想定外
出会った頃の話
「ん……」
まだ寝ていたい。まぶたも体もまだ重い。
そばにある温もりと、決して重くない、むしろ安心できる重みに朝陽は手を伸ばした。
(もう少し、このままでいたい……)
今が一番、心安らぐ。なにも心配事もなくて、この温かさに身をゆだねていたい。
「朝陽は、甘えんぼさんですね」
どこか遠くから、羊一がくすりと笑う声が聞こえてきた気がする。
それはとても優しくて、二人でいるときにしか聞けない甘い声。
「うん……」
朝陽が微睡んだままでいると、柔らかく触れるものがあって、眠りの妨げになりそうなのに、それさえ心地よい。
温かくて、幸福に満たされるような感覚に、朝陽は口を開いた。
ゆっくりと入って来たものに、朝陽もこたえた。なにも考えられないくらいに、もっと頭がぼんやりしてくる。
「朝陽──」
「──……いっ」
きゅうっと痛みが耳の後ろに走って、朝陽は一気に目が覚めた。
目を開けると、羊一が朝陽の上に乗っていて、顔がすぐそばにある。というか、首筋に顔をうずめられている。
全くついていけない状況に朝陽が固まっていると、顔を上げた羊一が朝陽を見つめた。
「朝陽、お目覚めですか?」
そのゆるんだ表情と、少し寝巻のはだけた羊一。朝陽にはキャパオーバーだった。
「よ、よういち……」
「ひどいです、朝陽」
「ごめんなさい」
昨日から朝陽は羊一に謝ってばかりだ。
朝食を給仕する羊一に朝陽は首を垂れる。
羊一はさっきから湿布を張った頬をさすっている。びっくりした朝陽が衝撃のあまり、羊一を平手打ちしてしまったのだ。
傷を一つ増やしてしまった。
「だ、だって、起きたら羊一が……」
先ほどまでのはこうだ。先に目を覚ました羊一が寝ている朝陽に抱きつき、同じように寝ぼけながらも朝陽は羊一に手を伸ばした。
しばらくはそのままだったが、そのうち羊一が朝陽の頭を撫でたり、キスをして──しまいには、
「あの、さっき、耳の後ろ、なにしたの……?」
チクリとした痛みが走ったが、なにをされたのかわからない。鏡で確認したが、痛んだ箇所が自分では見えなかった。
「大丈夫です、髪を上げなければ」
パキっと羊一はそう言うだけだった。これは、答えてくれないときの羊一だ。
朝陽は耳の後ろをさすった。腫れてもいない、けれど感覚だけが残っている。
(モヤモヤする……)
納得のいかない目をした朝陽は羊一をじとっと見つめた。
「朝陽、そんなことより体調はどうですか?」
”そんな”くらいの軽いことにして、羊一はこの話を流そうとしている。
「……昨日よりは、大丈夫」
まだ話は終わってないのにと思いつつも、答える朝陽に
「そうですか、よかった」
羊一は安堵の表情を浮かべた。
もしかして羊一は、魔力不足になっている自分のためにケアしてくれていただけなのではないか。
そう思うと、申し訳なさがにょきにょきと伸びてくる。
「羊一、顔、冷やそう。氷、準備する?」
「大丈夫ですよ。父上にぶたれた時の方が何十倍も痛いですから」
「……確かに」
本家にいた頃、まれに玄一が羊一を打つところを目撃したが、あまりの勢いに羊一がなぎ倒されてしまうこともあった。
それと比べれば随分と脆弱だろう。
思わず朝陽はふふっと笑って、すぐに不謹慎だったと笑うのをやめた。
その様子に、羊一はほっとした。
(よかった、昨日のことでお気持ちが沈まれているかと思ったが、笑ってる)
その温かな視線に気づいた朝陽も、羊一を見上げた。
「今日、羊一、機嫌いい?」
「そう見えますか?」
「うん。いいこと、あった?」
