観覧車と青き目
メリーゴーランドを降り、羊一に拗ねて怒る朝陽。そんな朝陽の前にあらわれた災厄と、いつもと違う"彼"の姿。
メリーゴーランドを降りた朝陽は、ぷんすかした気持ちで風船の糸を引っ張ってはゆるめてを繰り返した。
羊一もそんな朝陽の上下に揺れる風船を眺めていた。
「朝陽」
朝陽は"さっきからかってきたの怒ってるんだから"を前面に出して羊一をじろりと見上げた。
「お昼にしましょうか」
しかしそれを意に介さずのあっさりとした羊一の反応に、朝陽はプイッと顔を背けた。
(今日の羊一は、意地悪い!)
すっかりやだやだモードになった朝陽は、繋がれた手を振りほどこうとブンブン振り回すも、逆に羊一にしっかりと握られますます膨れた。
(今日の朝陽は本当にかわいいなぁ)
そんな朝陽が羊一は愛おしく、胸の中が温かくなりつつも、懐かしくも眺めていた。
自分きっかけで朝陽の感情が動いたことだけでなく、こんなふくれっ面をした朝陽は本当に幼い頃──あの部屋に閉じ込められる前にしか見れなかった。年相応の表情も、まだまだ他の人にはその表情の変化はわかりにくいだろうが、最近まで朝陽はできないでいた。
だから、羊一はうれしくて仕方がない。
(ここに越してきて、本当によかった──)
もっといろんな感情を、表情を見せる朝陽を見たい。
羊一がそんな気持ちでいることを、まだ膨れている朝陽は知る由もない。
飲食エリアが一望できるベンチに座って朝陽が待っていると、羊一がカリーブルストとオレンジジュースを買って戻って来た。
「朝陽、どうぞ」
「……ありがと」
スンッとしてわざと羊一を視界に入れないままカリーブルストと付け合わせのポテトを食べていると、羊一が朝陽の顔に手をかけた。
「付いてます」
「どこ?」
「ここに」
朝陽が口元を拭こうとカリーブルストをおくと、羊一に両手で羊一の方へと顔を向かされてしまい、バッチリと目が合ってしまった。
目をそらせず、ぎゅっと目をつぶるとふと影が落ちてきた。薄く目を開けると羊一の顔が覆いかぶさろうとしていて、朝陽は声を上げた。
「……っ羊一、ここ、外っ!」
「大丈夫ですよ、ちゃんと見られないように膜を張りましたから」
確かに上を向くと、辛うじて朝陽にもシャボン玉の膜のようなものが見えた。
本当だとぽんやり見上げたままでいると、羊一が顔を近づけてくるのでハッとした朝陽は慌てて自分の顔を包む羊一の手を離そうとした。
「だからって……さっきもしたっ!」
「念のためです」
「念のって……んっ」
そう言って、カリーブルストとオレンジジュースを挟んだまま朝陽は羊一に口をこじ開けられた。
抵抗しようにも動くとジュースが倒れてしまいそうで、朝陽は羊一の肩元をぎゅっと握ることしかできなかった。
息が苦しくないようにしてくれているもの、優しく触れられているのもわかっているのに、それでも羊一の好きにされて悔しくて、またキスされたと後ろめたさを感じる自分もいる。それなのに、受け入れてしまう自分がいる。
やっと羊一が離してくれると、ここに来る前にもキスされ、メリーゴーランドに乗っていた時にずっとくっついていただけでもキャパオーバーなのに、さらにキスされてしまい、朝陽は両手で顔を隠した。
「朝陽、怒りましたか?」
「……………」
羊一に聞かれるも、なにも言えない。
朝陽は自分でもわかっている。怒っているんじゃなくて本当は、恥ずかしくて、でもそれだけじゃない感情も含まれていて、羊一にキスされて喜んでいる自分もいて、複雑な思いでいっぱいだった。
「今日、俺はすごく楽しいです。朝陽とこうして遊園地に来れる日が来るなんて、昔の俺に教えてあげたいです」
羊一が穏やかに、心満ちた様子で言うから、朝陽は少しだけ顔を上げた。
