を挟みなんとか神殿の出口へと辿りつくことができた。
「ま、間に合った。み、水を飲まないと……」
私は柱の影に隠していた水を取りがぶがぶと飲み干した。うん、うまい。やっぱり水が最高のご飯だ。私の乾きメーターはみるみる下がり潤いが戻る。肌の張りも全然違う。
と。足元を見た私はえ、と思った。なんと尾びれの小さいバージョンが脛脇に付いているではないか。これもカップヘットへと変わったから起きた現象なのだろうか。おそらくそうだろう。だって色も麟粉も同じだ。アクアピープルとしては人魚の特徴が出てきて嬉しいことである。
ステータスを見るときちんとカプヘットへと変わっていてきちんと中級ジョブらしく、初級ジョブ魔法に加えて敵へのデバフも使えるようになっていた。これでもしパーティを組んだとしても足手まといにはならないだろう。……パーティを組んだことはただの一度もないが。地雷というなよ。
ちなみにカップギーメルでは杯での攻撃は遠距離しかできなかったが、カップヘットになると中距離での攻撃も可能になる。力もほんの少し上がっているので狩りの際は楽になるだろうか。まあ雀の涙程度だが。基本ソロの私にとってはそれでもものすごく嬉しいことに変わりはない。
そして冒頭へと戻る。
サウスメンの港に来ていた私は海に関する依頼を探しに来ていたのだ。自由に海で泳ぎたい。けれどできるならお金になるほうがいい。そう思ったのだ。その為まずはサウスメンのギルドへと足を運ぶ。道行く人々の視線は相変わらずだ。そんなにアクアピープルが陸に上がっているのは珍しいことなのだろうか。
以前エルフのお姉さんに会ったことがあるが森の人と呼ばれる精霊に近いエルフは森から離れることを嫌うらしい。だけどそのエルフのお姉さんはヒュムのお兄さんに恋して付いていくことになった。お兄さんもお姉さんのことを想っていたらしく二人は相思相愛だった。実に羨ましい話だ。
森からエルフが離れないようにアクアピープルも水から離れない。その理由は回想の通りだ。もし水の補給ができなければ干乾びて死んでしまうからな。私もそうならないようにより一層気をつけなければ。たとえ十六時間の猶予ができたとしても。
「あ、これでいいかな」
私はギルドへと着いて中へと入り依頼板へと近寄った。そこにはいくつか海の依頼が張られており私の予想は当たったのだ。海に面する街ならば海の依頼があるはずだということ。
書かれていた依頼内容はシェルフの採取。しかも大型の名前はまんまのラージシェルフだ。このシェルフの形状はシャコガイと同じで、ふちが波打っている。色も真っ白で中には真珠が入ってることもある。まあつまり元の世界とは名前が違うだけということだ。これを三つ採取してほしいらしい。どうやら料理で使うらしく。中に真珠が入っていた場合は報酬の上乗せありか。うん、いいな。よしこれにしよう。
私は依頼書を引っぺがして受付に持っていく。
「この依頼をうけ……」
「うわ! アクアピープルだ。すげえ初めて見た! うっわすげえ、本当に耳がエラだ! うおお、すげえ肌触り!」
受付に持って行きギルド員に話しかけようとしたのだが……。こいつはなんだ。初対面の赤の他人の耳にいきなり触れるとは無礼ではないか。しかも声が大きい。おかげでギルド内にいる者が全員こちらを向いたではないか。私は内心イライラしつつも表面では柔らかに微笑んで未だ私の耳を触っている手を払いのけた。
「いきなり失礼ではないですか。女性の耳に触るなんて。どういった教育をされてきたらこうらるのかしら」
しかも丁寧語である。怒ると私の口調はついこうなってしまうのだ。だがそんな私の様子に気づかずにそいつはまくし立てるようにヒュムの男は話し出す。
「うっお、しゃべった! 今俺アクアピープルと話してる! すっげ感動! あ、俺、渚っていいます! 君の名前はなんていうの? あ、いや待って当てるから。うーん、きっとそうだな。ナシュレーとか? どう、合ってる? いや、その顔は違うな。じゃあアランネスカとか? どう、どっちもいい名前でしょ合ってる?」
