お義兄様が伯爵家を継ぐので、私は安心して家族とともに断罪されようと思います
「恥を忍んで貴方がたの罪状を纏め国王陛下に奏上致しまして、このたび父上を廃し、私がウェルトン伯爵家を継ぐようにという王命をいただきました……好き勝手もここまでですよ。父上、義母上」
ああ、やっとこの日が来たのだと私は歓喜で胸が震えた。やっと、貴方から奪っていたもの全てを返せるときがきたのだ。
その瞬間、怒鳴り散らす義父も、泣き崩れる母も、腕の中で恐怖で震える異父弟の姿も目に入らなかった……七年前のときのように私の視界には、ただ目の前のお義兄様の姿しかうつらなかった。けれど昔と違って幼く華奢な男の子は、凛とした眼差しをもつ立派な青年へと成長していた。
騎士団に連行されていく両親を一瞥し、お義兄様がこちらへと視線を向けた。とうとう私達も裁かれるのだ。
お義兄様の目を見ても、昔と違って彼の心の内が読み取れない……それがほんの少しだけ切なかったが、私は息を整えて弟を抱きしめた。
私は平民の生まれだった。その頃は姓もないただの町娘だったが、町の人たちとは違って少しだけ裕福な暮らしをしていた。理由は、母がウェルトン伯爵の愛人をしていたからだ。
元々私の母には同じ平民の恋人がいたらしいが、私を身籠ったと知ると若かった男は母を捨てたという。それから母は女手一つで私を育てた。そしてウェルトン伯爵家でメイドとして働くようになり、持ち前の美貌で伯爵のお手付きとなり、愛人となった。
それからしばらくの間、母と私はウェルトン伯爵が用意してくれた一軒家で暮らしていたが、私が八歳のときに転機が訪れる。ウェルトン伯爵の前妻が病死して、私の母が伯爵の後妻に選ばれたのだ。そのため私も伯爵の義理の娘として迎え入れられた。
「リーゼ、早くこちらに来なさい」
邸の外観に圧倒されていた私は、母に呼ばれていることにすぐに気づくことができなかった。慌てて母のもとに行き、その視線を追えばそこにはウェルトン伯爵と一人の男の子が立っていた。伯爵は頻繁に母と住んでいた一軒家に訪れていたため顔見知りだったが、男の子の方は全く知らなかった。
「貴女の新しい家族になるウェルトン伯爵とその息子のルイスよ」
灰色がかった髪にサファイアブルーの綺麗な瞳をもつ男の子。けれどそれに反して、表情は鬱屈としていて、彼は隠すことなく私たち親子に敵意を向けていた……母を裏切っていた父親の妾の女、そしてその娘を迎えることになった彼の気持ちを考えることもなく、当時の私は新しい家族ができたことに浮かれていた。
「私はリーゼ、八歳! あなたはいくつ?」
「……十歳」
「なら私よりも年上ね。これからはお義兄様って呼ぶわね」
「……」
私はその日からルイスのことを「お義兄様」と呼んで慕うようになった。一人っ子だった私は「兄」ができたことが嬉しくて、特に用がなくともお義兄様のあとをついてまわっていた。最初、お義兄様はとても鬱陶しそうにしていたが、やがて諦めて私の好きなようにさせてくれた。
けれどそのおかげでいち早くに気がついたことがあった。それは義父と母のお義兄様と私への態度の違いだ……母はともかく、実の父であるウェルトン伯爵ですら、お義兄様にはどこか冷たい態度で接していたのだ。そしてそれはお義兄様が風邪をひいて寝込んだときに顕著になった。
「寝てるのなら飯は要らんだろう」
両親はお義兄様を医者に診せることもせず、食事抜きでいいと使用人に命じて夜会に繰り出していった。私は愕然としながらも夕食後、すぐに厨房に行きコックに手伝って貰いながらミルクパン粥を作り、それをお義兄様の部屋へと運ぼうとした。その際、メイドが持ち運びを申し出てくれたが、義兄の様子が気になった私は自ら彼の自室に足を踏み入れた。
「……なんで、おまえが」
お義兄様はベッドに横たわって、赤い顔で咳き込んでいた。慌ててその背をさすりながら持ってきたお粥を食べるように促すと、彼は顔を背けた。
「いらない」
「でもそのうちお腹が空いてくるわよ」
そう言っているうちに、彼のお腹からものすごい音が鳴った。
「はい、どうぞ」
「……」
それからはお義兄様はおとなしくお粥を口にしてくれた。とりあえず食欲はありそうなので胸を撫で下ろした。
「それね、私がつくったのよ」
そう言えば、お義兄様は驚いたように食べていたお粥を見つめた。
「そういえば、見慣れない食べ物だな」
