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執事の羊くん  作者: 碧瀬まど
第2章

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迷う今、戻って来た日常

「はぁ、はっ、はぁっ…」


息を切らせ、朝陽は足が絡まりそうになりながらも走る。


「向こうだ、周りこめっ!」

「早くしろ、あいつが来る前に捕らえるんだ!」


何人追いかけてきているかもわからないまま、朝陽は倉庫街を逃げ回る。

ここは学校から街を抜け、大広場を9時の方向に曲がり、その先の市街を抜けた先の港。今日は船の出港も少ないのか、もともとあまり人が寄り付かないところまで連れてこられたのか、誰ともすれ違わない。


(どこか、誰か……)


朝陽は周りを確認し、扉が開かれた倉庫の中の、材木が乱雑に置かれている陰に隠れた。

手で口を抑えて息を殺すも、これもただの一時しのぎ。朝陽を追った男たちの足音が遠ざかってから、周囲を確認した朝陽はそっと来た道を駆け戻った。





(よく眠れなかった……)


”あぁ、お気になさらないでください。いつも魔力を渡そうと思ってキスしてたわけじゃないんで”


どういう意味で羊一は言ったのか。それを考えて、眠れぬ夜を朝陽は過ごした。

やっと寝れたと思っても、羊一と過ごした日々が夢にまで出てくる始末。

おかげで朝陽はカーテンから漏れる陽光にさえ、目を細めることとなった。


「朝陽、どうされました?」


ダイニングキッチンで朝食を作る羊一におはようと声をかけると、すぐさまギョッとした顔の羊一に呼び止められた。

心配そうに覗き込む羊一は、朝陽の目元にそっと触れる。


「クマがありますね。眠れませんでしたか?」


体調が悪いのかと思ったのだろう、羊一は熱はないかと朝陽の顔や首に手を当てた。


「朝陽、熱いですよ。今日は学校をおやすみになられた方がいいです」


そう言ってくる羊一に、ムッとした目を向けた。


(羊一のせいだ……)


