SIDE:Hilda Ⅰ
赤い髪と青い瞳
これが、当時はほぼ視力のなかった第二王子である私の婚約者の記憶に鮮明に残る色なのだと言うのは、ほとんどの貴族の知る事である。
けれど、それ以上の事を彼は語っていない。
語ってはいないが、凡そその先は理解していると言ってもいい。
第二王子の初恋の相手だ、と。
う~ん、間違ってはいないのだけれど、色々と間違っている。
公爵家の一人娘である私の幼馴染でもあるレナード様は、側妃であるエリザベス様の待ち望まれた王子になりそびれた第一子である。そして、エリザベス様は母の少し遠い親戚であり、幼馴染だったりもする。
エリザベス様と母は、母親同士が従姉で仲も良かった事から小さな頃から仲が良く、側妃として王宮に上がる時に一緒に向かう事も検討されたような仲だった。けれど、侯爵家の娘だった母は、公爵家に嫁いでいたので諦めた形となったと聞いた。
母の方が少し年上で、妹のように可愛がっていたエリザベス様を心配した母は、身分を利用してよく王宮に居るエリザベス様の元に行っていたそうだ。それは、妊娠出産を経て、遊び相手として私を連れて、に変化はしたのだけれど。
伯爵家のエリザベス様と侯爵家の母が仲が良かった故の幼馴染だったレナード様と私の関係が変化したのは8歳の頃。
この国では5歳と10歳で魔力測定が実施され、私の魔力が5歳の測定で聖属性であると判定され聖女見習いになり少し距離が出来始めた頃だった。
「レナード様がご病気?」
母からそう聞かされて、中々会えなかったのが全く会えなくなってしまったのだ。
私が聖女だったら!
と思った。聖女は癒しの能力も持つから。
過去に色々と問題が多くて公にはされなくなったのだけれど、私が聖女だったらレナード様を治せたかもしれないのに、と思ってしまった。
11歳になったら一緒に王立テウト学園に行こうね、と約束していたのにそれも無理なのかな、と真っ先に思った。
国内で一番の学校の王立テウト学園、略して学園は入学試験が難しいからと一緒の勉強したのも無駄になっちゃうのかな? それより何より、もう会えなくなってしまうのかな? と考えてしまったら、涙が止まらなくなった。
《力》なら、あるのに
そう思った。
けれど、聖女になるには《覚醒》しないといけないのだ。そう神殿で教わった。
ただ聖属性の魔力があるだけでは聖女にはなれない。愛し愛されて覚醒して初めて聖女になれるのだ、と神殿で教わったから。
聖女になりたい、と心から思った。
レナード様を助けられるような聖女になりたい、と思った。
でも私は、無力で。
神殿で聖魔法を教わっていたから、少しなら私でも癒しの魔法も使える。けれど、精々が小さな擦り傷や切り傷を治せる程度の力しか、無い。それだって、十分に凄い事なのだと神官様は言うけれど。
でも、絶対的に力が足りない事だけは理解していた。それが、悲しかった。
レナード様を助けられるような聖女になりたい、と神殿で研鑽を積んでも《覚醒》する事は無くて、落ち込んだりもしたけれど。
そして、しばらくしてレナード様は離宮に転居したと聞いた。
「お母様、レナード様に会いたいです。」
何度目か解らないくらいお願いして、やっとレナード様に会える事になった。
案内された場所は、王宮から少し離れた想像したよりも小さな離宮だった。王宮よりも穏やかに過ごせるだろうから、と言う事らしい。そうは聞いていたのだけれど、何となくモヤモヤした気持ちは残った。
でも、笑顔で迎えてくれたレナード様にそんな気持ちは一瞬で吹っ飛んだ。
笑顔は向けてくれる。それは嬉しかったのは一瞬で。
だって、私の顔を見てくれていない事に気付いてしまったから。
泣きたいのは私じゃないのに。
私が泣いている場合じゃないのに。
でも、涙が止まらなかった。
「ヒルダ、泣かないで。僕なら大丈夫だから。」
そう言って手を差し出してレナード様は私をエスコートをしてくれる。
目が、視力がほとんどなくなってしまったと聞いていたのに、大丈夫かな? と思った私の考えはいい意味で裏切られたのだけれど。
けれど、この部屋はレナード様の為に作られている事が私でも理解出来てしまった。オフホワイトのカーペットに黒に近いダークブラウンのソファが全てを物語っている。
無理して笑顔なんて見せてくれなくてもいいのに、と思うのだけれど、レナード様が私に笑顔を向けてくれるのは嬉しい。涙は止まらないけど。
「レナード様。」
「大丈夫。取り敢えず座って? お茶でも飲もう。」
そう言われて、ソファに座る。
いつもと同じで、隣同士に。それだけで嬉しい。
「レナード様。」
この気持ちを伝えたいと、レナード様に会えただけで嬉しいと伝えたかったのに、涙が止まりそうにない。
暖かいレナード様の手をもっと感じたくて、ほほを寄せた。
「私にもっと力があればいいのに。」
「僕なら大丈夫だよ。だからヒルダ、泣かないで。」
聖女見習いとして教会に通っていても何も出来ない無力な自分が悲しい。
それなのに、レナード様は優しくて。
「ですが………」
私の涙がレナード様の手に落ちる。
これでは泣いている事を誤魔化せない。泣きたいのは私ではなく、レナード様の方なのに。
「私にもっと力があれば………………どうか、女神様。」
家で、神殿で祈っているように祈りをささげる。
ここには女神さまの像はないけど、それでも祈りたかった。私の身勝手な願いであるレナード様と一緒に居たいと言う気持ちを、夢を見た未来をかなえたいと言う願いを。
そうじゃない。
身勝手な願いなどかなえてくれる訳など無いと理解出来てしまった。
でも、レナード様の中にある禍々しい何かを感じでしまって………
怒りとは違う、何とも言い難いこの負の感情は何なのだろう? そんな、私には訳の分からない感情がレナード様の中で荒れ狂っている。
根付いてはいないけれど、これが根付いてしまったら、後には戻れないと理解出来てしまった。今は未だ大丈夫だけれど、ずっと大丈夫な訳じゃない事まで理解出来た。
理解出来ても何も出来ない。
この状態なら、きっと神殿から神官様や聖女様が浄化をしようとしていると思う。その痕跡を見付ける事なんて、今の私には無理な事だから。
でも!
と思った。
可能性は《ゼロ》じゃない。だって私は聖女の見習いだから。
力は足りないけど、レナード様を大切に思う気持ちは嘘じゃない。微力でもレナード様のお力になれれば、と思って祈りをささげる。
女神様、お願いです。どうか、この優しいレナード様を助けてください。
こんな状態になっても人に優しくできるレナード様を見習って、私も人に優しくしますから。
違う。
違うの。
そうじゃないの。
私は優しいレナード様にたくさん助けてもらっているのです。だから、そのお礼がしたいのです。私の目が見えなくなってもいいです。
だって、私と違ってレナード様は第二王子としてこの国に必要な人だと思うから。
だから女神様………………
こうして、私が聖女として《覚醒》した事で、髪の色も瞳の色も変わってしまった。
「だってあなた、赤い髪でも青い瞳でもないじゃない。」
レナード様と私がいつも一緒に居る事を妬んでいる令嬢たちに言われる言葉は同じだ。
赤い髪に青い瞳の少女がレナード様の初恋の相手だと言われているから。私の髪の色も瞳の色も違うから。
確かにそうだけど、少し違う。
私が聖女に覚醒した事でレナード様は私の気持ちに気付き、『自分も同じ。』だと教えてもらっているから。