「ミルクパン粥よ。私が町にいた頃、よく食べていたのだけど……やっぱり、お口に合わなかった?」
邸に来てからはコックに料理を作ってもらうばかりで、いざ自分が作ろうとすると庶民の簡単な料理しか思いつかなかった。やはり貴族のお義兄様には合わなかったかもしれないと食器を下げようとすれば、彼がそれを阻んだ。
「……まずいとは言ってないだろ」
そう言ってお義兄様は黙々とお粥を食べ続けた。お腹が満たされたのか、少し顔色が良くなった気がする。
やがて空になった食器を私に手渡して、彼は小さく呟いた。
「おまえがこれを作ってくれたってことは、父上は俺に食事は必要ないって言ったんだな」
何と言えばいいか分からず、黙りこむ私にお義兄様は苦笑を浮かべながら寝転がった。
「別にいい。俺は昔から父上に嫌われてるから」
「どうして? 本当のお父様なのに」
「……血が繋がっていても分かり合えないことはあるさ」
お義兄様は「もう寝る」とだけ呟いて、目を閉じてしまった。そんな彼に「おやすみなさい」とだけ返して部屋を出ようとすると、背後からかすかな声が聞こえてきた。
「……ありがとな」
振り返ると、お義兄様は下手な寝息を立てて寝返りを打っていた。それがなんともいえず可笑しくて、私は声を立てずに笑った。
お義兄様が義父と分かり合えないと言った意味。それは邸で過ごしていくうちに使用人たちの噂ですぐに分かった。
お義兄様の実のお母様である前伯爵夫人と伯爵は政略結婚だった。愛のない結婚生活で二人の仲は険悪だったらしいが、跡継ぎは産まなければならない。その後、二人の間に生まれてきたのがお義兄様だ。しかし義父は跡継ぎが生まれると仕事を放棄して賭け事や女遊びにはまっていき、家庭を顧みないことが多くなっていった。留守の主人に代わって、前伯爵夫人は長い間、一人で邸を仕切り領地経営を行っていたが、元々病弱だったということもあり、無理が祟って亡くなってしまったのだ。
「奥様が守ってきた邸と知りながら、あの女、今日も贅沢三昧してるわ」
「伯爵は窘めることもしないらしい」
邸にいると、毎日のように義父と母の悪口が耳に入ってきた。特に母はこの邸でメイドをしていたこともあり、使用人たちからの嫉妬と憎悪が凄まじかった。けれどここに来てから好き勝手に散財を繰り返す母の姿を見ていたら、悪くいわれても仕方ないと思えた。
邸の主人でありながら不在がちな義父。それを良しとして邸の財産を食いつぶす母。
そんな環境のなかでも、私の心の支えになったのはお義兄様の存在だった。私に攻撃的な使用人も数多くいたが、お義兄様が彼らを宥めてくれ、私への風当たりを随分と和らげてくれた。
あの風邪の一件以降、お義兄様と私の距離はあっという間に縮まった。よく庭を駆け回って遊んだり、苦手な科目をお義兄様に教えてもらって勉強に精を出したり……けれどお義兄様は徐々に自室に籠りがちになり、目の下に隈をつくるようになった。
「どうしたの、お義兄様? 眠れてないの?」
思わずお義兄様の顔に手を伸ばしかけたが、サファイアブルーの瞳と目が合って急に恥ずかしくなってしまった。慌てて手を引っ込めようとするとお義兄様が私の手を掴んできた。
「は、離して!」
「そっちが先に触ろうとしてきただろ」
そう言って、お義兄様は私のもう片方の手を掴んで、私の両手に頬を寄せた。
「……何をしていらっしゃるの?」
「ん? 癒されてる」
訳が分からず立ち尽くす私に、彼はただ悪戯っぽく目を細めた。
そうして二年の月日が流れた頃、母が義父の子供を妊娠し、出産した。子供は男の子でテオと名付けられた。私達は弟をとても可愛がったが、あるとき義父がお義兄様に命じた。
「家の跡継ぎはテオにする。お前は王都の騎士学院に行け。寄宿舎に入り、この家に二度と戻ってくるな」
そして義父はお義兄様を嘲笑した。
「これでやっとあの女に似たお前を厄介払いできる」
突然のお義兄様との別れに私はただ泣くことしかできなかった。
「行かないで、お義兄様……」
もう二度と会えないかもしれない。そう思うと胸が張り裂けそうなほどの悲しみに襲われた。けれどお義兄様は冷静だった。
「リーゼ、大丈夫だ。必ず戻ってくるからな」
「でも、お義父様は、帰ってくるなって……」
「……騎士学院は生きていく術を学べる場所だ。たとえ廃嫡されたとしても、騎士として働くことができる。だから、」
そう言って、お義兄様は私の両手を握り、真っ直ぐにこちらを見つめた。
