若竹の君の会
「校舎裏に呼び出しとか、いかにもだな」
「なんで煌くんも来たの?」
前を歩く令嬢方に聞こえないよう、朝陽が小声で尋ねると
「そりゃあお前のことが心配だから」
発言とは裏腹に、煌は今から何が始まるのだろうとわくわくしているのを隠せていない。
あまり人が来ない第三校舎裏まで来ると、令嬢方はくるりと朝陽たちに向き直った。
「初めまして、東雲様。わたくし高等部二年の有栖川菫と申します。こちらの皆様はわたくしと志を同じくする方々です」
有栖川令嬢の後ろには、高等部だけでなく中等部、初等部の制服姿のご令嬢が数名控えている。
ごきげんようと挨拶を受けた朝陽も、初対面の方々に呼び出されるとはどういうことだろうと思いつつ
「初めまして、東雲朝陽です。こちらは友人の──」
「存じ上げておりますわ」
朝陽がまだ話しているというのに、スパッと切られた。
長い横髪を後ろに払いのけると、有栖川令嬢は胸に手を当てて語り始めた。
「わたくし達、柊羊一様をお慕いする”若竹の君の会”を主催しておりますの。本日は幹部の中でも選りすぐりのメンバーで直接、東雲様にお聞きしたいことがありお呼びたていたしました」
朝陽がポカンとしていると、隣で煌がピュ~と口笛を吹いた。
「単刀直入にお聞きいたしますわ。東雲様は若竹の君…いえ、柊様をどうなさるおつもりなのでしょう!」
まだ自己紹介しかしていないのに、有栖川令嬢はすでにヒートアップ状態で、きつい口調で朝陽に詰め寄った。有栖川令嬢につられたのだろう、有栖川令嬢の後ろにいた令嬢方も迫る勢いで一歩、朝陽へと近づいた。
「見ていましたわ、今朝の一部始終を!あの若竹の君が憂いをまとい、主君との今生の別れを惜しむようなあの眼差し……!わたくし朝から卒倒するかと思いましたわ!」
有栖川令嬢が額に手を当てよろめくと、後ろにいた令嬢方が有栖川令嬢を囲って支えた。
「あの麗し……いえ、いつも冷静沈着で感情を表に出すことのない若竹の君が、あのように悲しまれているだなんて──これは一大事と、わたくし達黙っていられませんでしたの」
力強く、演技でもしているような大げさな身振り手振りの有栖川令嬢と、そばにいる令嬢方の熱気に圧されて、朝陽はまだポカンとしていたが、東雲様と改めて有栖川令嬢に呼ばれ、ハッと我に返った。
「若竹の君をどこかにおやりになるおつもりですか!?」
「いえ、そんなことは──」
「では、どうして若竹の君はあのようなお顔を!?」
「それは……」
朝陽は小さく、歯を食いしばった。
(教えてもらえるなら、僕が教えてほしい……)
多分、いや絶対に、朝陽は自分が原因だと思っている。羊一が望みどおりにしてくれなかったことが不満で──朝陽自身なにが望みだったのかもわかってないのに羊一にそれを求め、それが叶えられなかったから取った態度。
「自分で聞いたらいいだろ?あいつに話しかけづらいから、まだ聞きやすそうな朝陽に聞いてきてんの?だったら性格悪っ」
煌か吐き捨てるように言うと、令嬢方が煌を睨んだ。
「自分でお聞きできるのであれば、も、もちろんそういたしますわ。けれど、若竹の君はめったに教室にお顔を出すことはありませんので」
「……え?」
少し上ずったように有栖川令嬢がそう言うと、引っ張られるように朝陽は顔を上げた。
(どういうこと?羊は、授業を受けてないの?)
