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3ー① ばあ



 ぎょっとしたのは、ふたり同時のことだった。


 どちらからともなく起きて、互いの身じろぎで起こし合う。そして妙に暗い中、なんでこんなに暗いんだろうと言い合って、おっかなびっくりランタンに火を灯す。


 照らす。


「わっ!」

 飛びのいたのは、テテリッサの方が早かった。


「な、なんですかこれ」

「いや……」


 クーディは飛びのかない。

 けれど「わからん」としか答えようがない。


 エークラールの森の、洞窟の、崖の下の、一面に広がっていた光る〈ハートグラス〉。


 それが全て、一夜の間に萎れていた。


 こんな光景は、まず見ない。クーディも流石に、薬草の全てに通じているわけではない。けれど〈ハートグラス〉のことなら多少は知っている。


 この薬草は、普通こんな風には萎れない。


「出よう」


 だから、目を逸らすようにテテリッサに言った。


 幸いにも、昨日のうちに植えた〈梯子草〉は萎れていなかった。そして、十分な長さに育っている。その蔓を巻き取って、ほら、とテテリッサに投げ渡す。うん、と彼女が頷く。ヴィスタがその蔓の片端を咥えて、猫の姿で崩れた崖を駆け上がっていく。


「どうだ?」

「うん。大丈夫そう」


 ぐい、とテテリッサが引っ張っても、その蔓はびくともしなかった。


 ヴィスタがしっかり上に登って、虎の姿に戻って、その蔓を支えてくれている。


 これならこの崩れた斜面だって、何とか登れる。


「テテリッサ、先に行ってくれ」

「う、うん。あ、いいんですか?」

「テテリッサが登ってる間に、こっちの帰り支度を済ませとくよ。さっさと行こう。ここ、なんか不気味だ」


 テテリッサも、粘りはしなかった。

 うん、ともう一度頷く。クーディが蔓を腰に結んでやれば、しっかりとそのロープを頼りに登り始める。


 しばらくその背中を見届けた後、大丈夫そうだ、とクーディは結論づける。そして、彼女に伝えたとおりに帰り支度の準備から。暗闇の中にランタンを掲げて、物の位置を確かめて、その間、考えている。


 どうしていきなり、こんなことになったんだろう。


 そして、考え出したら止まらない。

 結局、あの光っていた〈ハートグラス〉は新種だったのだろうか。新種でないとしたら、何が原因で光っていたのか。萎れたのには、何かその光に関連した理由があったのか。


 その理由は、自分たちには何の影響もないのか。

 考えたら、怖くなってきている。


 追い立てられるような気持ちになっていた。リュックを急いで背負う。寝袋と焚火のセットを片付けるか少し迷って、もういいや、と決めてしまう。どうせもう、上に登ったら帰るだけだ。寝袋なんかまた買えばいい。作ればいい。焚火だってちゃんと消したんだ。いつかここに別の遭難者が訪れたとき、有効活用してくれればいい。これだってリサイクルってもんだ。


 重要なものは、でも、もうひとつだけ。

 俺の精霊。


 クーディは、寝袋の前に屈み込む。ランタンを地面に置いて、手を差し込む。トゲトゲでザラザラの感触を、指先で捕まえる。


 不思議と温かい。

 それで、ふと思い当たった。


 体温だ、と理性は告げる。一晩一緒にいて、自分の体温がこのトゲザラの精霊にも移ったのだ、と。でもそのとき、クーディにはこんな淡い期待もあった。何か変わったのかも。まるで動かない俺の精霊に、何か変化があったのかも。


 たとえばほら、この不思議な〈ハートグラス〉の生えた場所で、何かのご利益があって。


 ご利益?


 魔法学園に通うのも、もう四年目だ。だからクーディは、昔よりずっと成長した。子どもの頃は曖昧な言葉で済ませていた分析を、もっと具体的な形で、速やかに行うようになった。


『ご利益』は簡単に『何かの魔法で』に変換される。


 魔法。

 誰の?


 そして分析は、もっと現実的な寄り道を始める。


 萎れないはずの薬草が一夜で萎れた。どうして? 萎れさせるだけの何かがあったから。何かは何? 簡単に変換される。


 誰かの魔法で、草は萎れた。

 それで、その誰かは誰で、今どこに?