「それは──」
羊一は口から出そうになったが、ハッと気づいた。
(朝陽が甘えてくれたのと、キスしたことに喜んでるなんて言ったら……口をきいてくれなくなるかもしれない)
瞬時にこれは言ってはいけないと判断し、それ以外を述べることにした。
「朝陽が、俺とずっと一緒にいてくれると言ったからです」
本当に、嬉しく思っている。一方的じゃない、二人の”約束”できたから。
「それだけ?」
そんなことが嬉しいの、と朝陽はきょとんとした。
「俺にとっては大事なことです」
「……そう」
噛みしめるように羊一は喜んでいる。羊一がふわふわうきうきしているのは、絶対に朝陽でなくてもわかるだろう。
角もいつもの朗らかさに加え、大草原を駆け巡るような自由さと愛らしさがある巻き加減になっている。
(……羊一が、かわいい)
それに、自分と一緒にいられることでそんなに喜んでるのかと思うと、くすぐったい。
ちらちらと羊一を見つつの朝食は、いつもより時間がかかった。
さっきから、いつもより視線が気になる。
それは羊一の美しい顔に傷(や湿布)があることも要因ではあるが
「朝陽、本当に行くんですか?」
「行く」
今日は学校を休んではどうかと羊一は言う。
「……せめて、今日は、今日からはお迎えに来ていいですよね?」
「……」
なんだかんだ理由をつけて中等部まで見送りに来た羊一が、朝陽を困らせる。
ご機嫌モードは引き続きで、学校に来てからの外面執事の無表情になってからも陽気な感じが漏れ出ていた。が、いざ離れるとなるとこれだ。
若竹の君が微笑まれているとこそこそ話す声が朝陽の耳には入ったが、今はなんだか膨れていてかわいいと聞こえてくる。
当の羊一は全く聞こえていないようだが。
(帰り、迎えに来られたら、すごく見られるだろうな)
人から視線が集まることが嫌なのではなく──目の前の羊一を見上げた朝陽は、返事ができないでいた。
「……朝陽は、私が迎えに来るのがお嫌なのですか?」
「そういうわけじゃなくて」
ムスッとしていた羊一は、段々としゅんとしてきた。
昨日あんなことがあったんだから、護衛のためにも羊一は迎えに来ると言っているってわかってる。頭ではわかってるのに、心がついていかない。
「校内だし大丈──」
「嫌です。ダメです。絶対に迎えに来ます」
外面なんて忘れた羊一が、朝陽が言い終わるより前にその手を掴んだ。
「羊……」
朝陽は羊一から、執事として絶対曲げるつもりはないという意志の強さを感じた。
(そう、だよね。さすがに昨日の今日だし、油断しない方がいいのは当たり前のことだ)
考え直した朝陽はわかったと言おうとしたが、その前に羊一が顔を寄せて来た。
「俺、今日からは絶対に迎えに来ますから。ひとりで帰っちゃダメですよ」
羊一は耳元でそうささやいてから、さっきと同じ、耳の後ろに軽いキスした。
「……なっ!?」
「それでは朝陽、後ほどお会いいたしましょう」
一礼後、何事もなく高等部へと向かった羊一とは反対に、周りのざわめきは大きかった。
けれどそのざわめきは、朝陽の耳には入って来なかった。
朝陽はしばらく、赤い顔をしてその背中を見つめていた。
「朝陽、今日もすごかったらしいな。なんか顔こすりつけられたって?」
「どこからそんな噂聞くの……」
机にへたりこんでいると、前の席に煌が座った。
きっと噂は尾ひれがついていくんだとは思うが、本当のことを言われるよりはいいだろう。
「いや、歩いてるだけで聞こえてくる」
