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羊の短編集。

消えない名前。

作者: シュレディンガーの羊
掲載日:2011/08/09


「いつか絶対にあんたを殺しにいく」


ナイフを握りしめた拳に涙が跳ねた。

血に塗れた手は滑るばかりで力など入らない。


「そう」


青年はつまらなさそうに一瞥しただけで、踵を返した。


「なら、俺が死なないうちに頼む」


家を出ていくその姿を睨みながら、心に渦巻く黒が溢れ出るのを感じた。

このままあの後ろ姿にナイフを突き立てたらどうだろうか。

そんな考えが頭を過ぎる。

青年が不意に足を止めた。


「止めときなよ。今、むかってきたら」


殺す――――背中越しに言われたのに、皮膚が粟立った。

言いようのない恐怖にナイフを取り落とす。


「じゃあな」


青年はため息にも似た声を残し立ち去る。

足音さえ聞こえなくなって、やっと自失から立ち直る。

震える掌に再び涙が落ちた。


「……てやる」


傍らに転がる死体に目を走らせて、その思いはどす黒さを増す。

父に母、そして弟。

だったはずの今は冷たいもの。


「……してやる」


黒が思考を塗り潰す。

残ったのはたったひとつの言葉だけ。


「……殺してやる」


伝う涙は、もう要らない。

弱くなるなら優しさだって要らない。

ただ、この黒い感情と共に生きようと決めた。

それが壊れないための選択。




それから2年の月日が流れ、


「俺?名前なんてないよ。好きに呼んで」


再会した憎き奴は俺を覚えていなかった。




ギルドの依頼掲示板の前。

路銀が底をつきかけたから寄っただけの場所。

依頼のメモに手を伸ばしたタイミングが同じだった隣の男。


「あ、悪い」

「いえ、別に」


メモから手を引こうとして、唖然とした。

青味がかった黒髪に、左耳のピアスが目に飛び込んだ。

血の飛んだあの顔が目の前のそれとぴったりと重なる。


「これ欲しいなら、やるよ」


俺の視線を違う意味としてくんだらしく、男はメモをこちらによこす。

喉が渇いて、上手く声が出ない。

心臓の音が煩いくらいに叫ぶ。

奴だ。

やっと、やっと見つけた。

俺から何もかもを奪った非道な殺人鬼。


「いらないなら俺が貰うけど」


不審気にひそめられた眉に、内心慌てる。

冷静になれ、奴は俺を覚えていないらしい。

一度だけ唾を飲み込み、喉を湿らす。


「この依頼、一緒に受けませんか?」


俺は精一杯の笑顔でそう言った。




名前は、と尋ねれば返ってきたのは素っ気ない返事。


「好きに呼べっていきなり言われても」

「なら、お前は?」


戸惑えば逆にそう問われた。


「俺は」


言い淀み、それから瞬間的に冷えた頭のまま口を開いた。


「シュカ」

「ふぅん。シュカ、か」


奴はつまらなそうに目を細めてから、呟いた。

さも、興味なさげに。

反芻された名前に頭の中でぱちん、と気の抜けるほど呆気なく何かが弾けた。

そして冷え冷えとしたものが流れ出して、すべてを根こそぎ奪いさっていった。


「どうした?」

「なんでもありません」


答える声が笑えるほどに渇いていた。

凍てついた殺意だけが濁流の中、奪われず揺らがず存在し続けていた。




依頼は簡単なものだった。

近頃、森の屋敷を縄張りにし始めた盗賊5人の退治。

もちろん生死は問わず。

奴が報酬が半分になるにも関わらず、なんで俺と受けたかはわからなかった。

屋敷に向かう途中、奴は早足で歩いて行くばかりで会話はなかった。

俺はその背中を追いながら、あの日を思い返していた。

昔はあの背中が怖いくらいに大きくて、ナイフなど刺せる気がしなかった。

いまでも時々夢を見る。

奴を目の前にして泣くことしかできなかった自分の過去。

