ちょっとしたこと
(今日も、来るのかなぁ)
窓の外の静けさに覆われた本家を眺めながら、朝陽は物思いにふけっていた。
最近、朝陽には両手で包み込めるくらいの悩み事がある。
夜、皆がもう部屋に戻り、寝静まった頃。眠りにつくのが遅い朝陽の部屋のドアを叩く音がした。
(返事、したくないな……)
しかしそうも言ってられない。ドアの前に立っているのは明らかなのだから。
朝陽が躊躇していると、そっとドアを開き、その隙間から顔をひょこりと出したのは
「朝陽、もう眠ってしまわれていましたか?」
まだ絢斗の術が解けていない羊一だ。今日もくりんくりんの角を、その頭上に乗せている。
「まだ寝てないよ」
起きているのを見られてしまったのだから、そう言うしかない。
羊一はそのままドアを大きく開いて、部屋の中に入って来た。その腕には、枕を抱えている。
「今日も、一緒に寝ていいですか?」
これが悩みの種である。
「……今日は──」
今日こそは、遠慮してほしい。
口からその言葉が出そうになったが、朝陽は言えなかった。
眉を下げた羊一が、うるうるとした瞳で朝陽を見つめていたから。
(うぅ…そんな目で見られると断りづらい)
断ろうとするとしょぼくれた様子になる羊一に、朝陽はつい言葉を奪われてしまう。
「い、いいよ……」
連日、朝陽は羊一のお願いに敗北している。
朝陽としては、自分の部屋で、自分のベットで、しっかり休んでほしいと思いつつも、こうなってしまう。
(僕って、甘いなぁ。母様に主人としてちゃんとしなさいって言われたところなのに)
はぁ、とため息をつく朝陽の隣では、羊一がいそいそと朝陽のベットに寝転がろうとしていた。
「どうしました?あ、やっぱり俺がいると寝にくいですか?枕をいつもお借りするので、今日は持参したのですが……」
そんなこと言っても、部屋に戻る気なんてないくせに。
じとっとした目で羊一を見つめつつも、諦めの気持ちで朝陽もベットに横たわった。
「いいよ。僕、いつも枕いらないから」
「……そうですか?」
「うん」
なにが嬉しかったんだろうか。羊一は肘をついたまま満面の笑みで朝陽を見下ろしている。
「なに?」
「なんでもありません」
朝陽の問いに答えないまま、羊一は朝陽の頭の下へと腕を回し、己の方へと朝陽を近寄せた。ちゃっかり足も、朝陽の足に絡ませている。
「おやすみなさい、朝陽」
「おやすみ」
ちょっと不服に思っていたはずなのに、こうされるともう朝陽は弱い。
さっきまで心にあったモヤモヤとフワフワを混ぜたような気持ちがスーッとなくなっていき、今は羊一の腕の中で安心感となんだか落ち着かないような、でも心地良い気分に包まれている。
そうして毎朝、今晩こそはひとりで寝ようと小さく決意するものの、あっけなくその決意を砕かれてしまっている。
(あんなにしょぼんとしてたのに…)
じろりと羊一を見ると、おやすみと言ったのに一向に寝る気配を感じない。力の抜けた笑みを浮かべ、じっと朝陽を見つめている。
絢斗に術をかけられた当初は、珍しく駄々をこねて「部屋から出たくない」と布団を被っていた。そう言いつつも、本家にも離れにもその姿のまま仕事はきちんと行っていた(はじめは角を隠そうとしたが、絢斗に晒すように命じられていた)。
羊一自身はまるで何でもないことのように普段通り(の仮面をかぶって)にしていたが、周りが放っておかなかった。朝陽は羊一が「可愛いー‼」と頭を撫でられたり、取り囲まれたりしているのを何度も見た。そしてそのたびに、モヤモヤした思いにさせられた。
(兄さま早く、術を解いてくれないかな)
そんなことを思いつつも、朝陽は羊一の角をいじいじと触った。
(やはり、朝陽はこの角を気に入っている‼)
朝陽とは反対に、羊一はこの状況を楽しんでいた。
はじめこそは「こんな姿を朝陽に見られるなんて…」と嘆いていた。しかし、しばらくして気づいた。