「待っててくれないか? 何があっても必ずお前だけは迎えにいきたいんだ」
私は嬉しさのあまり飛び跳ねた。
「もちろん待っているわ! 私、お義兄様と一緒に暮らせるならどこまでもついていくから!」
私の言葉に、お義兄様は微笑みで返してくれた。
けれどお義兄様が邸から出たあと、すぐに異変が起こった。徐々に領地の経営が立ち行かなくなったのだ。そのときになって、やっと私は気がついた。
案の定、お義兄様の自室に行けば本来、当主である義父がするはずの書類が机の上に山積みになっていた……お義兄様はわずか十歳で伯爵領の業務を押しつけられていたのだ。
「ルイス様は母上様が命を削って守った邸と領地をなんとか存続させようと寝る間を惜しんで領地経営に取り組んでいらっしゃいました」
お義兄様の側近に問いただせば、彼はゆっくりと口を開いた。
「そしてルイス様は見事にその手腕を発揮されました……けれどルイス様がいらっしゃらない今この邸を取り巻く現状は厳しいです」
お義兄様はどんな思いを抱えてこの邸で過ごし、そして出ていったのか……心の奥底から怒りとも悲しみともつかない感情が煮えたぎった。
許せないと思った。賭博や女遊びを繰り返し、仕事を放棄する義父も、装飾品やドレスに無駄遣いする母も、何も知らなかった自分自身も。
「……貴方達は、この邸の当主に誰を望んでいるの?」
「……もちろん、ルイス様です。これは私だけではなく、使用人皆の総意です」
側近の言葉に深く頷いた。
「そうよね、私も同意見よ……だからこそ、私に協力して下さらない?」
その日から私は本格的に領地経営の勉強に励み、義父がしなかった領主の仕事にも同時に取り組んだ。けれどお義兄様と違って私にはそこまで高い能力はない。せいぜい領民にだけは迷惑が掛からないように種々の物事に対応するのが精一杯だったが、家令を筆頭にお義兄様の側近の協力もあって、なんとか持ち堪えた。
そしてその傍ら義父の伯爵の地位を剥奪させるための証拠集めに奔走した。調べていくうちにあの男は過去に脱税や虚偽申告を重ねていたらしく、不審に思った家令がその証拠を密かに揃えてくれていた。その他にも罪状になり得そうなものは、義父に気づかれないように少しずつ集めていった。幸い、義父も母も私に関心がなく、事は上手く運んだ。
そうしているうちに五年近くの月日が流れていた。もうすぐお義兄様は騎士学院を首席で卒業される。義父はお義兄様を確実に廃嫡させるために冤罪を企てていた。それはお義兄様が母に懸想して襲ったなどという馬鹿らしい罪状だ。そもそもお義兄様は騎士学院に入学して以来帰省していないし、そんな事実はない。使用人の証言ですぐに嘘が発覚する。けれど母がそれを王宮に報告し、同時に私達が王宮に今まで集めた証拠を提出すれば、王宮がどちらを信じるかはすでにはっきりしている。母は王宮に虚偽の証言をしたことで罪に問われるだろう。これで義父だけではなく、母も邸から追放できる。
そして断罪のときはやってきた。お義兄様は私達が揃えた証拠を纏めて、国王陛下に奏上した。無実が認められ、同時に伯爵を継ぐようにと王命が下ったお義兄様は五年ぶりに邸に帰還した。そして入れ替わるように罪に問われた両親は王族の騎士団に連れていかれた――これで邪魔者は全て消えて、お義兄様が伯爵家を継ぐことが決まったのだ。
お義兄様と目が合ったとき、何か、何か言わなければと口を開こうとして、それでも何も言えずに口ごもる私を、彼はしばらく無言で見つめていたが、やがて目を細めて私の頭にそっと手を置いた。
「……大きくなったな」
その瞬間、色々な感情が私の中で破裂した。
喉の奥が熱くなり、不覚にも泣き出しそうになる。苦しくて、辛くて、それなのに、どうしようもなく嬉しい。あの頃と少しも変わらないお義兄様の優しさが、どうしようもなく嬉しかった。
「……お義兄様ったら、レディにその言葉は失礼よ。それに一番成長したのはテオの方だわ」
弟を抱きしめながらそう返せば、お義兄様は苦笑したが、すぐにつらそうに目を伏せた。
「俺がいない間、この邸をずっと支えてくれたんだろう? 辛かっただろうに、傍にいられなくてすまなかった」
「……私の方こそ、そばにいたのにお義兄様の苦労にずっと気づけなかったわ」
お義兄様は首を横に振った。
「俺が隠していただけだ……結局すべてリーゼに助けられた。俺がこの邸に戻ってくることができたのも、お前のおかげだ」
