くじ運とは
雨の匂いが強くなるのを感じて、耳がピンと立つ。
「うわ、やっぱり降ってきたね」
パラパラと音がして、ご主人様が大きな窓の外を見る。ガラスの向こうでは、雨粒がまばらにぶつかっているのが見えた。
今日は駅前のショッピングモールまでお買い物に来ている。ここはキャリーケースに入っていれば、おいらも中に入る事ができる。普段はご主人様一人で用を済ませるんだけど、天気予報で雨が降るかもしれないっていうのを知って予定を変更した。
買い物はしなくちゃいけない。おいらもお散歩に行きたい。だから、ご主人様に与えられた選択肢は二つ。雨が降る前にお散歩をして一度家に帰り、また出かけて買い物を済ませる。もしくは、おいらを連れてショッピングモールまで行って、買い物の間だけおいらをキャリーケースに入れる。面倒くさがりのご主人様は、後者を取った。いいけどさ。いいんだけど、何か釈然としないんだよなぁ。ケースの中から見える楽しそうな雰囲気が、余計においらを微妙な気持ちにさせる。
ご主人様は日用品や雑貨、それからおいらのご飯やトイレシートを買っていく。順調に買い物を済ませて帰ろうと一階の出入り口に向かうと、ご主人様は何かを見つけて立ち止まった。
「あ、福引きやってる」
エスカレーターの側に特設会場が作られていて、ハッピを着た人達が大きな声で客引きをしている。赤いのぼりには、白い文字ででかでかと"大抽選会開催中!"と書かれていた。どうやら、ショッピングモールでお買い物をしたレシートを五枚集めると一回福引きが引けるらしい。
「福引きかぁ。でもこういうのって、別に欲しい賞品ないんだよ、ね…」
あんまり興味がなさそうだったご主人様の声が、なぜか尻すぼみになっていく。おいらがキャリーケースの中から様子を窺うと、ご主人様の視線はある一転に釘づけになっていた。
「た、食べ放題…?」
心なしか声が震えている。その視線を追いかけると、景品のラインナップが書かれたボードが目に入った。一等賞は温泉旅行のペアチケットらしい。温泉はこの間の失態があるから、ご主人様にはあんまり響いていないみたいだ。一番下は参加賞のポケットティッシュ、まあそんなもんだろう。その次が五等で食器用洗剤、四等は洗濯用洗剤。実用的だけど、この二つにそんな違いってあるかな?人によっては逆なんじゃないかなぁ。
三等は最新型扇風機。羽根がついていない、おいらでも知ってる有名なメーカーの高いやつだ。四等と三等の差が一気に広がった気がするというか、それでいいのか。そしてその一つ上の二等に書かれていた景品が、ご主人様の気を引いたらしい。ホテルの食べ放題チケット。あ、これ前にテレビで特集してたやつだ。ご飯だけじゃなくてデザートもすごく美味しそうで、ご主人様がめちゃくちゃ真剣に見ていたのを覚えている。
「お姉さん、良かったらやっていきませんか?」
ご主人様と同じくらいの年齢のお兄さんが、ニコニコしながら話しかけてくる。
「上位賞は全部残っているので、まだまだチャンスはありますよ。お時間あればぜひ…」
「やります!」
食い気味に手を挙げたご主人様に、お兄さんは圧倒された様子で「は、はい…」と小さく答えた。
*
「───はい、参加賞のポケットティッシュです!」
ありがとうございました!と係のお姉さんに笑顔で見送られる。ご主人様の顔は見えないけど、トボトボ歩く足取りから何とも言えない哀愁を感じる。ご主人様には悪いけど、一回しか引いてないんだから妥当な結果だと思う。世の中、そんなに甘くない。それより、おいら早くここから出たいんだけどなぁ。
「よし!」
何やら気合いを入れる声が聞こえた。ベンチにケースを置いたご主人様は、真っすぐにおいらを見つめて言った。
「とむ!おやつ欲しい?欲しいよね?」
