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ろれつが回らないくらいの

「キャンキャン!」

「こら、そういう大きな荷物は持つなって言っただろ」

「す、すみません。そんなに重くないし、これくらいで怜音さんの手を(わずら)わせるのもどうかと思って…」

「身軽な体でも何をしでかすかわからないんだから、こういう時は俺に任せろ。今は大事な時期なんだぞ」

「ご、ごめんなさい」

 課長に言われて謝るご主人様のお腹は大きく膨らんでいる。

─とむ!弟か妹ができるよ!

 数ヶ月前にそんな事を言ってきた時は、心底「何言ってんの?」って思った。すぐにご主人様に赤ちゃんができたんだとわかったけど、もうかなりいい年をしてるおいらに兄弟ができると言ってくるご主人様はやっぱりご主人様だなぁと呆れたような嬉しいような気持ちになった。

 妊娠してしばらくはつわりっていうやつで体調が悪そうにしていた。おいらの匂いでも気分が悪くなっていたから、その間はずっと課長がおいらの世話をしてくれた。おいらはご主人様のものだから自分でお世話するってご主人様は言っていたけど、おいらの体臭だけじゃなくてご飯の匂いもダメだから課長ストップがかかった。

 ご主人様はずっとおいらにごめんねって言ってくれていたし、おいらもご主人様の側にいられないのは辛かった。だけど、ご主人様の体が一番だから一生懸命我慢した。つわりが終わると、ご主人様は思う存分おいらを抱っこして頬ずりをした。いつもなら嫌がるくらいのテンションも、その時はおいらも嬉しくて課長が焼きもちを焼くくらい二人でイチャイチャしまくった。

 妊婦健診の度にもう少し痩せましょうねって言われたご主人様は、お菓子の誘惑に負けそうになりながら間食をしないように頑張っていた。生まれてからのお楽しみにしたいからっていうので、赤ちゃんの性別は先生に聞かないようにしたらしい。エコー写真ってやつを眺めては、お腹の赤ちゃんに優しく話しかけていた。

 課長は課長で、意外と心配性だった。パパになるための練習をする教室に通ったり、育児書を読んだりして赤ちゃんを抱っこしたりお風呂に入れるイメージトレーニングをたくさんしていた。色んなところから情報を手に入れて、ご主人様の体に良くない事は絶対にさせなかった。おいらはそんな課長に頼まれて、ご主人様が産休っていうお休みを貰って家にいる間ずっとご主人様を見張っていた。

 カレンダーには、赤いペンである日付が丸で囲まれている。赤ちゃんは、その日に生まれる予定だ。ご主人様は病院じゃなくて、家でお産をする事になっている。

 実はご主人様のママは助産師さんだ。元々病院で働いてたけど、今は色んな病院やクリニックにお手伝いに行くパートみたいな感じの働き方をしている。そこで、ご主人様のお産は自分がサポートするって事でお医者さんや助産師さんと連携を取っていた。こっちで主に担当してくれる助産師さんもママみたいにはっきりものを言う人で、ご主人様は頼もしいと思う反面ママが二人になったみたいで嫌だと頭を抱えていた。

 二人で赤ちゃんの服やベビーカーやおもちゃを探す姿はとても楽しそうだった。スマホを見ながらああでもないこうでもないって言ったり、名前はどうしようかって相談してはまだ性別もわからないのに気が早いねって笑っていた。おいらも、赤ちゃんに会える日を楽しみにしていた。