朝陽の表情でわかったのだろう。有栖川令嬢が口を開いた。
「若竹の君はすで卒業認定をお持ちのため、授業に出るのは任意でいらっしゃるはずですが。もしかしてご存知ありませんでしたの?」
不思議そうに首を傾けた有栖川令嬢の後ろでは、他の令嬢方が知らないだなんてとくすくす笑っている。
(──知らない。そんなこと、聞いてない)
じゃあ羊一はいったい、どこで何をしているのか。
漠然とした不安が、朝陽の心の中でざわざわとうごめき始めた。
「若竹の君のこと、もしかして全然知らないのかしら」
「従者としてしか見てないのよ」
「若竹の君が可哀想。あんなに尽くしていらっしゃるのに」
令嬢方の潜めた声が嫌でも耳に入る。
「わたくしなら絶対丁重に扱いますのに」
「若竹の君も仕える相手を考えるべきだわ。例えば──絢斗様に」
「えぇ、あの方でしたら若竹の君が仕えるのにふさわしいですわ!」
楽しそうに話す令嬢方から、朝陽は目を伏せた。
聞きたくなくて耳をふさぎたいのに、聞こうとしてしまう。
もう何度聞いたことだろう。もう何度言われたことだろう。
朝陽よりも絢斗に仕えた方が羊一のためだ、と。
そんなことはわかっている。
朝陽に羊一が仕えているのは、そうしなければ朝陽が生きていけないから。ただ、それだけ。
絢斗のような能力の高さも、人を惹きつける魅力もない朝陽に羊一が仕えるだなんて宝の持ち腐れだの、間違っているだの、何度言われたことか。
それでも───。
うつむいたままでいると、朝陽の背中が強く叩かれた。
その衝撃に隣を見上げると、煌から強い視線を向けられた。しっかりしろと、その目が言っている。
(ありがとう、煌くん)
心を落ち着かせようと、朝陽は一息吸って、吐いた。
「……羊一のこと、ご心配くださりありがとうございます」
朝陽がほそぼそと話し始めると、盛り上がっていた令嬢方が白けたように朝陽を見た。
「彼にとって、どういう道がいいか、僕もまだ分かりません」
不安そうに指をいじっていた朝陽は、体の前で手を組んで、しっかりと前を向いた。
「けれど彼のことは僕が…僕と彼で決めます。だから──」
だからの続きを、朝陽は飲み込んだ。
これは、主として言う言葉ではない気がしたから。
けれど気づけば口から出ていた。
「勝手に騒ぎ立てないでください。羊一は僕のなので」
はっきりと、朝陽は言った。
言った瞬間、朝陽はハッと我に返った。
(どうしよう、とんでもないことを言った気がする……)
サァっと心の中を冷たいものが駆け抜ける気がした。
現に令嬢方から剣のある目を向けられている。
「わたくし達も安心して見守れるのであればそうしていましたわ!ですが、そうお見受けできなかったので勇気を振り絞って今日お話に来たのです!」
今まで後ろにいた令嬢方が有栖川令嬢を押しのけるように朝陽に異を唱えてきた。
「あ、あの──」
「外野が勝手なこと言ってんなよ。こいつとあいつの問題なんだから、今までどおり黙ってろよ」
慌てる朝陽の隣で、淡々と呆れたように言い放った煌のその言い方が癪に障ったのだろう。
「あなただって外野もいいところでしょう!勝手についてきたくせに意見までなさるおつもりですか!?」
「そっちこそ外野もいいところだろ。いつも盗み見て騒ぎ立てて」
「なんですって……っ!?」
「みなさま、少し落ち着いて──」
朝陽を置いて煌と令嬢方が言い合いになり、有栖川令嬢が間に入るも誰も有栖川令嬢の言葉など聞いていない。
「あ、あの……っ」
朝陽も止めに入ろうとした。けれど入れなかった。
「あーさーひ」
「……羊」
後ろから抱きついてきた羊一が、朝陽を引き止めたから。
気づいた令嬢方はきゃあっと黄色い声を上げ、一歩二歩と後ろに下がった。
「なにをしておいでですか?もう授業は始まっているのでは?」
問い詰める口調ではなく、真面目な朝陽が珍しいと羊一は面白がっているようだ。
「あの、えっと、これは──」
けれどさっきから焦りっぱなしの朝陽は、なんと返事をすればいいのかとあくせくした。
朝陽が言葉を選んでいると、困った様子の朝陽が可愛くて、羊一はそのまま朝陽を懐に閉じ込めた。
「あの、羊」
朝陽が腕の中から羊一を見上げると、羊一がすぅっと視線を移すのが見えた。
「ごきげんよう、お嬢様方。朝陽に何か御用でしょうか?」
あくまでも柔らかな物腰で、柔らかな微笑みを浮かべつつ、羊一は令嬢方に目をやった。
けれどその目には、一縷の温かみもなかった。
(今まではただ見ているだけだから放っていたけれど、朝陽を煩わせるのであれば話は変わる)
じっと羊一に見られているため、緊張しているのだろう。
「いえ、あの、わたくし達は……」
さっきまではきはきと物申していた令嬢方も、羊一を前にしどろもどろだ。
「皆様、落ち着いて。若竹の君のお目汚しにでもなるおつもりですか」
小声で有栖川令嬢がそう言うと、周りの令嬢方は少しではあるが平静を装った。
「東雲様はわたくし達がお呼びたていたしました」
「どういう御用でしょうか?」
「それは──」
有栖川令嬢も、他の令嬢方も黙りこくってしまった。
その様子を見た朝陽は、心に刺さるものがあった。
朝陽は自分を抱く羊一の腕に手をかけた。
「朝陽?」
「羊一、離して」
その言い方は、冷淡なもので、羊一は驚きに包まれた。
羊一に向き直った朝陽は、誰が見てもわかるほど凍てついた表情をしていた。
「羊一、君には関係ないことだから、授業に戻って」
その表情に、その言葉に、羊一はひやりとしたものが背筋を走った。
「ですが──」
「僕の言うことが聞けないの?」
朝陽はゆっくりと、首を傾けた。
ただそれだけで、紛れもなく、朝陽は周囲を威圧していた。
羊一でさえ、そんな朝陽を見るのは初めてで、動けずにいた。
けれど──くすりと笑った羊一は朝陽の前にひざまずいた。
「いいえ、仰せのままに。我が君」
これはこれで、いいかもしれない。
朝陽の手の甲に口づけし、羊一はその場をあとにした。
「みなさま」
羊一の姿が見えなくなってから、くるりと振り返った朝陽に、令嬢方は肩を竦めた。
「それでは、僕達も戻りますので、これで失礼いたします」
一礼した朝陽は、行こうと煌に声をかけ、授業へと戻っていった。
羊一はその日、上機嫌であった。
(朝陽が、朝陽が俺のことを『僕の』って……!!)