一体どういう風の吹き回しだろう。そりゃ、貰えるもんなら貰いたいけど。首を傾げるおいらをよそに、ご主人様はまたケースを持ち上げて早足でどこかへ向かう。そして行き着いた先は、ペットショップ。ああ、そういう事か。
ご主人様は犬用のおやつが置いてあるコーナーへ一直線に歩いていくと、おいらの好きなお芋を始め色んなおやつを買い物かごに入れていく。レジに向かってお会計を済ませると、またおやつコーナーへ戻ってかごに入れる、お会計する。これを五回くり返すと、あの抽選会場に戻っていった。
「お願いします!」
「はい、では一回回してください」
レシートを渡して、勢いよくガラガラを回す。コロンと玉が零れ落ちる音が聞こえて、お姉さんが笑顔で言った。
「残念、参加賞のティッシュです」
「ダメか…!」
ガクッとうなだれるご主人様。考えが浅はかなんだよなぁ。そんなに簡単に当たりが出るなら誰も苦労しないよ。さすがに気が済んだよね。外を見ると雨が強くなってきてるし、諦めておうちに帰…
「とむ!おもちゃ買ってあげる!」
…マジか。
「はい、参加賞です」
「トイレシートもうちょっと買い置きしとこうかな!」
「残念、ポケットティッシュです」
「あ、歯磨きガムの新作試してみよっか!」
「えっと、参加賞の…」
「何のまだまだ!」
「お、おめでとうございます!五等の食器用洗剤セットです!」
「ぐああ、それじゃない!でも近づいてきた気がする!」
「あ、あの…」
「あと何か買うものなかったかな⁉」
恥ずかしい。控えめに言って超恥ずかしい。穴があったら入りたいなんてレベルじゃない。無理やり穴を掘ってでも入りたい。もうペットショップと抽選会場を何往復したかわからない。ご近所さんの一人や二人、いや十人や二十人見られててもおかしくないよ。おいら明日からどんな顔して外を歩けばいいんだ。
抽選会場の人達も最初はニコニコ笑って相手をしてくれていたけど、今はもう苦笑いを通り越してかわいそうなものを見る目で見てるよ。最初に声をかけてくれたお兄さんなんか、もはやお祈りしながら見守ってくれてるよ。
「お、お願いします」
「は、はい。一回どうぞ」
ぐったりした顔でレシートを渡すご主人様。何か十歳くらい老けてない?っていうか、ここまでするならもういっその事一気に何回も引けるくらいレシートを集めてから来た方が効率的だと思うんだ。変なところでケチろうとするから何回も行ったり来たりする事になるのに。そういうとこだぞ。
「来い、来い、来い!」
念じながらガラガラの取っ手を握りしめる。もう引くに引けなくなってるだけなんじゃないかな。これってやってみたけど残念、ティッシュだったアハハ~みたいな軽いノリで楽しむものだと思うんだよ。そんな鬼気迫った顔で回すものじゃない筈なんだよ。
ガラガラが回る音も心なしか最初より重苦しくなっている気がする。コロンと玉が落ちる音が異様に響いて聞こえた。
「あ」
「え?」
ああ、またティッシュか。ズーンとご主人様が落ち込む姿を予想していたら、係のお姉さんが側にあったベルを掴んで思いっきり振り回した。
「おめでとうございます!二等、ホテルの豪華食べ放題チケットです‼」
ガランガランとベルの音が鳴り響く。
「え?え?嘘⁉」
何が起こったのかよくわかっていないご主人様に、周りからわぁっと謎の歓声と拍手が送られる。おいらも信じられない。ホントに当てちゃったよ。当てたという表現が果たして正しいのかは置いといて。
どうぞと言われてチケットが入った封筒を受け取ったご主人様は、プルプル震えていた手をグッと握りしめて上に上げる。
「いやったぁぁぁぁぁ‼」
見ると、いつの間にか外は雨が上がって陽の光が差し込んでいた。
ちなみにこれは余談だけど、文字通り山のようにあれこれ買い込んだご主人様は当然キャリーケースを含め全部を持って歩いて帰れるわけもなく、徒歩十分の距離のためにタクシーを呼ぶハメになった。
くじ運とは、自分の力で引き寄せるもの。