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執事の羊くん  作者: 碧瀬まど
第2章

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それぞれの準備

羊一と朝陽、そしてそれぞれの準備が始まる。

鍵をまわし踏み入ると、静まり返った廊下にコツコツと足音が響く。

そっと教室の扉を開き、先に来ていた友の隣に静かに着いた羊一は、重々しく口を開いた。


「俺は今日、正真正銘朝陽とデートする」

「そうか」


どやっと真顔の羊一に、蕾堂の返事はそっけない。


「お前さ、もっと驚くとかないの?反応薄くない?」

「もう言葉がないわ」


前のめりな羊一を見ようともせず、蕾堂は盛大なため息をついて手で頭をおさえた。


「そんなに感動してくれなくても」

「感動じゃなく呆れてるんだ!」


鬼のような形相をした蕾堂が思い切り机を叩くので、羊一の肩がびくりと跳ね上がった。


「主君に恋慕するなんて、ましてや迫るだなんて信じられん」

「まだそんなに手は出してねぇから安心しろよ」


何だよせっかく話したのに、と口をとがらせている羊一に、蕾堂は驚愕のげっそり顔だ。


「お前、まさか……」


震える指で蕾堂が羊一の頬を刺すと、速やかに羊一に払われた。


「地味に痛いわ。お前だって坊ちゃんと手を繋いだりするだろ?」

「それは、そうだが……」


羊一にたしなめられた指をあごにあて、まぁそれくらいなら、と落ち着きを取り戻した蕾堂に羊一はほくそ笑んだ。


(相変わらずだな。ちょろい)


蕾堂は恋愛方面がからっきしだ。例えば、なんとなく雰囲気でわかるだろというところで、「それはつまるところ、どういうことだ」と聞いて相手を玉砕させたことがあるくらいに。もちろん本人としては真摯に対応しようとしている。