……こいつは少々お仕置きをした方がいいだろうか。なんとやかましいヒュムの男だろう。しかもナギサとは渚と書くのだろうか。海に関した名とはよほど私を怒らせたいとみえる。お前のようなやかましい男が渚なだどという名前など私が認めると思うか。こいつの名前はガヤで十分だ。がやがやするのがや。ふん、お似合いではないか。
「貴方のような失礼な方に名乗る名前は持ち合わせえていませんの。邪魔ですからどいて下さる、ガヤさん」
「え、ああうん。って、俺の名前はガヤじゃなくて渚だってナギサ! すっげえ綺麗な名前だろ。親が海好きで名づけてくれたんだ。で、君の名前は?」
「この依頼書をお願いします。……ありがとう、では失礼します」
ああ、イライラする。私は無視を決め込んで呆気に取られているギルド員の目を覚まさせて依頼書を出す。そして依頼を請けつけてもらった後、そのままつんとした表情でギルドを出たのであった。
だが。
イライライラ。イライライライライラ。このヒュムの男はいつまで付いてくるのだろうか。後ろを付いてくるこのヒュムの男は鼻歌を歌いながら腕を頭の後ろで組み私をじっと見ながらついてくるのだ。こいつはアクアピープルのストーカーかなにかか。私が無視をしているにもかかわらずなんともわけのわからない男だ。しかしこのまま付いてこられても困る。どうしたものだろう。
そこで私は考えた。そうだ、こいつを撒けばいいのだ。とにかく路地をダッシュで駆け回り隙を突いて海へと飛び込むのだ。海へと入ってしまえばこちらのもの。エラ呼吸に切り替えて依頼に勤しめばいいのだ。そうしよう。私はさっそく左前方に見える細い路地へと入り猛ダッシュした。なんだろう、今回走り回ってばかりいるな。
「あっ! ちょっと待ってよ。逃げないで俺の可愛いアクアピープルちゃんっ」
うざあ。早く逃げなければならないな。私はますますスピードを上げてダッシュした。ここを曲がってあそこを出て向こうに行ってこっちに行って。ただひたすら撒くことだけを考えて、時にはフェイントを混ぜつつ私はとにかく逃げまくった。
そうして一時間ばかりだっただろうか。ようやく港に着いた私は倉庫街へと入っていく。ここならば姿を隠すにもちょうどいいだろう。奴の姿が見えなくなった一瞬の隙を突いて倉庫の中へと身を隠す。よし、この空き樽の中に入ればわからないだろう。ぜえぜえと息を切らしつつ私は深呼吸をして樽の中で息を整えた。
マップレーダーで確認すると緑の点は倉庫を通り過ぎて行くのが見えた。無事に撒けたようだ。一体あのヒュムの男、渚はなんだったのだろうか。なぜああも私に付き纏うのかわけがわからない。だがこうして撒けたのだ。もう奴のことは忘れて早く依頼をこなそうではないか。
バシャンと海の中へ入ればそこはもう私の領域。夕暮れの中橙に煌く水面は宝石箱のように煌いていた。ああ、なんて美しい光景なのだろう。思わずイルカのようにジャンプしたくなる。私はゆるく編んだ髪を解き優雅に夕暮れの空を背景にジャンプする。なんとも気持ちのよいことだ。解かれた髪はゆらゆらと波に揺られて泳いでいる。
熱帯雨林の暑い中、この海に浸かり泳ぐのはものすごく気持ちよかった。だがいつまでも泳いでいるだけではいけない。私は気持ちを切り替えて海底へと潜っていく。ラージシェルフを採取しなければ。あの辺はどうだろう。あの岩場の陰ならばシェルフがいてもおかしくはない。揺られている海藻を辿って降りていくとやはりそこには一つ目のラージシェルフが。
やった、これで一つ目だ。私は力の限りラージシェルフを持ち上げると空間圧縮袋耳飾バージョンの中にしまう。これであと二つ。私は目を皿のようにして辺りを見回した。すると、二つ目のラージシェルフが。けれどそこまでの行く手を遮るかのようにクレアフィッシュが待ち受けている。
クレアフィッシュは魚の魔物だ。レベルは三〇。今の私のレベルは三五なのでなんとか一人でも倒せるだろう。私は火力がないので覚えたばかりのデバフと毎秒体力回復の魔法を行使しつつ杯の空圧力でクレアフィッシュに攻撃をする。クレアフィッシュも攻撃を仕掛けてきた私を敵とみなし噛み付き攻撃をしてくるが、ダメージと毎秒体力回復の魔法でとんとんだった。これならいけるだろう。そしてその通りでなんなく私はクレアフィッシュを倒し、換金部位を手に入れてやっと通れたその先にある二つ目のラージシェルフも手に入れたのだった。
