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2-② 奥へ



 ふたりはどんな関係なの?

 そう訊かれたらクーディは、口にするかどうかはともかく、心の中にこの言葉を思い浮かべる。


 ライバル。

 ライバル『だった』の方が、今は近いかもしれないけれど。



 入学してすぐの頃、掲示板の一番上に自分の名前を見つけたとき、クーディは意外に思うと同時に、「こんなもんか」とも思った。


 入ってすぐのテストは、座学だけ。

 机に向かってペンを動かして、それだけ。


 魔法学園に入学してくる生徒は、別に生まれたときから魔法使いになるつもりで生活してきたわけでもない。一方で自分は、子どもの頃から大叔母の店に入り浸り。


 特に自信があったわけじゃない。

 俺って人よりちょっとスタートラインが前の方なんだな。それだけ。


「――ちょっとあなた、生意気ではなくって!?」


 とは思ってくれない同級生が、ひとりいた。



 次の中間考査では、座学と実技が半々になる。

 総合成績で、クーディはその同級生に、あっさり負けた。しかも、座学まで負けた。


 多分、特に何もなければ、それで終わりだった。

 そう、クーディは自分のことを思っている。


 あまり競争意識が強い方ではないから。他人は他人。自分は自分。大抵のことは関係のないことだし、自分には店を開いて、そこを自分にとって理想の空間にするという確固たる目標がある。


 別に、人から試されて優劣どうこうなんて、全然気にならない。


 自分のペースで歩けるなら、それでいい。

 けれど――


「ふふふ……」


 掲示板の前。

 その同級生に、あからさまに勝ち誇った顔をされては、流石に思うところがある。


 入る前に想像していたよりずっと頑張った、とクーディは自分で自分を評価している。それ以来ふたりは、一進一退だった。


 そう。


 一進一退。

 だった。



△  ▼  △



 学校の図書館で見つけた、という。

 テテリッサが取り出したその地図は、何十年も前の学園生が使っていたような古臭い演習書の間に挟まって、それがどうも、このエークラールの森のどこかを指しているように見えた、と。


「で、見つけたからには行ってみたくなるものでしょう? でも、友達をこんなことに付き合わせるのも気が引けますし」

「俺ならいいってか」


〈ハートグラス〉を集めていたあたりよりも、さらに奥だ。


 ヴィスタが一番前に立って、クーディはテテリッサと隣り合ってその後ろ。隣で彼女は「だって」と唇を尖らせている。


「あなたの仕事にも付き合ってあげたでしょ。ギブアンドテイクです」


 それはそうだ、とクーディは頷く。

 そして実際、テテリッサの友達はこういうのに付き合うタイプでもなさそうだ、とも。


 不思議なことに、彼女の友達は本物のお嬢様みたいな人間が多い。類になるにはまず友からとテテリッサが突撃したのか、それとも本物偽物問わずのお嬢様同士のシンパシーが働いているのか。クーディにはわからないが、確かにこういう『冒険の旅』に乗りそうなご友人は、あまり思い浮かばない。


 それに――


「ここまで連れてこられると、流石に誰でもビビるかもな」


 ヴィスタが足を止めた先。

 三人で辿り着いたのは、洞窟の入り口だった。


 とにかく暗い。その上、ひやっとした空気が中から流れ出てきている。ひゅおおおお、とその風が立てる音は物寂しい生き物の鳴き声みたいで、端的に言って、ちょっとホラー。


「怖気づきましたか」


 にやっと笑って、テテリッサが言った。

 実際、クーディはちょっと怖気づいていた。


 何だかどんどん人の手を離れた場所に突っ込んでいくなあ、とは思っていたのだ。森の入り口からどんどん奥へ。獣道も本当に動物の足跡くらいしかなくなって、道中に立ち塞がる蔦をヴィスタが爪で切り払ってくれなければ、今頃髪はぼさぼさ、肌は傷だらけになっていたかもしれない。