隠れて一部始終を見ていた羊一は、心の中で何度も何度もリピートしていた。
言い方は優しかったが、羊一は朝陽のものだから口出しするなと言っていたことが、羊一には嬉しくてたまらなかった。
(それにあの冷淡な態度)
いつも朝陽は、他人を優先する。自分が傷ついても、自分を押し殺しても、他人が幸せであればそれでいいと思っている。
そんな朝陽が自分の意見を曲げなかった、しかも羊一に関することでとなると、羊一の喜びも一層増した。
しかし、羊一とは逆に朝陽はずっと沈んだ顔をしている。
(あのあとは何事もなかったはず)
帰る道すがら、何度も朝陽に話しかけているが、うん、なり、そう、なりの生返事しか返ってこない。
悩ましげな朝陽を見つめつつ、羊一は突然思い至った。
(もしや俺があまりにもハッピーオーラを出しすぎていることが原因なのでは!?)
いつも通りの外面無表情をしていたつもりの羊一ではあったが、無意識に漏れ出てはいただろう。
それが原因であればどうしたものか、いや、感動に打ち震えていたんだといっそ伝えてはどうかと脳内相談会を行いつつ、家に入り、いつものように朝陽からコートを預かり、ラックに掛けた。
そして相談会の結果、喜びを伝えるしかないと勢いつけて振り返ると、すぐそばにまで来ていた朝陽が、ゆっくりと羊一に抱きついた。
「朝陽……?」
突然のことに、羊一は胸の高まりが抑えきれない。
朝陽はなにも言わない。ただただ羊一を離そうとしない。
ぎゅっと不安気に朝陽がしがみつくと、そっと羊一が朝陽の背中に手を回した。
「朝陽、どうしました?」
それでも朝陽は、なにも言わずに、ただただ羊一の胸に頭を押しつけてくる。
(令嬢方に言われたことを、気にしているんだろうか)
そんなこと、全く気にしなくていいのに。
けれどそれが朝陽を不安にさせているなら、羊一はそれを取り除くだけだ。
「朝陽、俺はどこにも行きませんから、ずっと朝陽のそばにいますから。だから大丈夫ですよ。
俺は朝陽に仕えたくて仕えてるんですから、朝陽もその自覚を持ってください。ね?」
羊一にそう言われて、やっと朝陽は力の抜ける思いだった。
羊一に抱き留められながら、頭に置かれた手から安心感が伝わってくる。
「うん」
大丈夫だって、羊一は離れていかないって、信じている。縛りがあるから離れられないのも知っている。だけど気持ちが離れていないのかは、こうやってたまには言ってくれないと、示してくれないと不安になってしまうのもまた事実。
「朝陽、大好きですよ。ずっとおそばにいますから。ね?」
「……うん」
年甲斐もなくあやすように言われてるのもわかっている。けれどそう言ってくれるのが、なによりもうれしい。
朝陽は羊一の胸に頭をすりつけた。
「朝陽、可愛い」
そうすると羊一が朝陽の耳元に手を当て、髪にキスを落とした。
「ふふっ」
嬉しくて、思わず朝陽は声が漏れてしまった。
「朝陽、可愛い。大好きです」
喜んでいるのがわかったのか、羊一はそのまま朝陽の額に、あご筋に、首にキスをした。
「くすぐったい」
くすくすと朝陽が笑っていると、チュッと軽くついばむようなキスをされた。
「……」
笑い声が引っ込んでしまった朝陽はあごを引いて、羊一から一歩下がろうとした。
「嫌でしたか?」
朝陽の腕を弱く掴みつつ、羊一は悲しそうな目で朝陽を覗き込んだ。
「……困る」
小さく、朝陽はそう言うしかなかった。
羊一は、じゃあ、と朝陽の顔を包み込んだ。
「困ってください」
そうして、後ろが壁で逃げられないから、羊一が顔を近づけるから、避けることができないからと誰に言うわけでもない言い訳を、心の中でつぶやきながら、朝陽は羊一を受け入れた。
いつもだったらすぐに終わるのに、その日のキスは長く、甘く感じた。
朝陽の成長の回、です。




