表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/9

そんなの、ありえない

「ねえマサキ。様子が変だよ。もしかして、『何か』が現れたの?」


 車中、アキコはずっと僕の異変に探りをかけていた。

 僕は話すのも恐ろしいから黙りこくっていたけど、何度も訊いてくるアキコへのうんざりがやがて勝って、口を割った。


「わからない。でも、聞こえた。変な声が聞こえた」

「聞こえたって、マサキ寝てたじゃん」

「夢の中で聞こえたんだ。『ボクモ、アソビタイヨ』みたいな不気味な声が、嫌だというのに近づいてきて」

「なんだ。ただの夢じゃん」


 聞いて損した。

 アキコが背もたれに倒れた時には、そんなため息まで聞こえてきそうだった。


「夢じゃんって、じゃあアキコは聞こえなかったのかよ。変な声」

「聞こえるも何も、私寝てないもん」

「寝てない? 嘘だ。ちゃんと寝息立ててたじゃん」

「あれは寝たふりだよ。私寝てるんでちょっかいかけても無意味でーすっていう、『何か』へのメッセージ。まあ、団長の登場には驚いちゃったけど」

「本当かよ。強がらなくたっていいんだぞ」

「本当です。マサキが私を放ってコンビニに行ったこと、ちゃんと見てますから」

「……逃げも隠れもできねえや」

「でも戻ってきた後も、私の手を握ってくれたでしょ? 私を安心させるために。それだけは褒めてあげる」

「は? 戻ってきてからは一度もお前に触ってないけど」


 そして再び空気は張り詰める。

 信号はちょうど赤に切り替わった。

 最悪だ。

 早く通り抜けたかったのに。

 止まった車の中、直面しているものがあまりにも恐ろしくて、僕は完全に参っていた。

 それはおそらく、アキコも同じだった。


「……ねえ。それって悪い冗談だよね。私の手、右手だよ? 私の右手、握ってくれたんだよね」

「握ってないって! 僕はアキコに一触れもしていない!」


 自然と語気が強くなっていく。でも、僕をすっぽり覆う恐怖の雲が晴れることはない。


「アキコこそ、悪い冗談じゃないか。ずっと起きてたなんて嘘だろ。眠っていた。夢の中で僕と手を繋ぐ夢を見ていたんだ!」

「起きてたって! 私は起きてた、何しろ、その自覚があったから!」


 僕たちは言うだけ言って、黙り込んだ。そして僕は、怯えているくせに挑発的な事を口走った。


「……幽霊だよ」

「……」


 アキコから返答は無かった。


「間違いない。合理的な説明がつかない『何か』、つまりは幽霊だよ、これ」

「嘘、信じない……」


 アキコは憔悴しきったように下ばかり向いていた。


「信じられないのは非合理的だからだろ? でも、非合理的であることが、幽霊の存在を裏付ける何よりの証拠なんだ。現に僕らの証言は食い違っている。この矛盾は、どうやって説明すればいい?」


 怯えているのは確かだ。

 でも、僕は自分でもびっくりするくらい冷静になっていた。

 それは一重に、当初の目的である「検証」が、望ましい形で終わったためであろう。


 だが反対に、いつもは物怖じしないアキコが、珍しく不調をきたしていた。

 まるで本当に幽霊に取り憑かれでもしたように、呼吸を乱していた。


「やめ、てよ……。ありえない……、そんなの、ありえない、から……」

「なあアキコ、大丈夫か。すまない。怖がらせるつもりはなかったんだ。ちょっと舞い上がっていただけで。幽霊なんていないよ、やっぱり。あんなの、僕らの娯楽のために生み出された幻想だよ」


 それはアキコ本人がよく口にしていたセリフだった。


 幽霊なんて、娯楽の産物だ。


 おまじないのような頼もしい言葉を、そっくりそのまま返す。

 でも、アキコの様子は良くならない。

 どうしようかと思いあぐねていた矢先、アキコは急に腕を伸ばして、前方を指さした。


……まさかっ。


 冷えた血が一瞬で体を巡った。

 僕は弾かれたように前を見た。

 だが何もなかった。

 変化があるとするならばただ一つ、信号が青に変わっていたことだった。


「……行きなよ」


 アキコがぼそりとつぶやいた。


「……あ、ありがとう」


 ちょっと拍子抜けして、僕は信号を進んだ。

 幽霊なんていない、幽霊なんていない。

 初めは盛り上がっていた僕も、今ではアキコの言葉がだんだん染み込んできて、それを信じたくなっていた。


 でも、こういう否定したい時こそ、幽霊はふっと現れるものじゃないかと勘付いて、僕はルームミラーで後部座席を確認した。


 だけど何も無かった。


 安心。


 でもそう胸を撫で下ろして前に向き直ったら……。


 と思ったけど何も無かった。 

 結局何も無いまま、僕らは僕の家に到着した。


「ねぇ、今日はマサキの家に泊まっていい?」 


 怖がる彼女の申し出を跳ね除けられるわけがない。

 そもそも僕自身が怖がっていたのだから。

 

 僕らは互いを理解しようと努めて、互いの優しさを交換しようとして、互いの心に巣食う恐怖を分かち合おうとした。


 恐怖が色褪せてから、夜はあっさり過ぎ去った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