夏の風、交わる僕ら
僕らは団長の家で一夜を明かした後、大学にも病院にも行かず、出向いたのは神社だった。
無論、目的はお祓いである。
そうなると、合理的に説明できない「何か」を認めてしまっているようで、炎天下の真昼間でも背筋が凍り付きそうになるが、効果はてきめんだった。
アキコの痛みは両腕に広がっていた。左は僕と団長で目いっぱい引っ張った反動で、右は一昨日から続く原因不明の「締め付けられる」ような痛み。
お祓いによって消失したのは「締め付けられる」ような痛みだった。
これじゃあますます「何か」の存在を認めてしまうじゃないかと思ったが、お祓いとてその効果は合理的に説明されていないもの。
「気のせい」という線はまだ残っていた。アキコが引っ張られたのも「気のせい」。
不気味な声も「気のせい」。
この「気のせい」がある限り、噂は煙のまま、その下の火元は特定できない。
さて、これにて一件落着。
平穏なキャンパスライフを取り戻したと安堵していた矢先、アキコはとんでもない後日談を吹っ掛けてきた。
「いつも私たちが遊んでるゲームあるじゃない? あれ、処分しておいてくれない?」
授業も終わって、これからそのゲームで遊ぼうと思っていたから、僕は面食らってしまう。
「え、どうして。まだ全ステージクリアできてないじゃないか。それに、アキコと一緒にあのゲームで遊ぶのは、僕の数少ない人生遊戯の一つに数えられているんだ。だのにいきなり処分しろなんて、どうしちゃったんだよ」
僕が必死に反抗すると、アキコは苦い顔をして話し始めた。
「……もう、この話はしたくなかったんだけど、完全に縁切りたいから、あえて言うね。あのゲームのせいで、元カレ、『タカシ』が死んだの」
「……は?」
いきなり、というのは処理に時間がかかる。「処分しろ」といういきなりを飲み込み始めた直後に、また新たないきなり。
僕は頭がショートしかけた。
「どうして『タカシ』が死んだのか、そこまでは知らないでしょ」
「知ってるよ。飲酒運転の車に」
「違う。そういう事じゃない。その裏にある、間接的な理由。どうして彼が、夜の交差点を一人で渡っていたのかっていう、理由」
僕は途端に耳を塞ぎたくなった。
でも、聞かなければならないような気がして、僕は恐ろしながらも傾聴を続けた。
「あの夜は、私の誕生日だった。付き合い初めて3か月、私の誕生日を一日勘違いしていた『タカシ』は、今すぐ誕生日プレゼント買いに行くと、必死な顔をしていた。私もちょっとキレてたから、なおさら焦っていたのかも。ともかく、私は召使いに命令するように、プレゼントを買いに行かせた。お察しの通り、『タカシ』が死んだのはその道中、正確には帰り道ね。……はあ。あの時、私がもっと寛大でいれば、『タカシ』は」
アキコは声を詰まらせた。
目は潤んで、閉じた瞼の間から、透明な一筋が流れた。
僕はアキコの背をさすった。
「大丈夫だよ」と、優しく声をかけた。
「……ありがとう。で、もうわかったでしょ? その買いに行かせたプレゼントが、今私たちが楽しんでプレイしているゲームだって事」
「ああ。そう、だったんだ」
それ以上、僕は言葉をつづけられなかった。
「ボクモ、アソビタイ」という不気味な語り口、そして背景で流れ続ける、スタート画面のサウンド。
「何か」は「タカシ」だ。
そう断言できるくらい証拠は集まっているが、それでも「気のせい」は否定できない。
「タカシ」っぽい、までとしか言いようがない。
火元は永久にわからない。
「でも、どうしてそんなゲームを僕に勧めてきたんだ? トラウマを抱えているなら、あまり手を伸ばしたくないような気がするけど」
「うん。それは本当、マサキの言う通りだよ。でも、やっぱりプレイしてみたい気持ちちょっとと、何より遊ぶことが『タカシ』への供養になるのかなって、都合よく考えて。結局、ひどい目に会っちゃったんだけどね」
アキコは口惜しそうに微笑んだ。
頬を伝う涙の筋は、透明だけど痛々しかった。
「わかった。アキコの言う通り、ゲームは処分しておくよ」
「うん、ありがとう。お願いね」
「あとそれと……」
立ち去ろうとしていたアキコは、足を止めて向き直る。
僕は、喉の奥に優しさがこみ上げるのを感じて、続きを言った。
「『タカシ』に挨拶したい。もうすぐお盆だろ? 僕らの気持ちをちゃんと『タカシ』に伝えなきゃ、一件落着とは言えないと思う」
「……うん、そうだね」
アキコは慎ましく、穏やかに微笑んだ。
そよ風が僕らの間に吹き込んで、夕時の涼しさを運んでくる。
ああ、夏だな。
僕はとりとめなくそう思った。