買物
私の名前は逢沢香奈、県内の公立高校に通う高校生です。学校の偏差値はそんなに高くないし、成績だって良くはありません。そんな私がまさか、こんな快挙を成し遂げるなんて一週間前は思ってもいませんでした。記者さんの話によると、今日の朝刊に掲載されているそうです。私はまだそれを見ていません。別に寝坊して確認する暇がなかったとかそういうわけではありません。楽しみは後に取っておくもの、そうでしょう。偏差値が高くないとは言っても、そこまでバカな学校でもありません。新聞に目を通す子が一人ぐらいいても可笑しくないよね。そういえば、公民で受験する子が時事問題のために新聞を読むようにしてるって言ってたっけ。私は地理だから違うけど。公民なんて何が面白いのか分からないよね。いや、地理も同じぐらいつまらないけど。じゃあ選択科目の中で何が一番面白いのかと聞かれれば、それは日本史なんだけど、一番成績が悪いのが日本史っていうね。まあ、人生そんなもんでしょう。
駅ビルの通路でうろうろするサラリーマン風の男性。さっきから何度も通行人とぶつかりそうになってるし、どう見ても不審者です。
「ねーえ、こっち来なよ」
「値段は良いから好きな物を買いなさい」
彼は私から目をそらして答えます。私からというよりは私のいる一角といった方が正確かな。そこに自分がいたら変態に見られるとでも思っているのでしょう。でも、お父さん、そうやって通路からちらちらとこっちの様子をうかがっている方が十分怪しいよ。
「じゃあ、これでも良いの」
お父さんはそっぽ向いたまま頷きます。うん、確かに許可は取った。これで何も文句は言えまい。
私はお父さんにいつも買物に付き合ってもらいます。このことを皆に話すとファザコンだとバカにされますが、お母さんは財布の紐が堅いんだもの。それに比べてお父さんは女物の大体の価格が分からないから、ちょっとぐらい高くても大丈夫なのです。
「こちらはレース素材を用いてますので手洗いでお願いしますね」
私は何を言われたのか分かりませんでした。手洗いっていつの時代だよ。ネットに入れるだけじゃダメなの。お母さんが下着を手洗いしてるところなんて見たことないよ。え、世の大人の女性は下着を手洗いしていたの。お母さんはケチだからな、ちゃんとしたのを着けてなかったんだ。あの人、見えないところは徹底的に手を抜くからな。うん、これが大人の女性の普通なんだ。
私の頭の中で色々なものがぐるぐると回ります。確認しておきたいこともあったのだけれども、私は笑顔で頷きます。可愛いのが揃ってて気に入ってるのに、素人なのがバレたら恥ずかしくてもう来れないよ。
私はすました顔で会計を終え、お父さんの下に向かいます。そして、たくましいとは言い難いその腕に腕を絡めます。お父さんはすぐに腕を引き抜こうとしますが、まんざらでもなさそうです。私はぎゅっと力を入れ、しっかりとしがみ付きます。
カップルみたいにくっ付いて歩いていると、お父さんは無言で私の前に右手を差し出します。普段はハンカチすら入れることのないブレザーのポッケにはやたら重たい財布が入っていました。私は絡めていた腕をほどき、それをお父さんに渡します。私はそのまま何食わぬ顔で歩き続けますが、お父さんはまた私の前に手の平を差し出します。お父さんが何を要求しているのかは分かっています。だけど、私は無視します。それに対抗しているのか、お父さんは手を戻しません。すると、お父さんの手の甲が私の胸元に当たりました。
「変態、警察に突き出すよ」
お父さんはうろたえながら応じます。
「じ、事故だよ。事故。それより早くレシートを渡しなさい」
私はくしゃくしゃになったレシートをお父さんに手渡しました。それを見たお父さんの足が止まります。
「え、こんなにしたの」
後ろの方で声がしましたが、私は構わず歩き続けます。