だから羊一が「キスした」「しかも1度じゃない」くらい言わないと蕾堂には伝わらない。

けれど、羊一が悪い笑みを浮かべているのには気づいたようだ。


「なんだ、にやにやして」

「別に。なんでもねーよ」

「……で、どこ行くんだ?」


くいっと眼鏡を持ち上げた蕾堂に、羊一は街でもらってきた春光祭のリーフレットを渡した。


「なるほど。なかなかいいな」

「だろ?」

「俺も行くとしよう」

「なんでだよ」


うむうむと頷きつつ、蕾堂は素早く自分の鞄にリーフレットを入れた。


「坊ちゃんをそろそろどこかへお連れしようと思っていたんだ。ここなら坊ちゃんも楽しめそうだ。安全そうだしな」


蕾堂は横目に羊一を見た。


「えー、来るのはいいけど俺達のこと見かけてもそっとしとけよ?こっちはデートなんだから」

「あぁ、俺からは話しかけない。ただ坊ちゃんがご希望されたときは遠慮なくいかせてもらう」

「やめろ」


それから蕾堂は何時から行く予定だとか、どの店を回るつもりだとか一通り羊一に聞く(羊一は答えはしない)と、そういえば、とトーンを変えた。


「先日、(がい)が来たのだが」

「はいはい大奥様との定期報告だろ?」

「いや、そうではなくひとりで来たんだ。大奥様にも言っていないと」

「……それ、俺に話していいのか?」

「蓋が言うには、大奥様に知られなければいいと」


羊一は蕾堂に顔を近づけ、声をひそめた。


「……何の話だったんだ?」

「それが、しばらく自分は身を潜める、と」

「……は?」


羊一は目を大きく見開き、固まってしまった。


「お前のところには話がいってなかったんだな。蓋が言うには──おい、おいって……、しっかりしろっ!」

「いてっ!」


強く揺さぶっても羊一があまりに呆然としたままで、蕾堂は思わずチョップしてしまった。


「なにすんだよ!?」

「お前が呆けているのが悪い。続きを聞くのか聞かんのか!?」

「……聞くよ」


首元をさする羊一に、はぁーっと息を吐いてから蕾堂は話を再開した。


「蓋が言うには、しばらくはなにも起きない、起きたとしても部隊の方で対処できる程度だと」

「……それで、許可したのかよ?」

「あぁ」


今度は羊一が深く息を吐いた。


「なに考えてんだ、蓋は」

「わからない。わからないが──」


蕾堂は口元をおさえながら、なにやら思案するように黙り込んだ。


「なに?なんだよ、まだなんかあんのかよ」


途方に暮れるように、訳わかんなくなってきた、と顔を上げた羊一に、口籠りながらも蕾堂は言った。


「あくまでも、あくまでも俺の勘だが」

「あ?なに?」

「その、あのときの蓋が、本体なんじゃないかと」

「……どういうことだ?なにかあったのか?」


脱力していた羊一は、今にも蕾堂につかみかからんばかりに詰め寄った。


「いや、なにもない──だが、いつもと違ったんだ」

「なにが?」

「なにって──」


蕾堂の頭には、その日の蓋の姿が浮かんでいた。

今までの傀儡(かいらい)とは違う。それが現れた瞬間、謁見の間が凍ったように体の奥からゾッとした。

(まと)う空気も、その振舞も、今までの傀儡どもは東雲の大奥様の隣で静かに控えているだけだったのに、その日の蓋はハキハキと話し、意見を述べ、自分の要望まで通してきた。

それがいる間、ずっと蕾堂は息苦しく、常に押し潰されるかのような圧があった。

当の蓋は、始終軽やかだったというのに。


「──っ、蕾堂!」


羊一に肩を押されて我に返った蕾堂の額からは、大粒の汗が流れていた。


「大丈夫かよ?」

「……あぁ、問題ない。失礼した」


自らを落ち着かせるように、折り目の整った白のハンカチーフで汗を拭いた蕾堂は小さく口を開いた。


「子どものようだった」

「子ども?」


急かさないように蕾堂を待つ間に取り出したノートを、羊一は机に置いた。


「いや、子どもは語弊がある。蓋が本題に入る前に、少しだけ世間話をしていたんだ。その時の蓋は子どもっぽさと言うか、幼さが残っている感じがした。だが、頭の回転は速い。多分、蓋本来の性格的なものから感じたんだと思う。誰か、思い当たる節はあるか?」

「突然言われても──……」


(“兄上っ!“)


羊一には、自分を慕うただひとりの声が聞こえた気がした。


(……いや、ない。そうだとしたら、絶対に俺に話してくれるはずだ)


浮かんだ疑念を払うように、羊一は強く頭を振った。


「俺もわからない。調べてみる」


羊一の深刻な表情に、蕾堂は口から出そうとした言葉を飲み込んだ。


「わかった。俺もまたなにかあれば共有する」

「あぁ、よろしく頼む」


しかし一度抱いた疑念は、羊一から離れてくれはしなかった。





胸の前で持っていた鞄からこっそりと本を取り出した朝陽は、返却棚にそれらを置いた。置いてすぐ離れたかと思えば、戻ってきた朝陽は返却した本をすでに置かれていた本に紛れさせた。借りた本が一番上にあることが、気になったのだ。

返却棚を気にしつつも図書棟から出た朝陽は、誰にも見つからずに返せたことにほっとして図書棟の前のベンチに座り、広大な空を見上げた。

途端、急激に体温が上がった。


(“だって朝陽が煌様ばかり見てるから“)


ベンチから見える景色が同じで、予期せず思い出してしまったのだ。

心を落ち着かせようと、朝陽は高鳴る心臓に手を重ねた。


(羊一は僕のこと、そういう風に思ってるってことでいいのかな……)


心の中でそうつぶやくだけで、朝陽の心臓はきゅーっとして、いつまで経ってもおさまってくれそうにない。

朝陽がそう思えるようになったのは──


(『ただただ僕が願うのは、君と一緒にいること。それだけなんだ』

 『ジェシー、私もずっとそう思ってた。でもあなたの将来を思うと怖くて言えなくて……』

 『これからは二人で考えていこう。僕達二人のことだから』

 『ジェシー……!』

 熱い抱擁を交わした二人はそのまま手を繋ぎ、未来への一歩を歩み始めた── fin.)