「羊一」
「はい、朝陽」
ご当主様のところへ書類をお持ちしようと本家を歩いていると、後ろから朝陽に呼ばれた。
喜んで駆け付けると
「ちょっと、しゃがんで」
珍しく朝陽はムスッとしていた。
「こうですか……?」
なにか失態でも⁉と心の中であれこれ思い当たる節しかない己の行いを思い返していると、羊一は朝陽に頭を撫でられた。
「あ、朝陽…?」
「もういいよ」
それだけ言って、朝陽は離れに戻っていった。
そういうことが何度かあり、羊一は気づいた。
朝陽以外の誰かが角をからかって触った後、朝陽が羊一の頭を撫でに来ると。
おかげでここ最近、羊一は内心ご機嫌で過ごしていた。けれどあまりに機嫌よく過ごしていると絢斗にすぐ角を取り上げられるかもしれない。そうならないよう、表情管理を徹底していた。なにより──
羊一は、朝陽の顔にそっと手を当てた。
「朝陽、あーしてください」
「……もうだいぶ良くなったから、今日はいいよ…」
羊一から目を背けつつ、頬を赤らめる朝陽が羊一には可愛くて仕方がない。
「だめです。ほら、あ?」
「……………あ」
羊一は朝陽の顎に手をかけ、その小さく開いた口に己の口を添えた。最初は小さくしか開いていない口も、何度か羊一が舌を出し入れしていると大きく開いてきた。
「んんっ……はぁっ…」
ぎゅっと羊一を強く握る朝陽のこの手も愛おしい。
(あー、可愛い。ずっとしてたい)
羊一がもう一つ気づいたこと。この姿の羊一に、どうやら朝陽は弱いらしい。普段であればなんだかんだ断るであろう添い寝も、口づけも許されている。もちろん朝陽への魔力補給のためという大前提はあるが、連日許されるなんてこの姿でなければありえないことだろう。
それがわかった羊一は、今この状況を謳歌している。
苦しそうな朝陽に体重をかけないように気をつけつつも、羊一は朝陽の上に乗りかかった。
「んっ……もう、無理──」
息苦しそうな朝陽に、羊一は一旦ストップした。
何度か朝陽が吸って吐いてを繰り返し、息が整ったところで羊一は「もう一回しますね?」と涼しい顔で、朝陽の返事を待たずに再び口づけをした。
「羊、っ僕……していいなんていってない……」
二度目の長い口づけが終わると、くらくらしながらも朝陽は羊一にそう言った。
すると、羊一はひどく不満げな顔をした。
(なんで羊がそんな顔するの?)
魔力補給を受けている朝陽からすると、朝陽がもっと欲しいと不満げになることはあったとしても、与える側の羊一がそうなるのは疑問でしかない。
「お嫌でしたか?」
朝陽の胸の上に顔を置いて、甘えるような羊一に、朝陽は心臓がキュッとした。
(……嫌じゃないから、困ってる)
朝陽は口では断りつつも、期待している自分がいないといえば噓になる。羊一にキスされると、気持ちよくて、大事にされているのをより感じて、ずっと浸りたくなってしまう。
でもそういうわけにはいかないので、なるべく本当に困った時以外は避けるようにしようとしていた。
これはあくまでも、魔力補給なんだから、と。
「僕、もう寝るからっ」
今できる最大限の抵抗で、朝陽は返事もしないでぎゅっとまぶたをつむった。
もう寝てるから、なにもしてこないでよの意思表示で。
しばらくすると胸の上が軽くなった。羊一もやっと寝るようだ。
そう思ったころだった。
「朝陽、おやすみなさい」
ふっ、と息が当たるような感触と、さっきまでと違う重みに朝陽は薄く目を開けた。
重いと思ったのは、朝陽を抱き枕にしていた羊一の腕だった。朝陽の首元には、羊一の美しい顔があった。
一緒に寝るのなんて、今までだって何回もあった。でも今みたいに、甘えてくることはなくて──。
たったそれだけのこと、でもそれだけのことで朝陽は心穏やかでいられなくなった。
(明日からは、ひとりで寝よう)
改めて心に誓った朝陽であった。
番外編でした~。いかがでしたでしょう。




