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ん、やっぱり心配だから

「ちょっと青空(そら)!早く朝ご飯食べちゃいなさい!遅刻するわよ!」

「お母さーん!体操服どこー?」

「机の足元に置いといたわよ!昨日の内に支度しないからそうやって慌てる事になるんでしょ!」

 ごく普通の家庭の慌ただしい朝。和生七海(ななみ)は、子供達が学校に遅れないようにと家中を走り回っていた。

 ダイニングで朝のニュースを見ながら朝食を食べていた夫、和生翔は寝ぼけ(まなこ)でのそのそと着替えをしている長男青空に声をかける。

「青空、ママが困ってるぞ。早く着替えなさい」

「うーん、わかって、る…」

 鈍い反応にダメだこりゃと苦笑し、食べ終わった皿をシンクに置くと青空の目の前にしゃがみ込んでパンッと手を鳴らした。ビクッと体を揺らした青空は、何事かと目をパチクリさせている。

「よし、起きたな」

「ビックリした」

「ん、ほら、早くしな」

 コクンと頷くのを確認し、翔はキッチンへ戻って皿を洗う。そこへ、次男の太陽(たいよう)を連れた七海が二階から下りてくる。

「ああ、あなたいいわよ。後でまとめて洗うから、そのまま置いといて。そろそろ出る時間でしょ?」

「うん。じゃあ、頼んだ。行ってくるよ」

 スーツの上着とカバンを手に持ち、玄関へ向かう翔を七海も追いかける。翔が靴を履いていると、突然玄関の扉が開き白髪交じりの女が顔を覗かせた。

「あぁ、良かった。間に合ったみたいね」

「母さん。どうしたんだよ、朝から」

「この間、会社の方から頂いたお土産をお裾分けしてもらったでしょ?お礼のお菓子を渡してもらおうと思って昨日買っておいたのに、渡しに行くのすっかり忘れてたからカイのお散歩に行くついでに持ってきたの」

 はいと小さな紙袋を手渡す母美奈海の足元には、シルバーのトイプードル。

「あー、カイだ!」

「カイー!」

 青空と太陽がはしゃぎながら出てきて触ろうとするが、カイは二人には全く興味を示さず七海の方へ近づく。七海が頭を撫でると、笑顔で尻尾を振った。その様子を見て、美奈海と翔は呆れたように笑う。