 その上、洞窟て。

 森を分け入るのとは、ちょっと訳が違う。だって、と思う。中に入ったら、空見えないんだぞ。


「まさか」


 けれど口は、不思議とそんな言葉を放っている。

 手はてきぱきと、リュックを下ろして、中から便利なグッズを取り出している。


 小さな虫。

 に見える、魔法の道具。


 ふっと息を吹きかけると、それはひらひらと翅を広げて、洞窟の中に入っていく。首を傾げるテテリッサに「まあ待て」と告げて、それが戻ってくるのを待つ。


 戻ってきたら、その色を見て、


「とりあえず中にガスが溜まってるってことはなさそうだ」


 言って、持ってきたランタンに火をともす。


「そのくらいなら、魔法でできますけど」

「ずっと使ってたら疲れるだろ。いざってときに疲れて魔法が使えませんじゃ困る」


 ストラップを装着して、首に提げて外れないように。ついでに自分の恰好も見ておく。うん。まあ、素人冒険者にしちゃそれなりだ。


「準備いいですね」


 ちょっと感心したような口ぶりで、テテリッサが言う。だからクーディも、素直に返した。


「準備するのが仕事だからな」



△  ▼  △



 ぴちょん、ぴちょん……。

 どこかで水滴の落ちる音がずっと響いていて、中に入ってみればますます不気味。暗いし、寒いし。


「こうして見ると、」


 だからテテリッサが口を開き始めたとき、クーディの心は少し安らいだ。


「なんだかここ、ダンジョンみたいじゃないですか?」

「不吉なこと言うなよ……」


 前言撤回。

 ますます不安になってきた。


 ダンジョン。昔、そういうのがあった。


〈精霊王〉がいた頃の時代。

 今を生きるクーディにはあまりイメージできないけれど、その頃〈魔物〉と呼ばれる荒ぶる精霊がいた。


 何かの拍子に精霊界からこちらに迷い込んできてしまった……ということらしいけれど、詳細はわからない。わかるのは、「実際いたらめっちゃ怖かっただろうな」ということだけ。


 だって、野生動物だって怖いのだ。

 さっきのイノシシの群れだって、実のところクーディは、かなりビビった。普通の生き物だって野山で遭遇したらあんなに怖いのだ。暴れ精霊なんかと遭遇したら、そりゃもう腰のひとつやふたつは抜かす。


 そういう暴れ精霊――〈魔物〉のねぐらを、かつてダンジョンと呼んだらしい。


 不吉なこと言うなよ。言葉にするだけでなく、心にもそんな言葉を思い浮かべながら、クーディはテテリッサたちと不気味な洞窟の中を進んでいた。


「何があると思います?」


 ちょっとビビっているクーディとは対照的に、テテリッサの声は弾んでいた。


 そりゃそうだよな、とクーディは思う。白い虎の精霊なんて連れているような魔法使い、強気で好奇心が旺盛じゃない方がおかしい。能天気なやつ。そう思いながらも、会話で気が紛れるならありがたい。


 だから、


「そうだなあ」


 何か盛り上がることでも言おうかな、と。

 能天気なことを考えられたのも、束の間のこと。


「――おいっ!」

「え?」


 思わず叫んだのが、かえってよかった。


 テテリッサが驚いて、こちらを振り向く。振り向くということは足を止めて返すということで、だから彼女はそれ以上前には進まない。


 おかげで、クーディの手が間に合う。

 テテリッサの手首を、何とか掴まえる。ヴィスタもちょっと焦った様子で、テテリッサの腰のあたりに身体を割り込ませて、彼女を支えている。


 代わりに、からら、と石が落ちる音がする。


 その音は長い距離を下って下って、本当に、とんでもなく深いところでようやく止まる。


 崖だ。

 足元が全然見えない、暗い洞窟の中で。


「あっぶな、」


 心臓が、バクバクしていた。

 暗い洞窟の中で〈魔物〉が出ないか不安とか、そんなファンタジーな悩みはどこかに消え去った。代わりに「こいつ足踏み外して死ぬとこだったぞ」という、とても生っぽい恐怖がクーディに冷や汗をかかせた。


 掴まえた手首が本当に細っこくて、指なんて簡単に回って、だから余計に怖くなる。


 おい、と思わず強い口調になって、


「もうちょっと周り見て――」

「見て」


 見てるから、という反論の言葉じゃなかった。


 心配の声も、多分届いていない。クーディが顔を上げた先で、テテリッサはそもそも、こっちを見ていない。


 代わりに彼女は、崖の下を指差した。


「光ってる」




 その指の先で、無数の〈ハートグラス〉が淡い光を放って群生している。




 とんでもない量だった。さっきまでふたりで必死に集めてきた袋の中身なんて、比べ物にならない。少なくとも学園の中庭より広い。どこまで続いているのか、これだけ上から見下ろしているのに、その端だって見当たらない。


 そのうえ光る〈ハートグラス〉なんて、大叔母の店に入り浸り続けて十数年。そんなクーディですら、見たことがない。


 呆気に取られた。

 呆気に取られてばかりも、いられなかった。


 もう一度、からり、と音がしたから。


「ん?」


 気付いたときにはもう遅い。

 ぞわっと寒気が走っても、間に合わない。


 それでもどうにかしようとクーディは頑張った。テテリッサの腕を引いた。が、ヴィスタですら間に合わないのだ。ただの人間のクーディにはどうしようもない。


 そもそもここは、どういう地形だったのだろう。


 崖の先っぽごと、がらりと崩れた。


「わっ」

「うわっ――」

「ぎゃうっ!」


 そして今度こそ、ふたりと一匹はまっさかさま。



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