表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

謎の購買部

作者: 櫻井入文

 場面がページを繰るように変わっていき、それに合わせ視点も変わっていきます。

 少し読みにくいかもしれませんが、最後までお付き合い頂けたら幸いです。

「ねぇねぇ聞いた? 日曜しかやってない購買部の話」

「聞いた聞いた。そこでお守り買うと願いが叶うんでしょ」


 ある日突然、まことしやかに囁かれるようになった『謎の購買部』の噂。


 日曜にしか開いてない購買部が、この学校の何処かにあるのだとか。


 売っているのはお守りのみ。健康祈願、安全祈願、恋愛成就、学業成就ets、ets……。

 そこでお守りを買うと願いが叶うのだとか。


 噂を確かめようと部活で学校に来ていた運動部の子が日曜日にいつもの購買部に出向いたらしいが、当たり前だけど閉まっていて空振りに終わったって聞いた。


 みんなおまじないとか好きだよね。

 私も好き。満月の日にはお月さまに向かってお財布フリフリとかしちゃうもん。



 ◇



「二年に、お守り買えた子いるって聞いたよ」


 窓間壁に掛けてあった人物画を眺めていたら、今話題の噂話が聞こえてきてそちらに顔を向けた。


 部室に入ってきた三年生が二年生に話しかけている。この高校の美術部は自由度が高く、美術準備室は第一と第二とあって第二にはキャンバスに絵を描いてる人が集まっていた。だから準備室の壁には完成した生徒の作品が所狭しと掛けられているし、窓の下にも無造作に幾つも重ねて立て掛けられてる。

 隣の第一は、電気窯とかあって陶芸とか彫刻とかやってる人たちの部屋だ。件の三年生は、普段は隣の第一で作品を作っているけど、小耳に挟んだ噂の新情報でも知りたくてこっちの部屋に来たのだろう。


「私も聞きました〜」


 もう一人、話し掛けられた子の隣で描いていた二年生が話に加わる。あの二人は普段から仲が良い。


「クラスの子が聞いた話だとC組だって」

「へー」

「C組って……」


 そこで三人の顔がこちらに向いた。


 あ、はい。私、C組にいます。

 でも、そんな話聞いたことないなぁ。


 ちょっと気不味くて視線を人物画へと戻す。

 抽象画テイストのそれは屈託ない笑顔を浮かべた男の子だった。



 ◇



「ねぇ、聞いた?」

「戸塚さんでしょ」

「聞いた聞いた」

「マジ無くね?」

「場所教えてくれないんでしょ」

「誰が聞いても違うって」

「嘘クセェ〜」

「違うわけないじゃん」

「だってさぁ」


 ヒソヒソ、ヒソヒソ……。


 全然ヒソヒソ話になってないヒソヒソ話。


 教室の真ん中あたりに集まってヒソヒソしている話し声が、窓際の一番後ろの席にいる私の耳まで届いてる。


 これってアレっすか? 陰口? 悪口?


 え、もしかしてイジメとか?


『本人違うって言っているんだから、違うんだろ』


 ボソッと隣から聞こえてきた呟きは、噂話に夢中になってる彼女たちの耳に届くことはない。


 戸塚さんは、今日も休んで学校に来ていない。


 一人の本当より、多数の噂の方が勝つ世界なんてクソ食らえだ。


 窓際の彼女の席は、なんとなく寂しく見えた。



 ◇



「ねぇ、戸塚さん」


 教室移動で廊下を歩いていた戸塚(トヅカ)優里(ユウリ)は、呼びかけられて足を止めた。今日はなんかやたらと声をかけられる。


「戸塚さんって、日曜日の購買部でお守り買えたんでしょ?」


 まだ二限しか終わってないのに、この質問は今日学校に来てから七回目だった。初めて聞かれた昨日を含めれば十回をゆうに超えていて優里は、またかと少しだけウンザリした気持ちになる。


「買ってないです」

「は?」

「私、お守りとか買ってないです」

「はぁ?」


 本当に嫌だ。そんな気持ちが表情に表れていたのかもしれない。優里は、自分を呼び止めた生徒におざなりに頭を下げると授業に遅れるからとさっさと背を向け視聴覚室へと急いだのだった。


