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執事の羊くん  作者: 碧瀬まど
第1章
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来訪前

「朝陽、迎えに来ました」


授業が終わり、智秋と話しながら帰り支度をしていると、羊一が教室の出入り口から顔をのぞかせた。

その声が響くと、まばらに残っていたクラスメイトの視線が一挙に羊一へと集まっていくのが朝陽には見て取れた。当の羊一は、全く気にもしていない様子である。


(僕が気にしすぎなのかな…)


その中をかい潜るように、おずおずと朝陽はもう少し待っててと羊一に伝えに行くと、羊一はゆっくりでいいですよと朝陽の頭を二回ぽんぽんとした。

席に戻り、朝陽は少し急ぎ気味で鞄に荷物を詰めた。しかしこういうときに限って、荷物が多い。なかなかまとまらない。ちらりと羊一を見ると、何人かの生徒が反対側から帰るのをやめて、わざわざ羊一のいる方から教室を出ている。羊一に帰りの挨拶をし、羊一も丁重に返している。

すると一人の生徒が、ハンカチを落とした。羊一の足元に。それに気づいた羊一は、廊下に出たその生徒を呼び止めハンカチを渡した。ただそれだけ。それだけのはずなのに、たまたまポケットから落ちただけなのに、拾ってもらった生徒の頬を染めている様子を、嬉しそうに羊一と話している様子を朝陽は見ていられなかった。


(……やっぱり、嫌だなぁ)


見ていると、心の中がざらざらしてくる。

そこから視線を外した朝陽は、机上に残っていたペンケースとノートを鞄にしまった。


「智秋くん、じゃあ僕先に帰るね。また明日」

「うん、また明日」


ほとんど聞こえないくらいの大きさで、すれ違いざまに智秋から「頑張れ」と言われた。疑問に思いつつも朝陽はその意味を問い返さなかった。明日また聞けばいい。今は早く、羊一のもとに行きたかった。


「お待たせ」


朝陽が教室を出ると、羊一は廊下の窓側にもたれかかって外を眺めていた。窓から差し込む夕暮れの光が、羊一の瞳を淡く輝かせていた。


(きれい…)


羊一が朝陽へとそっと目線を移すと、羊一の顔に朝陽の手が伸びていた。


「…朝陽?」


朝陽はその手を羊一の顔に添え、少しだけ自分の方に近づけた。

淡く緑色に光る瞳が、じっと朝陽を見つめる。


(…僕のなのに、僕のじゃない)


朝陽もじっと、その瞳を見つめた。

たまに朝陽はこういうことをする。少しだけ、寂しそうに。

でも羊一はどうして朝陽がこういうことをするのか、わからずにいる。


「……朝陽、どうしました?」


朝陽の肩に軽く腕をまわした羊一は、意識して少しだけ優しく笑いかけた。

知りたい。教えてほしい。どうしてこんなにそばにいるのに、遠くにいるように寂しそうにするのか。俺には、言ってほしい。なにが朝陽を寂しくさせるのか。


(この表情の意味を──)


けれど羊一が尋ねると、朝陽はゆっくりとその手を下ろした。


「…なんでもない。帰ろう?」

「……はい」


羊一が朝陽から手を離すと、朝陽は階下へと向かった。その背中を見つめる羊一の胸は、やるせなさで締め付けられた。


(また、答えをもらえなかった…)


朝陽の寂しさを取り除くには、どうしたらいいのだろうか。そばにいるのに、わからなくて苦しい。

いつ聞いても、何度聞いても「なんでもない」と言われてしまう。手を伸ばしてもらえても、それに応えられるものが俺にないということだろうか。


(だからといって何もしないわけにはいかない)


羊一は、一段下にいた朝陽に並んだ。


「朝陽、少しだけ俺に付き合ってもらえますか?」

「……すぐ帰らなくていいの?」

「じいから使いの方に出すお茶菓子を買ってこいと言われているんです。一緒に行っていただけますか?」

「…羊は作らないの?」


客人が来るときに、羊一が作ったお菓子を出すことも多い。評判もよく、来訪前に「前に訪ねたときのあれ食べたいんだけどね」と先に言われることもあるくらいだ。


「はい。今日は作らないことに……」


話しながら羊一は、朝陽の手のあたりをじっと見つめていた。


「……なに?」

「いえ、外さずにつけてくださっているなと…。失礼いたしました」


無意識で見ていたのか、朝陽が尋ねると羊一は恥ずかしそうに、でもどことなく嬉しそうに言った。


「外してもよかったの?」

「いえ、肌身離さず付けていただきたいです」


きっぱりとした羊一の返事に、朝陽は複雑な気持ちになった。


(だよね。逃げないように、面倒なことにならないように見張ってないといけないもんね)


ただ、違和感があった。居場所を特定するだけなら、ほんの少ししかない朝陽の魔力量でも、羊一ならどこにいるかくらいすぐわかるだろう。それに、ブレスレットを外していないくらいでこんなに嬉しそうにするだろうか。


(違う効力もあるのかな)


けれど朝陽は羊一に聞かなかった。望まない返答が来るのを恐れて。


「朝陽は茶菓子、なにが好きですか?」

「……アップルパイ」

「では、アップルパイを買って帰りましょうか」


(好きなもの食べたら、少しは元気になるかもしれない)


けれど、朝陽は首を振った。


「いい。買ったやつは、好きじゃない」


買わないとして、他に食べるとしたら──


「俺の、作ったやつですか…?」


期待と不安を抱きながら羊一が尋ねると、小さく朝陽は頷いた。


「羊の作ったのが、好き」


羊一の作るアップルパイは、甘さ控えめだが中のりんごがバターとシナモン風味でトロトロになっており、それを包むパイ生地はサクサクしている。なかなか手間がかかり滅多に食べられないが、朝陽はたまに食べたいと思い起こすほど好きだった。


