エピローグ
店はガラガラ。
お客なんて人っ子ひとり見当たらなくて、棚には何の商品も陳列されていない。
売り切れ御免。
おかげさまで、の文字も付け足して、クーディは店の外にプレートを引っ掛けた。
夏の終わり。
夏休みの最後の一日。
何だかこれからの人生全てが上手くいってしまいそうな、景気の良い午後だった。
「大したものだな」
店の中に戻ってくると、ぐるぐると偉そうな声で鳴く精霊がいる。
トゲトゲでザラザラ。トカゲみたいでサナギみたいでアルマジロみたいで、まあでもちょっと、前と比べるとだいぶそれっぽい形に収まった。
竜。
今は子犬くらいの大きさになって、カウンターの上で日を浴びて丸くなっている。
「大繁盛だ。お前の道具屋としての未来は明るい」
だろ、と明るくクーディは返した。
今日はもう、朝から大忙しだった。
というか、例のダンジョンから帰ってきてからというもの、ずっと。
冒険者の協会からは、大して怒られなかった。
むしろエークラールの森のような馴染みの場所に、それだけの危険が潜んでいるのを見逃していた方が問題だと判断したらしい。クーディはテテリッサと一緒に、まるで迷子から帰ってきた四歳児のような手厚い庇護を受け、ぬくぬくと街に帰ってきた。
その日のうちに、担任が家まで乗り込んできた。
こっちはやっぱり、子どもを指導する立場だ。普段は眼鏡で生真面目で、宿題を忘れても「こら」で済ませてくれるはずの教官が、血相を変えて怒鳴り込んできた。
俺の精霊こんなんなりました、と報告したら、怒りも忘れて大喜びしてくれた。
そこまで喜ばれるとそう悪い気もせんな、と精霊自らコメントしたところ、普通に喋る精霊という異次元の存在に腰を抜かしていた。
で、次の日からクーディは開店準備を始めた。
素材は、結構かっぱらってきた。
光る〈ハートグラス〉。
これは大変な効能がある、と竜は言った。お前の力なら、これを本当の〈万能薬〉に変えることもできるだろう、と。
結構この精霊は、リップサービスをする。
やってみたら、普通に無理だった。
無理だったけれど、そこまではいかなかったというだけ。普通の〈万能薬〉よりは、全然効果がある。こうなってくると自信満々。商品を陳列して、夏休み最終日の今日、ついにクーディの店は開いた。
飛ぶように売れた。
夜を待たずに、完売御礼。
「看板ドラゴンのおかげだよ」
だって、もう噂は出回っていたから。
エークラールの森で、ものすごく質の良い〈ハートグラス〉が見つかったらしい。何でも、恐ろしい魔物がそこの番人をしていたらしい。それを才気溢れるふたりの若者が打ち倒して、冒険譚さながら、持って帰ってきたらしい。
ふたりの魔法使いは、もちろん精霊を連れていた。
ひとりは虎。
もうひとりは――
「これからもよろしくな。ララゴン」
ラブコメドラゴン、はちょっと長い。
ララゴンってのはどうだ。帰ってきてすぐ、クーディはそう提案した。ラブドラ、ラブゴンも迷ったけど、これが一番さりげなくて良い感じじゃないか?
ララゴンは頷いた。
お前、センス良し。
「うむ」
そして今も、これからよろしくの挨拶に頷いて応えてくれる。
笑ってクーディがその背を撫でると、ララゴンは気持ち良さそうに目を細めた。
さて、とクーディは背伸びをする。
「片付けるか。明日は流石に、一日試験で店は開けらんないだろうし。てか、開けても商品ないし」
学校か、とララゴンが言う。
そうだよ、とクーディは答える。夏休みの最終日ってことは、そういうことだ。
そうか、とララゴンは頷いて、
「確かに、英気を養っておいた方がよかろうな。夏休み明けに謎に包まれた偉大な竜を連れて現れた少年……。これはもう、きゃーきゃー言われて仕方あるまい。今のうちから、ロマンティックな出会いの準備をしておけ」
「…………」
一日試験だ、つってんのに。
ふふふ……と笑うララゴンは、ラブコメドラゴンの名に違わず、これからの学園生活に謎の夢を見ている。
「お前は見目もすこぶる良い。視線の向きには気をつけろよ。うっかり流し目なんかしたら、罪のない若者たちを次々恋に落としてしまうかもしれん」
そして、リップサービスがすごい。
はいはい、と躱しながらクーディは帳簿の片付けを始めた。これが自分の半身とか、鏡写しとか、そう呼ばれる存在であることにはちょっとした戸惑いがないでもない。
半身。
鏡写し。
精霊。
「……なあ」
「ん?」
自分でもちょっとどうなんだ、とクーディは思う。でも、そうなってしまったものは仕方ない。
