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2-③ 眠くなるまでお話してよ



 九死に一生だった。

 もふもふの虎が下敷きになってくれたおかげで。


 持つべきものは、虎。



「んで、焚火と寝袋も持ってきといてよかった……」


 ぱちぱちと弾ける火に当たりながら、ようやくクーディは安堵の息を吐く。対面には、膝を抱えたテテリッサ。その頭をぽふぽふ叩いて慰めるヴィスタ。


 顔を上げないまま、テテリッサが言った。


「……すみませんでした」

「ほんとにな!」


 声色で落ち込んでいるのがわかったから、かえって大袈裟に聞こえるようにクーディは返した。


 この世で一番恐ろしい時間だったと思う。

 崖の上から、真っ逆さまになって地面に落ちていくあの時間は。とにかく地面までが遠くて、長くて、永遠に続くのかと思った。ヴィスタが下敷きになってくれなければ、首の骨をバキッと折って死んでいたはずだ。


 流石にテテリッサも、それが堪えたらしい。


 いつもの調子に乗った言動もどこへやら。見ているとみるみる可哀想になってきて、だからつい、クーディは前向きなことばかり口にする羽目になる。


「まあでも、宝の地図ってのは間違いじゃなかったな」


 周りを見渡すように、言った。

 そこは〈ハートグラス〉の群生地だ。見渡す限りで、所狭しで、足の踏み場もなくて、焚火の設置にものすごく苦労したくらいの。


「こんなに密集して生えてるところ、エークラールの森の中でもまずないぞ。蓄光するって話も聞いたことがないから、変種かもしれない。持って帰って調べれば、何か面白いものができるかも……」


 言いながら、クーディは気付く。

 全然テテリッサは、こっちの話を聞いていない。


「んな落ち込むなよ……」

「は、はあ!?」


 気遣ってやったら、むしろ火が点いた。

 弾かれたように彼女は、


「落ち込んでないですぅ! ただ『失敗したな』って反省してたの!」

「それを落ち込んでるって言うんだよ」

「だって――」


 テテリッサは、頭上に目をやる。目をやったところで、薄ぼんやりとしか映らないけれど、言わんとするところはクーディにもわかる。


「こんなに地面が脆くなってるなんて……」


 ところで、どうして崖から上ろうともせずにこんなところでキャンプを始めてしまったのか。


 理由は単純で、上れなかったからだ。


 もちろん、試みはした。ヴィスタの背に乗ってよっこいしょ……。しかし、それが失敗した。


 一度崩れた斜面だ。虎の体重には、耐え切れない。


 ただ、ヴィスタは精霊だから、自分の姿を多少変えるくらいのことはできる。白猫の姿になってとん、とん、とん。それは上手くいったけれど、今度はこっちが取り残される。猫の背中によっこいしょ、はできない。


 というわけで、立ち往生。


「別にいいだろ」


 それでも、クーディは言った。


「ヴィスタだけでも登れるなら、いざってときは遠くまで助けを呼んできてもらえばいいし。それに――」


 目をやるのは、自分とテテリッサの間。

〈ハートグラス〉の間に植えて、早くも顔を出した、小さな芽。


「朝になれば、上まで余裕で届く高さになるよ」


 それは、ロープの代わりに持ってきた魔法の植物だ。

〈梯子草〉と冒険者たちには呼ばれている。土に植えれば、すくすく育つ。ただのロープよりずっと持ち運びに便利だから、緊急用にと何粒か携帯する人も多い。


 上手く使えば、上まで登れるはず。

 そう思うのに、実は少しだけ、クーディも不安になっている。


〈梯子草〉は、本当だったらもっと簡単に成長するはずだからだ。


 ロープを一本拵えるのに一晩なんて、本当はかからない。そんな手間のかかるものは誰も携帯しない。精々二分も待てば、期待した長さまで伸びるはず。


 それが、全然伸びない。

 ここで朝を待とう、なんて行動を取らされるくらい。


 うっすらと、嫌な予感をクーディは感じている。

 宝の地図。示された場所。見たことのない種類の〈ハートグラス〉……。


「大丈夫だよ」


 その予感を払いのけるように、きっぱり言った。


「そんで気にすんな。俺だってヴィスタに助けられたんだから。な」


 言えば、ヴィスタはしっかり欲しい答えをくれた。

 がう。ほら、とクーディは言う。ヴィスタもこう言ってることだしさ。


「失敗は忘れて、今日はとっとと寝ようぜ」

「……うん」


 持ってきた非常食を少し食べれば、やがて焚火の明かりも消えていく。



△  ▼  △



 草の上で寝ているから、寝袋も結構柔らかい。

 もっとありえないほど寝苦しい夜になるかと思っていたけれど、まあこのくらいなら、野宿としてはマシな方だと思う。


 が、もちろん野宿に慣れているわけではない。


 何の遮蔽もない中で、しかも微妙に周りが光っている中で、すぐにぐーすか寝られるほどクーディの肝は太くなかった。



「……起きてる?」


 だから、そうしてテテリッサが呟いた言葉も、しっかりと彼の耳に届いていた。


 といって、すぐに反応したわけではなかった。

 喋り始めれば余計に眠れなくなるかも。そんな迷いが、少しだけ彼の返事を遅らせた。


「……あの、今日、ごめんね」


 そうしたら、二度と返事ができなくなった。

 びっくりして。


 頭も完全に起きてしまった。クーディはすさまじい勢いで、色々なことを考えている。具体的には、これは俺に聞かせるつもりの言葉なのか、そうでもないのか、そうでもないとしたら今すぐ気絶した方がいいのかとか。


