色目
最近、妙に気になる女がいる。
何故気になるのかというと……彼女がちょくちょく俺のことを見ているような気がするからだ。
明らかにそれと分かるほど、じっとこちらを見ているわけではない。ただ……ふとした時、チラリとこちらに視線をやるというか。一瞬でも目が合うことが、多々あるというか。
そして……絡まるその一瞬の視線が、やたら扇情的というか。
自意識過剰と言われればそれまでだし、単なる俺の勘違いかも知れない。だけど何故か、そうとは思えなくて……どうしても気になって仕方なかった。
――どうして彼女は、俺をあんな風に見るのだろう。何故、あんなに色っぽい目をするのだろう。
どうして……俺は彼女のことが、こんなに気になるのだろう。
◆◆◆
同い年のある女に、踊りの舞台があるから一緒に行かないかと誘われた。正直踊りなんていうものに毛ほどの興味もなかったが、特に予定もなく暇だったため了承した。
その女は頬を紅潮させながら、あからさまに嬉しそうな笑みをこぼした。
――これほどまでに明らかな好意を寄せられると、なんだか妙に引いてしまう。
俺の考え方が屈折しているのだろうか……なんだか風情がないと思ってしまうのだ。きっと悪い女ではないのだろうが。
それより俺はどちらかというと、それとなくこっちの気を引くような……「あれ、こいつもしかして俺に気があるんじゃ?」なんて淡い期待を持たせるような、そんな女の方が好きだ――。
そこまで考えて、何故か彼女のことが頭を過った。
度々意味ありげな視線を俺に寄越しながら、何もモーションをかけてこようとはしない、不思議な女。
もしかして俺は、期待しているのだろうか?
彼女の視線はやはり俺に向いていて、それは俺への仄かな好意の表れなのだ、と……。
◆◆◆
休みの日。
前から誘われていた、踊りの発表会とやらに行った。
待ち合わせの場所に着くと、俺を誘った女は既にいた。まだ約束の十分前だというのに、随分と気が急いている。
女は明らかにめかし込んでいた。化粧もいつもより濃い。胸元がざっくり開いたシャツからはそこそこ豊かな胸の谷間がくっきりと見え、スリットの入ったミニスカートからはスラリと長い健康的な足が伸びている。
近くに立つと、ふんわりと甘い匂いがした。大方、香水でもつけてきたのだろう。
こんなあからさまなモーションに、今時引っ掛かる男はいるのか。少なくとも俺は引っ掛からない。
そう毒づいてやりたくなったが、どうにか飲み込んだ。とりあえず社交辞令程度に「今日は何だか雰囲気違うね」と言っておく。
女は口紅で染まった艶やかな唇に弧を描き、やっぱり嬉しそうに微笑んだ。
指定された会館へ着くと、早速受付でチケットを買う。此処は、一応男である俺の奢りだ。
会場に入ると、既に八割ほど埋まっていた。結構人気なんだな、と妙に感心してしまう。
女と二人で席に座ると、女の他愛もない話に適当に相槌を打ちながら始まりを待った。
やがて、発表会が始まった。
着物姿の女たちが次々と出てきては、情緒豊かに舞っていく。特に何も思わずぼんやり見ていると、横で女が「この人は私の友達で……」などと必要もないのに解説を挟んでくる。仕方がないのでまた相槌を打った。
しばらくそうしていると、いつの間にか発表会も終盤になっていた。
この人が最後だ、というアナウンスと共に登場した女を見て、俺は思わず目を見開いた。隣で何か喋っている女の声も聞かず、俺は舞台に釘付けになる。
舞台には、彼女が――俺にいつも視線を寄越す、常に頭から離れない、あの女がいた。
丈が長い赤色の着物に身を包み、手には金色の扇子を持っている。古典的な音楽が流れると、長い黒髪と余った着物の丈を靡かせながら、彼女はしなやかに舞い始めた。
何処からともなくはらはらと落ちる桃色の紙吹雪――おそらく、桜を表しているのだろう――と共に、暖かく光るライトに照らされながら舞う彼女は、さながら春を呼ぶ精霊の如く神秘的で美しかった。
言葉もなく、彼女を一心に見ていると……ふ、と彼女がこちらへ視線をやった。いつものように扇情的な視線が、俺の熱っぽい視線と絡み合う。