「何アイツ」


 幾度となく同じ質問を繰り返されていた優里は辟易していた。けれど、聞いた彼女は初めて優里に話し掛けたのだ。ほんの少し、ちょっとした意識のズレ。街中を歩いていて、すれ違いざまに肩がぶつかったより矮小な出来事。

 それでも。

 それと少し違ったのは、名も知らない相手ではなく顔も名前も知っている相手であったということ。


「……ムカツク」


 日常に影を落とした小さな綻び。



 ◇



 この世に生を受けて二十年も経っていない経験の少ない幼い人間が、自分が生きる狭い世界の女子を目に入った順に手当たり次第に一軍から五軍までランク付けしたとしたら、戸塚優里は三軍に属するような女の子だった。圧倒的多数の普通と言われる主力層だ。

 年代別の平均身長より少しばかり高い身長。

 標準体重より三キロほど重いが、ちょっとふっくらしているかな程度で見た目に嫌悪感を抱くような体型でもない。

 顔立ちも悪くはなく、本人は重めの瞼と丸い鼻先が悩みの種だが、一重瞼はメイクで如何様にもなるし、鼻だって小振りで横からみるとツクンと高い。鼻先の丸さなんて気にも止まらぬ問題だ。

 学力だって至って普通。テストで言うならクラスの中央値よりちょっとだけ順位がいいくらいで成績を自慢するほどでもない。


 ごくごく普通。可もなく不可もなしなモブ子。


 良くも悪くもネームドになれない。そんな女の子だった。


 そんな彼女の自分史に、大変だったこととして書き出された出来事がある。一年生の終わりに肺炎に罹ったことだ。五日ほど高熱が続き、徐々に熱が下がって平熱へと戻るまで十日間ほど寝込むことになった。インフルエンザにすら罹患したことがなかった彼女にとって、初めての大きな病気となる。

 熱に体力を削られ、食事もままならなかった事から、彼女の体重は六キロほど落ちる事となった。痩せたというより窶れたなのだが、標準体重より軽くなり筋肉も細くなったことから全体的に華奢に見える。

 あまり喜ばしいダイエット方法ではないが年頃の娘としては辛い思いをした分、嬉しいオマケが付いてきた。そんな感覚だった。

 彼女の劇的な見た目の変化はクラスで話題にはなったが、原因が病気であることで労られたし、すぐに春休みに突入した事ですっかり忘れ去られる事となる。


 そんな彼女の周辺で少しだけ変化が起こった。二年生となり、クラス替えが行われた事で彼女が肺炎を患って痩せた。という事を知らない生徒がクラスの大半を占めたのだ。


 とはいえ、彼女はモブ子である。可もなく不可もなく、彼女が痩せようと太ろうと彼女の家族か親しい友達くらいしか気にすることは無いだろう。そんな身内だって健康に害がなければすぐに気にしなくなる。

 しかし、世の中には、なぜだか見知らぬ他人の動向にすら口を出す人間というものがいて、それが心身ともに成長途中の思春期ならば、より他者の変化に敏感になってしまうこともあるだろう。

 突然、短期間の間に服のサイズが二つも落ちるほど痩せた彼女に興味を覚えることは当然だろうし、そこで彼女と親しい生徒もしくは同じクラスだった人間に聞けば、彼女が肺炎を患って痩せたことを知れたはずなのだが、そんな人種ほど他人に聞かないのだ。


 否。


 たとえ真実を教えられたとしても、それを信じたかどうかは定かではない。


 本当に肺炎だったのか?


 他に何か、隠すような理由があるのではないか?