ぱたんと本を閉じた朝陽は、読了感で大きく息を吐いた。


(すごく面白かった。恋愛小説は初めて読んだけど、ドキドキ感がすごい)


教室で読んでいるところを見つかると恥ずかしいため、朝陽は休み時間になるたび教室を抜け出して人気のない階段や木陰に隠れて恋愛小説を読んでいた。

羊一の気持ちを知りたくて、参考にしようと思って読んでいたはずなのに、気づけばのめりこんでいた。後半は怒涛の流れで、あっという間に読み終わった。


(本は本として面白かった──けど、これ)


パラパラと本をめくっていると、覚えのある言葉が目につく。


”僕はずっと、君のそばにいるから”

”君は僕よりも、彼のことが好きなの?”

”君は可愛いね。そんなとこも大好きだよ”


朝陽が羊一から言われたことのある言葉の数々が、この恋愛小説には盛り込まれており、トキメキと共感にあふれていた。

無意識に羊一を思い出しつつ読んでいたのだから、きゅんとするのも当然だ。


(本の中では、恋愛感情を抱く相手に言っていたから。だから──)


それを心に思うだけで頭の中がぐるぐるしてきた朝陽がぎゅーっと本を抱いてしゃがみこんでいると、上から声が降って来た。


「なにしてんの、朝陽」

「ひいっ!?……あ、煌君」


見上げると、渡り廊下から煌がこちらを覗いていた。


「ひいってなんだよ?もうすぐ終礼始まるから呼びに来てやったのに」

「ご、ごめんね」


立ち上がった朝陽は、煌のもとに小走りした。


「ま、いいけど」

「煌君、今日は智秋君は?」


先を歩く煌に朝陽は後ろから話しかけた。


「あいつ今日は公欠。生徒会の奴らと春光祭で案内とかしてる」

「そうなんだ」

「ま、うろうろしてたら会えんじゃねーの?俺も終礼終わったらすぐに店の準備見に行くから」

「広場の方で出店してるんだっけ?」

「そ。来たらアイスくらいサービスしてやるよ。(ひつじ)にはやらないけどな」


階段を上がっていた煌は、いたずらな笑みを浮かべながら朝陽を振り返った。


「……じゃあケーキならいい?」

「もっとよくねぇよ」


ゆるやかなおしゃべりをしながら、朝陽と煌は教室へと戻っていった。






「朝陽、お迎えに参りました」

「羊……」


せめて中等部の校門前で待っていてほしかった。

朝陽が図書棟へ本を返してから帰り支度をしていると、羊一が朝陽の教室を覗いた。瞬間、周りがさざめきだした。女子はもちろん頬を染めて羊一を見ているが、最近朝陽は知った。

憧れのお兄さん像として、男子にも人気があると。

気づいたときに煌に相談したのが悪かったのだろう。わざわざ煌は、柔らかな物腰、洗練された所作、凛としたたたずまいはぜひ見習いたいと言われているらしいと聞いてきてくれた(それを伝えるときの煌は軽く笑っていた)。


(なんで羊一はどこに行ってもこうなんだろう)


羊一が幼い頃から厳しく教育された結果だとはわかっている。

ただ、自分の中の想いを自覚し始めた朝陽からすると全くもって面白くない。

じとっとした目で『いい執事』として待てをしている羊一を見ていると、もう一段ざわめいた。

学校では冷淡な顔をしている羊一が、ふわっと微笑んだからだ。


(朝陽が俺をじっと見つめている!)