 テテリッサには、もちろんそんな色々は関係がない。


「本当は、今日さ……」


 何となく、その声色でクーディは思う。

 向こうは、自分が寝ていると思ってそうだ。ひとりごとみたいな口調で、いつもの変なお嬢様喋りも、妙な強気もなくなっていたから。


 それなら、と。

 お望みどおりに、寝ていることにする。


「…………」

「…………」


 その割に、いつまで経っても続きが来ない。


 何だよ、とクーディは思う。本当は今日、何だったんだよ。気になるよ。


 気になって眠れないから、考える。

 ちょっと考えれば、答えは出る。


「あー……」


 それでも彼女は、寝ている相手にも言いづらいような話を口にする。


「最近、元気なかったでしょ?」


 自棄になったように、急に滑らかに。


「だから何か気分転換にと思って誘ったんだけど、ごめんね。全然ダメで。ていうか、こんなことに巻き込んじゃって」


 いいけど、とクーディは言いそうになった。

 わかっていたからだ。本当は今日、に続くこと。


 気を遣ってもらっていたんだと思う。


 何とはなしに彼は、寝袋に一緒に押し込めたトゲトゲでザラザラのに、手で触れる。


 ついさっき、崖から落ちるときも自分に抱えられるばかりで、下敷きにもなってくれなかったそれに。


「夏休みの間、ヴィスタと一緒に色々やったからさ。今日はカッコイイところを見せてマウント取りまくるつもりだったんだけど」

「…………」


 おい。

 なんて、言うまでもなく続きが来る。


「そうしたら、ちょっとはやる気出るかなって」

「…………」


 それがさ、とテテリッサは続けた。

 まさかこんなことになるとは思ってなくって。正直ちょっと、冒険しすぎた。ごめん。ていうか私、全然ちゃんと準備できてなかったし。寝袋とか色々、持ってきてくれてありがとう。何も知らせてなかったのに。


 でも、


「結果オーライかな」


 とも言った。


 今度は、もう少し声を潜めて。

 聞こえようによってはとても優しい、眠りに入る直前の、夢心地のような語り方で。


「自分でもわかったでしょ。今日、色々頼りになったよ。ここに落ちた後もそうだけど、その前も」


 ぽつりぽつりと。

 聞いたことのない声で、彼女は言う。


「いつまでも落ち込んでなくても、やれること、たくさんあるんだからさ。誰が知らなくても君自身と、それから私が知ってるよ」


 クーディ、と。

 彼女は、名前を呟いた。



「上手くいかないことがひとつくらいあったって、君はすごい人だよ……」



 本当のことを言う。

 クーディは、泣きそうになった。


「……気付いたか」

「!?」


 だから、それを誤魔化すように憎まれ口を言った。


「え、な、」


 がさがさ、と隣で寝袋が擦れる音がする。


「起きてたの!?」

「めちゃくちゃ語り掛けてきてただろ」

「語り掛けてない! 私寝てるから!」


 今の寝言、なんて無茶を言う。

 寝言の方が本音に近くないか、とか。そもそも今日俺よりそっちの方が落ち込んでただろ、とか。笑いながらクーディは言う。テテリッサは怒って言う。


 私もう寝る。

 今度こそそっぽを向いて、一言も喋らなくなった。


 だから今度こそ、クーディはひとりになる。

 この誰の目も届かない洞窟の中で、ひとり、夜の時間に考える。


 多分、こうしていられる時間は、そう長くはない。

 こうやって、ふたりで肩を並べていられる時間は。


 慰められて、かえってはっきりした。テテリッサはああ言ってくれたけれど、自分と彼女の間には、これからどんどん差がついていく。


 夏休み前、最後の期末考査。

 クーディの名前は、座学ではテテリッサのひとつ上。総合成績では、大差をつけてテテリッサの下にあった。


 元々、やりたいことはきっと違っていた。でもこれからは、もっと変わる。やれることも、やることも変わっていく。違っていく。


 当たり前のことだ。

 別にそれで悔しいとか、そういうことは思わない。


 でも、何だか寂しい気がして……。


「…………」


 そっと、クーディはトゲザラに触れた。

 それはやっぱりうんともすんともワンとも言わない。夏の夜にも、少し硬くて冷たすぎる。


 それでも彼は、それをぎゅっと抱いたまま、少しずつ眠りの中に落ちていった。



△  ▼  △



 次の朝。

 全ての〈ハートグラス〉が萎れているのを彼らは見つけた。



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