話のくだらなさなんか完全に無視して、なんだかちょっと、しんみりしてしまった。
「ララゴンの名前って、誰に貰ったんだ?」
訊けば、ララゴンは目を見開いた。
もしかすると、気付かれると思っていなかったのかもしれない。でも、流石にわかる。帰ってきてからしばらくの会話を交わしただけでも。
ララゴンは多分、前にも誰かの精霊としてこっちに来たことがある。
ヴィスタみたいな精霊たちとは、ちょっと名前の毛色が違って聞こえる。
それは多分、誰かから貰った名前なのだ。
「……そんな昔のことは、忘れてしまったが」
出会ったばかりにしては、踏み込みすぎた質問だったかもしれない。
それでもララゴンは、答えてくれた。
「しかし、気に入ってはいる。ラブとコメディ――愛と喜びは、この世でもっとも尊い感情だ。俺が名乗るに相応しい」
今度は、静かに頷くのはクーディの番だった。
一言一句違わぬ相槌が思い浮かんで、半身というのも満更嘘じゃないのかもしれない、と思った。
「そうか」
ああ、とララゴンは頷く。
そうして穏やかな時間が、夕暮れの店の中に流れた。
それでふと、クーディは昔のことを思い出した。大叔母の店に、入り浸っていたあの頃。いつかぼくも、なんて夢見ていた日。
現実は、理想とはちょっと違った。
残念ながら、店は駆け出し。店主もようやく一人前。所狭しと並ぶような奇怪で魅力的な魔法道具の数々どころか、棚には全然、何もない。
そもそも、店だってボロい。
経年劣化でこうなってしまったのか、それとも元からこうだったのを、大叔母は持ち前の雰囲気で誤魔化していたのか。前者だったらこれからもっと稼いで店を直さなきゃいけないし、後者だったら、もっと雰囲気のある魔法使いにならなきゃいけない。……どうやって?
そして、看板精霊。
もふもふしたのが好きだった。ふわふわで、もしゃもしゃで、撫でたり抱いたりしたら温かくて、やわらかくて、幸せな気持ちになるから。
一方現実は、違った。
トゲトゲで、ザラザラだった。毛なんか生えてなくて、代わりに硬い鱗が生えている。笑顔がかわいいといえばかわいいし、愛嬌だってあるけど、「ワン!」とは鳴かないし、普通に喋ってるし、声も低いし。
理想とは、ちょっと違った。
でも、とクーディは思う。
自分で作っていく店なんだから。
思い描いた理想と違うっていうのも、それはそれで理想的なことなのかもしれない。
「お」
「ん?」
感慨に耽っていたら、ララゴンが声を上げた。
どした、と訊くよりも視線の先を追う方が早い。ララゴンは、カウンターから外を見ている。外の通りに、誰かがいる。
すごく見慣れた顔が、そこにある。
バレていないつもりなのか、物陰からこの店を見ている。
ふ、とクーディは笑った。
「あのさ。一個だけいいか?」
なんだ、とララゴンが言う。
お言葉に甘えて、
「面白いラブコメみたいなの期待されても、ちょっと応えらんないかも」
何を言ってるんだ、という顔でララゴンが見てくる。
のが、クーディの視界の端に収まる。だって、と続けるとき、彼の視線はずっとその場所に向けられている。
「俺、たぶん一途だから」
じっと、ララゴンはクーディを見ていた。
クーディは、街角の彼女を見ている。白い虎を連れて、まだ一言も話していないのに、ガラス越しに目が合っただけで慌てて引っ込んで、虎に服の裾を噛まれて、引っ張り出されて、ひとりで大騒ぎしている。
隠し切れない笑みが、クーディの顔に浮かんでいる。
「……そうでもないさ」
呆れたように、ララゴンはカウンターの上で丸くなる。ひどく大人びた、満ち足りた顔で、こう呟く。
お前たちを見ていると――
「結構、幸せな気分になるよ」
そうして彼は、席を立った。
帳簿の整理も、後片付けも、明日の学校のことだって知らない。待ち切れなくなって、立ち上がって、歩き出した。
閉じたはずの扉を開く。
ドアベルが鳴って、もう一度目が合う。
胸が高鳴っているのがわかる。指先から爪先まで、温かくてやわらかいものが通うのがわかる。
目と目が合う。
それだけで耳まで赤くして、その癖どんな負けん気なのか、逸らそうともしない。歩み寄られて、腰が引けているのに、逃げもしない。
ちょっと変わっていて、すごく優しい。
危なっかしくて、頼りになって、眩しくて、騒がしくて、健気で、面白い。
そんな彼女のことを、きっとクーディは、これからずっと愛しく思っている。
(了)