嬉しさとトキメキで思わず顔に出てしまった羊一であるが、朝陽はより不機嫌になった。

鞄を持って、朝陽は早足に教室を出た。


「お待たせ」


ぶすっとした朝陽の様子に、おや、と羊一は首を傾げた。


「どうしました?ご機嫌がよろしくないようですが」


そう言う羊一が、朝陽の強張った頬を撫でる。

なんでもないと言わんばかりにそっぽを向いていたが、ずっと羊一がそうしてくるから仕方ない。


(僕って単純……)


さっきまで不満でいっぱいだったのに、羊一にそうして甘やかされていると心の中のトゲトゲしたものがなだらかになっていく。

ちらりと見上げた羊一は、自分にだけ微笑んでくれている。この微笑みも、今は自分にしか見えていない。


「もういいから、行こ」

「あの、朝陽」


先に歩き出した朝陽に、羊一が遠慮がちな声をかけた。


「なに?」

「……その、お願い事があるのですが──」


その恐縮しきった様子に、内容も聞かずに朝陽はいいよと言ってしまった。

甘やかされて、ふわふわしていたのだ。





「朝陽、とっても可愛いですっ!」


羊一は両手で口を覆ったまま、歓喜の声を上げた。

その声を受け取った朝陽は、さっきいいよと言ったことを後悔している。

羊一のお願いというのは、煌の家から持ち帰ったチャイナ服を着た朝陽とお祭りに行きたい、ということだった。


「もう一度、この服を着た朝陽を見たかったんです」


嬉しそうに朝陽の制服を片づけ始めた羊一に、煌からチャイナ服をもらったことをどうして知っているんだろうと思いつつ、朝陽は小さくため息をついた。


「……お嫌でしたか?」


羊一はしゅんとして眉を下げた。

そんな羊一に胸を打たれた朝陽は苦笑いで言った。


「ソンナコト、ナイヨ」

「よかったです」


にっこりと満足気に微笑む羊一は、キラキラしていて朝陽には眩しい。


(我ながら、会心の出来だ)


うんうんと頷きながら櫛をケースに片付ける羊一は、朝陽にチャイナ服を着せるだけでなく、いつの間に買ったのだろう。装いに合うイヤーカフに、ヘアバンド、扇子に靴まで用意していた。

普段はこんな格好をすることがないため、朝陽はソワソワして仕方がない。


(絢斗兄様みたい……、いや、兄様ならもっと派手だ)


朝陽には冠を被り、長い髪を(かんざし)でまとめ扇子で扇ぐ絢斗の姿が浮かんだ。

そうしてつい、いつもの癖だ。

絢斗であれば、もっと似合うのにと思ってしまう。

鏡に映る自分が戸惑っているのが自分にも見える。


(本当に、似合ってるのかな……)


ちらりと横目を向けると、羊一は鼻歌交じりで片付けを終えようとしていた。


「あの、羊」

「なんですか、朝陽」


おずおずと上機嫌な羊一に近づいた朝陽は


「似合ってる?」


袖を手で押さえながら腕を開いた朝陽は、不安げに尋ねた。

すると目を丸くした羊一が瞬時に朝陽の前にひざまずいた。 


「えぇ。よく似合ってます。今日も朝陽が世界で一番可愛いです」

「……大げさだよ」


余すことなく愛情を向けてくる羊一に、朝陽はボソリと言った。


(そこまで言われると恥ずかしい……)


照れた朝陽に微笑む羊一は、


「それにデートですから、これくらいの装いは範疇のうちです」


ハッキリとそう言った。

だから朝陽はきょとんとしてしまった。


「…………でーと?」

「はい」


朝陽はフリーズした。


(確かあの本に、デートというのは好き合っている者同士が遊びに行くことだと……)


「だれが?」

「朝陽と、俺が」


ですよね、と小首を傾げる羊一は愛嬌いっぱいの顔をした。

羊一の言ったことにか、それとも羊一自身か、その両方か。朝陽は羊一の思う壺で、意識して戸惑っているのが羊一の目にもよくわかる。


(これで朝陽にもデートだって認識してもらえたし)


さて、と立ち上がった羊一は


「参りましょうか」


そっと朝陽に手を伸ばした。

そんな羊一もいつも通りじゃなくて、緊張しているのだろう。

朝陽は羊一の手が、わずかにだが震えているのに気づいた。

まだまだ頭の中はぐるぐるしつつも、朝陽は羊一の手に己の手を重ねた。

すると羊一が嬉しそうに笑うから、朝陽も自然と笑みを浮かべた。

そのまま二人は街へと向かった。手は、繋いだままだった。

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