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めを見て言って

「大丈夫か?」

「は、はい。すみません」

 車に乗り込むなり聞いてきた課長に、ハンカチで目を押さえたままのご主人様が答える。ご主人様の膝に乗ったおいらも、ご主人様の腕を足で引っ掻く。

「クゥーン」

「ごめんね、とむ。ビックリさせちゃったよね」

 謝る事ないよ、ご主人様。悪いのは全部あいつだよ。だから泣かないで?

「課長も…すみません。せっかく呼んで頂いたパーティーなのに、こんな…」

「お前が気にする事じゃない」

「でも、これで高橋社長との関係が悪くなったら…」

「こんなくだらない事で壊れるほど薄い関係は築いていない。それに、ケンカを売ったのは俺だ。お前は何も悪くない。だからそんなに気に病むな」

 ポンッと課長の手がご主人様の頭に乗せられる。でも、ご主人様は顔を上げない。

「…お前がウチに入ってきた時」

 しばらく沈黙が続いた後、前を向いたままの課長がポツリと呟くように口を開いた。

「どう見ても営業に向いてない上にあまりの仕事のできなさにめまいを覚えたよ。入社当時の俺と重なるところがあったから、余計にな。けどそれ以上に、極端に自信がなさそうだったのがやけに気になった。やる気が全部空回りして、失敗する度に死にそうな顔で謝る姿には正直戸惑ったよ。ただ物覚えが悪いだけでは片付けられない何かを感じていたんだが、今日の事で納得がいった。あんな上司の元で働いていれば、誰でもそうなる………頑張ったんだな」

「っ…う…うぅ…」

 最後の一言が嬉しかったんだろう。我慢しきれなくなった嗚咽(おえつ)を漏らしながら、ご主人様は首を横に振っていた。



「落ち着いたか?」

「はい。すみません」

 目は真っ赤になってるけど、涙はもう見えない。おいらがほっぺを舐めると、ご主人様はふにゃって笑ってくれた。

「よし。じゃあ行くか」

 そう言って、課長は車を発進させた。

「家まで送るよ。とりあえず最寄り駅まで向かうから、そこからの道を…」

「い、いえ、そんな!駅までで十分です!お気遣いなく…」

 ご主人様は慌てて手を振って遠慮しようとしたけど、その瞬間盛大にお腹が鳴る音が車内に響いた。

「…」

「あ、いや、その、これは…」

 良かった。いつものご主人様だ。謎の安心感を覚えたけど、同時においらは恥ずかしさで顔を覆った。何でご主人様のお腹はいつもこう絶妙なタイミングで鳴るんだ。見てよ、課長ってばこっち見て固まっちゃってるよ。

