きっちり楽しむ
「それじゃあ皆さん、グラスは持ったかしら?ワンちゃん好きの親睦が深まる事を願って…カンパーイ!」
「「「カンパーイ」」」
大金の奥さんの音頭の後に、みんなの声とグラスがぶつかり合う音が続く。
「すごーい!お肉がいっぱいですね!」
「エビ!アワビ!とても美味しそうデス!」
「こんなご馳走、我が家じゃ食べられないね!」
「ホントに。大金さん、いいんですか?やっぱり、僕達も少しくらい出した方が…」
高級食材に目を輝かせるご主人様とクリスティーナ。嬉しそうに笑う石川の奥さん。そして驚きながらもちょっと遠慮がちに石川の旦那さんが尋ねると、大金の奥さんが笑って言った。
「いいのよ、気にしなくて!ここのオーナーとは知り合いでね。いつも融通利かせてもらってるし、これくらいのお金何て事ないんだから」
「《そうよ!この程度のご飯、いつも食べてるのと変わらないんだから!遠慮はいらないわ!じゃんじゃん食べちゃって!》」
二人揃って気前のいい事言ってるけど、実際にお金出してるのは旦那さんなんだよなぁ。今も黙々とお肉焼いては、みんなのお皿に乗せてくれてるし。っていうか、ここまで全くしゃべってるとこ見てないな。
…この人、本当にやり手の社長なのかな。こんな姿、社員に見られたらどう思われるんだろう。
「《モカ!このドッグフード、ササミが入ってるよ!信じられないくらい柔らかくて美味しいよ!》」
「《ご飯もだけどジュースも美味しいわ!犬でも飲めるジュースがあるなんて知らなかった!ウチでも買ってくれないかしら!》」
モカとラテは、初めて食べるご馳走にめちゃくちゃはしゃいでいる。確かに、ふわふわした触感が癖になる。お肉なんて、ビーフジャーキーぐらいしか食べた事がないおいらも人生初のササミの味に感動している。マロンの奴、いつもこんなもの食べてるのか。初めてあいつが羨ましいと思ったよ。
「《お出汁の匂いはよく嗅いでおったが、口にしたのは初めてじゃ。こんなに優しい味じゃったのか。何だか元のご主人を思い出すのう》」
隣にいた五右衛門じいさんは、これが最後の食事かってくらいお出汁の味を噛みしめている。よっぽど衝撃的だったみたいだ。
…本当にそのまま昇天したりしないよね?
「ボーノ!この景色を見ながら食べると、もっともーっと最高デス!」
「伊勢海老やばーい!ミソにつけて食べるとか贅沢の極みだぁ」
同い年組は、ひたすら食べて飲んでを楽しんでいる。ご主人様と同じペースでグラスが空いている辺り、クリスティーナも結構イケる口みたいだ。
「それでね、このワインは私と主人が初めて会った時のパーティーに出てきたもので、フランスの一流ソムリエが選んだ一品なのよ」
「へ、へ~、とても上品な香りですね」
石川の奥さんは、大金の奥さんのうんちく話に付き合わされている。つくづく自慢が好きな人だなぁ。
「大金さん、僕もお手伝いするので大金さんも召し上がってください」
石川の旦那さんの方は、ずっと働いている大金の旦那さんを気遣って休んでもらおうとしている。でも、大金の旦那さんは黙ったまま首を振って石川の旦那さんのお皿にお肉を追加していく。もはや、仕事ぶりが執事に見えてきた。
そんなこんなで、おいら達は美味しいご飯をたらふく食べ続けた。
*
「うああああ、身体に沁みるううう」
お風呂に浸かったご主人様の年寄りくさい感想が、湯気の中に反射する。
「ワタシ温泉初めてデス!パラディーソ!」
「ここの温泉は美肌効果抜群なのよ。冷え性にも効くから、女性にはうってつけね」
「わぁ、それは嬉しいですね」
大金の奥さんの説明を聞いて、石川の奥さんがウキウキとお湯を自分の肩にかける。