 小さな疑念。


 痩せた彼女に対する無自覚の嫉妬だったのかもしれない。


 けれど、囁きは囁きのまま広がっていく。

 悪意は伝染するものだから。



 ◇



「ねぇねぇねぇねぇ、さっき救急車の音鳴ってたじゃん」

「え? そうだっけ?」

「鳴ってた、鳴ってた」

「あれさ、港町の一番高いマンションから人が飛び降りたからだって!」

「ええっ?!」

「やだ、なにそれ怖い」


 HRが終わり、それぞれ帰り支度をする者と掃除当番だからと準備を始める生徒とに分かれた教室。そこにトイレから帰っきた生徒が新しく仕入れた噂を喧伝する。

 話題となっている港町のマンションは、この高校からも近く、南側にある非常階段から建物を見ることも出来た。


「飛び降りたのは女子高生で、いじめが原因かどうかを確認してるってネットニュースになってた」

「うわぁ……」


 降って湧いた非日常に彼女たちのボルテージは上がっていく。騒ぐ彼女たちの声を聞き、一人の男子生徒が即座にスマホを出して検索した。


「えーっと、……マンション駐車場の植え込みに、女子高校生が倒れているのが発見された。意識不明の状態で病院に搬送されたが、鼻から出血」

「ちょっと、やめてよ」

「いいよ、いいよ、もう!」


 デリカシーがないと責め立てる声に、お前らが先に話していたんだろと男子生徒が反撃するも、多勢に無勢。特に十代は、男女の距離が近いほど口で言い負かすのは女性の方が得意な場合が多い。結局、情報を提供しようとした男子生徒が悪者となってしまった。


「なんなんだよ、アイツら」

「まぁまぁ」

「立木たちって、いっつもああじゃん」


 やり込められた男子生徒の友達が彼を慰めるように席に集まってくる。そのうちの一人が、ニュース記事を表示させたままのスマホを覗き込んだ。


「ここってさ、カッチンの住んでるとこじゃね?」


 いつだったか、登校途中に同じ陸上部の部員がこのマンションの前にいるのを見た記憶のある生徒が他の友達に問い掛ける。


勝地(カツヂ)じゃねーよ、勝地の彼女が住んでたはず」


 同じ陸上部員で、一年の時に彼と同じクラスだった生徒が訂正した。


「え、カッチン彼女いたの」

「え、逆にお前知らないの」

「いや、知らんし」

「カッチンの彼女って……」


 最初にスマホを取り出した生徒が体を捻って後ろを向く。それにつられ、全員が後方の窓際へと視線を送った。


「戸塚さん……」


 換気の為に開けられた窓から吹き込む風で生成り色のカーテンが揺れる。誰も座っていない席の天板に透けたカーテンの影が映り、ユラユラと揺れていた。



 ◇



 勝地(カツヂ)雅成(マサナリ)と戸塚優里が付き合い始めたのは、優里が肺炎を患う前だ。


 きっかけは、美術部の優里が陸上部の雅成が夏の大会に向け練習する姿をモデルとした抽象人物画を描いたことから始まる。毎年秋に行われる県のアートコンクールに出品されたそれは優秀作品に選ばれた。最優秀でないところが優里らしいが、それでも五百点以上の応募作品の中から選ばれた優秀作品三点のうちの一つだ。誇っていいだろう。当時は学校内でも話題になった。主に美術部と職員室の中でだけだが。


 描いた人と描かれた人。


 そこからなんとなく互いを意識し、学生時代の一大イベントたるバレンタインにどちらからともなく告白して二人は纏まった。


 その後、すぐに優里が肺炎となり付き合い始めの初々しいやり取りは二年に上がってからとなる。


 それが(あら)ぬ疑いと生むなど、誰が予測できただろう。


 学年が上がった途端、痩せた女の子。


 痩せたと思ったら、見た目は二軍だがコミュ力が高く聞き上手で笑顔がいいと言われている男の子と付き合い出した。


 一年の頃なんて、いつもスケッチブックに何か描いてるキモい子だったのに。


 そんな誰とも知れない小さな悪意のもとへ『噂』が届く。


 日曜日の購買部。


 売っているお守りを買ったら願いが叶う。


 馬鹿げた話だ。……けれど。


 全く別の二つの話がいつの間にか捻れて一つへと重なっていく。


 静かに、静かに……。さも最初から、そうであったかのように。


 そして学生たちは夏休みというブラックボックスに突入する。本来なら憶測は忘れ去られ、夏休み前の話題など遠い過去のことと興味は新しいものへと移るはずだった。


 しかし。


 夏休みを挟んだ恋人たち。


 雅成は、二学期の半ばからスポーツ留学が決まっていてその準備に忙しく、優里も秋の絵画コンクールに出品する作品づくりで大忙しだ。それでも二人で会う時間は、なんとか捻り出した。