「相変わらず、メスにしか興味がないんだな」

「ホント、一体誰に似たんだろうねぇ」

 自分の事を言われているのがわかっているのか、もの言いたげな目が美奈海達を見上げている。

「美奈海、何してるんだ?翔はもう出たのか?」

 そう言って扉を大きく開けて入ってきたのは、美奈海と同じく白髪頭の老人の男。

「じいちゃんだ!」

「お義父さんまで。二人でお散歩ですか?」

「そうなの。最近できたっていうドッグカフェでモーニングを食べようかって事になって」

「優雅なセカンドライフだな。羨ましいよ」

 翔の言葉に、怜音は何言ってるんだと拳で軽く翔の頭を叩く。

「悔しかったら、年金が貰える年までしっかり働くんだな。こんな所で悠長におしゃべりしてていいのか?」

「うわっ、こんな時間⁉やばい、電車乗り遅れる!」

「やだ、ごめん翔!私が引き止めちゃったから!早く行って!」

「お父さん、いってらっしゃい!」

「いってらっしゃーい!」

 慌てて家を出ていく姿を両親と妻、そして子供達が見送る。

「青空達も、早く準備しないと学校に遅れるぞ」

「カイと一緒にご飯食べる!」

 太陽がそう言って、カイを強引に抱き寄せる。

「何言ってるの。おじいちゃん達は今からデートなんだから、放してあげなさい」

「デートだなんて、そんな照れるわぁ」

 頬に手を当てる美奈海。怜音もまんざらでもない顔をしている。それを見たカイは、面白くなさそうにフンッと鼻を鳴らした。

「ねぇ、おばあちゃん。カイとご飯食べたい。ダメ?」

「そうだねぇ。カイが一緒だったら早く食べられる?」

「食べる!」

「ぼくも!」

 すっかりその気になった孫達によって、カイは家の中へ連行されていく。

「ちゃんと足は拭いてあげてね~。ごめんなさいね、七海さん。勝手な事言っちゃった」

「いえ、それであの子達の気が済むなら。お義母さん達も、どうぞ上がってください。バタバタしてて散らかってますけど、コーヒーくらいなら出せますから」

 そう言って中へ招き入れる七海に、美奈海はのんびりと笑った。

「そんなに気を遣わないで。七海さん、しっかりしてるもの。私なんか、翔や夢が青空達ぐらいの頃はもっとひどかったのよ?」

「否定はしないな」

「もう、怜音さんったら」

 ほんのり頬を染める美奈海を見た七海は、心の中で「ごちそうさまです」と手を合わせる。

 美奈海と初めて会った時は、姑となる人と上手くやっていけるだろうかと不安を(いだ)いていたものだが、(ふた)を開けてみれば相手は拍子抜けするほど好意的に接してくれたのを思い出す。

─美奈海と七海って何だか似てるわね!仲良くしてくれたら嬉しいわ!

 挨拶するなりそう言って手を握る姿は、義母になるとは思えないほど無邪気だった。そのすぐ後に紅茶を淹れようとしてケトルをひっくり返し、慌てた勢いで足を滑らせたんこぶを作るのを見た時は、会う前とは別の意味で大丈夫だろうかと思ったのは今でも自分だけの秘密だ。

 そして、七海は青空達に無理やり椅子に上げられ、朝食を食べる様をただ見せつけられているカイに視線を移す。初めて会った頃のカイは飼ってから日が浅くまだ生まれて間もない子犬だったのだが、年齢に見合わない落ち着きを見せていたのが印象的だった。まるでずっと美奈海の側にいたかのような雰囲気を(かも)し出す彼は、不思議な犬だった。

 人間も犬も関係なく、メスであれば自ら近づき、オスであれば全く関心を示さない。ただし食べ物をくれるとわかれば話は別で、特に好物のサツマイモのおやつをチラつかせるとそれまでの塩対応から一転、全力で甘えてくるのだ。散歩も好きだが昼寝も大好き。起き抜けに体を伸ばす仕草は、犬というより猫のようである。

─先代のワンちゃんもこんな感じだったのよ。やっぱり、同じトイプードルだから習性も似てるのかなぁ?

 美奈海は呑気に笑っていたが、七海は何となく違う気がすると思ったのを覚えている。何がどう違うのか、上手く言葉にする事はできないが、カイは自分の意思で美奈海のところへ来たのではないか。そんな突拍子もない事を思い浮かべた自分の妄想とも言える想像力に、思わず拍手を送りたくなった事もある。

「七海さん?」

 ハッと正面に向き直ると、美奈海が不思議そうな顔で自分を見ていた。

「どうかした?」

「あ、いえ、カイが可愛くてつい…」

 その場しのぎの言葉を口にしてすぐに後悔する。

「でしょう⁉この間もお腹放り出してお昼寝しててね。もう日曜日のお父さん状態で、面白いから側に新聞置いちゃったの!」

 写真見る?とウキウキスマホを操作する義母に、余計な事を言ったと頭を抱える。美奈海の親バカは筋金入りなのだ。

 興奮しながら次々とカイの写真を見せてくる美奈海の肩を怜音が叩く。

「美奈海、朝の忙しい時間にお邪魔してるんだ。七海さんが困ってるだろ」

「あ、そうね。私ったら…ごめんなさい、七海さん」

「い、いえ…」

 シュンとする美奈海に気にするなと言う一方で、内心胸を撫で下ろす。

「青空、太陽。ご飯を食べたんなら、早く学校へ行きなさい」

「はーい!」

「ごちそうさま!」

 祖父に言われて、兄弟仲良くランドセルを背負って玄関に走る。

「「いってきまーす!」」

「はい、いってらっしゃい」

 元気よく家を出る二人を美奈海が手を振って見送る。ふと見上げた空の青さに目を細め、ふにゃりと笑うと美奈海は言った。

「今日もいい天気になりそうだねぇ」

「わふっ」

 (なご)やかな雰囲気の中、灰色の犬はそっと美奈海に寄り添った。


ん、やっぱり心配だからもうちょっと見守ってるよ。


~灰色の犬は愚痴だらけ 完~

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