(それは、僕だって──)
朝陽も同じだった。まさか自分があの部屋から出て、普通に学校に通い、羊一と自由に遊びに出る日が来るだなんて思いもしなかったから。
「だから、俺のせいで朝陽が楽しめていなかったら、申し訳ないです」
「羊一、あの、それは僕が」
沈んだ表情を見せた羊一に朝陽が声をかけたところだった。
二人の前を通りかかった子どもがギャーっと泣き始めた。
「……どうしたんだろう」
「俺、ちょっと行ってきます」
羊一はその子どもの前にしゃがむと、優しい顔をしてその子の頭を撫でながら、いつもよりゆったりした口調で話しているようだ。
(あぁいう姿の羊一、ちょっと新鮮)
いつも羊一からあふれんばかりの愛情を受けている朝陽。羊一が子どもに向ける優しい視線もその手の温かさも全部知っている。
だから、気づいてしまう。子どもに向けたその視線が、自分に向ける視線とは違うことを。
そんなこんなでまた朝陽は羊一を意識してしまって、ひとりで顔を赤くしてしまった。
「朝陽」
「な、なに?」
パタパタと顔を扇ぐ中、羊一が子どもを抱っこして戻って来た。
「迷子のようなので、近くの迷子センターに行ってこようかと」
すっかり羊一に懐いたのだろう、子どもはぎゅっと羊一の首元に抱きついている。
それを見た朝陽は胸にもやっとしたものが広がったが、今の優先順位1位は僕じゃないからと落ち着き払った。
「うん、お願いね」
「その、朝陽と離れるのは嫌なので、一緒に行っていただけないでしょうか」
控えめに羊一は言った。
だけど本当は、嫌、ではなく心配なのだろう。自分がいない間に朝陽の身に危険が及ばないか。
そう思うと、いつまで経っても羊一の負担でしかない自分に胸の奥がツンとしてくる。
「大丈夫だから、行って来て。ここで待ってるから」
「けど──」
「ね?お願い」
朝陽が穏やかに言うと、羊一は眉をひそめた。
「絶対に、ここからいなくなりませんか?」
「うん」
「絶対の絶対に?」
「うん」
「絶対の絶対の絶対の絶対の絶対に──」
「わかったから、行って来て」
朝陽がそう言っても納得してない顔の羊一は、はぁっとため息をついて「すぐ戻ります」と走っていった。
多分、力も使って走って行ったから瞬く間に戻ってくるだろう。
けれど、それでも
(いつまで経っても、僕は羊一に心配ばかりかけてしまう)
きっと、今までの自分が羊一にそうさせているんだろう。そうわかっていても、朝陽は落ち込んでしまう。
カリーブルストを半分食べ、オレンジジュースを飲みながら朝陽は遠くに見える観覧車をぼーっと眺めていた。観覧車を彩るイルミネーションの輝きが美しく、心和ませてくれる。
羊一が戻ってくるまで、思ったより時間がかかっている。なにか手続きとかあるのかなぁ、もうすぐ戻ってくるかなぁときょろきょろとあたりを見回すも羊一の姿はない。
ふぅっとため息をついた朝陽はまた観覧車を見上げ、その光景にオレンジジュースを手から落とした。
(どうして……、さっきまでなにもなかったのに……)
観覧車の後方で、観覧車をじっと見下ろす超大型の魔物が朝陽の目にうつった。
鋭く金に光る眼、赤く光沢のある鱗、長く大きな尻尾──普通ならあんなものが近づいてきていたら肌が焼けそうな痛みで感じとれるはずだ。それなのに、その魔物がいるのを目視するまで気づかなかった。
(どうしよう、どうしたら──)
あぁいうものが寄ってくる体質であるのを朝陽は自覚している。自分が原因で魔物が降り立ったのであれば、早く逃げなければ自分のせいで他に被害が出るかもしれない。
一歩一歩、朝陽は超大型の魔物を見つめながらベンチから遠ざかろうとして、気づいた。
その魔物が、全く自分に気づいていないことを。
(じゃあ、どうしてあれはここに……?)