瞬間、彼女の紅い唇が、満足げに弧を描いた――ような気がした。同時に程よく潤んだ瞳が、すっと細められる。
そのあまりにも艶やかで挑戦的な笑顔に、俺は骨を抜かれたような心地になった。
やがて音楽は鳴り終わり、紙吹雪も止まる。
彼女が舞台から去ったあとも、俺はしばらくその場から動けなかった。
◆◆◆
次の日、俺は告白された。相手は昨日一緒に発表会へ行った、あのあからさまな女だ。
悪いけど、君にはそういう気持ちを抱けない。俺には好きな人がいるんだ。
そんな風に言って、丁重に断った。
案の定、女は俺の答えを聞くなり泣き崩れてしまった。
申し訳ないとは思うが、自分の気持ちに嘘はつけない。騙し騙し付き合っても、尚更申し訳なくなるだけだ。
今ならはっきりと分かる。俺は、俺が本当に恋をしたのは――……。
――その後、俺は彼女を屋上に呼び出した。
今まで俺たちには全くと言っていいほど接点がなかったから、驚かれるかも知れないと思ったが、存外彼女は普通に応じた。
丁度いい段差に二人して腰を下ろすと、俺は口を開いた。
「――あのさ、」
「なぁに?」
彼女の声を、俺はこの時初めて聞いた。一般的な女よりは少しハスキーな、聞き取りやすいゆったりした声。
何だか、胸が高鳴った。
「俺の、勘違いだったら悪いんだが……」
緊張していることを悟られまいとしながら、一つ一つ、確かめるように言葉を紡いでいく。
「今まで、俺のこと……ちょいちょい、見てたりとか、した?」
とうとう、口にしてしまった。
此処で『はぁ? 何言ってんのあんた。気持ち悪いんだけど』などと罵倒されることも覚悟していた。目を瞑り、唇を噛みしめ、俯いたまま彼女の答えを待つ。
彼女は少し黙っていたが……やがて、控えめに笑った。
「何だ、気づいてたんだね」
君も意地が悪いよー、と少し拗ねたように彼女が呟く。思わず顔を上げ、彼女を見た。
彼女は艶やかに微笑んでいた。その見た目だけでは、全く何を考えているかわからない。そんなところにも、強く惹かれた。
「ねぇ。色目、って知ってる?」
唐突に発せられた言葉に、俺は首を傾げた。
「色目……って、十二単とかの?」
とたんに彼女は声を上げて笑った。俺は訳がわからずきょとんとする。
彼女は笑いを抑えるように一度体を折り、再び顔を上げた。
「……はぁ、まぁいや、間違ってないけど。私が言いたいのはそうじゃなくてだね」
そこまで言うと、彼女は急に真剣な目で俺を見た。なんとなく迫力を感じ、黙ってしまう。
「……色目は、異性の気を惹くための流し目だよ。つまり、」
私は、君の興味を惹くために『色目』を使ったんだ。
今まで読み取れなかった彼女の感情が、その言葉と瞳から次々溢れ出してきた。
やっぱりあれは、俺の勘違いなんかじゃなかったんだ。
彼女は、確かに俺を……。
「君が昨日発表会に来てくれた時は、嬉しかった。偶然とはいえ、あの瞬間に私が君の視界にちゃんと入るんだと思うと……」
だからね、と彼女は笑う。
「私はあの時、最上級の色目と笑みを君に寄越したのさ」
最上級の、色目と笑み。
多分俺は、それで……決定的にやられたんだ。
まぁ、そうでなくても元々前から彼女の視線は気になっていたわけだし、結局……初めから、俺の負けは決まっていたわけだけれど。
「全く、とんだ策士もいたもんだ」
思わず自嘲気味に笑うと、俺は彼女の手を取り引き寄せた。驚きのためか、彼女の身体が少々強張る。
そんな彼女の耳元で、色気を含みながら囁いた。
「すっかり落とされたよ。あんたの色目とやらに、ね」
なんかまたよくわかんないものが出来ましたね(苦笑)
いやね、ちょっと…とある作品に影響されてしまいまして。突発的にやっちゃいました←
好きな人にモーションをかける方法の一つに『色目を使う』というのがありますが、今回はそれをテーマに書いてみました。
『目は口ほどにものを言う』と申しますし、これは結構効果抜群なんじゃないですかね。
皆様も、気になる人にそれとなく色目を使ってみては如何でしょう。
…ただし、鬱陶しがられない程度にね…!




