第11話 旅立ちの日
「よし」
エリクは荷物を確認する。村で生まれてから、一人でこんなにも遠出するのは初めてだ。いくら準備をしても、不安の方が大きい。
「ふっ」
エリクは思わず笑みがこぼれた。自分の想像がおかしかったのだ。
今のエリクにもしっかりとロランの自我が残っている。その彼が言うのだ。私も実は一人で旅をするのは不安でたまらなかった、と。
(それが、肉体と同じく精神も鋼でできていた、なんて書かれているんだ。どうやらロランはその恐れを隠し通せたらしい)
勉強中に出てきたロランの記述が、あまりにも他人のように思えた。
「しかたない、これも私だ」
エリクは大きく息を吐いて、荷物をまとめた。
エリクが崖から落ちてロランの記憶が目覚めた、あの運命の日から三年。エリクは十五歳になっていた。
今日は出立の日だ。数日後には、モーングローブ学院で入学試験がある。
「おっ、似合ってるな」
家を出ると、父ハルダンと母レネットがエリクを待っていた。ハルダンはいつもと同じように笑い、レネットはいつも以上顔色を悪くしている。
「あまり村では見ない格好だから違和感の方が大きい」
エリクは自分の服装を見て、正直な感想を述べる。今日は王都まで行って、馬車を拾う予定である。
エリクの衣装は、都会に出るのにふさわしい、そして、試験に臨むべき正装としてハルダンが用意してくれたものだ。慣れていないからか、服に着られている気がして落ち着かない。
(あと、こいつもだな)
正装ということで、これもハルダンが用意してくれたのが腰に差す鋼の剣。今日まで、本物に触る機会がなかったから、とても重く感じる。
腰に差した瞬間、胸の奥に響く重み。これは体を鍛えても支えられないものだ。
そんな風に、エリクが自分の体を見ているとレネットが近寄ってきた。
「体調は? 何ともない?」
エリクの体をペタペタと触ってくる。彼女も、これまでのエリクの努力を知っているからだろう。エリクが、実力を発揮できないことを何よりも恐れていた。
「大丈夫。よく眠れた」
ニカッと笑ったエリクに、まだ不安げなレネットだったが、そっと離れた。
「じゃあ、行ってくる」
片手をあげて出立しようとするエリクにハルダンは笑う。
「分かってるな、落ちたら強制的に跡継ぎだぞ」
「あんた!」
豪快に笑うハルダンを焦りの表情でレネットは全力で背中を叩いた。あまりの強さにハルダンが前のめりに倒れそうになっている。
華奢に見えて、農家の嫁だ。力強いその様にエリクは苦笑いを浮かべる。
(跡継ぎ、か)
ハルダンのそれは、もちろん冗談である。もし、エリクが自分の道を進むのであれば今後も応援していくつもりだ。
しかし、当のエリクはそれを冗談とは思えなかった。あり得る未来の一つとして、容易に想像できてしまう。
ここまでのハルダン達から受けた愛情が強いほど、失敗が恐ろしい。天涯孤独だったロランにはなかった感覚だ。
少なくとも晩年、アイヴァン達と共に過ごした時は違っていた。そのときよりも、純粋に愛を感じるからこそ、エリクは心苦しい。
(そうだな、もし、来年またなんてことになったら、せめて生活費は稼げるようになってから……)
そこまで考えてエリクは、はっとした表情を見せると強く首を横に振った。
弱気になっている。今から、来年のことを考えてどうするのだ。
「今度こそ、行ってきます」
「おお、負けんなよ」
「エリク、気をつけてね」
二人に見送られて、村の出口に向かう道を歩こうとして、またエリクは立ち止まった。
「あいつ」
視界の隅で、明るい髪色が見えた。本人は木に隠れているつもりなのだろうが、時折髪が揺れて木の陰から出てきている。
そういえば、昔、隠れん坊をしていた時、そんな感じで彼女を見つけたことを思い出して、エリクは微笑んだ。
こっそりと近づく。
「……何のために作ったの、マリー。これを渡さなかったら」
ぶつぶつと呟いている言葉が聞こえてきた。
「マリー」
「うひゃあっ」
エリクが声をかけると、マリーが草むらから飛び出してきた。耳まで真っ赤になっている。
「エ、エリク。どうしてここに?」
「……それは私の台詞だってこと、分かってるか、おまえは」
エリクが大げさに嘆息すると、マリーは観念したように近寄ってきた。その手に抱えているもの、それが何なのか分かってエリクは笑う。
「エリク。あたしね、これ作ったんだ。エリクに持って行ってもらおうと思って。でも……」
マリーの視線がエリクの腰に落ちる。そこにある鋼の剣を見て、小さく息を吐いた。
「おじさんが、それをプレゼントしてたから、もういらないのかなって」
「それで、昨日は何か様子がおかしかったんだな」
決起集会と称して、マリーはエリクを誘ってささやかなパーティーを開いてくれた。そのとき、最後まで妙にそわそわしていたのが、エリクは気になっていたのだ。
「うん。荷物になるだけかな、って思ったの」
マリーは顔を伏せた。手にしたエリクへの贈り物を、ぎゅっと抱きしめている。
彼女はいつものようにスカーフを身につけていた。大事に使っているのだろうが、どこかくたびれている。
(そうだな。また、お礼に新しいものを買ってくるか)
エリクは右手を差し出した。
「実は、私の相棒を連れて行くか、さっきまでずっと迷っていたんだ」
エリクの相棒。マリーから贈られた木剣。あまりに振りすぎて、マリーのスカーフなんかとは比べものにならないほどに、くたびれてしまい今にも折れてしまいそうだった。
一緒に連れて行きたかった。だから、背負うための用意も荷物にある。しかし、それが折れてしまえば、心まで折れてしまいそうで怖かった。
だから、自室に置いてきた。エリクが過ごした部屋で、エリクが夢を叶える姿を見せる日を迎えるまで、休んでもらおうと。
「だから、マリーがそれをくれるなら……こんなに心強いことは無い」
マリーの目が大きく見開かれる。今度は別の意味で頬が赤くなっている。
「しょ、しょーがないなぁ。そんなに欲しい?」
それをごまかすように、マリーは顔を背けながら軽い調子で尋ねる。
「ああ、どうしても」
「うっ」
それをエリクにまっすぐに答えられ、息を詰まらせながらマリーは正面に向き直った。
「じゃあ、これ。試験頑張ってね」
「ああ、もちろん」
受け取った、新たな木剣。マリーの削りと磨きの技術があがったのか、工芸品としての美しさも感じられる。
こいつがいれば、大丈夫だな。先ほどまで感じていた不安は霧散した。
エリクはマリーから贈られた木剣を背負って、歩き出す。
「私は剣聖になるんだ」
今もその熱は心にある。いや、マリーから渡された気持ちの分、もっと強く燃え上がっている。
振り返る。
まだ、マリーはこちらに手を振っていた。エリクはそれに手を挙げて応え、ぐっとその手を握りしめて胸を叩いた。
「この熱は、私のものだ」
こうして、エリクは旅立つ。自分の熱を灯火に、先の分からぬ未来に向かって。
エリクは力強く、その一歩を踏み出した。