じっと朝陽が魔物を見つめていると、突っ立ったまま動かずにいた魔物がゆっくりと動き始めた。
非常に遅い歩みながら、観覧車へと近づいていく。
「……っ!」
あたりを見回しても、まだ羊一は戻ってこない。
切迫した状況に、焦る気持ちがせりあがってくる。
(絶対にここにいると言ったのに──羊一、ごめん)
申し訳ない気持ちもある。でも、朝陽は観覧車へと走り出した。あれをなんとかするために。
そんな朝陽の後ろをゆっくりと、意志を持ったかのような風船が追いかけて行った。
(まだ、観覧車にはついてない)
飲食エリアからアトラクションエリアへと走ってくるころには、朝陽はもう肩で息をするほどになっていた。
観覧車の方へ近づこうも、人気のアトラクションと屋台が多く集まるスポットで、ぶつからないようにしながらではなかなか近づけない。
(早く、早く行かないと──)
人の合間を縫ってなんとか観覧車へと走っていると、反対方向から走ってきた人と衝突した。
「ごめんなさ──え?」
衝突した反動で振り返りざまに謝って、朝陽は驚きに目を丸くした。
そこに息を切らせ、大きく目を見開いた煌がいたから。
「……煌君、なんで──」
朝陽は煌がそこにいたから驚いたわけではない。
その理由を朝陽が口に出そうとしたとき、耳をつんざくほど大きく不快な鳴き声が響き渡った。あまりのことに朝陽も煌も耳を抑えてその場にしゃがみこんだ。けれどその轟音を耳にしたのは朝陽と煌しかおらず、他の客らは轟音によって巻き起こった強風が吹いているのしか感じていない。だから周りからはしゃがんだ二人はどうしたんだろうかと目を向けられるばかり。
なんとか朝陽が目を向けると、鳴き終えた魔物がゆっくりと観覧車へと手を伸ばした。
「…………っダメ!!」
朝陽の見上げた先では、魔物に手をかけられ動けなくなった観覧車がギシギシときしむ音を立てている。ゴンドラは大きく揺れ、一番上のゴンドラは今にも落ちてしまいそうだ。
「おい、あれ……!」
「嘘でしょ、ここにいたら危ないんじゃ………」
周りの客も危険を感じたのか悲鳴を上げながら逃げていく。
入口ゲートの方へと走っていく客に圧されながらも、なんとか朝陽が観覧車へと近づこうとしたが、その腕を強い力で引き留められた。
「ここから早く逃げろ!あれはお前じゃなんともできねぇよ!」
「……煌君、どうして見えてるの?その目と関係ある?」
朝陽の目には、店で会った時と違って、煌の目はまるで青い炎を宿したように鮮やかな光を放つのが見えていた。
「今そんなこと話してる暇はない!早くしろ!」
煌が朝陽を引っ張り一緒に逃げようとした。
けれど、朝陽はその手を払った。
「ごめんね、煌君。でも今、あれを止められるのは僕だけだと思うから」
ふにゃりと弱弱しい笑みを浮かべた朝陽は、そのまま観覧車の方へと走って行った。
しばらくの間、煌は恐怖に駆られ逃げ惑う群衆の波に消えていく朝陽の後ろ姿を見つめていた。
「……クソっ」
強く握られたその拳からは、血が垂れていた。
観覧車の乗り場近くまでたどり着いた朝陽は、ゆっくりと魔物を見上げた。
(きっと、もうこのあたりなら効くはずっ!)
魔物は新しいおもちゃを楽しむように、邪魔な観覧車をどけようとしているように観覧車を揺らし続けている。
けれど、朝陽が観覧車の近くまで来ると魔物も気づいたようだ。じぃっと朝陽を見つめている。
すぅっと息を吸った朝陽は、自分の中の魔力を高めた。
それが合図だったかのように、観覧車より高く、魔物よりも高く飛んでいた風船が、朝陽の真上でパンッと割れ、そこからキラキラと緑の粒子が朝陽に降りかかった。
「『………ここから去って!』」
じっと見つめ合ったまま朝陽は魔物にそう命じた。通常であれば朝陽の『全霊服従』に従い、魔物はここから立ち去ったはずだ。
しかし見つめていた先の魔物に力をかける中、朝陽はプツンと力が途切れるのを感じた。
(……どうして!?)
