1-① 現状こんな感じです
子どもの頃、大叔母が店で犬を飼っていた。
「クーディはリリが好きねえ」
「うん!」
それほど自宅から遠い距離ではない。クーディは、いつもその場所に入り浸っていた。
それは、魔法の道具店だ。
少し翳った照明に、所狭しと並べられた不思議な道具。アンティーク趣味の大叔母が作り上げた店は、どうも独特な雰囲気を持っていたけれど、看板娘を兼ねたその大きな犬の存在が、不思議な温かみを与えてもいた。
その子が好きね、と大叔母に言われたとき、だからクーディは、目一杯に笑って答えた。
「リリ、もふもふだから大好き! ぼくもいつか、もふもふの犬とおみせやさんやる!」
純朴な子どもの言うこと。
クーディに抱きつかれた大きな犬のリリは、びっくりしたような顔をする。一方で大叔母は、少しだけ困ったような顔をする。うーん、と彼女は笑って、
「リリは本当のワンちゃんじゃないんだけど……でも、そうね」
彼女はクーディの頭に手を伸ばす。
それからゆっくりと彼の髪を撫でて、言った。
「きっとあなたも、いつか素敵なお友達と出会えるわ」
△ ▼ △
で、今。
閑古鳥が鳴くボロい店の中で、十六歳のクーディは、魂が抜けたような顔で座り込んでいる。
建物自体は、そんなに元と変わりはない。元のまま、普通に色々なところがガタついて、隙間風もびゅーびゅーで、そんな感じ。けれど過去の――そう、クーディの中の美しい思い出とは、何かが違う。
品物がない。
全然、陳列されていない。
「思い出は……」
痛いくらいの殺風景。
思わず、クーディは呟いてしまう。
「思い出のままにしときゃよかったか……?」
年だから引退する、と去年に大叔母が言い出した。
この店あげようか、とも言い出した。
それに対してクーディの答えはたったひとつだ。何せ彼は、今年で魔法学園の四年生。去年の時点で三年生。大体何事も三年目くらいが一番自信のある時期だから、一も二もなく頷いて、どーんと胸を叩いて言った。
「俺に任せとけ!」
任された結果がこれ。
でも結構、大叔母も悪い。そう、クーディは思っている。
だって、ありえない資金繰りだった。
帳簿を見て驚愕した。そして大叔母に懐く自分を両親が心配そうに見ていた理由とか、親戚の集まりで「あの人は道楽者だから」と大叔母が噂されていた理由を、この年になって初めて知った。
とんでもなく高価な素材を仕入れていた。
そして買い手の当てもないような高額商品を、どんどん開発していた。
その在庫が、あの美しい思い出の中にあった店の棚だった。
死ぬかと思った、と店を譲られてからのこの数ヶ月のことをクーディは振り返る。驚くべきことに大叔母は、この孫同然のかわいい又甥のために色々な面倒事をすっきりさせてから引退しようなんて気遣いを全く見せてはくれなかった。むしろかわいい孫には債務整理をさせて世の中の仕組みを学ばせよとばかりで、この店の中をすっからかんにするまで、クーディはありとあらゆる経営スキルを怒涛のように学ぶ羽目になった。
で、今。
残されたのは、すっからかんになった道具店と、本当に久しぶりの、束の間の平穏。
「命拾いした……」
十六歳から発されるとは思えないひとりごとが、安堵の溜息とともに寂しく店の中に響く。
確かに、命拾いはした。高額商品の売りつけ先をどうにか見つけて、売りさばいて、当座の危機はなくなった。とりあえず、何もしなくても明日は来る。
「――いや、俺のお店屋さんはここからだ!」
が、いつまでもそうしてはいられない。
時は夏。ただの夏じゃない。目を離せばすぐに過ぎ去ってしまう、夏休み終わりかけの夏なのだから。
勢いよくクーディは立ち上がった。
燃え尽きたような気持ちでいたけれど、そう、ここからだ。今は引継ぎの処理が終わったところ。自分にとっての『お店屋さん』は本当は、まだ始まってすらいない。
クーディは機敏に店の奥に引っ込んでいく。まずは仕入れから始めよう。素材がなければ何もできない。えーっと、そうだ。帳簿を持って。あと身分証。成績証明書はいるかな。一応持っていくか。ばたばたと慌ただしく、身支度を整える。
それからもう一度、店に出てくる。