煌が指差す方に目をやると、廊下で固まって話す子達の姿が見えた。子犬みたーい!と黄色い声を上げている様子に、羊一のことを話しているのは想像に難くない。
「みんな、羊一のこと好きだよね……」
「あの顔だからな。遠くから見てる分には目の保養なんじゃねぇの?」
羊一が注目を集めるのなんて今に始まったことではないが、朝陽は不満げだ。
(羊一は顔だけじゃないのに。顔よりも──)
深いため息をついた朝陽が再び机に突っ伏すと、そっと耳元を指でさらわれた。
煌かと思って少しだけ顔を上げると、煌は朝陽の机にひじ掛けていた。後ろを見上げると、いつの間にか朝陽の横に立ていた智秋だった。
「智秋君、おはよう」
「おはよう、朝陽。羊一さんにいたずらされた?」
煌には聞こえないようにか、智秋に耳元でそう言われて勢いよく起き上がった朝陽は、自分の耳元を触った。
朝陽も口元に手を当て、智秋に小声で返した。
「どうにかなってる?僕、自分じゃ見えなくて」
「大丈夫だよ」
「そう?」
「なぁ、二人してなんだよ?」
仲間外れにされてぶすっとした煌に
「なんでもないよ」
にっこり微笑んだ智秋は、そのまま自席に向かった。
(羊一さんも大胆だなー、キスマークつけるなんて。まぁ、髪で見えはしないけど)
ちらりと後ろを振り返ると、耳元を気にする朝陽に煌がなにやら話している。
(煌は鈍いから気づかないだろうし)
主人に恋慕するなんて羊一も大変だと思いつつ、智秋はテキストを机にしまっていった。
(──いや、人のこと言えないな)
もう一度ちらりと振り返ると、智秋の視線に気づいた朝陽が小さく手を振った。それを見た煌が、智秋を呼ぶ。
(まさか、こんな関係になるとは思わなかったな)
はいはいと言いながら、智秋は二人のもとへ戻った。
「──東雲朝陽です。……よろしく」
うつむきながら挨拶をした声は、小さすぎて何を言っているか聞こえなかった。
転校生の名前を教師が書いた時点で、教室内はざわめいた。
なんせ”東雲”の名を知らぬ者など、この学校にいないだろう。古くからの名家であり、今も国を動かす側の御家だ。
普通なら、こんな都の中心から離れたようなところに来るわけがない。
(──しかも、なんでこんな時期に)
大きな驚きの中にありながらも、智秋はじっとその転校生を見つめていた。
午前の授業が終わり昼休みに入るも、転校生に話しかける者は誰もいなかった。
(みんな、様子を窺っているんだ)
智秋もその一人。
周りは普段通りにしているつもりかもしれないが、ちらちらと様子を窺う者もいれば、触らぬ神に祟りなしと教室からさっさと出て行った者もいる。他クラスから噂を聞きつけ、見に来る者もいた。
(さて、僕はどうしようか──)
話しかけ、万が一仲良くなれば利があるかもしれない。けれどもし気分を害してしまったら、家に迷惑をかける事態になってもおかしくない。それくらい”東雲”は力を持っている。
将来は家を継いで、煌と二人で事業を続けていくつもりだ。東雲を味方に付ければ、販路も事業も拡大していけるかもしれない。
けれどそのために学校生活の間、ずっとおべっかを使い、相手の機嫌を気にするなんて──と、言ってる場合じゃないか。
旧家名家の子息令嬢と違って、こちらはただの商家の息子。伝手もコネも多い方がいいと、諦めて立ち上がろうとした。
「なぁ、お前昼は?」
声の方に目を向けると、なんと煌が転校生に声をかけていた。
話しかけられた転校生は座ったまま、首をかしげている。
「昼、なんか持ってきてんの?」
(……そんなフランクに話しかけるなんてっ!?)