 時計の日付が変わって、予定日になった真夜中。

「いたたたた、やばい、死ぬ、無理!」

「ええ、そうなんです。十分おきに陣痛が…はい、よろしくお願いします」

 横向きに寝転んで悲鳴を上げるご主人様の腰をさすりながら助産師さんに電話していた課長は、話が終わると泊まり込みで来ていたママに言った。

「すぐに来てくれるらしいです。それまでこちらの準備は任せると」

「わかったわ」

「ねぇ、これホントにまだ生まれないの?すでに死にそうなくらい痛いんだけど」

「陣痛の間隔については説明したでしょ?十分おきじゃまだ無理よ。いきむのも我慢してね」

「痛みがどれほどのものなのかは俺にはわからないけど、トイレとか何か食べたり飲んだりできそうなら今の内に済ませておいた方がいいって言われたけど…」

「たとえビールを出されても今は飲める気がしません!」

「…そうか」

 あのご主人様がビールを飲めないなんて、陣痛ってそんなに痛いのか。絶対に同じ痛みを分かち合えないおいらと課長の男二人で、必死の形相(ぎょうそう)のご主人様に何も言えず口を閉じる。

「ううう、痛い、痛いよぉ。これいつまで続くんだろ」

「クゥーン」

 辛そうなご主人様を元気づけようとほっぺを舐めると、弱々しい笑顔が返ってくる。課長にも励まされながら痛みと戦っていると、しばらくして助産師さんが来てくれた。ママとあれこれ話しながらご主人様の体をあちこち触って、どんな感じか様子を見てくれる。

「和生さん、もう少しかかりそうね」

「もう少しってどれくらいですか?」

「個人差があるから断言はできないけど、少なくとも朝まではかかると思うわ」

「無理!死ぬ!」

「死なない死なない。はい、リラックスして」

 ご主人様と助産師さんのテンションの差がすごい。サポートしてくれる人が冷静なのは嬉しいけど、ご主人様からしたら今の助産師さんは鬼に見えるんだろうな。

 テキパキとお産の準備を進めるママと助産師さんの邪魔にならないように、ちょっと離れたところから様子を見守る。

「いいわよ~、和生さん。順調に子宮口開いてきてるからね」

「もう生まれますか⁉」

「それはまだ無理ね」

「神様助けて!」

 そんなやりとりをすること何と半日以上。陽が沈んできた頃に、やっとその時は訪れた。

「オッケー、頭出てきた!次痛みが来たらいきむのよ!」

「はい」

「旦那さん、手握ってあげてね!」

「わかりました」

 汗だくのご主人様の顔をタオルで拭いてあげながら、課長はご主人様の手を握った。

「怜音さん…」

「大丈夫だ美奈海、頑張れ」

 課長に励まされて、ご主人様が小さく頷く。おいらは衛生的な理由で部屋の端っこにリードで繋がれているから、すぐ側で応援できない。でも、ずっとご主人様の方を見つめていた。

「うっ、来ました!」

「オッケー、いきんで!」

「うああああ!」

 助産師さんに言われた通り、ご主人様が大声で叫びながら力を入れる。頑張れ、ご主人様!

 何度目かのいきみで、ついに赤ちゃんが産まれた。

「オギャア、オギャア!」

「和生さん、おめでとう!」

「元気な男の子よ!」

 ママがタオルで(くる)まれた赤ちゃんをご主人様に見せる。ご主人様は、泣きながら指で赤ちゃんのほっぺを撫でて笑った。

「初めまして。やっと会えたね」

「よく頑張ったな、美奈海」

 課長がご主人様に声をかけると、ご主人様はいつも通りのふにゃっとした笑顔になった。

「キャン!」

「とむも、見守ってくれてありがとね」

 ご主人様がお礼を言ってくれるけど、おいらこそありがとうだよ。命が生まれる瞬間が、こんなに感動的な事だなんて知らなかったよ。おいらのママも、こんな風に命がけでおいらを生んでくれたのかな。

「あー、何か一気に疲れまひた…」

「そりゃそうよ。人間一人生んだんだから」

「今はとにかく、ゆっくり休めよ」

「れも、もうちょっと赤ひゃん…しゃんと見て…」

 一生懸命しゃべろうとしてるけど、眠気の方が勝っているみたいだ。酔っ払った時みたいにちゃんと喋る事ができてない。

 お疲れ様、ご主人様。次に起きた時は、いっぱいほっぺを舐めてあげるね。


ろれつが回らないくらいの幸せをありがとう。

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