第15話 慧眼が見た夢
整備された街道を行けば、半日もすればモーングローブへとたどり着ける。
「すごいな、ここは」
馬車から降り立ったエリクは、呆然とその場で立ち尽くしていた。
モーングローブ。
かつて森妖精達が棲まう神聖な森として名をはせていた。ロランの記憶に残るのは、鬱蒼とした何人も寄せ付けない森林である。
それがどうだ。目の前の開けた道は。遠くには、遠近法を狂わせるほどの大きな塔が見える。その足下にあるのが、目指すべきモーングローブ学院だ。
魔王によって焼き払われ、命を失い復活が難しくなった森の跡地に築かれた知の殿堂。クレーゼル各地から集まった協力者達によって、その権威は確固たるものとなった。
現在は学院を中心として、一つの都市が形成されている。周囲を囲む四国全てに影響力を持ちながら中立を保つ、自由で秩序ある街。それが、現在のモーングローブだ。
モーングローブ学院の創設者であり、一番の功労者の銅像が馬車が集まる広場に建っている。
それを見上げて、エリクは思い出し笑いを浮かべた。苦笑いに近い。年齢を重ねた姿であるが、よく特徴をとらえている。面影も残っていた。
――だから、おじさま。見た目に気を遣って。スポンサーがいなくなりゃ、あたし達の旅もおしまいなんだから。
(立派なもんだ、あの小娘が)
エリクの頭の中に急に映像が再生された。その少女こそが、かつて勇者アイヴァンを助けた商人であり、今は『慧眼』リディアとして語り継がれる英雄である。
ロランの記憶として残っているのは、道ばたに落ちている小銭すら拾い集めるような商人リディアである。どれだけ今は彼女の功績を讃えられていようが、リディアといえば幼さと危うさが感じられる姿が真っ先に思い浮かぶ。
(あの首根っこを引っ張ったのは、何回くらいだったか)
足下ばかり見て、敵の接近に気づかない。何度か肝を冷やした。
ただ、その守銭奴のようなふるまいは、確かに役に立った。何せロランもふくめて、経済感覚が皆無で稼ぎに無頓着な連中が集まっていた。旅を継続できたのは、確かに彼女の功績だろう。
(それが私財を全てなげうっての、学院開設とはな。イケメン捕まえて、悠々自適な老後を送るんじゃなかったのか)
筆記試験に出るそうだから、必死にリディアの功績を覚えた。いくつかロランの記憶と齟齬が生まれる記述もあったが、かつてのリディアを思い出せるものだった。
焼け野原となったモーングローブの復興と、しがらみをなくした学び舎の創設。驚きはしたが、彼女ならやりそうだなと納得もできた。
――本当はもっと勉強したかったんだよね、あたし。
いつかこぼした本音。ロランはそれを聞き流していたが、今のエリクなら分かる。確かに商才にあふれていた彼女だったが、それだけではない自分の可能性をリディアは模索したかったのだろう。
それを許さなかった、かつてのクレーゼル。魔王無き世に、彼女が描いた夢。それが、ここモーングローブだ。
ふと、こみあげてくるものを感じてエリクは目を拭った。
「なにしてるんだ、早く行こうぜ」
ぼんやりとしていたら、ライナスが声をかけてきた。確かに、呆けている暇は無い。
「ああ、すぐに行く」
エリクはリディアの像に一礼すると、その場を立ち去った。
歩みを進める度に、緊張が増してくる。本番は明日だというのに、手の震えを感じ出す。こういう感覚は久しいな、とエリクが思っていると目の前に予想外の光景が広がった。
「……あれに並ぶのか、本当に?」
「ああ、大丈夫、かなり進みは早いから思っているよりは時間掛からない」
昨年経験しているライナスは軽く言うが、エリクはめまいを覚えた。先の見えぬ長蛇の列がそこにあった。
職員らしき人が、その最後尾で手招きしている。受験生はこちらに、ということだろう。
「えっと、適性検査か。確かに、全員が受けるとなると、これぐらいは……」
エリクは頭を何度か振りながら、状況を整理する。この先は手続きと並行して、適性検査がある。エリクもその時間を狙って馬車に乗ったのだから、それは分かっている。
ちなみに受験料はかからない。リディアの残した遺産で運営している基金から出ている。それはありがたいことだ、と素直にエリクは感謝していた。
(そうだな、それならこれくらいは受験するか)
予想できていなかった規模の大きさに、どんな強者を相手にしても怯まないエリクの足が怯えていた。
「去年は前乗りで朝から来たんだけど、そのときに比べたら列は短いから、すぐだよ」
「……そ、そうか。朝からか」
目の前の人数だけでも尻込みしているというのに、もうすでに通り過ぎた者達がいる。気が遠くなりそうだ。エリクの頭はくらくらとしてきた。
「お、なんだ。ほっそい背中だと思ったら、いつかのへなちょこじゃないか」
急に声をかけられて、ライナスとエリクは振り返る。「げっ」とライナスの喉から声がもれた。
「今年も記念受験か、ご苦労なこった」
にやにやと笑っている金髪の男。年齢は同じくらいか、少し上とエリクは見る。体はよく鍛えられていて、腕の筋肉の付き方から大きな武器を扱っていることが予想できた。
ライナスも細い、というわけではないが並び立てば確かに細く見えるかもしれない。
(それを言うなら今の私も、かなり細いがな)
かつてのロランのような屈強な体にするには、まだ年齢と年月が足りない。それに拳闘と剣士は鍛える箇所が違う。
エリクがそんな風に相手を値踏みしていると、彼はライナスに近づいて威圧し出す。
「去年は散々だったもんな。俺の剣に弾き飛ばされて、何にもできずに」
「あはは」
詰め寄られた顔を前に、ライナスは愛想笑いを浮かべている。
――そんなだから、去年の実技は最悪だったんだよ。
(なるほど。こいつが昨年の相手か)
エリクは馬車でのライナスの言葉を思い出す。ライナスにとっては、あまり思い出したくない話であろうことは容易に想像できた。
色々と言われているが、ライナスは黙って耐えている。隣で聞いているエリクが、そろそろ我慢ができなくなった、そのとき。
「諦めろって。どうせ、無理なんだから」
「諦める?」
ライナスの目つきが鋭くなった。その拳が、ぐっと強く握りしめられる。
「まぁ、確かに昨年のままじゃ、あんたに勝つのは難しいだろうね」
ライナスはにらみ返す。急な反撃に、男はたじろいで一歩後ろに下がった。
――諦めないことも才能だ。
エリクに言われた言葉を思い出すと勇気が出る。馬車の中で考えてきたことだ。もし、昨年と同じ相手に当たったら。
「でも、今度は勝つ自信がある」
ライナスは胸を張った。昨年のトラウマ相手に。そして、己のこれまでの試行錯誤に。