ぎょっと驚いた智秋は、急いで立ち上がった。
話しかけるなんて無礼だ、非礼を詫びろと言われてもおかしくない。
「……昼、は、持ってきてる」
肝が冷える思いでどう謝ろうかと考えながら煌のもとに向かう智秋は、転校生のその淡々とした返事に足が止まった。
「そっか。じゃあ食堂行って食おうぜ。智秋、行くぞー」
「……あ、うん」
ゆっくりと立ち上がった転校生は、煌の視線の先にいた智秋をじっと見つめた。
食堂に入るなり、無遠慮な視線が集まった。
「席どっか空いてるか?」
キョロキョロと空席を見つけようとする煌もさすがに気づいているようだが、智秋はその視線の量に思わず周りを見回した。
あれが東雲の、なんて潜めた声も聞こえてくる。
(──いつも、こんな視線の中にいるんだろうか)
当の朝陽はさっきからぼーっと前方を向いているだけだ。
「あ、あそこ空いてるわ」
何食わぬ顔で窓側のテーブル席を指した煌は、
「智秋、俺こいつと席取ってるから、ランチ持ってきて」
「えー?」
煌の分のランチを頼まれたこともだが、煌と転校生を二人にするのも心配だ。だが、自分が転校生と二人にされるのも困る。
不満と不安の入り混じった声が出たが、隣に並ぶ転校生の視線に口を閉じ、代わりに軽く息を吐いた。
「わかったよ、どれ?」
「今日のランチな」
「はいはい」
注文したら席に持ってきてもらえるか聞いてみようと思いつつ、智秋はカウンターに向かった。けれど、そんな例外は認めませんと、智秋は出来上がるのを待ってから、二人分のランチをカートに乗せて戻った。
「こいつ、智秋な」
煌の隣に座ると、転校生に紹介された。
「朝陽は家、こっから近いん?」
「ちょっ……!?」
なんでそんな軽いんだよと、智秋は思わず箸を落とした。
「うん」
転校生は、なにごともなくこくりと頷いて、手にしていたサンドウィッチを口に入れた。そのまま転校生はもぐもぐと食べていたが、智秋の様子に煌の頭にはてなが浮かんだようだ。
「なんだよ?」
「いきなり呼び捨ては……」
ちらりと転校生を見るも、変わらずもぐもぐ食べてるだけ。
「呼び捨てでいいって。な?」
「うん」
転校生は、なにごともなく頷いて、またサンドウィッチを口に入れた。
その様子に、智秋は違和感を抱いた。
(──ぼーっとしてるっていうか、感情が見えない)
虚ろな瞳、表情もない。言われたことに、こたえるだけ。
食堂に来るまでも、校舎を移動してもあたりを見回しもせず、ただ前を向いているだけ。何かに興味を持って、見ることもなかった。
名家だからって、気取らず気さくにってことはあるかもしれない。けれどそうでもない。
(なんていうか、苦手……、かも)
小さい頃からそばにいる煌のことは、よくわかってる。ガサツで面倒くさがりに見えても、実は他人のことをよく見てて、優しくて、自分のことより他人のことで怒る煌。
クラスメイトも明るく楽しく話せる子もいれば、話すのが苦手で、でもじっくり聞くとなにを言いたいのか分かる子もいる。
智秋はちゃんと話を聞いて、相手の話を汲み取ろうとする癖がついていた。それは小さい頃からケンカっぱやい煌が、なぜケンカをしたのか口を中々割らなくて、鍛えられたことにもよる。たいてい自分のためじゃない、でも誰かのためなんて絶対に言わないから。
相手の話を、相手の感情を読みながら話す。それは智秋にとって、自然なことだった。
でも、この転校生はそうじゃない。
「学校から、遠くない。歩いて帰れる」
「へー。俺ら遠いから車で通ってるんだけど、朝めっちゃ眠くて」
「そう」
聞かれれば答える。でも意思も感情も何も感じない。
「放課後、学校案内するわ。智秋も来るだろ?……智秋?」
「……え?うん」
考え込んでいたから、反応に遅れてしまった。
「放課後、残れない。早く帰るように、言われてる」
ぼそぼそと言う転校生に、少し驚いた。
(──思ったより、はっきり断るな。いや、言われていることを守ろうとしているだけで、本人の意志とは別、かな)
煌もきっと同じだろう。ポワレを切っていた手を止めて、じっと転校生を見ている。
「んー、じゃあ明日は?」
「……聞いてみる」
手を拭いた転校生は、ゆっくりと水を飲んだ。少し間があったのは、一度断ったら次があると思ってなかったからだろうか。