寝れなかったのも、触れられて体温が上がったのも、朝からこんなにドキドキしてしまうのも。

でも、そんなこと言えない。

朝陽は体の奥から、深く息を吐き出して、眠たくも、恨めしくもある目で羊一を見た。


「ちょっと夢見が悪くて……。体調は悪くないから、学校は行くよ」

「……はい」


しゅんとされてしまった。心配してくれるのはありがたいが、今は羊一がそばにいるのが一番困る。





教室に入ると、煌もよく眠れなかったようだ。普段の覇気もなく、どこかぼーっとしている。


「ゲームでもしてたんじゃないの?」

「そんなんじゃねぇよ」


と智秋に言い返す煌の語気も弱い。

はぁ~、とため息をついて机に突っ伏した煌は、そのまま動かなくなった。

脱力感のある煌の額に、智秋が手を当てた。


「熱はないみたいだね。保健室で寝てくれば?」


煌はそんなこと言われるとは、といった顔で智秋を見上げた。


「サボっていいのかよ?」

「どうせその調子じゃ、授業聞いてても意味ないでしょ。1限目の内容は帰ってから僕が教えるから、2限目からはちゃんと受けられるようにして。ほら、保健室行くよ」


智秋は煌の手を取って、立ち上がらせようとした。


「いや、いーよ。自分で行ってくるから。じゃあよろしく……ふぁっ」

「はいはい、あとで迎えに行くからね」


背を向けながらひらひらと手を振った煌は、大きなあくびをしながら教室を出て行った。


「まったく、なんであんなクマできたんだか……朝陽?どうしたの?」

「……僕も、朝、羊一に同じことされた。額に手、当てられて、体調悪いのかって」


きょとんとした目を向ける朝陽に、智秋はふっと笑った。


「朝陽は、羊一さんと話せた?」

「うん、一応は……」

「歯切れ悪いね」

「ちょっと、別の問題が出てきて……」

「どうしたの?」


問いかける智秋に、朝陽は口ごもった。

さすがに”キスって、どういう相手にしたいと思うもの?”なんて、聞けやしない。

そして、智秋に答えてもらいたいかというと、ノーになる。


「あ、予鈴鳴っちゃったね。朝陽、また後で」

「うん……」


席に戻った朝陽は、テキストを用意しつつ、今朝のとこを思い出す。


「ねぇ、羊一?」

「はい、なんでしょう朝陽」


万が一じいに聞かれては困るので、朝陽は別宅を出てから街に着くまでの間に聞いた。

昨日の夜から、聞こうと思っていた。寝不足で頭がぼんやりしてたのが、逆によかったのかもしれない。普段だったら、きっと色々考えすぎて聞けなかっただろう。

ほやんとした感じで、朝陽は問いかけた。


「羊一は、僕のこと、好き?」


そんなこと聞かれるなんてと、驚いたのだろう。羊一はピタッと足を止めた。

そうして、花が咲きほころぶような笑みを浮かべた。


「はいっ、大好きです!」


喜びにあふれた返事をした羊一は、後光がさしているのではないかと思うほどまぶしかった。


「そ、そう、ありがとう」


ただ言葉が足りなかった。主人としてなのか、友人として、あるいは恋愛対象として好きなのか、全くわからない。

けれど聞かれた羊一はうれしかったのだろう、朝陽の手をきゅっと握って、ニコニコしている。

必要以上に触れあうのはやめようと言おうかと思った。けれど”俺だって、距離を置かれると、傷つく”と言われたことを思い出し、結局丘から降りるまで朝陽は羊一に手を預けたままだった。


(羊一はすぐ、僕にくっつこうとしてくる。小さい頃はそうやって落ち着かせてくれてたから、癖になってるのかな?でも急にやめると傷つくっていうし……)


テキストに顔をうずめながら、朝陽は今日も授業に身が入らない。





「朝陽、これはよくないね」

「……僕もそう思う」


智秋が朝陽の小テストの結果に、バッサリと言い放った。

平均より少し悪いくらい。けれど普段の朝陽の点数からすると全然よくなかった。

最近、羊一のことで授業に身に入らなかった結果の表れともいえよう。

おかげで課題提出をすることになり、羊一には帰りは煌の車で送ってもらうから先に帰るように伝えた。


「わからないとこあったら言ってね?」

「うん、ありがとう智秋君。でも──」


ちらりと朝陽は智秋の隣に座る、頭をかかえた煌に目をやった。

智秋からもどことなく、不穏な空気が出ている気がする。


「あの、僕、なるべくテキスト見てするから」

「そうだね、朝陽はそれでできるもんね」


ギラリとした目を向けられた煌は、苦々しい顔をしている。


「わかんねぇとこがわかんねぇから、なんもわからん」

「授業中なに聞いてたの?」


怒りながら微笑む智秋は恐い。

しばらく黙々と課題を進めていた朝陽(向かいの席では智秋が煌にスパルタで教えている)であったが、そういえばと顔を上げた。


「智秋君、生徒会は?」

「今日はおやすみ、あとは前日にもう一度確認する予定なんだ」


朝陽は首をかしげた。


「なにかあるの?」

「あー、そっか。朝陽は初めてだもんね」


智秋は鞄からパンフレットを取り出した。


「週末に街をあげて春を迎えるイベントがあるんだ。その日は歩行者天国で路面にお店がたくさん出るよ。もちろん、僕達の家もその日限りの特別なケーキやアイスを提供したり」

「そうなの?」


パンフレットを受け取った朝陽はソワソワしだした。


「よかったら朝陽も来てよ。煌はお店の方にいるけど、僕は生徒会の子たちとボランティアで道案内とか学校の紹介してるから、当日は会えないかもしれないけど」

「うん、聞いてみる」


帰ったら、羊一に行ってもいいか聞いてみよう。

もらったパンフレットを鞄にしまうと、智秋がじーっと朝陽を見ていた。


「なに?」

「朝陽は、どこに行くのも許可が必要なの?」

「え?」

「さっき、聞いてみるって」


智秋に不思議そうに聞かれて、あぁそうだった、と思い出した。

こくりと頷く朝陽に、そっかと智秋は言った。

どう受け取られたかはわからない。けれど、それ以上は聞かれなかった。





「じゃあ、また明日ね」


先に課題が終わった朝陽は、教室を出て、課題を提出し、図書棟に向かった。今日みたいに羊一を先に帰らせることは少ないから、都合がいい。

図書棟へは授業以外で初めて来た。放課後だから人が少ないかと思いきや、意外と席は埋まっている。木造の3階建ての図書棟は、大きな窓ガラスが壁一面にはめ込まれており、穏やかな光が心地よい。