 二人の夏は、まさに青春を謳歌している。そんな夏だった。


 雅成とのデートは、河原でキャッチボールやバドミントンと健康的なものが多く、たまに大きな公園で社会人サークルが行うヨガや太極拳なんてのにも参加したりした。暇さえあれば絵を描き続けていた優里にとって、雅成が教えてくれる世界はとてもキラキラしていて楽しく素敵なものだった。

 自分になかった世界を教えてくれる人生初の彼氏が素敵すぎて、優里は彼女なりに奮闘することになる。自己満足だけど彼に見合う女性になりたいとメイクも覚えるだけじゃなく極めようと努力したし、ただ痩せるだけじゃ雅成に心配をかけるからと健康美を意識したボディラインを作ろうと隙あらばストレッチを繰り返した。体重は僅かばかり戻ったものの、それは筋肉がついたからで見た目は更に引き締まって雅成と対決したホームラン競争では優里が勝利した。

 多少、動機や方向性は間違っていたかもしれないが弛まぬ努力というものは人を内側から輝かせる原動力にもなる。


 二学期が始まり登校した彼女は、穏やかそうな見た目はそのままに、けれどどこか溌剌として一学期以上に魅力的になっていた。


『夏休みの間に、謎の購買部を利用した生徒がいる』


 そんな新たな噂が流れ始めた。



 ◇



 港町のマンションで飛び降りがあってから五日。週が変わっても学校内は、どこか落ち着かない雰囲気がある。


 戸塚さんが座っていた席は、ずっと空席のままだ。


 飛び降りた女子高校生の情報は、杳として知れない。プライバシーに配慮してなのか、何なのか。社会の仕組みなんて、一介の高校生に分かるはずもなく。


 ただ、ずっと学校に来ていないことと、戸塚さんが住んでいるらしいマンションということから噂だけがさも真実のように一人歩きをしていた。


 戸塚さんと付き合っていると言われていた勝地くんは、飛び降り事件が起こる二日前にスポーツ留学でアメリカに行ってしまっていた。彼がまだこの学校にいたのなら、戸塚さんの事を詳しく聞くこともできたのに。そんな風にこぼす生徒もいたけれど、だったらメールでもチャットでも好きに送ればいいのに。

 結局、直接何かを問い掛けるには勇気がなかったのだ。


 戸塚さんは、学校に来ない。


 彼女と付き合っていた勝地くんが帰ってくるのは一年後。


 学校も生徒たちが動揺していることを分かっているはずなのに、全校集会とか担任からのお知らせだとか行われる気配もない。


 元から噂に興味がなかった生徒はそのままだし、噂に引きずられた生徒も徐々に日常を取り戻していっている。ごく一部を残して。


 彼らの言い分は、噂の真相を解き明かしたい。らしい。


 噂のせいで誰かが傷ついたのなら、その噂を流した人間を特定すべきだとかなんとか。


 それは疑心暗鬼なのかな?


 それとも贖罪?


 正義って気持ちいいよね?


 悪いのはきっと空気だよ。

 だってほら、言うじゃない。


『空気読んで』って……。



 ◇



 (でもさぁ、マジで空気読んでほしいよね>


<それな)

<違うなら違うって、言えばいいのにさ)

<え、どゆこと?)

<戸塚さん?)


 (彼氏できた途端、キャラ変とか笑>


<いやいやいやいや)

<勝地、ジミに人気あったよね)

<でも戸塚さんだよ? 女の趣味どうよ)

<いいじゃん、別に。私、戸塚さん割と好きだったよ)

<好きだったよ)


 (過去形にされてるし笑>


<ちょ、)

<まぁまぁ)

<喧嘩しないの〜)


 (でもさ、いきなり飛び降りるかね>


<戸塚さんなの?)

<先生言ってた?)


 (言ってないけど、学校来てないからそうでしょ>


<学校来てないだけだから)

<そうだよ)

<決めつけよくない)


 (はぁ?>


<それよりさ、週末ラウワン行かない?)