それからも、ほとんど煌が話していた。煌がなにか尋ねると、転校生も返事をした。でも自分からなにかを尋ねることはなかった。
煌と転校生のやり取りに、不自然にならない程度に会話に入りつつも智秋は頭を動かしていた。
(そういえば、弟の方は病弱って聞いたような)
自分が知っている東雲の話なんてほんのわずかしかない。その少ない情報の中でよく聞く話とすれば、若くして頭角を現している東雲絢斗のこと。弟の話なんて聞いたことがない。多分、社交界に顔を出したこともないのだろう。いれば社交界に顔を出したクラスの子息令嬢たちが、翌日にでも”東雲家の人と話した”とでも自慢しているだろうし、今日も我先に駆け寄っているだろうから。それもないということは、智秋と同じように出方を窺っているはずだ。
(だとすれば、療養のために転校してきたんだろうか。でもそんな感じもしないし──)
考えても仕方ないと思いつつ、智秋はランチを口にした。
「だいたいわかったか?」
「広いということが、わかった」
次の日から三日に分けて、煌は転校生に校内を案内をした。智秋も煌に呼ばれ一緒に案内するも、まだ転校生への苦手意識がぬぐえない。
「前の学校より広いん?」
前を歩く煌と転校生の後ろを、静かに智秋は歩く。
「行ってない」
「へ?」
転校生に、煌は間が抜けた返事をした。
「行ってない、学校」
「……じゃあ勉強とかどうしてたんだよ?」
「教えてくれる人が、いた」
変わらず淡々とこたえる転校生にズケズケ聞く煌に、もしかしたら深刻な話かもしれないのに、と智秋は煌を止めようとした。
けれど、転校生の顔が見えて、やめた。
(笑ってる──)
本当に、うっすらとだった。見る人が見たら、無表情と思うかもしれないほど、ほんのわずかな笑みだった。
「そっか」
「うん」
煌の肩に手をかけようとした手を、智秋はそっと下ろした。
それでいい気がしたから。
転校生が来てから1ヶ月しても、煌は変わらなかった。むしろ、移動教室のときも、休憩時間も、煌は気づけば転校生のそばにいた。なにかあるたびに、いやなくても、転校生に自分から近づく。早くも媚びてる、なんて陰口も聞こえるほどに。
けれどその成果か、転校生も煌へは少し表情を見せるようになってきた。
智秋はしばらく傍観していたが、どうもおかしい。
「ねぇ、なんでなの?」
「あ?」
帰りの車が来るまで、なんでもない話のふりをした。
「どうしてあの転校生にかまうの?」
「……おかしいかよ?」
「うん」
どう考えてもおかしい。転校生のような名家中の名家の人間に煌が自分からいくなんて。
そのうち仲良くなる、ならあるかもしれない。けれど煌はたまに呼ばれる母方の生家のパーティーに行くのも、そこでお行儀よくしていなくてはならないのも、話し方ひとつでさえ気をつけないといけないのも、ひどく窮屈で嫌がる。そんな煌が、普通なら恭しく接しなければならない人に、こんなにフランクに、しかも自分から交友関係を結びにいくだろうか。
「ね、なんで?」
煌は首をポリポリとかいた。智秋は「なんで?」「どうして?」と何度も聞いた。
「………あいつは、いいんだよ」
「いいって──」
聞き返したけど、もうこたえてはくれなかった。ただ静かに、煌は微笑むだけだった。
「ま、いいだろ」
「……」
見たこともない、その煌の大人びた表情に、智秋は言葉がなくなった。
「あ、車来た。行こうぜ」
「……うん」
煌にそんな顔をさせる、あの転校生は、煌にとってどういう存在なんだろう。
もしかして──
「ねぇ?」
「あ?」
「あぁいう子がタイプなの?」
「………熱でもあんのか?」
信じられないくらい、呆れた顔した煌が智秋の額に手を当てた。智秋はひどく不服だった。
この状況をどう活かしていくか、何度聞いてもちゃんとこたえてくれない煌があの転校生をどう思っているのかとモヤモヤ考えながら歩いていると、校門前がいつもと違って人だかりができているのに気づいた。
「今日なんかあった?」
聞かれた煌もわからず、首を振った。
何事かと周りを見回していると、どうも校門前にいる生徒に視線が集まっているようだ。
(あれは、高等部の制服……?)
