お茶会と嘘
朝陽を早く迎えに行きたいと思いつつ、羊一は足止めを食らっていた。
一方、煌の家で朝陽はある決心をする──。
その頃、一身に羊一は思っていた。
(帰りたいっ!!早く帰って朝陽が今どこで何をしているのか一瞬一瞬を目に焼き付けたいし朝陽を早く甘やかしたいっ!!)
そんなこと思っている素振りなど露ほども見せず、余裕のある優雅な所作で、目の前のご婦人が点てたお茶をいただいていた。
「羊一さんさえよろしければ、次の週末もまたいらしていただけないかしら?一度わたくしどもの娘ともお会いしていただきたいわ」
「そんな、私にはもったいないことです。私はただ、東雲家に仕える身ですので……」
「そんなことおっしゃらずに。お仕えされていると言っても柊家も古くからの名家であることは変わりませんし、ぜひ我が家とも今後は──」
謙遜しつつ引き際を見はかろうとしていたが、相手も手ごわい。なかなか離してくれなさそうだ。
なんとしてでも娘と羊一を引き合わそうとするご婦人に、羊一は微笑みかけた。そうするとご婦人も、近くに控えていた使用人たちも羊一のその美しさに見惚れ、言葉を失った。
(今だっ!!)
このチャンス、逃してはならぬ。羊一はそろそろ失礼をば、と立ち上がろうとした。
けれど、そうはいかなかった。
しばらく正座していたせいで、足が痺れ切っていた。それこそ小鹿のように震えながら立ち上がろうとした。が、あえなく失敗。羊一は畳に手を付くこととなった。
「羊一さん、そう焦ってお帰りになることはありません。まずは足を崩して、そうだわ。よろしければお夕飯も食べて行ってくださいませ。おばあ様もお喜びになるわ」
「……お心遣いありがとうございます」
涙目で笑みを浮かべつつ、羊一は自分の足をぎゅっと握った。
(早く朝陽に会いたいのにっ!!)
自分の気持ちとは反対に、体は動いてくれそうになかった。
「僕と羊一のこと……?」
目を丸くした朝陽は、煌を見つめた。
「おー。昼間は途中になったろ?別にもう大丈夫ってんならいいけど」
フォークを振り回して、どっちでもいいようなフリをしている煌は、気にしてくれてるのだろう。
それは、朝陽がずっと考えているのを見抜いてのこと。
カラトリーレストにフォークを置いた朝陽は、少し考え込んだ。
煌の家に来るまで、そして煌の家に来てからも、羊一のことを考えなかった。いや、考えないようにしていた。けれど頭の片隅には確実にあって、その気持ちから逃げていることもわかっていた。
もうずっと、こういうことを繰り返している。
「……聞いてもらうだけでもいい?」
「おー」
「いいよ」
椅子に座り直した朝陽は、思った。
自分ひとりでぐじぐじと考えてるから悩むのだと。それならば、聞いてもらってるうちに、決められるかもしれないと。
「……ずっと2つの気持ちが目の前にあって、迷ってて」
それを決められないのは、朝陽の心が揺れているから。
今のままでいたい。でも、それだけじゃ足りない。それは喉が渇いて、焼けるほどの痛みになっている。
羊一の優しさに触れ、甘えて、欲しい気持ちが止まらない。もっともっとと求めてしまう。
いつもそばにいて。離れないで。
願うのは、ただそれだけのはずだった。足りなくなったのは、いつからだろう。
朝陽が願えば、羊一は朝陽の願いを叶えようとするだろう。
それが当然だから。
それが朝陽への、東雲家への柊家としての義務と忠義と使命だから。
そんなものは欲しくない。ただの従者として、そばにいて欲しいわけじゃない。主だから享受できるものじゃないものが欲しい。
だからこの望みは誰にも、まして羊一には言えない。言わない。叶えようと自分から動かない。けれど、切実に願っている。
その一方で、羊一の主として今のままではいけないと思っている。
東雲家に仕える柊家。それが揺るがぬように主として朝陽は、羊一を御せるようにならなくてはならない。
羊一に頼り切って、あの部屋から出ることなく過ごしてきた。閉じこもって、世間からも隔絶していた。ただ言われるままに過ごしてきた。
あの部屋から出ても、自分の不安定さから羊一さえ遠ざけようとした。羊一が案じる理由が、自分にはそれだけ多くある。
このままでは、羊一は何をするかわからない。羊一が自分のためにその身を犠牲にするようなこと、それを勝手に決めて、勝手に実行していたこと。そうさせてしまった朝陽は己がひどく不甲斐なく、悔しかった。その悔しさを、すぐ感じられないほどに。
だから、今までのように甘えていてはいけない。
わかっている。『東雲』としてなすべきことが、なにか。なのにうまくできない。
だって望むものは──
「朝陽は、その2つの気持ちをどう思ってるの?」
黙ったままの朝陽に、ティーカップを置いた智秋がそう聞くと、椅子にもたれかかっていた煌はまぁ食えよ、と朝陽のプレートにショコラムースのケーキを乗せた。
「僕?」
「そ、お前」
「なんで煌が言うの?」
「なんかいい感じだったから」
「……ちょっと黙っててよ」
(いいな……)
二人のように、何でも言い合える相手になりたいかと聞かれたら、そうかもしれない。けれど、そうはなれない。