こんなこと今までなかった。まるで朝陽と魔物の間に見えない壁ができたかのように、力が届かなかった。
その証拠のように、見失った朝陽を探すように魔物もきょろきょろとあたりを見回した。
しかし見つけられなかったのだろう。また観覧車遊びに戻った。
「『……こっちを見て!観覧車から手を離して!』」
けれど朝陽が言っても、魔物には届かない。
(そんな、どうしたら……)
今も、揺れ動くゴンドラの中で恐怖におびえる乗客が見える。
早く、この状況を何とかしなければ──効かないかもしれないとわかっていても力を放ち続けていると、ピーっと響く指笛の音が焦る朝陽の耳に響いた。
振り向くと、小さくだが煌がいるのが見えた。
「煌君、どうして──」
もう逃げていると思っていた。逃げていてほしかった。
それなのに、煌は何度も何度も指笛を鳴らす。
そうしていると、その音が聞こえたのだろう。ゆっくりと魔物はその重そうな顔を煌へと向けた。
すると、どうしたことだろう。興じていた観覧車遊びなど忘れ、もっと面白そうなおもちゃを見つけたように魔物は目を光らせた。
観覧車から手を離した魔物は、その背中の大きな翼を非常にゆっくりと、ゆっくりと広げていく。一瞬たりとも、煌から目を離さずに。
(そんな、煌君──)
煌もそれに気づいたのだろう。指笛をやめた煌は、入口ゲートへと走り出していた。
朝陽はもう一度魔物を見た。翼をまだ開ききっていない、飛ぶまでにはまだ時間がかかるだろう。それに歩くのも非常に遅かった。もしかすると飛行しても煌に追いつくまで時間がかかるかもしれない。
踵を返し、朝陽は煌を追った。
(どうして僕の力が効かないのかはわからない。でもあれは今、確かに煌君を狙っている。どうしたら──早く戻ってきて、羊一!)
心細さを抑え込み、朝陽は遠ざかっていく煌の背中を追いかけた。
「絶対の絶対の絶対の絶対にって言ったのに、これはどうしたことでしょうか」
羊一は目の前の半分残ったカリーブルストと、地面に落ちたオレンジジュースのカップに顔を傾けた。
「全く、朝陽はどちらに行かれたのでしょうか──それに」
羊一はちらりと後ろを振り向いた。
もう人気もなくなった遊園地で超大型の魔物が観覧車の上を飛んでいく様子ではなく、吹く風に乗って飛んできた割れた風船から降り注いだ魔力の粒子をじっと見つめた。
「あの方は相変わらず、好き勝手をなさる。おかげで俺はいつも困らされるというのに」
ふぅっと一息ついてから、羊一は軽く地面を蹴り浮かび上がった。
「朝陽はどちらに行かれたのでしょう」
舞い上がりながら空にくるりと足を向け、逆さのまま腕を組んでぼんやり魔物を眺めていると、羊一はこちらへと羽ばたいてくるものに気がついた。
「あぁ、どうやらうまく使えたようですね」
ほくそ笑んだ羊一はそれに手を伸ばし、港の方へと目をやった。
「友達ができるというのも、喜ばしいことばかりではないですね」
またくるりと体勢を変えた羊一の手の上で、役割を終えたそれが燃え上がった。羊一がふっと息を吹きかけると、灰になったそれはひらひらと溶けて消えていく。
さて、と羊一が踏み込むと空中に波紋が描かれた。閃光のごとく飲食店の屋台からメリーゴーランド、フリーフォールタワー、ジェットコースターのレールのピーク点へと飛び移り、羊一は頂上からあたりを見下ろした。
(あの辺りか──)
目星をつけた羊一はゆっくりとあたりを見回した。
「それでは、お迎えに参りましょうか」
羊一はゆっくりとレールから足を離し、そのまま下降する重力をバネに飛び上がった。強い風に逆らって飛んでいるというのに、まるでそよ風を受けるような軽やかさだった。




