1-② いいね、もふもふの虎さんは
遡ること数千年前。
遡りすぎなのでかいつまむと、その頃、〈精霊王〉と呼ばれた魔法使いがいた。
彼女は数百、あるいは数千にも及ぶ精霊を従えたと言われる、伝説の魔法使いだ。
もちろん、只人がそっくりそのまま彼女の真似をすることはできない。だから伝説なのだ。でも、大抵の伝説がそうであるように、ちょっとくらいは真似できるところがあったりして、それが現代にまで残っていたりする。
魔法は、精霊と一緒に使った方が強いよ。
そう〈精霊王〉が言い残したかどうかは定かではないけれど、今でもそれは、魔法使いの基本のキとして残っている。
というわけだから、魔法学園で三年も過ごせば、その基本のキを実践する機会も巡ってくる。
精霊召喚の儀式だ。
一生に一回が相場と言われている。
このあたりはできるできないというより伝統の問題で――〈精霊王〉が数千とか呼び出しているのになんだこの伝統はとクーディは思わないでもない――魔法使いは最初で最後、一発勝負、召喚した精霊とともに、後の魔法ライフを過ごしていく。そういう伝統に則って生きている。
クーディは、見ていた。
学校の講堂前の大広場。そこで、次々と学友たちが精霊を召喚していくところを。たとえばテテリッサ・ティアダが真っ白な虎を召喚して、拍手喝采を受けて、自分に「ふふん」と挑発めいた笑みを送ってくるところを。
でも、怖くはなかった。
どちらかというと、ドキドキしていたし、期待していた。
この精霊召喚の儀式で呼び出されるのは、魔法使いの半身とも呼ばれるほどの存在だ。
魔法陣を描いて、精霊界に呼び掛ける。たったそれだけなのに、あるいはたったそれだけだからなのか、そうして呼び出される精霊は、魔法使いと相性抜群。精霊を見れば魔法使いがわかる、とも言われる。
鏡のようなものだ、とも言われる。
精霊を見れば、自分が何者なのかもわかる。
「我が呼びかけに応えよ――」
自分の順番が来て、静かにクーディは、その呪文を唱えた。
実のところ彼は、この瞬間のことを何度も何度も思い出している。思い返すと、不安になるからだ。あのとき俺、呪文を言い間違ったりしてないよな。ちゃんとやれたよな。そして、思い出して確かめて、結論はいつも同じ。
ちゃんとやった。
そして出てきたのが、アルマジロみたいなわけのわからない生き物。
どころか、生き物かどうかすらも、実はまだよくわかっていない。
トゲトゲでザラザラのそれを抱えて、あのときクーディは、呆気に取られた顔をしていた。
少し遠くで、テテリッサ・ティアダが間の抜けた顔をして口を開けていたのを、なぜかやたらと鮮明に覚えている。
△ ▼ △
「ああ、可哀想なクーディ! 召喚した精霊が海のものとも山のものともつかなかったばかりに、大叔母様から継いだお店の経営もままならないなんて!」
「……はい」
そして今、クーディはそのテテリッサに煽り散らかされている。
ぐうの音も出ない。だから彼女は、「そうでしょうそうでしょう」とますます調子に乗る。
「大変な借金に、あの商品の在庫! あれでは到底返済の見込みもないでしょう。どうです? あなたが私に負けを認めるなら、由緒正しきティアダ家がその借金を肩代わりして差し上げても――」
「いや、借金は返した」
「えっ、すご」
けれど、折よくぐうの音が出てくれたので、少しだけクーディも溜飲が下がった。
テテリッサは、高笑いをやめた。まじまじとこちらの顔を見つめて、
「どうやって?」
「夏休みのほとんどを費やして、在庫の中から売れそうなのを選別して、何とか」
「ああいうのも売れるところには売れるんだ……。ていうか、いいね。あれだけの在庫があると、選別だけでも良い勉強になりそう」
そう言ってもらえると、何だか有意義な夏休みを送ったような気がしてきた。どうも、とクーディは費やされた夏休みの代わりに、テテリッサにお礼を言っておく。
ところで、
「借金の肩代わりって、何をどうするつもりなんだよ。お前の家、由緒正しい平民だろ……」
「はあ!?」
一応、礼儀として突っ込んでおくことにした。
確かに、この国には由緒正しい家というものがある。かつては王侯貴族だっていたし、今でもそういう家は財閥として残っている。たとえばここの商人ギルドの重役に名を連ねる人間だって、それなりの割合が『由緒正しい』人物だ。
が、別にテテリッサはそのひとりではない。
「ご両親どっちも普通の公務員だろ……」
「うちのパパとママの稼得能力を馬鹿にしないでくれる!?」
「今俺はお前のパパさんとママさんに代わって『無茶言うな』と反論しています」
平民育ちのお嬢様気取り。
そういう性格の人、としか言いようがない。
けれど、その『お嬢様気取り』に似合うだけの実力を彼女は持っているし、見せている。
「…………」
「?」
テテリッサの隣に座る、白い虎。
何となく視線をやって、何となく目が合う。何となく向こうが首を傾げたとき、にやりとテテリッサが笑う。
「――羨ましいですか?」
「……まあ」
誤魔化しても仕方がないし、強がりもダサい。
クーディは、素直に頷いた。
「いいよな。お前の精霊、もふもふで」
「いいでしょ~!」
そしてテテリッサも、素直にその言葉を受け取った。
見せつけるように、彼女はその白い虎――ヴィスタに抱き着く。全身がやわらかい毛で覆われたその精霊は、きっと抱き心地も良いのだろう。もふもふもふもふ。わしゃわしゃわしゃわしゃ。そのうち肉球で顔を押しやられるのすら、クーディには羨ましい。
羨ましい。
色々な考えが、頭に浮かぶ。
俺もああいう精霊が呼べていれば、さっきの銀行の融資の話だって、もっとすんなり進んだんだろうなとか。
夏休みが明けてからの店の経営だって、もっと楽にできるはずだったんだろうなとか。
それでもクーディの腕の中にあるのは、もふもふの虎さんなんかじゃなかった。トゲトゲでザラザラの、よくわからない精霊。何とはなしに撫でてみる。けれどこっちは、肉球で押し返したりはしてくれない。
溜息が出た。
あーあ。
俺、明日からどうしよう。
「フィールドワークに行きましょう!」
心を読まれたのかと思った。
けれど、そんなわけはなかった。
「フィールドワーク?」
「ええ」
思わず声に出ていたのを、テテリッサが聞き取っただけらしい。彼女はぽふぽふとヴィスタの頭に手をやって、
「私も夏休みの間、色々とこの子と楽しくやっていましたから。最後にどこかで、その成果を試してみたいと思っていたんです」
どうせ融資は断られたんでしょう、と妙に鋭い洞察力を発揮してテテリッサは言う。
それから、とても魅力的な提案を口にした。
「お店で使う素材くらい、自分で集めたらいいじゃないですか」