生まれたときから、立場が違う。対等には、なれない。だからいつも、羊一とフランクに接する絢斗がうらやましく、時に苦く思っていた。
「それで、朝陽はどう思ってるの?」
「……僕、本当にずっと、羊一に甘えて生きてるんだ。ただ世話される以上に」
「うん」
「いつも羊一から与えられるばかりで、なにも僕から渡せるものもなくて」
「仕事でしてんだろ?だったらいいんじゃねぇの?」
「……羊一は、いつもそれ以上のことをしてくれるから。それをただもらってばかりじゃ、もういられないんだ」
ぎゅっとテーブルの下で手を握った朝陽は、静かに目を閉じた。
(前に、ずっとそばにいるって羊一が言ってくれたの、嬉しかったな)
本当に欲しいものじゃなくても、羊一がそばにいてくれるなら、羊一のそばにいられるなら──
「僕は──」
どうしたいかは、はっきりとしてある。それをしてもきっと羊一は受け入れてくれるだろう。
ただ、朝陽自身がそうすることを許せない。
「ずっと、迷ってた。けど──」
己の中の、もうひとつを選びたい自分が首を振る。
その扉をそっと朝陽は閉じた。
「もう、決めることにするよ」
目を開いた朝陽を見て、智秋と煌は目を見合わせた。
「だから、もう大丈夫だと思う。本当に聞いてもらうだけになってごめんね。聞いてくれて、ありがとう」
朝陽の心は、不思議と静かだった。
なにかを諦めたような悲しみも、寂しさもなかった。
「……それでいいのか?」
「うん」
「どっちかを、すぐに決めないといけないことなのか?」
「うん」
朝陽がそう言うと、煌が智秋の方を見たが、智秋はティーカップにゆっくひと紅茶を注ぎ、ミルクを入れている。
「おい、お前もなんか言えよ」
「そうだね」
紅茶を一口飲んだ智秋は、ゆっくりと味わってから口を開いた。
「本当に選ばないといけないの?」
「……」
「どちらかに絞ることも、煌の言ったようにすぐじゃなくて、徐々に変えていくのもありだと思うよ」
「それは、そうだと思う」
「だったら──」
「もうこれ以上羊一の負担になりたくないっ!」
思わず口から出た言葉にハッとして朝陽が顔を上げると、智秋も煌は驚いたように朝陽を見ていた。
「ごめん……」
「いいよ」
「……変わりたいんだ」
「うん。僕は、もうなにも言わないよ」
「おい」
「朝陽が決めたんだよ?」
智秋がそう言うと、納得してないように煌は黙り込んだ。
「でも朝陽」
「なに?」
「決めたら変えちゃいけないわけじゃないからね。変えたっていいし、他の道が見つかって、それがいいなって思えたら、そっちにしてもいいんだからね」
柔らかに微笑んだ智秋に、朝陽はなんと言ったらいいかわからなかった。
朝陽が何を選んだのか伝えていないのに、まるでわかっているような話しぶりだったから。
「じゃあこの話はこれでおしまい。というか、もう話せないだろうね」
「あ?」
智秋がそう言ってドアの方を見ると同じタイミングで、ドアの向こうからドタバタと音が聞こえてきた。
「こうちゃ〜ん」
ノックもなくドアを開いた存在に、はぁ~と煌が大きく息を吐いた。
「それでは、またいらしてくださいね」
「はい。長い時間お邪魔いたしまして申し訳ございません」
「全然、またいらしてくださいね」
それでは失礼いたします、と一礼しようとしたとことだった。思い出したようにご婦人が手を打った。
「そうでしたわ、今度開かれる東雲家のお茶会にわたくしどもも参加いたしますの。その際にでもぜひ、娘に──」
またこのループに入ったか。そう思ったところだった。
「久しぶりに東雲の大奥様にもお会いできますこと、楽しみにしているとお伝えいただけるかしら?」
羊一はピクリと動いた頬に、力を入れた。
「……はい、お伝えいたします」
完璧な微笑みを浮かべ、それでは失礼いたします、と丁寧に頭を下げ、羊一はご婦人宅を辞した。
門を抜け、門番に挨拶してから、人気のない道を一人歩いた。その羊一の目が怒りに満ちているのは、羊一自身しか知らない。
自分の目に手を当て、羊一はふーっと自らを落ち着かせるように、ゆっくりと息を吐いた。
(落ち着け、落ち着け……。こんなことで心を乱すな。こんな顔して、朝陽に会いに行けるか)
ふーっともう一度息を吐いた羊一は、ただ目の前の闇を見つめた。
自分の中に、抑えきれない怒りがあるのを自覚している。その怒りは、いつまでたっても消えはしない。
(──あの御仁を、俺は絶対に許せない)
今日のこのお使いも、羊一を朝陽から遠ざけようとしてのことだろう。
羊一の怒りに呼応するように、羊一の周囲を強い風が巻き起こっていく。木々は揺れ、花は今にも散ってしまいそうだ。
羊一もコントロールしようにも、心がざわついて仕方がない。
(「──いち、羊一……」)
頭に響いたその声に、羊一はハッと顔を上げた。
「朝陽──」
首もとのネックレスから、朝陽が呼びかけられた気がした。
(きっと朝陽が、俺のことを恋しく待っているに違いない!)
そう思ったら一直線。羊一はただただ猛然と朝陽のもとへと駆けた。
(待っていてください、朝陽。今俺が、会いに行きますっ!)