智秋がその生徒に目をやっていると「あ」と小さく転校生の声がした。
「ごめん。僕もう行くね」
「おー、また明日なー」
煌がそう言うも振り返りもしないで、転校生は校門へと走っていった。
智秋は不思議な感じがした。転校生が自分から動くなんて初めてのこと。
どうしたんだろうかと目で追っていると、その生徒の方へと向かっている。
転校生がその生徒に近づくと
(わっ──)
顔を上げたその生徒を見て、智秋は息をのんだ。
(綺麗な人)
転校生に話しかけているその人は、ただそこにいるだけで目が惹かれる。
立ち振舞が美しいのもあるが、その人自身が美しい。顔立ちもそうだが、長い手足と体のバランスもすごくいい。
注目を浴びるその生徒は朝陽の前にひざまずき、朝陽の手に軽く口づけた。
そのやりとりに、智秋はポカーンとした。
(なんていうか、普通のことのように、しているけど……)
しばらく二人を見ていると、やたらと見目麗しい男が転校生の頭を撫でた。
(東雲家の人にあんなことできるなんて、どういう人だろうか)
そうして見ていると、その男と目が合った。
「ごきげんよう。朝陽のクラスメイトの方でしょうか?」
男がそう言うと、転校生が振り返った。
「いつも、よくしてくれる。煌君と、智秋君」
まさか転校生の方から紹介してくれるとは意外だ、と思っていると麗しい男が胸に手を当てて礼をした。
「はじめまして。わたくし、朝陽の執事をしております柊羊一と申します。以後、お見知りおきを」
それを聞き、なるほど、と智秋は納得がいった。
東雲家に代々使える柊家、そこにやたらと美しい人がいるというのは耳にしたことがあった。絢斗の付き人としてその人が出席するパーティーでは、女性客のお目当てはまず柊だと。
これが噂の、とまじまじとその男と見た。
智秋の視線に気づいた男がにこりと微笑むと、後ろの方で騒がしい声が聞こえた。誰か倒れたようだ。
「ひつじ~?」
「違う、執事」
煌のなんじゃそりゃと言わんばかりの声に、すぐに朝陽が修正を入れた。
「僕の面倒を、見てくれてる」
「ふーん」
「今後はたびたびお会いするかと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。……それにしても、意外な方と仲良くなられたんですね?」
「……どういう意味?」
「煌様のようなアクティブな方と仲良くなられるのは初めてではないですか?」
「それは、そうかも」
うんうんと頷く朝陽とは、違う印象を智秋は受けていた。
含みを持たせたような言い方が、羊一がただ言ったままの印象だけで煌をとらえているわけではないと思えた。
隣に並ぶ煌は何も言わなかったが、羊一をじっと見ていた。
それが知らない煌を見ているようで、なんだかこわかった。
「それでは、失礼いたします」
なにごともなかったように、にこやかな挨拶をした羊一は朝陽の肩に手をまわし、二人は帰っていった。
「執事がいるなんて、僕達とは住む世界が違うね。……煌?」
羊一が煌のなにを指していたのかは、わからない。けれど、自分が知らない煌を見ているのだけはわかった。
そのまましばらく、煌は考えこんだままだった。
翌日、学校に着くなり煌は「ちょっと行くとこあるから!」と猛ダッシュでどこかに行ってしまった。たまにあることだけど、いったいどこに行っているのかと毎度怪しんでしまう。グラウンドでサッカーしてることもあるが、そうでもないことの方が多い。
校舎へと向かっていると、もう見慣れた後ろ姿があった。
それでもどうしようか、と逡巡した。けれど──
「朝陽、おはよう」
少しの緊張を押し隠して、智秋はその背中に呼びかけた。
一瞬、その背中が強張ったように見えたけど、ゆっくりと振り返った。
「おはよう、……智秋君」
「今日は早いね」
「課題、忘れて」
いつものように、転校生は淡々として、無表情だ。
追いついた智秋は、隣に並んで校舎へと向かう。
(──さて、どうしよう)
張り付いた笑顔を保ったまま、智秋は何か言わないとと焦る。
「……今日は、煌君は?」
けれど、先に話しだしたのは転校生の方だった。
