ぼくの彼女
近くの駐車場に停めて、僕らはまた全力疾走をして交差点に向かった。
走ってる時、ふと魔が差した。
本当はいないんじゃないか。
てんで検討外れのところにいるんじゃないか。
そう変な考えも浮かんだけど、どんぴしゃり、アキコは例の交差点の真ん中に突っ立っていた。
とても静かな夜。
でも、昨日とは比べ物ににならないきな臭さがわめき散らかしているようで、静けさなんて微塵も感じられなかった。
「アキコ!」
アキコの後ろ姿を見るなり、僕は叫んだ。
「ごめんっ。アキコ、本当に、ごめんっ。僕、とんでもなくひどい事しちゃって……」
真っ先に口をついたのは謝罪の言葉だった。
僕が悪かった、だから戻ってきてくれ。
そう、許しを請う思いも少なからずあったのかもしれない。
僕の声に、アキコは振り向いた。
「マサキ……。わかったんだ、私の居場所」
「ああ。団長から話は聞いた。ここが元カレの事故現場だなんて知らなかった。なのに強引にアキコを連れて行こうとして、本当に、ごめんっ。謝っても、謝り切れないよっ……」
腰を折って頭を下げる。
街灯に照らされて、四角い影ができる。
直下のアスファルトには、零れ落ちた涙が点状の跡をつけていた。
「アキコ君、戻ってくるんだ! マサキ君もこの通り、大いに反省している。だから、どうか変な気だけは起こさないでくれ!」
「大丈夫ですよ、団長。私はすこぶる平常です。ただ、確かめに来たかっただけなんです。本当に、彼がここにいるのかどうか」
「ごめん、アキコ。ごめん、ごめんっ」
「そんなに謝らないでよ。結局、煙だったんだから。マサキは『火の無いところに煙は立たない』って言ったけど、嘘だよ。火が無くても煙は立つ。全部、噂だよ」
「アキコ君……」
アキコは少々投げやりな言い方をしながら、僕の方に近づいてくる。
静かだから、かすかでもアキコの足音がちゃんと聞こえてくる。
その音が距離を詰めるほど、僕はもっと謝りたくなってしまう。
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ」
「はあ……。だからもうやめてってば。本当に、何も」
そこでアキコの声は、「きゃぁっ!!」という、張り裂けそうな叫びによって途切れた。
顔を上げる僕。
近づいていたはずのアキコは、今やぐんぐんと闇夜の向こうへ遠ざかっていた。
見えない「何か」に、右腕を引っ張られながら。
「アキコっ!!」
「アキコ君っ!!」
僕らは飛ぶように駆けだした。
そして僕は引きずられるアキコの左腕を掴んだ。
団長は僕の体を体を掴んで後方に力をかける。
二人がかりでようやくアキコの動きが止まった。
でも、若干競り負けている感じがした。
「いやぁっ!! 助けてっ!! いやああああああっ!!」
アキコは狂ったように叫び散らす。
骨の髄まで響いてくるその叫びに、俄然力が入る。
「大丈夫だアキコ、落ち着け! 絶対に僕が、助け出してやるから!」
「そうだぞアキコ君っ、君は貴重なサークルメンバーなんだ、どこの誰にもやらせるものかっ!」
「痛っ、痛いよぉっ、あっ、あああああっ!!」
でもアキコは泣き叫ぶ。
僕らの声を木っ端みじんにして、僕らの頭の奥にまで声を響かせる。
怖かった。
アキコの叫びを通じて、僕らは見えない「何か」と対峙している。
腰が抜けそうになるほど怖かった。
でも、余る力の全てを振り絞って、アキコの腕を引っ張る。
「アキコは、僕が……」
不意に僕の口は固まった。
恐怖と焦燥と興奮でごったがした頭の中に、奇妙な違和感が生じたからだ。
そしてその違和感は、すぐに明瞭な形となって僕の中に語りかける。
「ボクガ、アソブ……」
奴の声だった。
昨日、夢の中の僕に、黙れと言ってるのにしつこく言い寄ってきた奴。
でもそいつが誰なのかわからない。
僕らが今対峙している「何か」なのかもしれないけど、本当の正体はわからない。
だから「黙れ、来るな、あっち行け」と、僕は同じように拒絶することしかできなかった。
「アソブノハ、ボク、ダ。オマエ、ジャ、ナイ」
遊ぶ?
何だよそれ、何して遊ぶんだよ。
そして僕じゃない?
じゃあなんで僕に語りかけるんだよ。
あっち行けよ。
水掛け論のような攻防の最中、あのサウンドが後ろに聞こえてくる。
レトロチックなサウンド。
スタート画面。
アキコとコントローラーを握って生じる高揚感。
楽しいと言う、彼女の笑顔。
楽しいねと言う、僕の声。
「アソブ、ボクガ、アソブンダ」
わかった、そうか。
そんなに遊びたいなら遊んでやるよ。
だからいい加減黙って消え失せろ。
「ボク、ガ……」
違う。
アキコは僕の彼女だ。
どこにも連れていくんじゃない。
「アソブンダッ!!」
ごめんなさい。
それだけは、本当に思っているんだ。
だから……。
「アキコから手を離せよ!!」
僕が腹の奥から叫び上げた途端、後ろにかけていた力のまま吹き飛んで、僕たちは背中からずっころげた。
「アキコっ!!」
身を起こして僕は真っ先にアキコに抱き着いた。
僕たちを襲ったとてつもない恐怖を分かち合う様に、たくましく、慎ましく、抱いた。
「アキコ、大丈夫か。おい、しっかりしろ」
アキコは気を失っているようだったが、肩を揺らすと間もなく目覚めた。
「……マサキ」
「アキコ、どこも怪我してないか? おかしなところ、無いか?」
「まあ……、うん。すごい力で引っ張られたから、ちょっと肩と腕が痛むけど、それ以外は、なんともない」
「はあ、良かった。アキコっ!」
そして僕は再び抱き着いた。
アキコの温もりが体中に伝わってくる。
恐怖から覚めた僕は、アキコの胸の中でひたすら泣きじゃくった。
ごめんなさいっ、助かった、良かった、ありがとう……。
色んな思いがめちゃくちゃに交錯して、自分でもわけわからなくなっていた。
「もう、マサキったら泣きすぎ。子供みたい」
マサキの背中をさすって母親のようにあやすアキコも、その頬に一筋の涙を引いていた。
「はあ……。何より、我々三人とも無事で良かった。さあ、帰ろう。今夜は私の家に泊っていくがいい」
団長の手を借りながら、僕らはよろよろと立ち上がった。
アキコを連れて行こうとした夜道は、変哲もなく街灯で照らされていた。