でも、その夢を見ることもないのだ。

今日ですべて報われるのだから。

森は暗く、まるで全ての生物が息絶えてしまったかのように静かにだった。




放ったナイフは吸い込まれるように、目の前の盗賊の左胸に刺さった。

その体が傾いでいくのを視界の隅で確認する。

後方からの足音に更にもう一本を振り返りざまに投擲。

体制が崩れたためにわずかに狙いを右に外し、舌打ちする。

次の相手はわずかに呻いたものの、踏み止まり剣をかまえ向かって来る。

ナイフでの応戦は厳しい。

そう判断し、腰から銃を抜きながらハンマーを押し上げる。

心臓に二発、続けて撃ち込む。

今度の狙いは寸分違わずに、相手を貫いた。

赤黒い血を吐いて、二人目の盗賊も倒れる。

そこでやっと乱れた息に気がつく。

人を殺すのは初めてではない。

一人で旅しているのだから、命のやり取りは多い。

倒れた死体に目をやり、それに血まみれの父をみた気がして、首を振る。

今日は残像がやけ目につく。


「俺は」


多分、間違っている。

弟は虫さえ殺せない優しい奴だった。

復讐なんて望んでないだろう。

ましてや、人殺しなんて人で無しに成り果てるなと泣いて叫ぶだろう。

それでも、俺が生きていくためにはこうするしかないのだと、冷めた思考が笑った。


「シュカ。俺は終わった」


向こうから歩いて来る男を殺して生きる。

俺はそのためだけにこの2年生きながらえたのだから。

沢山の屍を築いてまで。


「本当は」


俺の言葉に10歩手前で奴は足を止めた。


「俺、シュカって名前じゃないんですよ」


泣き笑いに似た表情で俺は引き金を引いた。

轟音。

白煙。

反動で跳ね上がる腕。

弾は奴の頬を少しかすり、後ろにゆらりと立った瀕死の盗賊に命中した。

背後で倒れた盗賊に目も向けず、奴はただ光りのない目で俺を見る。

薄く破けた頬から血が涙のように頬を伝い落ちていく。

無表情の瞳と涙のような血に、俺は前触れなく笑い出したくなった。

そうか。

奴は俺が殺意を持っているのを知らないんじゃない。

どうでもいいのだ。

あの目はすべてを諦めているだけなのか。

つまらなそうな声音は、自分の生き死さえどうでもいいから。

俺は銃を奴に構えて、言ってやった。


「シュカはあんたの名前ですよ」

「俺には名前なんてない」


奴は標準を当てられても、微動だにしなかった。

銃を抜くそぶりも見せない。

それは俺が思い描いた復讐とは掛け離れていた。

奴は恐れも命ごいもしない。

違う。

全然違う。

俺が望んだのはこんなものじゃない。


「銃を抜けよ」

「どうして」

「いま、俺はあんたを殺そうとしてるんだぜ?抵抗ぐらいしろよ」

「どうして俺を殺すわけ」


鬱陶しげに投げ掛けられた問い。

あと少しで引き金を引くところだった。


「あんたはシュカ。俺の家族を殺した男だからだよ」


いまの一言で爆発しそうになった憎悪を、声を押し殺して堪える。

そこで初めてシュカの表情が変わった。

目を見開いたシュカを見て、黒い笑みが浮かぶのを自覚する。

シュカは呆然と呟いた。


「お前、まさかハイドなのか……?」

「そうだよ。お前の義弟のな」


息を吸うのさえ苦しいぐらいに胸が痛いのに、笑い出したく衝動が止まらない。

俺の両親は早くに他界した。

そんな俺を引き取ったのがシュカの家族だった。

父さんも母さんも弟も、みんな優しかった温かかった。

そして俺はシュカを本当の兄のように慕っていた。

あの日あの時、シュカが自分の家族を殺すまでは。


「なんで殺したんだとかは、もう聞いたりしない。いまさらそんなことどうでもいい。ただ、俺はあんたに復讐するためだけにあの日から生きてきたんだ」


キッとそう睨めば、シュカは疲れたように息を吐いた。

それは昔のシュカの癖。