「煌?煌は着くなりどっか行っちゃって。サッカーでもしてるんじゃないかな?」
朝から元気だよね、なんて言いながら転校生を見た。
「……うん」
少しうつむいた転校生は、鞄の持ち手をぎゅっと握って、耳を赤くしていた。
今まで、なんで見えていなかったんだろうかと思った。
(──あぁ、そうか)
学校に通っていなかったと言っていた。同じ年齢の人と話すのも慣れていないのかもしれない。学校自体も、自分達にとっては当たり前で普通のことでも、この子にとっては初めてのことばかりで、緊張も、心細さもあっただろう。
自分の苦手にばかり気を取られて、相手を見れていなかった。
(……煌は、こういうところもわかっていたのかな)
「朝陽は、お昼持ってきてる?」
智秋が聞くと、ふるふると転校生は首を振った。
「今日は月に1度の特別なランチの日なんだ。先着だから、昼は急いで食堂に行こうね」
「……うん」
笑って話しかける。それだけで、少し和らいだ表情を朝陽は見せた。
「はじめて、だね」
「なにが?」
「名前、呼んでくれたの」
そうだったかな、と智秋は頭を巡らせ、反省しなければな、と思った。
今まで”東雲家”や”転校生”といった符号で見ていた。朝陽自身を、ちゃんと見れていなかったところも多いだろう。
「呼び捨て、だめだった?」
そう聞くと朝陽はふるふると首を振った。
「……うれしい」
朝陽のそのはにかんだ様子に、智秋も和らいだ。
(なんだ、笑えるじゃないか)
「だからさ、昼はすぐ食堂だからな」
煌は今日の限定50食スペシャルランチ、スリランカカレーが絶対に食べたいという。
「僕、今日は走れないから難しい……」
「なんだよ、今日はって」
「…………」
煌の素朴な疑問だったが、朝陽はこたえたくないらしい。
ちらりと朝陽が視線を向けて来た。
「煌、僕達は普通のランチ食べたいから、煌先に食堂行ってて。僕達はあとからゆっくり行くから」
「えー?お前ら食べないのかよ?」
「辛いの、苦手……」
「僕も。だから僕達は美味しく日替わりランチを食べるから、席の確保もよろしくね」
不満そうな煌だったが、わかったよ、と自席に戻っていった。
「ありがと、智秋君」
「ううん。こういうときは、僕達はちゃんと別に食べたいのがあるからって言うのがポイントだよ」
ふざけながらそう言うと、朝陽がくすりと笑った。
今の朝陽は、転校してきたときとは全然違う。表情も感情も、素直に出てくるようになった。
そして自分自身も、枠組みで人を見るのではなく、その人自身を見ること、知ることの大切さを知った。
朝陽は素直だけど不器用で、口下手で、他人を慮ってばかりで、自分の気持ちを置いてきぼりにするから、自分の心が自分で分からないことも多かっただろう。きっと、自分の羊一への想いも、羊一からの想いも、気づいていないだろう。陰ながら、応援したいとは思っている。
もしかすると学校を卒業したら、社会に出れば身分相応に付き合わなければならないかもしれない。だからそこ今は、ただの友人として、共に過ごすこの時間を大切にしたい。
「煌君、辛い物好きなんだね」
「あれは普段甘いものばかり食べているから、その反動が来てるんだよ」
なるほど、と朝陽は智秋を見上げた。
「やっぱり、煌君のことは智秋君が一番よくわかってるね」
「……そうでもないよ」
智秋はすっ、と煌へと目を向けた。自席で肘を付いて座っている煌は、ぼーっと窓の外を見ていた。最近、そうしている時間が増えたように思う。
智秋自身、煌のことは自分が一番わかっていると思っていた。
けど──智秋も知らない、いや、他の人も知らない煌を知っているのは多分、朝陽のそばにいるあの美しい人だけ。
だから煌も、あの人への態度だけ、他の人と少し違うのだろう(執事自体を胡散臭がっているところもあるが)。
「智秋君?どうしたの?」
「……なんでもないよ」
寂し気な笑みを浮かべた智秋の、その理由を朝陽はまだ知らない。
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