<いいね〜)




「何がそれよりさ、よ!」


 リビングのソファーでスマホを弄っていた立木(タチキ)梨花(リカ)は、スマホを握った手で忌々しそうに抱いていたクッションを殴りつける。

 何もかもが気に入らなかった。


 急に痩せて可愛くなって、ちょっとイイなって思っていた勝地雅成といつの間にか付き合っていた戸塚優里。

 なんでって思っていたら、日曜の購買部の噂を聞いた。


 メチャクチャ嘘くさいって思っていたけど、なんか使った人がいるってクラスの子以外からも聞いたし、ファミレスでバイトしてる友梨奈はバ先の先輩が卒業生で『謎の購買部』のこと知っていたって話していたから本当なんだと思う。


「んだよ、お守りで痩せて可愛くなって男と付き合うとか」


 こっちはどれだけ努力してるかっての。


 同じお守りを手に入れたくて、店に行ける方法教えてもらおうと思ったのにスゲー嫌そうな顔して「私じゃありません」ってムカつく。


 だからちょっと、言っただけだ。


『戸塚さん可愛くなったの、やっぱお守りの効果だよね』


 いーなー羨ましぃ〜。って、ネイルを気にしながら言っただけだ。


 そこからどうなったかなんて私は知らない。


 ただ、いろんな噂が飛び交って戸塚さんは学校に来なくなった。


「ちょっと、梨花。まだスマホいじってるの? さっさとお風呂入っちゃいなさいよ、アンタで最後なんだから」

「ウルサイなぁ」


 何か飲み物を取りに来たらしいお姉ちゃんが、リビングを通ってキッチンへと消えていった。お姉ちゃんとは五つ違うから喧嘩らしい喧嘩にならないけど、小言がマジうるさい。就活が始まって早々にインターンからの内々定もぎ取ってるの、同じ親から生まれたとは思えないくらい優秀なんだよね。だから、小言がうるさくてもこっちが我慢しちゃう。


「そーいえば、おねーちゃん」


 友梨奈の先輩は三つ上で噂を知っていたから、同じ高校だったお姉ちゃんももしかしたら知っているかも。


「んー? なーにー?」


 麦茶を注いだグラスを片手にお姉ちゃんが戻ってきた。ソファーの横で足を止めてくれる。


「今、学校で噂になっててさ」

「うん」

「謎の購買部って知ってる?」

「謎の?」


 なにそれって顔で眉を顰められた。


「日曜にしかやってない購買部って話なんだけど」

「学校休みじゃん。誰に売るのよ」


 それはそうなんだけど。


「知らないよ。でも買いに来た子でしょ」

「だから、学校休みでしょ」

「休みだからだよ。誰にも知られずに買い物できるじゃん」


 はぁ? って呆れたみたいに笑ってから、一応考えてくれてるみたいで視線が上を向いて、それから何かを思いついたのか急に口を手で押さえて震え出した。


「お姉ちゃん?」


 びっくりしたら、どうやら吹き出しそうになったのを咄嗟に堪えたみたい。


「ごめ、……ちょっと思い出しちゃった。もしかして、その購買部ってお守り売ってる?」

「えっ、なんでわかるの」


 やっぱり、お姉ちゃんも知っていた。

 ってことは、行き方が分かるかも!


 手にしたスマホのトークルームでは、私が不在でもドンドンと会話が更新されていく。前はそこに自分が参加してないのにと腹立たしさを覚えたけれど、今はどうでもいい。それより購買部の話を聞きたい。


 けれど、お姉ちゃんの口から出た話は、私の期待するものとは全く違った。


「もーそろそろ忘れてあげなよー」

「え?」

「確かにアレは、伝説になるだろうけどさ」

「おねーちゃん?」


『映研の映画の話でしょ? あれはヤバいよねー』



 ◇



 謎の購買部。


 そう噂されていた話の元ネタは、過去の在校生が部活動で制作した短編映画だった。


 映画のタイトルは、『乙女ゲームっぽい世界に迷い込んだらしいオレは、アイテムショップのお助けキャラを攻略したい』というらしい。タイトルで内容が察せられる親切設計だ。


 五年前、文化祭用に映画研究部が作ったこの三十分程のショートムービーは内容の破天荒さが癖になるとリピーターを生み出すほど好評な反面、同じくらい精神的ブラクラを生み出すと不評でもあったらしい。


 内容は、数年前に流行した『この想い歌に込めて』というサウンドノベルゲームの中に迷い込んでしまった主人公が、作中でお助けアイテムを取り扱う売店のオネーサンに一目惚れし猛アタックをかけるという話だ。


