第16話 小さな背中
勝つ自信がある。
ライナスに突っかかってきた男、ガリウスは予想していなかった一言にたじろいだ。ライナスの目に揺らぎはない。それは昨年の記憶とは大きく異なった表情だ。
「この野郎、調子に乗りやがって」
格下相手に自信を付けようとした目論見は完全に裏目と出た。彼のちっぽけな自尊心は傷つけられ、そのもやもやはライナスへの怒りへと転換する。
ガリウスはライナスの胸ぐらをつかむ。よどみのない動きにライナスは反応が遅れた。そのまま、力任せに振り上げられた拳を受け止めようと、反射的に顔を両手で塞ぐ。
「……あれ?」
しかし、いつまで経ってもライナスが予想した衝撃は襲ってこない。手をどかす。
「これ以上騒ぐな。周りに迷惑だ」
エリクがガリウスの拳をつかんでいた。その手は、ライナスの顔の前でぴたりと停止している。まるで時が止まったかのように動かない。
「くっ、この」
予想していなかった乱入にさらに頭に血が上ったガリウスは、その拳を引き抜こうとする。しかし、動かない。押しても引いても身動きしない。エリクの体も、地面に杭で打ち付けたかのように微動だにしない。
ガリウスの頭まで登り切った血は、一気に引いた。こいつはやばい、と思考が警笛を鳴らす。
「おい、あいつってさ」
「おお」
(ん?)
気づけば、エリク達を中心に人の輪ができていた。それはそうだ。ここは、適性検査の最後尾。今から並ぼうとしているのに、騒動が起きていたら進むに進めない。
おそらく職員であろう大人がうろたえている。このまま、こいつを引き渡そうか。そうエリクが考えていると、ざわざわとした周囲の声から意味をもった響きが耳に届いた。
「あいつ、さっき検査会場にいたよ。俺のあとに適性検査受けてた」
「……え、じゃあ何のためにここに来たの? 終わってるのに」
「それ、俺達にも言えるけど?」
どうやら、すでに適性検査を終えた二人がガリウスを指さしている。その声がどういう意味かを処理するために、エリクは空を見上げた。必死の形相で振りほどこうとするガリウスとは対照的な涼しい顔で、彼の手をつかんだまま。
そして、心底不思議そうな顔でエリクは首を傾げた。
「ずいぶん、自信ありげだったか……もしかして、落ちたのか? 昨年はおまえも」
エリクの指摘に、今度は別の意味で顔を真っ赤にするガリウス。
「べ、別に関係ないだろうが、そんなことは!」
空いている手でエリクを叩こうとしたが、その手はエリクの顔の前を通過する。そのまま、エリクはつかんでいた拳を離して、前のめりになっていたガリウスの足を軽く蹴る。
「うおっ」
バランスを崩したガリウスの顔は、そのまま地面へと激突した。立ち上がろうと顔を上げた彼の鼻から血が出ている。
「お、覚えてろよ!」
そんな言葉を残して、ガリウスは去って行った。まるで三文芝居の悪役のようなセリフだ。あまりにも古くさくて滑稽である。その背中を見て、エリクは大きく息を吐く。
人混みをかき分けて逃げていったガリウスが見えなくなってから、ライナスも小さく息を吐いた。
「助かったよ、エリク。ありがとう」
笑顔でエリクを見るライナスだったが、すぐに眉根を寄せた。エリクは、ライナスが立ち去った方向をじっと見つめている。
どうも表情が冴えない。出会ってばかりではあるが、これまでどちらかというと飄々とした雰囲気の彼がしたことのない表情だ。何やら悩んでいるように感じる。
「どうした、エリク。気分でも悪いのか?」
「なぁ、ライナス。一つ聞いていいか?」
質問を質問で返されたライナスであったが、エリクがこちらを見たので、こくんと頷いた。
「あいつの実技、どうだった? 昨年、対戦したんだろ?」
「ああ」
ライナスは思い出す。あまり良い思い出ではないが、エリクが求めるのなら答えてあげよう。
「すごかったよ。俺では手も足も出なかった。体格からの力だけじゃない、ちゃんとした技もあったな」
冷静に、詳細に。ライナスは、昨年の記憶を思い出す。単純に正面からぶつかっては勝ち目がない。何度向かってもたたき伏せられた苦い記憶。今日、ここに来るまでにライナスから自信を奪い取った出来事。
しかし、今は「それならどうするか」の思考が同時に生まれてくる。確かめてみたくて仕方が無い。ライナスが語る言葉は、ガリウスの強さを証明するものではあったが、ライナスの表情は明るかった。
「そうか。おまえがそこまで言うなら、本当に強いんだな」
対照的にエリクの表情はますます暗くなる。本当にどうしたのか、とライナスが気にしていると、エリクは小さく、ぼそりと呟いた。
「そうか。実技がよくても、落ちるのか」
その一言で、ライナスは全てを察した。
「エリク、もしかして、筆記の自信が無い……とか?」
一瞬、大きく目を見開いたエリクはすぐにその目を伏せる。そして、小さく頷いた。
「マジか」
思わず、ライナスは笑ってしまった。その笑顔を見て、エリクは鋭い視線を向ける。取り繕うように、ライナスは小さく首を振って、顔の前で手を振った。
「悪い、悪い。誰でも苦手なことはあるよな」
苦手、と言われてエリクは反論もせずに嘆息した。
「ちなみに、どこが?」
「基礎知識と、歴史と、算術と……」
「いや、それ全部だな」
落ち込むエリクの背中を見て、ライナスはバンッと力強く叩く。
「とりあえず、並ぼう。まずは適性検査だ」
「そうだな」
とぼとぼと歩き出したエリクがとても小さく見える。どこか年上のように振る舞ってくるエリクが、同年代に見えて、不謹慎にもライナスは嬉しさを感じた。
「とりあえず、適性検査が終わったら今日の宿を案内されるから、そこで諦めずに復習」
「なるほど」
素直にエリクは頷いた。
「何だかんだ言っても、実技と面接が最重要だと俺は思うんだよ。言ってなかったけど、面接も散々だったから、俺」
そこからできる助言と言えば。ライナスは自分が試行錯誤してきた財産を伝えようと、エリクに笑いかけた。
「試験の出来が悪くても落ち込まないこと。昨年、俺は凹みすぎてたのがいけなかったと思うんだよな」
そんな調子で、ライナスはできる限りエリクに伝える。自分が勝手に感じていた壁を、取っ払ってくれたエリクへのお礼のために。
(あと、俺が受かってエリクが落ちるってのも、避けたいしなぁ)
馬車の中で思い描いた学院生活。そこにエリクがいないのは、しっくりこない。
熱心なライナスの言葉を、逐一胸に刻むエリク。そんなことをしていたから、適性試験までの長い行列はいつの間にか進んでいき、ついに部屋の前までたどり着くのであった。