「あの、課長…」

「…フッ」

「え?」

「クックック…ハハ、ハハハ!お前、ホント、ハハハ!」

 課長が壊れた。信号が赤だからいいけど、お腹がよじれるほど笑ってるからハンドルから手が離れてる。危ないよ、課長。前見て、前。

「あー、この状況で食い意地を張れるのはある意味才能だな」

「そ、そんなに笑わなくてもいいじゃないですか!」

「悪い悪い。お詫びに飯を(おご)ってやるから許せよ」

「え⁉」

 思ってもみない申し出にご主人様は驚いているけど、その顔は嬉しさ満点って感じだ。課長もそれを見て、また面白そうに笑っている。

「経理の北山がお前の事を犬みたいだって言ってたけど、確かに忠犬の素質はありそうだな」

「嫌ですよ、そんな素質!っていうか、先輩と何の話をしてるんですか!」

 犬であるおいらの前でそんなに嫌がらなくてもいいじゃないか。抗議の意味を込めて顔で膝をグリグリすると、課長が何か気づいたようにああとこっちを見た。

「犬でも入れるような店を探さないとな。とむだけ車に置き去りはまずいだろ」

「あ、そうですね」

「矢尾が良ければ…」

「?」

 そう言って、課長は車をある場所に走らせた。

 おいら達が住んでる町からそう遠くない場所にあるそこは、芝生が広がるとても広いドッグランだった。飲食もできるっていうので、側にはいくつかキッチンカーがある。

「すごい。広いですね」

「実家にいた頃、飼ってた犬とよく来てたんだ。キッチンカーで適当に飯を買ってここで食べれば、とむと一緒でも楽しめるだろ」

「キャン!」

 課長の心遣いに感謝だ。こんなに広いと、いくらでもはしゃげる。早く早くとキッチンカーに向かうご主人様達の周りをグルグルする。

 ご主人様が選んだメニューを課長が自分の分と一緒に注文したタイミングで、課長のスマホが鳴った。

「悪い、ちょっと出るから受け取って先に行っててくれるか?」

「わかりました」

 ご主人様が頷いて、課長は少し離れた場所に移動した。それを確認してから、ご主人様はハァーッと(うずくま)って顔を覆う。

 おいらはそんなご主人様の膝に前足を乗っける。

「やばいよね。まさか課長の前であんな醜態(しゅうたい)(さら)すなんてさ。終わった。色々終わった」

 そんな事ないよって言ってあげたいけど、おいらがそれを伝える手段はない。せめて落ち込むご主人様を慰めてあげたくて、おいらはご主人様の手を舐めた。



 ドッグランで走るのはすごく楽しかった。あちこち走ってはご主人様を見ると、注文したご飯を持ってドッグランの端っこに座っていたご主人様はこっちに手を振ってくれる。

 一通り走ってご主人様のところに戻る。課長はまだ来てないみたいだ。気づけば、辺りは夕焼けでオレンジ色になっていた。季節はすっかり春だけど、この時間帯はまだ冷える。上着を持ってきてなかったご主人様は、クシュンとくしゃみをした。

「風邪ひくぞ」

 そう言って、ご主人様の肩にジャケットがかけられる。

「課長」

「悪いな、遅くなった」

 隣に座る課長にご主人様が課長の分のご飯を渡すと、ありがとうと言って受け取った。おいらもご飯のお皿を置いてもらって、すっかり空っぽになった胃袋を満たすべくもぐもぐ食べる。

「さっきの電話…」

「はい?」

「高橋社長が、お前に伝えてほしいって仰っていた。気分を害するような客を招いてすまなかったって」

「え」

 まさかの発言に、ご主人様とおいらはご飯を食べる口を止めた。

「熱心に勧められるから前向きに検討してみたけど、依田部長の人間性に失望したから契約は白紙に戻すそうだ。逆にお前の事はとても褒めていたぞ」

「え、白…わ、私ですか?」

「奥さんが、とても気のつく明るくていい子だと大変気に入ってくださったそうだ」

「奥様が…」

 ポカンとするご主人様に課長は笑いかける。

「だから言っただろ?お前は落ち着いていればちゃんとやれるんだ。依田部長にも言ったが、確かにお前は覚えも要領も悪い。でも、できないなりに必死に考えて、絶対に仕事に手を抜かない姿はずっと評価してた。だから厳しく言って一人前に育ててやろうって思えたし、一人の人間として尊敬もしてる。何より、お前の笑顔は周りを明るくしてくれる。それはお前の最大の魅力だ」

「あ、ありがとうございます」

「…お前がバレンタインにくれたチョコ」

 課長越しに見える夕焼けがきれいだ。そのせいか、課長の顔も昼間より赤い気がする。

「いつもはみんなと同じだったのに、今年は俺にだけ違うチョコを渡した理由。聞いてもいいか?」

「いっ、今ですか⁉」

 ご主人様の声がひっくり返る。さっき課長の顔が赤い気がするって言ったけど、ご主人様の方がよっぽど真っ赤だ。

 そんなご主人様の顔を課長が覗き込む。

「我ながら、弱ってるところに付け込むようで性格が悪いと思うけどな。お前がいつもと違う気持ちで渡してくれたんだと思ったから、俺もそういうつもりでお返しを選んだつもりなんだが?」

「そ、それは、どういう…」

「さあ。どういう意味だと思う?」

 悪戯っぽい課長の微笑みがご主人様に襲いかかる。それを見ているおいらまでドキドキしちゃったじゃないか。

「…です」

「聞こえないな」

「~~~っ、好きだからです!」

 半分やけくそみたいにご主人様が叫ぶ。それを聞いた課長は、ちょっと幼く見える顔で笑った。

「俺もだよ」

 課長の返事に、ご主人様はまた子供みたいに泣いた。だけど今度は、とても嬉しそうだった。


めを見て言って、あなたが好きです。

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