 出演者は、映研の学生と彼らの友達と先生が数人。趣味が筋肉と語らうことで担当教科を間違えてるとか、肩から足が生えてるとか言われてる日本史の市柳先生が可憐な衣装に身を包みヒロインのショップ店員を演じた。

 乙女チックなフリフリエプロンドレスは張り裂けんばかりのたっぷりDカップで、腕が入らないという理由から袖が消えてノースリーブ仕様となり、たくましい眉毛に負けないようにツケマを強調したら盛りに盛られてドラァグクイーンより原型を留めていないメイクとなった。

 フラッシュバン搭載のスーパーホワイトな歯を輝かせて「イラッシャイマセ、コンニチワ。今日ハどのオタスケカードにスル?」と客を迎える姿は世紀末覇者ヒロインと呼ばれ夢に出ると文化祭で初上映された際には阿鼻叫喚地獄が映画研究部の部室に召喚されたとかなんとか。

 内容よりビジュアルが強すぎて、ある意味伝説となった自主制作映画は、その後も断片的に語り継がれることとなる。


 小道具のオタスケカードは、実際に近所の神社で買ってきたお守りだったらしく見たままの情報が残り。日曜しか開いてないというのは、映画の舞台が乙女ゲームっぽい世界だからゲームの主人公がフリーで行動出来るのが休日だけという思い込み(テンプレ)が理由だった。


「幽霊の正体見たり、枯れ尾花……ってか?」


 噂の真相なんて突き詰めないほうがいいのは、そこから呪いがとか新たなる惨劇が……なんて話ではなく、その方が楽しめるからだ。


 無責任の責任って誰が取るのかな。


 立木さんは、ある日突然静かになった。静かになったといっても、友達と盛り上がってる様は普段通り。ただ謎の購買部の話はしなくなった。

 噂をする人がいなくなれば、噂自体が消えていく。人の噂も七十五日……なんて言うしね。


 でも、本当に消えるのかな。


 その噂で理不尽に傷つけられた人がいるのに。


 今日も戸塚さんの席には誰も座っていない。


 窓から差し込む日射しを眩しく感じるようになって、すっかり秋だなって思った。



 ◇



「あの、先生」

「お、どうした葛西。ああ、日直の日誌か」


 日直当番だった葛西(カサイ)安祐美(アユミ)は、書き終わった日誌を提出するため職員室を訪れていた。


「もらっておくよ」

「はい……あのっ」


 担任の茂森(シゲモリ)(ユタカ)が差し出す手に日誌を乗せながら、思い切ったように声を掛ける。彼は四十手前と他の教員より年若く、また雑談を交えた授業も人気で比較的話しやすい類の先生だった。


「ん、何かあったのか?」


 受け取った日誌を自身の片袖机の上に置き、茂森は何かを話したがる亜佑美へと顔を向ける。


「い、いえ。あの、その……戸塚さんの事なんですけど……」


 葛西安祐美は、他者に内気な印象を与える物静かで真面目な生徒だった。その真面目さ故か、二学期の中間試験を数日後に控えてもなお学校に登校してこない戸塚優里が気がかりで直接担任である茂森に聞くことにしたのだ。明日からはテスト前週間で生徒の職員室への出入りは禁止されてしまう。


「戸塚がどうかしたのか?」

「どう、って……け、怪我の具合とか先生なら何か知っているんじゃないかって」

「怪我ぁ?!」


 いざ口火を切れば、途端に自信がなくなり俯き、声がだんだんと小さくなる。そんな安祐美の言葉に被せるように茂森の驚いた声が被った。


「アイツ、怪我したのか?!」

「えっ、いや。し、知らないです。ただ噂で」

「噂?」


 そう、噂だ。港町のマンションから落ちた女子高生が戸塚優里なんじゃないかって。

 彼女がずっと高校に来ていないから。


 お見舞いに行きたくても、お見舞いに行くほどの仲でもなかったのに急に友達ヅラして会いに来る輩なんて相手にしたくないだろう。そう思うと、彼女と仲が良かった生徒に彼女の様子や自宅とかを尋ねる気にならなくて。

 でも、ずっと学校を休んでいる彼女のことが気になって。だから、どうしても……。せめて、怪我の具合だけでも聞いておきたい。そう思って、担任なら何かを知っているのではと茂森に声をかけたのだ。