円状に置かれている本棚を見回しているうちに目的の分野にたどり着いた朝陽は、誰もいないのを確認してからこっそり1冊取った。そしてもう1つの分野の方では初歩的なものから専門書まであり、数冊見比べてからある分野に特化した本を手に取った。


(これと、これを読めば、なにかわかればいいけど──)


朝陽は真剣に本を見つめていた。だから、気づけなかった。


「あーさひ」


びっくりして肩を震わせた朝陽を後ろから抱きしめるのは、ひとりしかいない。


「羊」


とっさに朝陽は本を腕で隠した。


「今日は、智秋様と煌様と一緒、ではないのですか?」

「そう、だね」


羊一にも秘密で借りたかったから、わざわざ送るという煌の申し出を断ったのだ。


「本選びの時間くらい、待ってますのに。なにをお借りになるんですか──心理学と……恋愛小説?」


全然隠せてなかったようだ。見つかってしまい、朝陽は全身からぶわりと汗が噴き出した。

羊一が自分にどういう感情を向けているのか。誰かに相談するとしても、まずは自分で調べようと図書棟に来たのだ。

羊一には、羊一にだけは知られたくなかったのに、見つかってしまった。

羞恥いっぱいで朝陽は羊一から離れようと身をよじった。けれど静かにしていなければと思うと、小さくしか動けない。


「羊、先に帰ってって僕言った」

「えぇ、ですが朝陽の護衛も業務ですので、従うわけにはいきません」


羊一は全く離してくれない。朝陽の抵抗なんてものともしてない。小声でお小言を言うも、それすら羊一には嬉しそうにされる。

段々と怒っているのか、恥ずかしいのか、自分でもわからなくなった朝陽は、感情がパニックになってしまった。

羊一をキッと見上げた朝陽は


「『僕一人で帰るから、羊一は下校のチャイムが鳴るまで図書棟から出ないこと!わかった!?』」


無意識のうちに全霊服従を使ってしまった。


「……はい」


見事に力を受けた羊一は、捨てられた子犬のような目をして、図書棟から出て行く朝陽を見つめていた。





(まったく羊一は、全然僕の言うこと聞いてくれない)


プンプンしながら朝陽は街を早足で通り過ぎようとしていたが、ふと、あたりを見回した。

週末のイベントに向け、店頭を飾るお店や、店員がお客さんとイベントの話をしている様子も見られ、街中が華やいできている。

外界と閉ざされた場所にいた朝陽は、こういったイベントに行ったことがなかった。それはきっと、いつも朝陽とともにいた羊一にとっても同じだろう。


(……帰ったら、ごめんねって言って、一緒に行きたいって言おう)


きっと喜んでくれる。そう思いつつ、さっきの悲し気な羊一の姿が浮かんだ。


(無意識でも、力を使ったのはよくなかった)


羊一が自分のためにそばにいるのはわかっている。それなのに、感情をコントロールできなくて力を使ってしまうとは。

緊急時以外、力を使わないように日頃から気をつけている。それなのに──自分の未熟さに落ち込んで、朝陽は足を止めた。


「東雲朝陽くん?」


呼ばれた声に、朝陽は顔を上げた。


「……あ」


朝陽の前には、優しげで、でも目が笑っていない男が立っていた。


「探してたんだよ、ずっと。本家から離れてこんなところにいるだなんて、そりゃなかなか見つからないわけだね」


気味の悪い笑みを浮かべた男は、じりじりと朝陽ににじり寄った。

距離を取るように朝陽も後ずさると、背にぶつかるものがあった。気づけば朝陽は、ピエロのお面に大きなイヤフォンをつけた男達に囲まれていた。

周囲から視線が集まるも、イベントの準備だろうと通り過ぎられる。


「逃げたら、わかるよね?」


男はスーツの内側から、鉱石を取り出した。それは火炎性の攻撃力のあるもので、そんなものをここで使われたらどうなるか──。


(この人だけなら、力を使って──)


緊急時は力を使ってでも、なんとしてでも逃げるように小さい頃から言われている。そうでなければ、捕まってしまえば、なにをさせられるかわからない。朝陽の力は、他者も、魔物も、服従させることができるから。

朝陽が男に力を使おうとすると、視界の端に手が伸びてきた。

その手には、魔力を無効化する鉱石が握られていた。鉱石も、ピエロのお面もイヤフォンも、全身を覆う服装も、朝陽の力を対策してのものだ。


「さて、行こうか」


大人しく男についていくしか、選択肢はなかった。

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