怪奇声
夜、僕らはその交差点に向かった。
車中でも降りた後でも、アキコは隙あらば僕の左腕を握っていた。
そうすると落ち着くというのである。
アキコは時たま精神が不安定になる、と言えば語弊を招くかもしれないが、病気の類でなく、人よりも不安になりやすい性格なだけ。病院の診断をもらったわけじゃないけど、誰よりも彼女と時間を共有している僕の見立てである。
例の交差点は閑散とした住宅地内にあり、車通りが少なく、妙に静かだった。
夜だから静かなのは当たり前だが、その当たり前を外れたような静けさだった。
交差点の脇に立つ一本の電柱の下には、一つの花束といくつかの菓子、飲料が並ぶお供物があった。
「ねえ、やっぱり帰らない?」
アキコは僕の左腕に巻き付いて言う。
「せっかく来たのに蜻蛉返りは面白く無いよ。帰りたいなら、もう少し前に言えばよかったのに」
「大丈夫、大丈夫って自分に言い聞かせていたけど、いざ来てみてやっぱり無理かもって今なってる」
「アキコってそんな怖がりだった? 肝試しは今回で初めてじゃないだろ。まるで初心者みたいな怖がり方だな」
僕とアキコは『超常現象サークル』という、いかにも奇人変態しか集まらなそうなサークルに所属している。
実際、奇人変態ばかりだから、他の大学公認団体からは疎まれの目でみられている。
その活動の一環として何度か心霊スポットを訪れたことがあるが、アキコは動揺するどころか、むしろ不気味さを楽しんでいる節さえあった。
僕がアキコに惹かれたのはそういうところであったが、ともかく、今回の怖気ようはなかなかの幻滅ものであった。
「マサキは怖くないの?」
「当たり前だよ。たかが交差点じゃないか。それに街灯もある、家もある、コンビニだってある。廃墟でも無いんだぞここは」
「そう言うけど……」
「もしかして、もう何か感じてるの? アキコって霊感あったっけ」
「冷かさないでよ。本当に怖いんだから」
「……じゃあわかったよ。30分だけいよう。そしたら帰る。何もなくても」
「30分もいるの!?」
「じゃあ、25分」
「もうちょっと」
「20分……」
「あと少し!」
「だったら15分だ! もうこれ以上は値引かねえぞ、もってけドロボー!」
ここに来ること自体、アキコの出血大サービスをもらったんだ。だったらこっちも譲歩しなきゃ、親しき中の礼儀が立たない。
僕らはお供物のある電柱の反対側で、しばらく待機することにした。
「怖いから、腕貸して……」
弱気な声でせがんでくるから、僕は仕方なく左腕を差し出した。
アキコはその腕に抱きついて、じっと目を瞑った。
怖がりなアキコもこれはこれで可愛いなと、心霊そっちのけでアキコを見ていたら、待機開始5分も経たずにアキコは目を瞑ったまま寝息を立てた。
そんなに僕の腕に安らぎの効力があるのか……。
眠るアキコを見ていると、こっちまで眠くなってくる。
なんだか尿意も催してきた。
僕は眠気覚ましがてら、アキコを目覚めさせないように立ち上がって、近くのコンビニで小便を済ませた。
戻ってくると、アキコは右手を垂らしたまま体育座りで寝ていた。
夢の中でも僕の手を握っているのか。
愛らしいアキコの寝姿を見ると、やっぱり眠たくなってきて、僕もついに寝てしまった。
「ネェ……、マゼテヨ」
どこからともなく声がする。それも、死人のような抑揚のない声。虚無に透き通る、変な響きをした声。
「ボクモ、マゼテヨ」
声は続く。黙れ、来るな、あっちいけ。そうした拒絶の類の感情が蠢き出す。
「ボクモ、イッショニ、アソビタイヨ」
来るな、来るな、黙れ。拒む。ひたすら拒む。
だのにその声は明瞭となって近づいてくる。
そしてその裏に、また別な音が鳴り始める。
とても聞き覚えのある音。気分が高揚する、レトロチックなサウンド……。
声が近づいてくる。
「アソビタイ、ボクモアソブ、ボクガ、アソブ……」
囁きだったものが如実に強くなって、怒りのような感情まで混ざり始めてさらに勢いを増し、やがて、引き裂かれるような叫びとなって響いた。
「アアアアアアアアアッ!!!!」
「うわああああああっ!!」
僕はたまらず跳ね起きた。カエルのように身を飛ばして転がった。
その拍子に頭をぶつけたらしく、脳天に鈍痛が走った。
僕は何が何だかわからなかった。
ガバッと身を起こして、血眼になって周りを見渡す。
自分が車道の真ん中にいたと気づいたのは、その時だった。
車通りが無かったのが不幸中の幸い、僕は慌てて歩道に戻った。