「私だけの力じゃないわ。それに私はお義兄様から奪っていたものを返しただけよ」
私の言葉にお義兄様は目を見張ったが、やがてゆっくりと口を開いた。
「その献身にどう報いればいい?」
思いがけない言葉だったが、それに対しての返答に迷いはなかった。
「……どうかテオだけは助けて。この子には何の罪もない」
腕のなかできょとんとした顔つきをする弟を見ながら、お義兄様は頷いた。
「もちろん、罰する気はない。伯爵の跡継ぎは無理だが、そのかわりこの子が将来好きな道を選べるようにここで教育を受けさせよう」
「……ありがとう、お義兄様」
胸を撫で下ろすと、お義兄様が微笑んだ。
「リーゼも安心してこの邸にいてくれ。国王陛下はリーゼの告発とその働きぶりを評価し、罪に問わないと約束して下さった。伯爵を継ぐ俺からも、リーゼにはこれからも"家族"としてそばで支えてほしいんだ」
その言葉に私は複雑な感情が押し寄せたが、すぐに笑みを浮かべて見せた。
「……もちろんよ、お義兄様」
お義兄様が帰還したその夜、私は邸を出るため身支度を整えていた。行く当てなどないが、もうここにいられないと思った……お義兄様が私を"家族"として望むかぎり。
思えば、お義兄様は再会したときから私を義妹としか見ていなかった気がする。もちろん、長年そう振る舞った自分が悪いのだが。
お義兄様にはっきりと恋愛感情を抱くようになったのかはいつだったかは覚えていない。離れてからのようにも思えるし、もしかしたら最初から一目惚れだったかもしれない。けれど確実に言えることは、私がここまでお義兄様のために尽くしたのは、純粋な家族愛からではないということだ。けれど義妹である限り、私がお義兄様と結ばれるなどあり得ない。だからせめてお義兄様の役に立ってから断罪されるつもりだったのに、それはかえって裏目に出てしまった。
伯爵を継いだことを公表したお義兄様のもとには、あちこちから縁談が舞い込むことだろう。そしていずれお義兄様は、どこかの令嬢を娶るはずだ……そんな姿を見るのは耐えられなかった。
荷物を纏め覚悟をきめて部屋の扉を開ける。すると、目の前には、にこりと笑うお義兄様がいた。
「こんな夜更けにどこへ行くつもりだ?」
絶句する私を再び部屋に押し戻し、お義兄様は後ろ手で扉を閉じて溜息をついた。
「……様子がおかしいと思えば、黙って出て行くつもりだったのか」
「……」
黙り込んでベッドに座る。そんな私の顔を覗きこむように、お義兄様は私の目の前に跪いた。
「ここにいるのが嫌になった?」
「……」
「なら一緒にこの家出るか」
「え?」
聞き返せば、お義兄様は何でもないように言った。
「リーゼが貴族の生活が嫌なら平民になってもいい。俺は騎士学院の出だ。騎士にでもなってお前を養う」
「……何を言ってるの。ここはお義兄様のお母様が命を懸けて守った大切な場所なのでしょう?」
「でもそれ以上にリーゼがいてくれなければ意味がない……前にも言っただろう? 何があってもお前だけは迎えに行くって」
お義兄様の言葉に私は首を振った。
「それは、義兄としての責任からなのでしょう?……私はそんなの望んでない。だって私はお義兄様のことが……」
その先がどうしても言えなくて口籠もる私をお義兄様は驚いたように見つめていたが、やがて呟いた。
「何だ、長期戦覚悟してたけど杞憂だったな」
そしてお義兄様は急に立ち上がった。その影で視界が一瞬、暗くなったかと思えば、額あたりに柔らかい感触が走る。
硬直する私に、彼はふっと笑いかけた。
「俺はずっと前から、リーゼを義妹として見ていなかったよ」
「……でも"家族"としてそばにいてほしいって」
「結婚して夫婦になっても家族になるだろ? まあ、リーゼがそういう意味で意識していると思わなかったから、あの場は濁したけど」
「でも私はお義兄様の義妹で」
「連れ子同士で血は繋がっていないから問題ない……あとはお前の気持ち次第だったが、それも心配なかったな」
そう言ってお義兄様は、もう一度、私の前に跪いた。
「――リーゼ、ずっとお前が愛しくて堪らなかった。どうか俺の妻になってくれないか?」
ずっと、待ち望んでいた言葉だった。彼の言葉に涙ぐみながらも、私は満面の笑みで頷いた。
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