忘れてはいけないものが、もうひとつあったから。
それはカウンターの上にいる。いる、というより置いてある、の方が近いのかもしれない。何せそれは、身動きひとつ取ってはくれない。あのとき大叔母の店にいたリリのような愛嬌もない。ワンともすんとも言わない。もふもふなんて、夢のまた夢。
トゲトゲで、ザラザラした何か。
小脇に抱えて、クーディは店を出た。
△ ▼ △
「うちではお取引は難しいですねえ」
そして、いきなり躓いた。
商人ギルドだ。店を出てから向かったのは、街の中心街。一際大きな建物に入って、この壮絶な数ヶ月の間にそれなりに懇意になったはずの職員を呼び出してもらった。
商人ギルドは、銀行の機能も持っている。
というわけで、仕入れのための融資をしてくださいと相談に来た。
「い、」
そこにこの無慈悲な断りで、クーディは唖然としている。
「いやいやいや!」
思わず立ち上がっている。
「前も言いませんでしたっけ!? 学園での成績は優秀なんですよ! そんなに大規模な借り入れってわけでもないし――」
「ま、ちょっと実績が……」
ほらこれ成績表、と念のために持ってきたそれを取り出すより先に、職員の彼は苦笑した。手元のバインダーをめくりながら言う。
「これまでもそちらの店舗では奔放な資金繰りをされていて、それを支えていたのは前店主のネームバリューですからね。代替わりしてすぐに『そうですか』と出せるかというと、ちょっと」
「…………」
実際『奔放な資金繰り』の動かぬ証拠と向き合い続けてきただけに、クーディは強く反論できずにいる。うぐぐ、と押されながら、
「じゃ、じゃあ。店名を変えて新しい店として見るなら?」
苦し紛れの主張に、意外にも職員は頷いた。
「確かに、大型の債務は全て消化されていますしね。クーディさんの経営能力については、疑う余地はありません」
「じゃあ――」
ですが、と続く。
「問題は、『魔法』能力の方ですね」
そして彼は、とうとうそれを見た。
テーブルの上。店から持ってきた、トゲトゲでザラザラの何か。
「〈精霊〉が何かもわからないとなると、私もちょっと、上司に説明がつきません」
「…………」
今度こそ、ぐうの音も出なくなる。
それで、話し合いは終わりだった。
職員が席を立つ。私が上司に説明できそうな材料が手に入ったら、ぜひまたご相談ください。ちゃんと親身になってくれているだけにクーディとしても反発のしようがない。はい、と頷く。トゲザラを抱えて退室。
退室した先で、それを見る。
ご高説ごもっともだった。
ここ数ヶ月、ものすごく忙しかった。が、その忙しさに救われていた部分もあるのではないかとクーディは思う。試されていたのは経営能力の方で、肝心の――そう、大叔母がそれ一本で人生をやりくりしていたような、魔道具店の店主として肝心の能力のひとつからは、目を背けていられたのだから。
でも、いよいよその順番が来た。
クーディには、向き合うべき問題がある。
トゲザラを試しに、両手に抱えてみた。
商人ギルドのエントランス。大きな窓から差し込む明かりに掲げてみる。
黒い。
色々とトゲトゲしている。ザラザラしている。毛が生えていなくて、鱗のようにも思えるし、外骨格のようにも見える。図鑑で見る限り、似ているのはトカゲとか、虫のサナギとか、アルマジロとか。
でも、うんともすんともワンとも言わないから、それが何なのか、いまだにクーディにはわからない。
だから、自分のこともわからない。
ぽつり、呟いた。
「お前、一体何の精霊なんだ?」
「おーっほっほっほ!!!」
トゲザラが喋った。
わけではない。
びっくりするくらい大きな声だった。響き渡っていた。恥も外聞もなかった。
商人ギルドに入ってきてすぐに、高笑いをかました人間がいた。
「無様ですね、クーディ・クロズィーマ!!」
そんな人間が自分の知り合いとは思いたくないし、思われたくもない。
が、名前を呼ばれて、それがばっちりフルネームと来れば、認めないわけにはいかない。
テテリッサ・ティアダ。
大変ご立派な『白い虎』を連れた彼女が、不敵な笑みを浮かべてこちらを見ていた。