周りは陽が落ちて暗くなってるけど、ところどころにぼんやり明かりが灯っていて、アレだ、幻想的な風景ってやつだ。空を見上げると、都会じゃ見られないような数のお星さまがピカピカ光っていた。
「《とむ!クリスティーナ達がお風呂の間、追いかけっこしようよ!》」
「《賛成!たくさん食べたから、腹ごなししなきゃね!》」
「《お前らに情緒ってもんはないのか》」
せっかく自然の空気に浸っていたのに、落ち着きなく騒ぐラテ達のせいで一気に現実に引き戻された気分だ。
ちなみに、五右衛門じいさんは石川の旦那さんの方に戻っていてここにはいない。それから、マロンも大金の旦那さんにお風呂に入れてもらうために今はあっちの部屋にいる。大金の奥さんはマロンを溺愛してるけど、そういうお世話は旦那さんやお手伝いさんの仕事らしい。溺愛とは。
「あぁ~、温泉で飲む日本酒って何でこんなに美味しいんだろ」
「これぞ"ツウ"の楽しみ方ですネ!イタリアの家族にも紹介したいデス!」
お湯に浮かんだお盆に乗ったお酒を飲むご主人様とクリスティーナ。ずっと飲み通しだから、二人とも結構酔ってる。なのにお風呂なんか入っちゃって大丈夫なのかな。
「《とむ!早く来てよ!とむが鬼だよ!》」
ラテのうるさい声にイラッとする。仕方ない、付き合ってやろうじゃないか。おいらはご主人様の元を離れて全力で追いかける事にした。十歳の本気舐めるなよ。
*
「大丈夫、矢尾さん?クリスティーナさんも」
「らいじょうぶれ~す。すいませ~ん」
「体がポカポカしてマース。目も回ってるネ~」
あれから一時間。案の定と言うべきか、ご主人様とクリスティーナはベロンベロンに酔っ払った。そして、温泉の入り過ぎでのぼせた。石川の奥さんが二人を部屋の中に連れていって、バスローブを着せてベッドに寝かせてくれた。うちわで扇がれながら呂律の回らない声を聞いて、穴があったら入りたいくらい恥ずかしい気持ちになる。石川の奥さん、こんなアホなご主人様でごめんなさい。
「日本酒は一気に酔いが回るものねぇ。お水を飲んでしばらく休んでいれば、その内治まるんじゃないかしら」
大金の奥さんは、一人優雅にワインを飲んでいる。こっちはこっちでマイペースだ。石川の奥さんが一人で酔っ払い二人を介抱している。もう一度言わせてほしい。本当にごめんなさい。
「《クリスティーナ、大丈夫かなぁ》」
「《顔が真っ赤ね。トマトみたい》」
ソファの上からクリスティーナの様子を窺うラテとモカ。どうやら、ここまで酔っているところを見た事がないらしい。
「《心配ないよ。今日はこのままぐっすり眠って終わるんじゃないかな》」
「《本当?》」
「《うん》」
おいらの言葉に安心したのか、ラテは軽い足取りでベッドの周りを一周する。
そう、今日は心配ないよ。今日は、ね。
「石川さ~ん、大金さ~ん、ほんろにすいましぇ~ん」
「ミ ディスピアーチェ~」
ヘロヘロの声で謝る二人に、大金の奥さんがやぁねぇとケラケラ笑う。
「若い内は色々経験しておくものよ。私もお酒の失敗は何度もあるわ。そういうのをくり返して、人は大人になっていくの。それに、今回の旅は無礼講だもの。気にしなくていいのよ」
おいらは大金の奥さんを誤解してたのかもしれない。いつも自慢話が長くて、派手な事が大好きな人なんだと思ってた。いや、実際それはその通りなんだけど、今の言葉を聞いてちょっとだけ見る目が変わった。
「《そうそう。今日は無礼講よ。どうせあなた達みたいな庶民じゃなかなか体験できないんだから、思いっきり楽しまなきゃ》」
「《お前はただただ最低なのがよくわかったよ》」
石鹸の匂いでいっぱいのツヤツヤの毛並みになったマロンの一言に、ため息をつく。
翌朝、ご主人様とクリスティーナが予想通り二日酔いで苦しんでいたのはまた別の話。
きっちり楽しむ、それがセレブ流。