「戸塚が怪我したなんて連絡来てないけどな」

「え?」

「ですよね、中山先生」


 茂森は、向かいの片袖机に座る女性教員に声をかけた。


「そうですね、何かあったら学校の方にも連絡が入るはずですから」


 二人の話を聞くともなく聞いていたのだろう。声をかけられたA組担任の中山(ナカヤマ)充希(ミツキ)は、顔を上げると心配ないと安祐美に笑いかけ、再び読んでいた本に目を落とした。


「ほらな」

「え、でも」


 元々が根拠のない噂話が始まりだ。教員二人に『戸塚優里は元気だ』と言われてしまえば、それ以上食い下がることができない。


 それに元々、安祐美は気が弱い。

 思い切って行動したからこそ、心臓はうるさいし、このまま逃げ出したくもある。


 しかし。

 されど、しかし。


 好奇心というものは、人に思いがけない強さを身に着けさせる時がある。いつもなら、「失礼しました」とすぐに立ち去っただろう少女を少しの間だけ、その場に縫い付けた。


「いやしかし、今年の二年は凄いですな」


 どうすれば。と、戸惑い固まっていた安祐美の目が新しく聞こえてきた声の主の方へ向く。そこには、ブリーフケースを片手にストールを首にかけるだけの垂らし巻きにした初老の男性が立っていた。


「伊藤先生」


 英文法(グラマー)の教科担任で進路指導も担っている伊藤は、毎日忙しそうに何処かに出掛けていて職員室の自分の席に座っていることの方が少ない。生徒からも授業以外で彼に会えたらその日は運が良くなるとレアキャラ兼福の神扱いをされているくらいだ。


「お戻りですか、今日はどちらに?」


 伊藤の姿を見て、外回りから帰ってきたと判断したのだろう中山が問い掛ける。


「女子大回りをしてきましたよ。推薦枠を増やして欲しかったんですがねぇ」

「生徒数が少なくなっているとはいえ、難しいですよね」


 やれやれと肩を落とす茂森に、三年の担任で無くとも生徒たちの進路については考えているのだなと安祐美は少し驚き、感心した。


「まま、こっちもそれが仕事ですからね。何度でも通いますよ。それよりA組とC組、二人も海外留学が出るなんて今年の二年は、優秀じゃないですか」

「勝地くんは、もう大学も決まってますし安心しています」


 勝地雅成のスポーツ留学の話は、二年の生徒ならみんな知っているくらい有名な話だ。安祐美がいても隠す必要はないといった感じで安堵の笑みを浮かべる中山は、彼女が世間一般からは美人と言われる顔立ちだったと再確認させるようなキレイな笑顔を見せていた。


「先生、C組って……」


 小声で担任に聞こうとした安祐美だったが、声が小さすぎたのか茂森には届かなかったようで、茂森は安祐美の存在を忘れたのかのように伊藤に向かって喋りだす。


「戸塚は一年の時も夏休みにサマースクールで短期留学していますし、彼女も慣れたものですよ」


 ガハハと笑う茂森が遠い存在に感じられた。


 戸塚さん、留学?!

 えっ、どういう……。


 そこからの教員三人による留学に絡む世間話を安祐美は呆然と聞いていた。立ち去るタイミングを逃したと言ってもいいし、消しきれなかった好奇心が納得するまで、戸塚優里と勝地雅成の話を聞いていたかっただけかも知れない。どちらにしろ、ここで知った情報は葛西安祐美を無意味に打ちのめした。


 勝手な想像で空回りし、ホントウを知って勝手に失望する。


 そこに期待した悲劇は欠片もなく、ただキラキラとした未来に向かって努力する自分と同じ年の高校生がいただけだった。


 戸塚優里は、絵画留学でカナダの寄宿学校(ボーディングスクール)に九月から行っている。


 この事実が、葛西安祐美の口からクラスメイトに話されることはなかった。



 ◇



「度合いに差はあれど、やっぱり一番怖いのはヒューマンホラーだと思うのよね」


 そう言って彼女は、読んでいた新聞の書評欄から顔を上げた。


 売り場を照らすはずの室内灯は消灯したままで非常灯と通路から差し込む光だけが頼りの店内は薄暗い。通路の明かりも照明ではなく通路の突き当りが天井近くまである嵌殺しの大窓であったから、取り込まれた自然光が通路の端に位置する店のカウンターは照らしそこは明るいと思えるだけだ。