「では、週末にアップルパイとして、今日は別のものにしましょうか」

「……催促したわけじゃないよ」


朝陽はただ、好きなものを答えたつもりだった。

様子をうかがうように羊一を見ると、


「はい、私が作りたいから、作ります」


そう言って羊一は、本当に嬉しそうに笑った。


(うれしい。朝陽が俺の作ったものを好きだと言ってくれた)


朝陽は羊一の作ったものを食べなければならないから、食べている。今朝のクロワッサンのように。

でもそうじゃなかった。好きだと思ってもらえるものがあった。それだけで、こんなにも嬉しい。


「……楽しみにしてる」


朝陽のはにかんだ笑顔も受け、もう羊一はK.O.状態だ。


(なんでこんなにかわいいの?)


それでも人目がある場所のため、なんとかこらえようとした。でも、少しだけ、少しだけだからと羊一が朝陽の顔に手を伸ばそうとすると


「お、朝陽じゃん」


校舎を出たところで、煌に出くわした。


「煌くん」

「もう帰るん?」

「うん」

「……ふーん」


煌は、じろりと羊一を見た。


「…どうか、されましたでしょうか?」


(俺に、なにか用だろうか)


煌は(いぶか)しがるような視線を羊一に向けていた。


「……いや、やっぱいいや。じゃあな朝陽、また明日!」


それだけ言うと、煌は校舎内へと走って行った。


(なんだったんだ?)


ちょっと話しかけてみた、というより、なにか問いかけたさを含んだ目をしていた。


「…明日、聞いてみる」


朝陽は煌を見つめる羊一の袖をつかんで、少しだけひっぱった。


(あんな煌くん、見たことない…)


朝陽は煌に宿る一抹の不安を見た。

校舎の方に目をやると、煌の背中はもう見えなかった。


「……はい」


羊一ももちろん、煌が気になった。ただ、朝陽の甘えるような頼りにするような素振りに加え、友達を想う姿に成長を感じ、少しだけジーンとしてしまった。




校門を抜け街まで出てみると、まだ雪が積もっており、ところどころ溶けて滑りやすくなっている。


「朝陽、手を」

「…大丈夫」


羊一が手を伸ばしたが、朝陽はうまいこと体幹を使い、バランスを取りつつ歩けていた。これくらいのことで、羊一の手を煩わせたくない。


「なにかあってからでは遅いので、どうぞ」


引き下がらないぞ、と羊一が強く出ると、圧倒された朝陽は渋々羊一の手に自分の手を乗せた。


(大丈夫なのに…過保護…)


その様子に、羊一は少し焦った。


(ちょっと強引すぎたか?)


羊一も本当は、自分が手をかさなくてもいいとは思っていた。

転倒への事前対策の意味合いもあった。だがそれよりも、羊一としては朝から元気なく、それに加え先ほどの寂しそうな様子が気がかりで、手を繋ぎたかった。手を繋げば、物質的に触れあえば、朝陽の寂しさが少しは和らぐところもあるんじゃないか。そう思った。

しかし、手を繋いでから少しだけ朝陽が不貞腐れたように羊一には見えた。朝陽自身、感情が外に出にくいことを自覚しているし、はたから見ればいつもと変わらない無表情である。だから朝陽は感情を隠すようなことはしない。誰にも分らないと思っているから。

ただ、羊一だけはつぶさに気づく。けれど、それを朝陽はわかっていない。

そのため、まずは朝陽の機嫌を取ろうと腕を大きく降ったり小さく降ったり、名前を呼んでは話しかけ、朝陽の様子をうかがった。


(久々に見る。小さいときはよくこの顔してたな。懐かしい)


羊一にしかわからない、ぐずる前の、不安やいらだちの混じったような表情。いつもほんのすこししか垣間見えない。

昔を懐かしみつつも、熱を持ったその視線は、朝陽を落ち着かなくさせた。


(羊は、ずるい…)


目の前の朝陽が愛しくて、可愛くてしかたない。羊一はいつのまにか、隠しようもないくらい甘い表情をしていた。

朝陽はさっきまで、いつまでも子ども扱いしないでほしいと思ってたのに、そんな目で見られたら、怒っていられなくなる。


(僕を大事にしてくれてるって、わかってる。でも─)


もう一度羊一を見上げると、さてどこの店で茶菓子を買おうかと通りにある店を眺め、思案しているようだ。


(ごめんね──)


朝陽の胸の奥には、ひどく突き刺さるものがあった。


「朝陽、どうしました?」

「……あっちの店がいいと思う」


そうして、朝陽は羊一の視界から逃れるように、するりと羊一の手から離し、二軒先にある店に入っていった。


(なにか、考え込んでいるんだろうか…)


朝陽の後を追うように、店に入ると


「いらっしゃいませ」


黒ワンピースの制服を着た店員に迎えられた。

そこはよく行く洋菓子店だった。

熱心に、朝陽はショーウィンドウを眺めている。


「これが、いいと思う」


そうして朝陽が勧めたのは、洋酒がふんだんに使われたチーズケーキだった。


(珍しい。朝陽がこういうの選ぶなんて──というより)


「朝陽、今日どなたがお越しになるかご存知なのですか?」


羊一が尋ねると、明らかに朝陽はおどおどし始めた。


「………早く、買って帰ろ?」


やっとのことで言葉を発した朝陽であったが、羊一からすると、それは知っていると答えられたようなものだった。


「そうですか」

「僕、あの…」

「いえ、お気になさらないでください」


羊一の心は、臨戦態勢に向けて準備し始めた。


(来る…、あの方が…‼)

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