3-③ 今日まで
頭の中が真っ赤になった。
比喩でも何でもない。どういう仕組みなのか全くわからない。それでもテテリッサの思考は、視界は、全て一気に真っ赤になった。
返事がないから、心配になって降りてきた。
すごい音がして、見ると、クーディが傷だらけになっていた。
彼を押さえ込む、巨大な猿がいた。
傷つけてやるとか、殺してやるとか、そんな大層なことを考えていたわけじゃないと思う。
ただ、そういうことになった。
「触るな!!」
吠えれば、ヴィスタが答えてくれた。
右の腕を振りかぶって、振り抜く。
それだけで、〈魔物〉は吹き飛んだ。
嘘じゃなかった。夏休みの間、ふたりで色々やってきたというのは。
指導教官は言った。虎の精霊はそのまま力を象徴する。扱いには十分気を付けて、できるなら早いうちから使いこなせるようになりなさい。
なった。
今のヴィスタの腕は、暗闇を裂く真っ白な鋼だ。
「ガォオオォッ!!」
めきめきと、ヴィスタは姿を変えていく。
こんなところに連れてくるのだ。精霊を上手く使いこなせない、どころかろくにコミュケーションも取れていない友達を。万が一のことがあってはいけない。
万が一を自分が解決できなければならない。
その自信がなければ、こんなところに来てはいけない。
いけなかったのに。
「引き裂け!!」
鋼の獣が、猿の腕を裂いた。
「ギッ――」
魔力が身体の中を駆け巡っているのがわかった。
頭が沸騰しているみたいに熱い。生まれてこの方、一番強い感情を味わっている。それに合わせて、身体と心が猛っている。牙を剥き出しにして、ほら、こんな風に。
「誰が逃がすか!」
ヴィスタから距離を取ろうとした猿に、綺麗に稲妻の魔法をぶつけることだってできる。それが跳ね返って、ヴィスタに宿って、迸って。
こんなやつに絶対負けない、と思った。
こんなやつにクーディが負けたのが、悔しくて仕方がなかった。
「ウゥ――」
片腕を失って、猿が唸る。テテリッサには、ヴィスタには、まだ傷のひとつもついていない。
倒す、とようやく思う。
倒してから、迎えに行く。
△ ▼ △
これが夏休みの成果なんだとしたら、テテリッサは十年後、一体どんな魔法使いになってるんだろう。
痛みも苦しみも忘れて、ただクーディは、目の前の光景に見入ってしまっていた。
学年で一番すごいのはこいつだ、と思っていた。
でも、違うのかもしれない。その程度の話じゃないのかもしれない。一番すごい魔法使いが、たまたま同じ学年にいただけなのかも。たまたま同じ年に生まれて、たまたま隣にいただけなのかも。
だって、強すぎる。
「ゥウウ――」
「そこ!」
ヴィスタの出力は、どう見てもあの魔物を上回っていた。
単純な力だけじゃない。速さも、そして相手の頭の中を読み取っているような、その機先を制する技術も。
旧時代の悪霊を、圧倒していた。
ヴィスタとの相性が良いのか、テテリッサが使っているうちの多くは、雷の魔法だった。その青い光が弾けるたびに、あの恐ろしい異形の姿が闇の中に浮かび上がる。クーディが手も足も出なかったあの存在に、次々と傷が増えていく。
助かった、と思った。
悔しさが微塵も湧かなくて、それで、クーディは気が付いた。
きっと、今日までだったんだ。
肩を並べていられたのは。
思い出にするには、随分と手痛い傷を負った。これ、どこまで痛んでるんだろ。治んのかな。治んなかったらどうしよ。気に病むよな。
大したことありませんように。
身体を持ち上げようとして、全然無理で、もう一度潰れた。
げっ、と声が出る。声が出て、ようやく自分が大事に抱えていたものに意識が行く。トゲトゲでザラザラ。トカゲみたいでサナギみたいでアルマジロみたいな何か。
人の大ピンチにも素知らぬ顔の、己の半身。
ここまで来ると、かえって感心だ。
「お前、自分だって危なかったのにさ」
と、クーディは口にしたつもりだ。
実際には、口の中に溢れた血が邪魔で、上手く言葉にならなかったけれど。
それでもクーディは、それを撫でた。その表面に、傷はない。自分と同じで中身が傷付いた可能性はあるけれど、とりあえず。
とりあえず、無事でよかった。
「クーディ!」
そう、自分に思ってくれた友達もいた。
もちろんクーディは、それを見ていた。ヴィスタが、魔物の腹にその爪を突き刺したところ。腕まで入ったところ。そこに容赦なくテテリッサが稲妻を落としたところ。それがとんでもない出力で、洞窟を一瞬だけ昼のように変えて、あの猿の魔物を黒焦げにしたこと。
勝負ありだ。
どっちも。
「大丈夫!?」
だというのに、テテリッサは今にも泣き出しそうな顔をしていた。大丈夫だよ、とやせ我慢をしようにも、まるで身体が起こせない。もう一度ぐしゃっとその場に崩れ落ちて、ちょっとした悲鳴を上げながら、テテリッサが駆け寄ってくる。
なっさけねー。
そう思うから、クーディは目の前のそれを見た。
萎れた〈ハートグラス〉。
もうちょっと余裕があればな、と思う。テテリッサに見せてやれたのに。目の前のこの薬草で〈万能薬〉を作るところ。それを飲んで、まあ何とかなるよとか、そういう強がりを口にするところ。
でも、残念ながらテテリッサが肩を貸してくれる方が早そうだ。
それか、ヴィスタの背中に乗せてもらうか。
きっと気持ち良い。そういうどうでもいいことばかり頭に浮かぶ。そういえば俺、こういうもふもふの生き物が好きだったんだ。リリって今、どうしてるんだろ。大ばーちゃんと一緒に、旅先で元気にしてんのかな。
そうだ、この草。
こんなことになったんだから、店に持ち帰って何かに使わないと割に合わない――
音がした。
地面に突っ伏していたから、わかった。わかって、ほんのちょっとだけ戸惑った。判断がつかなかったから。それがテテリッサの足音なのか。ヴィスタの足音なのか。
それとも、それ以外なのか。
顔を上げたときには、もう遅かった。
気付くべきだった。疑問に思うべきだった。関連付けて考えてみるべきだった。どうして魔物なんてものが、いまだにここに残っているのか。いられたのか。〈ハートグラス〉が光っていた理由。萎れた理由。
人間が、この草を『薬』として使えるなら。
魔物が――精霊がそれをできたって、おかしくない。
そう、考えてみるべきだった。
「――うしろ!」
喉が裂けるような勢いで、叫んだ。
テテリッサは反応した。ヴィスタと振り向いた。
でも、それじゃ間に合わない。暗闇の中、照らし上げるのが間に合わない。死んだはずの相手を警戒しない。防御だってできない。
傷の癒えた猿の魔物。
腕を振って、小枝を折るようにテテリッサを吹き飛ばした。