最後の三つ目は簡単だった。二つ目の斜め前方にあったのだ。これ幸いと三つ目を手に入れた私は海をぐんぐん海上へと上りそのまま泳いで岸辺へと上がる。
「ああ、海気持ちよかった~。また泳ぎたいな」
また次の機会があれば泳ごうと私はギルドへと戻ることにした。辺りはすっかり日も落ちて暗くなっていた為、もしまたあの渚とかいうヒュムの男に出くわしても簡単に隠れられるだろう。私はほくほくとした笑顔で歩いていくのだった。
「採取品納めにきました。ラージシェルフ三つ。それとクレアフィッシュの換金部位もお願いします」
「かしこまりました。少々お待ち下さいませ。……クレアフィッシュは一,〇〇〇ジールですね。おや、もし訳ございません。ラージシェルフの依頼人の方が先ほどこちらに来まして、物を持ってきてほしいとの言伝がありました。依頼内容が一部変更となりましたがよろしいでしょうか」
「直接持っていくんですか? まあ、いいですけど」
「有難うございます。その分の報酬の上乗せもありますので。それと、今回のラージシェルフですが残念ながら真珠は入っていないようです」
「そうですか。それは仕方ないですね。わかりました。ではさっそく依頼人に渡しに行きますので」
「はい。報酬は直接依頼人から受け取って下さい」
私はクレアフィッシュの代金を受け取ると手渡された地図を頼りに依頼人のところまでラージシェルフを持っていくことにした。地図は詳細に書かれていてまだこの街に今日着たばかりの私にとってはとても有難い。脳内のマップレーダーと照らし合わせて進むとすぐにその依頼人がいるという民家へとやってくることができた。
「こんばんは。ギルドで依頼を請けたものですが、ラージシェルフ三つ持ってきました」
「は~い。今あけますね。……あら、アクアピープルの方ね。ようこそいらっしゃいました。持ってきてくれて有難う。さあ、報酬を支払いますので中へ入って」
出てきたのは恰幅のよいおばさんで、三角巾を頭につけている。民家の中からはいい匂いが漂ってきておりちょうど調理をしていたのが窺える。私は民家の中へと入り玄関でそのまま待った。数分もしないうちにおばさんが戻ってきて、私に報酬を手渡してきた。
「はいどうぞ。ごめんなさいね、急に持ってきてくれなんて。誕生会のお料理がまだ出来上がっていないの。思ったよりも時間がかってしまってね」
「いえ、構いません。では私はこれで失礼しますね」
「ええ、有難う」
私は報酬の三,三〇〇ジーレを受け取ると取っておいた宿屋へと帰ることにした。誕生会か。そういえばユリシアは一体いつ誕生日なんだろう。年はステータスで十七才と確認できるが誕生日までは載っていない。彼女の両親はもういないが義父がいる。それだけでもまだ救われているほうなのだろうな。この世界では両親のいない子供は多いのだから。
少々しんみりとしてしまった私だが、先ほどの旨そうな匂いで少し小腹がすいたので一階に降りて食事を取ろうと思う。一階へと降りていくと他の旅行者や冒険者、仕事終わりの親父達で賑やかになっていた。うん、このくらい楽しそうな賑やかさならしんみりした空気を払拭できるな。
「おすすめを」
「かしこまりました」
この宿おすすめの料理を堪能しつつ、三〇分ほどで食事を終えた私は寝る前にもう一度泳ごうかと夜の海にやってきていた。月夜に照らされた水面も美しい。真っ暗は海は引き込まれそうなほどで、私はそのまま波に揺られて海の中へと沈んでいく。海の中から見上げる月は波で乱れて光が海に溶けていくよう。後光が差し込むように入ってくる光は泳いでいる魚達のステージだ。私はしばらくその光景に見とれていた。
うん。今日はよく眠れそうだ。
私がこちらの世界に来てしまってユリシアと出会い、己の運命を受け止めたあの日から半年経つ。その日から実はまともに眠れたことがない。やはり頭では理解していても心のどこかではまだ帰りたいと願っているのだろうな。そう客観的に考える。