 

 息遣いが聞こえた。


「…………」


 汗が、首筋に伝うのをクーディは感じた。

 いまだ夜なのか朝なのかもわからないような暗闇の中だ。心臓が早鐘を打つ。手と足が、小刻みに震え出している。忘れ物がないか確かめる。ゆっくりと膝を折って、地面に近付く。覚束ない指先で、ランタンの取っ手を引っ掛ける。


 ゆっくりと持ち上げる。

 ゆっくりと、ゆっくりと、彼は振り向く。




 目の前にぽっかり空いた、大きな大きな獣の口。




 叫び出しそうになって、やっぱりやめた。

 助けなんか呼んだら、本当に来てしまいそうだから。



△  ▼  △



 自分と他人の区別がよくついていないのかも。

 テテリッサは蔓を掴んで崖を登りながら、そんなどうでもいいことを考えている。


 違う誰かになってみたい。

 学園に入ったときは、そう思っていた。


 理由を問われても、テテリッサはそれを上手く説明できない。それが一番奥深くにあった理由で、そこから先は何もなかったから。あなたにもそういう時期、あったでしょ? そんな風に答えるしかない。


 それが、言葉遣いや振る舞いを変えた理由。


 今になってみるとちょっとはしゃぎすぎで――正直、『本当の自分』との差が激しすぎて、自分でも手に負えない『自分』が生まれてしまった理由。


 でも、この『自分』とも四年目の付き合いで、だから今更『本当の自分』がどうだったかなんて、よくわからなくなってきている。


 だから彼女は、いまだに自分が『ライバル』のことをどう思っているのか、自分自身掴み切れずにいる。


 もしかしたら自分と区別がついていないのかも。

 そんな風に、思っている。


 あのとき――クーディが奇妙な精霊を呼び出して呆然としているのを見たとき、自分も一緒になって呆然としていたことを、テテリッサは覚えている。


 そしてそれ以来、何か言葉にしがたいもやもやを、ずっと胸の内に抱え続けている。


 夏休み、実家に真っ白な虎を連れ帰って、両親の腰を抜かせたりしていたときも。猫グッズを買って、ヴィスタに試していたときも。友達と遊びに行っている間も。図書館で、まじめに勉強していたときも。


 宝の地図を、不意に見つけたときも。

 ぼんやりと頭の隅に、クーディのことがあった。


 別に、他人のことなんて関係ないはずなのに。


 だって、自分にはヴィスタがいる。強くて可愛くて、ずっと頭の中に思い描いていたみたいな、理想のパートナー。今だってこうして助けてもらってる。自分が調子に乗りすぎているときは諫めてくれるし、すごく気も合う。


 自分よければ全てよし。

 自分のことが上手くいっていれば、他人のことなんて本当は関係ないはずなのに。


 なのにどうしてなんだろう、と思う。


 クーディが、実技の授業で四苦八苦しているときとか。自分ともう、総合成績で張り合うのをやめてしまったこととか。あの古びたお店の中で、にこりとも笑わないで、溜息を吐いて、ひとりで仕事をしている姿とか。


 そういうのを見たとき、わけもなく何か、悔しいような、もどかしいような、そんな気持ちになってしまう。


 こういうのって、よくあることなんだろうか。テテリッサには、よくわからない。きっと友達は、親身に相談に乗ってくれると思う。でも、自分で言葉にできないものを、どうやって訊いたらいいかもわからない。だからわけがわからなくなって、こんなところまで引っ張ってきて、挙句の果てに怖い思いをさせている。


 させちゃった。

 それは結構、本気の反省ポイントで。


「っと、」


 反省している間に、一番上まで着いた。


 がう、と猫から虎に戻ったヴィスタが声を上げる。ありがと、とその頭を撫でてテテリッサは気を取り直す。


 やることやらなくちゃ。


「クーディー。登りましたから、続いてくださーい」


 昔だったら「続いてください『ましー』」とか言ってたな、とテテリッサは思う。


 前はもっと大袈裟だったのが、最近少しずつ崩れてきた。こういうの、周りには気付かれているんだろうか。そんな関係のないことを思って、


「クーディ?」


 返事がない。


 どうしたんだろう。テテリッサは少し蔓を引く。簡単に引っ張れてしまうから、向こうが登り始めている様子もない。何か取り込み中なんだろうか。返事もできないくらい?


「そっちに降りて――」


 手伝いましょうか、と言おうとした。

 からん、と音がした。


 それは下から聞こえてきた音じゃなかった。上から。つまり、テテリッサの立つ場所のすぐ傍から。


 音を立てたのは、ヴィスタ。

 ヴィスタが何かに触れていた。木の棒みたいに見えた。でも、違う。棒みたいなものの横に、もっとわかりやすい形をしたものがあって、それがきっかけで全部がわかった。


 骨だ。


 人の骨。頭蓋骨。



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