 日暮れとともに店は暗く夜に沈むだろう。


「噂とかもそうだけどさ、善意とセットになると手に負えないし〜」


 座っている回転式の肘付き椅子をコロコロと動かし、軽く前後左右に揺れくるりと回転する。


「人は見たいものしか見ないし、聞きたいことしか聞かないのよ」


 手にしていた新聞を繰り、面白い記事はないかと目を通していく。


 社会、政治、経済、国際、スポーツ。今の話題、多くの人々が興味あること。華やかであったり、憤りを感じたり。世相から引き離されないようにそこには情報が詰め込まれている。そしてたどり着く、くらしや健康面。


 一つの記事が目に留まり、彼女は妖艶に口角を引き上げた。


 掲載されていたのは、一人の日本人女性が満面の笑顔で胸を張り、自身の作品の前に立つ写真記事。

 何やら賞を受賞したらしい。アート界のホープを育てる目的で作られた美術コンテストだったらしく写真や絵画など部門は色々あって、彼女はアクリルアートで入賞したのだと書いてあった。


 地方版のくらし面に地元からの留学生快挙とそっと掲載された写真付きの記事を、彼女の親族以外でどれくらいの人が興味を持って読むのだろう。

 どれくらいの元彼女のクラスメイト達が気が付くのだろう。


 誹諸中傷、流言飛語、風評によって捻じ曲げられた真相は永遠に解決されないまま。


無意識の思い込みアンコンシャス・バイアスとネガティブハロー効果の合せ技って厄介よね」




 自分より優秀なのは許せない。


 自分が興味ないことに精通していることが許せない。


 自分が興味あることに興味を示さないことが許せない。


 自分が理解できないことを楽しんでいることが許せない。


 自分より劣っているくせに。


 自分より愚かなくせに。


 自分より見窄らしいくせに。


 自分より醜いくせに。




「人の情念とは度し難い」


 無自覚に、無責任に。


「キモチワル……」


 そんな彼女も、噂が大の好物だ。


 だって、彼女という存在を生み出したのが噂なのだから。






 曰く、購買部の店員はこの学校の教師らしい。


 曰く、2年に購買部に行ったことがある生徒がいるらしい。


 曰く、購買部が日曜しか開いていないのは普段は生徒として学校に通っているかららしい。


 曰く、その生徒はどこかのクラスにいるらしい。


 曰く、日曜の購買部は願い事を叶えるおまじないグッズを売っているって話だ。


 曰く、購買部の店員は女。


 曰く、最初は先生が店番していたが今は生徒がやっているらしい。


 曰く、普段は生徒として教室に紛れ込み日曜の購買部に招く人間を探している。


 曰く、恋愛成就が効果てきめん。


 曰く、伝説の樹の下で告白したら成就する的な?

 

 曰く、購買部の店員はこの学校の生徒で2年C組に属している女子から選ばれる。


 曰く、売っているのは大願成就確定カード。


 曰く、桃鉄かよ。


 曰く、


 曰く、


 曰く、


 曰く、


 曰く…………。





「そうやって人は、無辜の怪物を生み出すのよ」



 人の発する言葉には、特別な力が宿る時があるという。


 口は禍の門、舌は禍の根。


 表立って言えない隠れた事情がありそうな時、複雑な経緯を経ていそうな、好ましくない特別な理由や何らかの好ましくない事情がある時。


 そのような、とき、こと、さま。を暗に示す時、人は曰く付きという。

 

 口から生まれ、口に果てる噂話であったはずのそれが、曰くをつけられ口から口へ語られ続けることで息吹を得た。


 人の業が生んだ(まじな)い。






 曰く、日曜の購買部には彼女がいる。


 曰く、誰も来ない謎の購買部で一人、客を待っている。












「イラッシャイマセ、コンニチワ。今日ハどのオタスケカードにスル?」



 お時間頂きましてありがとうございます。

 少しでも面白かったと思っていただけたなら幸いです。


 そこはかとなく薄暗く後ろ暗いダークな世界観を目指してみました。

 これが私の出せるホラー感の限界のようです。

 最後までお付き合い頂き、有難うございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