それは、そうなのだろうな。突然来てしまい帰れなくなってしまったのだ。わだかまりがあって当然だろう。義父には申し訳ないが、こればかりは仕方がない。しかし、義父はどういった人物なのだろうか。実はGMコールで話して以来、一度も話していないのだ。顔も見たこともない相手を義父と呼ぶのはなんだか変だ。それでもユリシアとの約束なので義父と呼ぶのだが。
私は海を上がる。そうして人型に戻ったとき声が掛けられた。
「やあ、また合ったね俺の可愛いアクアピープルちゃん」
「……また貴方ですか。いい加減にしないと痛い目に遭いますよ」
その声の持ち主は昼間会ったヒュムの男、渚だった。年は三〇代半ばだろうか。栗毛をゆるくカーブした髪が風に煽られて揺らいでいる。にっこりと笑った顔は優しそうに見えなくもないが、私は騙されないぞ。この変態ストーカーめ。私をつけてそんなに楽しいかこの野郎。私はデバフ攻撃魔法をいつでも掛けれるように身構える。
「ああっ、待って待って! そんな魔法掛けようとしないで謝るからっ」
「……一応謝罪は聞きます。どうぞ」
……謝るというのだ。少しは聞いてやってもいい。さあ話せ。
「ごめんね。君に会えたのが嬉しくて嬉しくてついはしゃいじゃったんだ。俺のこと覚えてないかい。ユリシア」
「っ! どうして私の名を」
「知っているに決まっている。俺の可愛いユリシア。三年半前にウィール・オブ・フォーチュン国の南の海域で奴隷商人に連れ去られそうになったところを俺が助けた時、ユリシアが俺を義父と呼んでくれたあの日から君は俺の可愛い娘なんだから。……会いたかったよ。ユリシア」
「と、義父さん、なの」
そ、そんな。嘘。でも私の名前を知っていて、私が以前ギルドマスター、義父から聞いた内容を話すその声。そうだ。なんで忘れていたんだろう。あの時の声は確かにこの人の声だった。この人が、私の義父さん。
思わず涙ぐむ私に義父はぎゅっと抱きしめてくれる。ああ、これが義父さんのぬくもりなんだ。包み込むようなこの優しさの中はなんて暖かいんだろう。今までずっと一人だった私にはとても眩しく映る。抱きしめ返した私を更に強く抱きしめてくれた。だけどなぜサウスメンに義父が来ているのだろう。私は疑問に思って聞いた。
「それはもちろん、ユリシアの誕生日だからに決まっているだろう。俺とユリシアが家族になったあの日が君の誕生日だ。それが今日なんだよ。だから誕生日、おめでとうユリシア」
「あ、有難う」
なんだか照れる。そうか、そうだったのか。だからジャスティス国のギルド本部からここまで祝いに来てくれたんだ。でもなんで私の居場所がわかったのだろう。
「ユリシアはギルドの依頼を請けてくれているだろう。それで所在を掴むことができたんだよ」
なるほど。それはおそらく犯罪を取り締まる目的もあるのだろうな。
「それでユリシア。君に渡したいものがあるんだ。……はいこれ。真珠の首飾り。アクアピープルの君にはとてもよく似合うと思うんだけど、どうかな」
手渡された真珠の首飾りは銀の鎖で繋がれていて滑らかに輝いている。うん。鏡を見ないでもわかる。私には本当にぴったりな一品だ。私のエラととても相性のいい色合いだ。とても気に入った。
「その首飾りには防御力が上がる効果も付与されているんだ。君にはあまり傷ついてほしくはないからね」
ああ。その思いだけで十分嬉しい誕生日プレゼントだ。物を貰うのももちろん嬉しいがやはり心を貰ったほうが断然嬉しさが違う。私は家族になんて恵まれているのだろう。神に感謝したい。私も何かお礼をしたいな。だけどプレゼントにするような物はあいにくと持ち合わせてはいない。だから。
ちゅ、と義父の頬にキスをする。私が今できる最大の感謝の印だ。感謝の心を贈らせてほしい。
「あ、わわ。ユリシア! なんて可愛いのだろう。ああもう俺はユリシアを嫁にやる日は永遠にこないと思うよ! ああ、そうだとも。どこの者かも知れない男に俺の可愛いユリシアをくれてやるものか」
「考えが飛躍し過ぎ」
すごく騒々しくなった義父を置いといて、私は宿屋へと戻ることにした。さすがにキスはちょっと照れた。足早に去っていく私の後を義父は慌てて追いかけてくる。だけど、こんな日もあってもいいかもね。
本当、こんな日もあってもいいかも。
有難う。義父さん。私は少しずつだがこちらの世界に適応できていってると思いたい。