「なら、お前は約束を守ったわけか」

「あぁ。あんたが死ぬ前に俺は来た」

「なら、ただで殺されるわけにはいかないか。俺のためにも、お前のためにも」


シュカは静かに銃を抜いた。

黒く光るその銃はあの日、家族を惨殺したものと記憶に違わない。

シュカは数秒、銃を見つめてから、再度俺に視線を戻した。

そして、確認の言葉。


「いいのか」

「あぁ」


俺は頷いた。

銃を持つ手に力を込める。

命の奪い合いの了承。

なんて狂ったやり取りをしているんだろうか、今更に思う。

二人で視線を交わし合い、沈黙が満ちた。

これで終わるんだと心が安堵を吐き出す。

長かったこの時を待ち侘びてた。

永遠のような一瞬の時。

先に動いたのはシュカだった。

そして、俺は銃を手放して、両手を広げた。

見開かれるシュカの瞳。

銃声は一つきり。

胸をつく衝撃に息が止まる。

熱が喉を駆け登り、吐き出した血は床を赤く染めた。

痛みに耐え切れず膝をつく。

無意識に手を当てた傷口からは鮮血が溢れ出していく。


「どう、してだ」


掠れた声に顔を上げれば、俺を凝視する青白いシュカの顔。

そこに幼い日の面影を見つけて笑おうとしたら失敗して咳込む。


「俺はあんたを憎んでるし、殺したいし、でも、あんたを殺したら俺はもう生きてはいけないから」


だから、だよ――――平行感覚がなくなり横向きに床に倒れ込む。

燃えるように熱かった傷口はしだいに痛みが曖昧になっていく。

寒いなと思う。

ここは寒すぎる。

早く家に帰りたい。

温かいあの家に。

いや、あの家は燃やしてしまったんだっけ。

じゃあ、どこにいこうか、帰ろうか。

あぁ、そっか。

死ぬのか俺。


「本当の家族じゃなくても、人殺しでも、死んだらみんなと同じところに帰れるかなぁ」


もう定まらない焦点で天井を見上げる。

シュカの顔ももうよくわからない。

この二年間が走馬灯のように駆けていく。

殺した人の顔、血に濡れた手、心が真綿で締められていくような緩慢に近づく死。

思考はまとまらずに流れていく。

涙が、零れた。

殺されて、憎んで、殺して、殺されて。

そして、死んで。


「どうして……っ」


シュカが短く叫んだ。

何がどうしてなんだよ。

疲れてきた。

なんだか眠い。

上から降る雫が頬を濡らした。

なんだシュカも泣いてるのか。

それこそどうして。

瞼が重い。

頭が甘く痺れていく。

あれ、いま俺息してないや。


「お前が俺を殺してくれるんじゃないのか。俺を憎んでるんだろ。なら、どうして俺を殺さない。どうしてお前が死ぬ?」

「許さない、から」


朦朧とする頭で言葉を絞り出す。

ああ、もうだめだ。

眠くて疲れて。

あの日、俺だけが生き残って、それはまるで家族じゃないと烙印をおされたようで。

だから、憎んだ。

俺はあの人たちと家族なんだ。だから。


「俺は、あんたを、」


さよなら。

不意に頭に響いた声は俺の意識を優しく沈めていった。

俺が、あんたを、兄さんを本当に殺せるはずないじゃないか。




ある晴れた日の昼下がり。

二人の少年が森を駆けていく。


「待ってよ、シュカ」

「なんだ、ハイド。追い掛けてきたのか」


呆れ口にしつつも、笑ってシュカが振り返る。

俺の自慢の兄さん。


「俺は弟なんだから、兄さんにはついて行かなきゃいけないんだ」

「なんだ、それ」


胸を張って答えれば、大笑いされた。

そうしてまた、シュカが走り出し俺は一生懸命その背中を追い掛けていく。

二人の少年の笑い声が森を駆けていく。

ある晴れた日の昼下がり。

もう遠い遠い昔のこと。


友人からのリクエスト。

誰かを憎んで死んでいく少年。

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